浮世絵vs陶磁

iPhone12ProからiPhone17Proへ5年ぶりに機種変、カメラの性能がグッとアップしたので、まずは藤田美術館の曜変天目で試し撮りのつもりだったのですが、梅雨入りしたのに晴れていたので急遽行先変更、久保惣美術館の「北斎✕広重、絶景!頂上決戦」へ。

北斎✕広重頂上決戦

和泉中央駅からバスで久保惣美術館に到着。新館の第1展示室で北斎✕広重、絶景!頂上決戦、シール投票では僅差で北斎が接戦を制したようです。

久保惣は4回目、ブログは3件しかなく、去年10月に3回目として万博に絡めて開催された「Over The Waves —南蛮・万博・ジャポニスム—」を訪ね、神奈川沖浪裏や天正遣欧使節肖像画も見ていたのですが、撮影NGでブログにしていませんでした。今日は撮影OK、ブログアップもOKと確認。

第1展示室の展示品番号1と2は頂上対決パネルになっていた北斎凱風快晴と広重箱根湖水の現物。以下浮世絵は3✕2でトリミング、非常灯などの写り込みはPhotoshopで削除しています。それでも、この2点もそうですが、大きな写り込みはどうしようもありません。

神奈川沖浪裏と並ぶ世界的人気作の赤富士こと凱風快晴冨嶽三十六景凱風快晴で画像検索すると実に様々な色味とグラデーションの凱風快晴がでてきます。刷られた時期によって色がかなり異なっており、初期の版は山肌が淡いレンガ色で、山頂のグラデーションや山裾の緑も柔らかく全体的に落ち着いた色調、大量に増刷された後期の版は真っ赤な山肌と濃い青空のコントラストが鮮烈です。凱風快晴は全体で1万枚前後も刷られ、現存するのは世界中で数百枚、北斎の意図がより忠実に再現された初期の刷りは数十枚程度しか現存しないそうですが、展示品はその貴重な初期の刷りと思われます。ちなみに自分が去年刷った凱風快晴です。

大名行列の箱根越えを描いた箱根湖水、左端に真っ白な富士、右側の富士山形の山は箱根駒ヶ岳らしい。どうにも安藤広重と呼びたくなるのですが、本名は安藤重右衛門、画号が歌川広重なので、安藤広重と本人が名乗ったことはなく、歌川広重と呼ぶのが正しいそうです。

凱風快晴の赤富士に対し黒富士と呼ばれる北斎冨嶽三十六景山下白雨、凱風快晴の高い空のいわし雲に対し、富士より低い空に入道雲、山裾に稲妻、ゴロゴロくらいじゃなくドドーンと落雷の音が聞こえてきそうです。ずいぶん昔のことですが、飛行機で上空から沼津あたりの花火が球状に見えたことを思い出しました。

広重東海道五十三次原朝之富士で旅姿の3人は東海道を西へ向かっているので、伊勢参りと思われる商家の母娘と大荷物を担いだ使用人。入り鉄砲に出女の厳しい規制も基本的に武家を対象にしたもので、商家の婦女の場合は町役人などが発行した通行手形でスムーズに関所を通過できたらしい。田んぼにいる2羽の鳥は現在よりずっと広く分布していたタンチョウらしいものの、赤い部分が頭頂でないのが気になります。富士の中腹付近には雁の編隊。

北斎の富嶽三十六景を2点、江戸に戻り大勢の人が行き交う五街道の起点、江戸日本橋、日本橋川の両側に蔵がびっしり立ち並び、ひとつ川上の太鼓橋は一石橋、真正面に江戸城。北斎の時代には既に天守閣は焼失しているので二の丸辺りの郭です。

小名木川が隅田川に垂直に合流する深川万年橋下、現在も太鼓橋を模したようなアーチ橋が架かっていて、左手すぐ先にある清澄庭園は元禄時代には紀伊国屋文左衛門の屋敷だったらしい。近くには深川江戸資料館もあり江戸時代の深川の暮らしに触れられるようです。門前仲町で呑み歩いていたのに全然知りませんでした。

