野田藤も牧野博士
桜が終わるとお次は藤。奈良公園の萬葉植物園か、宇治の平等院か、と調べていると福島区の春日神社がヒット。規模は大きくなさそうですが由緒ありげです。
道路を挟んで「野田藤発祥之地」の碑、嵌め込まれたプレートの写真は昔の植木屋さんかと思いきや、この地で梯子に上って藤棚の藤を観察している牧野富太郎博士。日本の固有種、フジの標準和名をノダフジと命名したのは何と牧野博士と分かりました。
発祥之地の碑の上にかかるノダフジ、「吉野の桜、野田の藤、高雄の紅葉」と並び称され、秀吉も藤見物にやってきている古代から藤の名所、戦前まで残っていた原木は空襲で消失も、近隣の公園や学校に残った枯木の種子から栽培が行われ、野田藤まつりが開催されるまで復活したらしい。
ボランティアの女性からもらったパンフレットの中面にはのだふじみどころMAP、かなり広範にみどころが点在しているのですが、⑨番の下福島公園へ向かいます。
白いフジは白野田藤。
萬葉植物園で見た九尺藤や紫藤もノダフジの園芸品種、カピタンフジはノダフジとは別種のヤマフジの一品種と分かりました。
フェスティバルプラザのキッチンジロー、ファミレスのジョイフル傘下になって、ここフェスティバルタワーと九段下の2店舗が残るだけも、全盛期と変わらない味、スタコロ(スタミナ焼き+コロッケ)、ハンカラ(ハンバーグ+唐揚げ)といった符丁は今も引き継がれていて嬉しい限り。スタミナ焼きもエビフライも捨てがないのですが、やはりメンカレ(メンチカツ+カレー)にしました。東京発のお店なのでミンチカツじゃなくてあくまでメンチカツ、相変わらずジューシで美味。前回酸っぱくなったかもと書いたカレーですが、この酸っぱさこそジローのカレーと再認識、とん汁もこの味、この味。スタッフさんたちが関西弁なことだけがちょっと違和感。
となりの人の注文はワエビ、えっそんなのあったっけ、とメニュー表をチェックし直して、和風ハンバーグ+エビフライと分かりました。かつては2種類だけじゃなくて3種類選べたこともありました。例えばハンスタカレー。
満腹して近くで見つけた喫茶店でいっぷく。まだ12時前、フェスティバルタワーウェストの香雪美術館で開催中の「北斎と広重」を訪ねてみることにしました。
北斎と広重
中之島美術館のモネ展のような長蛇の列はなくすっと入れましたが、館内はそこそこの混雑。前の人が見終わるのを待って鑑賞の繰り返しです。スマホや携帯電話限定で撮影OK、最初はバシバシ撮っていたのですが、何か下品かもと感じ、特に気になった作品だけに控えるようにしました。
モネ展も一部の作品は撮影OKらしく、先日訪ねた円空展も一部OKでした。撮って減るもんじゃなし、来館者のSNSを通しての来館促進という美術館の新しいマーケティングが一般的になってきているようです。
正確には「北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦 江戸東京博物館コレクションより 」という特別展、江戸東京博物館は大規模改修工事で長期休館中、その所蔵作品を借り出してきての展覧会です。江戸東京博物館へは何度も行ったことがあるものの北斎や広重を見た記憶はありません。
入館するとまずはそれぞれのプロフィール紹介パネル、北斎は1760年、広重は1797年の生まれも、62歳で没した広重に対して北斎は90歳まで長命しているので、ほぼ同時代人と言って間違いなさそうです。生涯に93回も引っ越ししたと伝わる北斎ですが、本所辺りばかりでバリバリの下町っ子、定火消同心の長男だった広重は現在の丸の内や京橋が住まいのお武家。北斎の好物は大福餅と甘党、広重は赤貝の三杯酢とあり辛党だったようです。
歌川広重といえば東海道五十三次、日本橋朝之景。奴さんたちを先頭に大名行列、橋の袂には棒手振りたちが、土下座するでもなく屯しています。頻繁に大名行列に出会う江戸では土下座は必要なく、下にぃ下に、は将軍家や御三家、御三卿だけだったそうです。
箱根湖水之図、急坂の道に延々と続く大名行列。富士山のような山がいくつも見えますが、左端で白く浮かんでいるのが富士山です。
永谷園のお茶づけ海苔に東海道五十三次カードが入っていたことを思い出しました。今でいうカルビーのプロ野球カードやJリーグカードのようなものです。調べてみると1965年から1997年まで続けられていたようです。お茶漬けにはお茶づけ海苔より塩昆布で塩けをつけるのが好きだったこともあり、55枚コンプリートどころか数枚しか集まらなかった覚えがあります。
昔は3杯目のおかわりはお茶漬けと決まってました。たぶん洗い物が楽になるというメリットもあったはず。今や3杯目のおかわりやお茶漬けも絶滅危惧種です。
歌川広重 東都名所両国回向院境内全図、よしず張りで覆われているのが相撲場、真ん中の屋根の下に土俵があるはずです。お相撲さんらしき人は見当たらず、場所の開催中ではなさそうです。右下には触れ太鼓のやぐら、チケットブースらしき小屋に人が見えますが、おそらく予約受付中かと。
歌川広重 江戸近郊八景之内羽根田落雁、芦原の広がる干潟の向こうは羽根田弁財天(玉川弁財天)で多摩川河口左岸に現存しますが、かつては少し沖の要島という島にあったようです。現在の穴守稲荷神社旧一の大鳥居辺りと思われます。三番瀬を彷彿とさせる雰囲気もあり、もし自分が江戸市民だったらしょっちゅうバードウォッチングに通っていたと思われる景色です。
滑走路が4本も作られてしまっているものの、上空を行く雁が飛行機に変っただけで、今も羽田でこの景色がイメージできそうに思います。1960年頃まで東京湾にマガンがやってきていたそうです。