広重の江戸百景から2点、浅草田圃酉の町詣は鷲神社酉の市の日の吉原遊廓の二階を描いたもの、画面左下に酉の市土産の熊手。吉原大門から鷲神社まで300mほども周囲は全て田んぼ、遊郭だけがポツンと賑わっていたと分かります。同じ絵をごろごろまるまるネコづくしで見たばかりです。

深川万年橋は北斎が描いた上掲の万年橋の欄干の下から富士を眺めた図、欄干に吊るされているのは放生会のために売られている亀、放生会なので食べるためのスッポンではなく放してあげるための亀です。北斎や広重の名所図会をスマホに入れてお江戸見物するとかなり楽しめそうです。

江戸を出て西へ「上り」ます。引き潮で歩いて渡れる冨嶽三十六景相州江の嶌。そして冨嶽三十六景甲州三嶌越、大木の巨大さにはしゃいでいる江戸からの旅人と黙々と通り過ぎる地元の女性。

新しいiPhoneのシャッター音がかなり気になります。スピーカーの穴を押さえたりしつつ撮っていたのですが、それでも自分のシャッター音が静かな展示室に響く度にドキッとします。

熱田から舟で渡ってきた東海道五十三次桑名七里渡口、2年前の元旦、能登の地震の直前にずばりこの場所を訪ねてずばり同じアングルで写真を撮っています。

葛飾北斎百人一首うばがえとき持統天皇は「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」をおばあさんがこどもに話すように絵解きしたもの。北斎が大和三山周辺を訪ねた記録はなく想像で描かれているので、天香久山の姿はどう見ても畝傍山ですが、干されている白妙の衣はこの地のそうめんの天日干しそのものです。

広重の六十余州名所図会阿波鳴門の風波、波の形が北斎の神奈川沖浪裏そっくり、広重が北斎をかなり意識していたことが分かりますが、手前のうず潮が北斎と異なるダイナミックな描写。広重も鳴門を訪ねた記録はなく想像の世界です。考えてみれば神奈川沖浪裏もあんな荒波の神奈川沖からスケッチできたはずはなく、やはり想像の世界です。

いつもは西洋絵画の部屋になっている第2展示室も頂上決戦の続き、ファン・ゴッホが模写した広重の名所江戸百景大はしあたけの夕立。原田マハたゆたえども沈まずというフィンセントとテオのファン・ゴッホ兄弟と画商の林忠正の物語を、半分ほど読み終えたところです。テオが大事にしている大はしあたけの夕立を広げるシーンで、この絵は動いて見える、との文章がありました。自分には動きより音が聞こえます。どしゃぶりのザーっという音。19世紀ヨーロッパで大旋風を巻き起こした浮世絵ですが、それ以前は輸出される陶磁器を保護する紙として使われていたらしい。

北斎も広重も実際に目にした一瞬のリアルな光景、まるで見てきたように誇張された想像の世界、どっちも素晴らしい。さて、頂上決戦ですが、細い線とグラデーションの北斎、太い線でくっきり塗り分けの広重、今日見た限りでは自分は45対55くらいで広重かな。理由は神奈川沖浪裏がなかったから、ということにしておきます。(神奈川沖浪裏は2年前に中之島美術館で見ていました。)

西洋絵画

第2展示室の一方の壁は西洋絵画が3点、それに展示室中央にはロダンの彫刻が2点。浮世絵の近代西洋絵画にもたらした影響を確認できるように、との意図もあるようですが、主目的は来月から開催される特別展「初!全点一挙公開 久保惣の西洋絵画 ─モネ・ルノワール・ゴッホをはじめとして─」の予告編と分かります。それといつもは西洋絵画展示は撮影NGですが、この予告編は撮影OK、7月からの本編も撮影OKらしい。

オーギュスト・ルノワールの花飾りの女、学生の頃かなりお気に入りだったルノワールですが、明るくて眩しすぎ、あまり惹かれなくなりました。そして大原美術館展の作品と比べると色が少ないクロード・モネの睡蓮は1907年の作品で夕暮れのジヴェルニーの池。ガラスへの周囲の展示や自分の影が大きく写りこんでしまっているのがかなり残念。

ファン・ゴッホ耕す人は1883年、フィンセント30歳頃、まだオランダにいた頃の作品で、農民画家ミレーの影響を強く受けていたことが分かります。絵はほとんど独学で、絵が下手だったファン・ゴッホもこの頃にはデッサンがしっかりしてきています。

京博屋外展示の作品よりずっと小さいオーギュスト・ロダン考える人、もちろんロダン美術館公認の本物です。

庭の池のショウジョウトンボとアオモンイトトンボをIPhone17Proで撮ってみました。なかなか使えそうです。

久保惣の名品

本館の第5展示室はコレクション特別陳列展「久保惣の名品」。重要文化財法華経巻第三薬草喩品第五(大字経、奈良時代)と重要文化財宝篋印陀羅尼経(鎌倉時代)。他にも重要文化財の経巻がずらりも、達筆な漢字が並んでいて装丁が美しいと感じたまで。

重要文化財響銅水瓶(奈良時代)、佐波理とも呼ばれる銅と錫の合金である鏡胴製の蕪形水瓶、高さ22.8mmの法具。

第6展示室も「久保惣の名品」、誰もいなくて、国宝や重要文化財をひとり占め、IPhoneのシャッター音も気にしなくて済みます。

重要文化財駒競行幸絵巻 (鎌倉時代、13世紀後半〜14世紀初頭)は栄花物語の巻23段こまくらべを描いた絵巻。万寿元(1024)年に関白藤原頼通が自邸に後一条天皇や東宮敦良親王、父の藤原道長らを招き競馬(くらべうま)を催した日の様子、オレンジ色の装束が敦良親王、その手前が藤原道長、画面上部で姿が隠されているのが後一条天皇、左下に描かれた舟は伝説上の鳥・鷁が船首を飾る鷁首船。

洛中洛外図屏風を見るような楽しさがある駒競行幸絵巻、よく見ると男性貴族も皆チークを塗ってます。絵師は鎌倉時代後期の宮廷絵師、高階隆兼あるいはその工房と推定されるらしい。

重要文化財山王霊験絵巻下巻(室町時代)は山王権現の霊験譚や比叡山の僧侶の伝記などを描いた絵巻。訴訟のために鎌倉に下ったある女房が、訴訟が長引き、商人から金を借りる場面、縁側に置かれているのは紐に通した宋銭。中世の社会風俗を伝える貴重な資料です。

展示室の一番奥には円山応挙の老松鸚哥図

重要文化財黄瀬戸立鼓花入銘旅枕は、桃山時代の美濃で焼かれ、千利休が京都の古道具屋の店先で見つけ購入したと伝わる伝説的な名物花入。利休切腹のわずか1ヶ月前、天正19年1月25日の朝の茶会でこの旅枕が床の間に飾られたと記録に残されています。利休は、三千貫もの値打ちがある唐物の青磁花入蕪無などより、この美濃の黄瀬戸のほうがはるかに面白いと絶賛、利休の真骨頂を伝える道具です。

重要文化財唐津茶碗銘三宝も桃山時代に焼かれた古唐津。唐津焼の中で朝鮮半島の高麗茶碗の影響を強く受けたものを奥高麗と呼び、本作はその完成形とされるらしい。東山御物など最高級の茶器とは別に、小堀遠州が新たな価値観を見出し見立てた茶器を記録した「中興名物録」にも記載された名器。

国宝青磁鳳凰耳花生銘万声は南宋時代に浙江省龍泉窯で焼かれた花生、両耳は外側を向いた鳳凰。同じ青磁鳳凰耳花生が東洋陶磁美術館に所蔵されており、この銘万声と対になる銘千声が宇多野にある近衛家の陽明文庫に所蔵されています。

他の青磁鳳凰耳花生が重要文化財なのに対しこの青磁鳳凰耳花生だけが国宝。東洋陶磁美術館の重文と見比べると、鳳凰のトサカや目、嘴などがくっきり浮き出ています。大和文華館で国宝でも重文でもないものの同じ龍泉窯製で耳が鳳凰ではなく鯱の青磁鯱耳瓶(リンクページ写真18)も見ています。

中国の陶磁器

第6展示室入口から左側の壁面は中国の陶磁器。唐三彩の壺や騎馬人物俑に並んで白釉刻花蓮唐草文鉢(金時代)は磁州窯系で焼かれたもの、彫りの深い刻花が特徴的。

実に美しい黒釉碗(元時代、建窯)は曜変天目や油滴天目と同じ建窯で焼かれた黒釉。真っ黒じゃなくて見込み全面に現れた刷毛目のような縦長のドット、その上に白いくねくねのライン、口縁部の少し下がわずかにくびれたスッポン口、天目茶碗とされていないのが不思議です。

見る角度の僅かな違いで白いくねくねラインが変化します。茶席では曜変天目や油滴天目以上にお茶が美味しく見えそう、ホントに美しい。壁際のケースなので反対側から見ることができないのが残念。

玳玻天目花鳥文碗(南宋時代)は東洋陶磁美術館の玳玻天目と同じ鼈甲のような斑紋があり、焼かれた窯は明記されていないものの東洋陶磁美術館のと同じく吉州窯でまちがいなさそうです。ただ天目茶碗としてはスッポン口になっておらず、側面が鋭角すぎて掌にすっぽり収まるようなかたちではありません。全体に茶色く、天目茶碗の前提である黒釉ですらないのではと思いきや、見込みの黒い花鳥文が、型紙を貼り付け上塗りの釉薬がかからないように残された素地の黒い釉薬らしい。外側の斑点は藁を燃やした灰の釉薬(藁灰釉)を振り掛け焼成し化学反応で現れたものだそうで、かなり手の込んだ技法です。

天目茶碗であると位置づけたのは生産者でも美術館の学芸員でもなく、室町時代に日本にもたらされて後、足利将軍家の同朋衆によるもの、室町幕府の公式美術評価目録「君台観左右帳記」で建窯の黒釉(建盞)だけでなく吉州窯の茶色い玳玻盞も窯変や油滴に続くランクに格付けされているそうです。

さらに深堀りしてみると大名茶人の松江藩主・松平不昧が所持、不昧の最高峰コレクションをまとめた目録「雲州蔵帳」に、この碗は大名物としてリストされています。誰が所持し、どの目録に載っているかという歴史的な由緒が、器の科学的な分類よりもはるかに重視される茶の湯の世界だそうですが、もし自分が同朋衆だったら、この玳玻天目花鳥文碗より上掲の建窯黒釉碗を推したい。

五彩花鳥龍文盤は、明時代末期景徳鎮のスタイルを真似ながら福建省の樟州窯などで焼かれた呉須赤絵の華やかな大皿、景徳鎮のように完璧すぎないところが日本の茶人に好まれたらしい。

釉裏紅江山図角鉢は、透明釉の下に銅を発色剤として赤色で山水画が描かれた釉裏紅の技法、高度な技術を持つ清時代景徳鎮民窯で焼かれた文人好みの角鉢。

青花粉彩器玩具図碗(大清道光年製)は清時代の道光年間(1821〜50)に景徳鎮官窯で作られたもの。内側に青花で灯籠、外側は琺瑯(七宝の上絵付け技法)で極めて精緻に生け花や灯籠が描かれています。精緻さはもはや陶磁器の域を超えてます。

虫眼鏡が添えられていたのですが、iPhone17Proの8倍ズーム(35mm換算200mm)で撮ってみると虫眼鏡が要りませんでした。

近世日本の陶磁器

本館案内デスクの後ろに第4展示室、以前は瓦当(軒丸瓦先端の丸い部分)の地味な展示だったので期待しないまま入ってみるとビックリ。飾り気のないのは以前のままに近世日本の陶磁器がずらり、これがハンパなく凄かった。

志野飛鳥文向付は美濃東濃地方の志野焼、腰に段をつけ口部を四角にして内に折り返した志野特有の向付。日本で初めて陶器に絵付けが行われた焼き物が志野、香道家元の志野宗信が、足利義政から拝領した白い茶碗を好んだことに合わせて作られた白い焼き物を「志野」と呼ぶようになったらしい。

赤織部向付黒織部茶碗、戦国大名の古田織部の指導で生まれた織部焼、志野焼と織部焼は同じ産地(岐阜県土岐市付近)。志野焼は静かで温かみのある美、織部焼は動的で斬新な美、と特徴づけられるようです。

萩焼が2点、筆洗を茶碗に見立て、3本の胴筋をめぐらせ高台に切れ目の入った割高台茶碗

高麗茶碗で最高位とされた井戸茶碗の形を踏襲し、粗い砂を多く含んだ鬼萩手に対し、きめの細かい姫萩手と思われる萩茶碗

おおっ、一入の黒楽が。樂家4代一入作黒楽平茶碗名巴、父ノンコウのおおらかな作風を受け継ぎつつも、初代長次郎の侘びの精神が色濃い作風へと回帰、樂美術館でよく似た初代長次郎の平茶碗を見ました。マットな長次郎作に比べると光沢が強く赤みがかった黒、黒楽茶碗の中に赤色がまだらに表れる「朱釉」は一入が完成させた技術。夏用に熱いお茶が冷めやすくするための平茶碗は薄茶用、泡立てられた明るいグリーンのお茶がよく映えそうです。

一入の作品には陶印が捺されていない作品が多く、この作品も無印らしい。後世の民藝の無名の美に通じる考え方を一入が持っていたように感じさせます。

9代了入作赤楽茶碗雪片写、本阿弥光悦の雪片という茶碗を写したもの。後ろの写真パネルで内部に樂の印が押されているのが見えます。印を押すのは普通なら高台の裏とか目立たない場所のはずが茶碗の内側とは。了入ならではの光悦へのリスペクト故の遊び心との見方もあるようですが、ちょっと自己主張が強すぎるのではとも感じさせます。民藝運動に例えれば無名の美にこだわった河井寛次郎に対し、芸術家としての自意識を大切にし民藝運動から袂を分かった富本憲吉を思い出させます。了入は天明の大火で全てを失っており、この茶碗の中の樂の印に樂家再興への思いを託したのかもという見方もできます。

幕末〜明治の樂家当主、11代慶入作黒楽茶碗銘あけぼの、一入の作風を慕って朱釉の黒楽だそうですが、上掲の一入の巴とはずいぶん違ってべたっとした朱釉です。パネルの写真で土見せの高台の脇に樂の印、歴代の樂家当主がそれぞれ独自の字体の「樂」印を捺す決まりがあったらしい。一入はその決まりを守らなかったということではなく、決まりとして確立していなかったようです。

逆に自分が作った茶碗を共箱に入れ署名や印を捺して納めるという現在まで続く茶道具の習慣を始めたのは一入だそうですが、名を残すということよりも自分が作った美に対して責任を持つという意味が強かったのではないか。樂美術館では撮影できなかった樂茶碗が3点も勢揃いでテンション上りました。

高取掛分釉鉢、高取焼(福岡県)は遠州七窯のひとつで小堀遠州が最も愛用したとされ、遠州好みを生み出してきた窯。大きく歪んだ器に2種類の釉薬が掛け分けられ。着物の左右でデザインが異なる半身替わりが表現されています。

襷状の斜線の文様のある備前火襷徳利、窯の中で隣り合う器がくっつかないように藁をあてたところ、藁と土の鉄分により窯変して生じた緋色の文様。

伊万里色絵人物図、湯呑くらいの大きさの火入で、手焙じゃなくタバコ用です。ごちゃごちゃした唐子絵は江戸時代後期の有田で特徴的。

中国明代末期の呉須赤絵を模した京焼の奥田頴川作呉須赤絵写舟形鉢。やはり大和文華館でとても良く似た頴川作赤絵龍文柏葉形筆洗(リンクページ写真62)を見ています。

九谷色絵葉文平鉢、九谷焼はほとんどまだ見たことがないのでよくわからないのですが、重々しいデザインからたぶん江戸時代前期の古九谷かと。

奥田頴川と並ぶ京焼の名工11代永樂保全作紫交趾木瓜形手焙、かぼちゃかと思いきや木瓜、つまりボケの花の形の意味です。


僅かに茶碗だけが座布団を敷いていた質素な展示室で江戸時代の名器をひとり占めしてきた興奮冷めやらぬまま、お庭の手毬咲きアジサイでカームダウン、たぶんてまりてまり種。

市民ギャラリーで開催中の紺谷正光「我楽苦多展」を覗いてみると、受付でなにやら高齢男性とお仲間らしい女性たちが盛り上がっていました。紺谷正光氏は元美術教師で、油絵、銅版画、陶芸など幅広い分野で精力的に創作活動を行っている芸術家・美術家とのこと。

よくぞこんな素材が見つかったものと思わせる木の彫刻、語りかけてくる切り株、これも人為と自然の融合。

自画像らしきが一面に。じっくり鑑賞させてもらって受付に戻るとさっきの高齢男性が自画像の主と気づき、お顔をたくさん拝見してきました、とご挨拶させていただきました。御年89歳とはとても見えない。

新館の奥に飾られていた植物イラスト、19世紀ヴィクトリア朝のイギリス人植物画家、ジェーン・エリザベス・ジローミルトンの花、詩人ジョン・ミルトンの失楽園などに登場する植物をカリグラフィーと手彩色のリトグラフで表現したボタニカルアートです。角度を変えてもお庭からの写り込みが激しく、諦めかけたものの、これはこれで景色と気づき写真を撮ってみました。

北斎✕広重では自分的に広重が僅勝、中国陶磁✕日本陶磁では、建窯黒釉と一入の黒楽巴を主将対決とすると、甲乙つけがたいものの建窯黒釉は若干テカりすぎる気がして自分的には黒楽巴の僅勝。浮世絵✕陶磁でみると今日は陶磁の僅勝、理由は単純で名器をいっぱいひとり占めできたから。受付の人に北斎広重より樂焼3点がすごかったです、と感想を話して久保惣を後に。

帰りのバスまで30分待ちなので、久保惣美術館に隣接するひつじ公園へ。松尾川の川面には小さな魚がいっぱい、おなかに縦のラインがくっきり見えます。オイカワで間違いないかと。新しいIPhoneでこれだけ撮れるとは思いませんでした。

藤田美術館同様に久保惣でもスタンプカードをもらいました。藤田美術館同様にコンプすると何がもらえるかは明記されていませんが、今回は上掲の広重深川万年橋のネコと富士をモチーフにしたスタンプ、次回は西洋絵画、10月からは横須賀美術館コレクション展、来年1月からは茶の湯の美と続くようです。

横須賀美術館は横須賀の市内ではなく観音崎近くの海に面した美術館、横須賀や三浦半島ゆかりの作家や作品、あるいは海をテーマにした作品を中心にコレクションされ、岸田劉生、小出楢重、佐伯祐三、谷内六郎らの作品約5000点が所蔵されているらしい。何がやってくるか、これも楽しみ。