桑名から御嶽山

承前、四日市で5200系急行に乗り換え、桑名に到着。

桑名に何をしにきたかというとランチのためです。元旦に営業しているお店は限定的も、大型ショッピングモールは営業していることが多いです。その多くは駅前じゃなくて郊外のロードサイドが大半のところ、桑名駅近くにアピタ桑名店があると調べて来た次第。

三重県といえばイオンに発展したジャスコ発祥の地ですが、アピタはイオンのライバルで元ユニー、名古屋発のGMSです。かつてジャスコやユニー共同出資の会社で日配食品を担当していた自分、ほぼ毎週、名駅からほど近いユニー本部に出向き、O部長にかわいがっていただいたことを思い出します。

スガキヤにも惹かれたのですが、2Fのうどん屋さんに決めました。まずはお屠蘇です。

もうここは完全に名古屋文化圏、せっかくなので味噌煮込みうどん+どて煮トッピングにしました。コシがあるというより硬いうどんにビックリ。十分煮えていないかというと、土鍋はアッチアチ、うどん以外の具は間違いなく十分に煮えてます。よほどもうちょっと火を通してほしいと文句を言おうとして、念のためスマホでチェックしてみると、味噌煮込みうどんが生煮え??というページが見つかりました。

太い麺は15cmくらいしかないのもビックリ。食べているウチに何故かこの硬さに口が馴染んできたのは不思議ですが、名古屋でも好き嫌いがはっきり分かれるそうです。若鯱家という名古屋のお店で元々カレーうどんのお店だそうです。カレーうどんも味噌煮込みうどんと同じ麺かどうか訊いてみたところ違う麺のようです。ちなみにカレーうどんも名古屋発祥とは知りませんでした。

味噌煮込みうどんを食べながら、どこへ行こうか検討。桑名へは3回も来ているのに、北勢線の乗り鉄ばかりで、町中を歩いたことは一度もなく、桑名城跡の九華公園へ行ってみようと思いつきました。

アピタから東へ向かうといい感じのアーケード商店街、それに沿うように石垣のお堀、水は流れておらずお堀の中を散歩できるようになってます。桑名城の外堀跡です。

桑名宗社(春日神社)には初詣の人たちの大行列。

中橋で桑名城の内堀をわたります。

広いお堀は水城の桑名城の本丸から2番めのお堀、舟入橋を渡って右手が九華公園。

九華公園へ入る前に揖斐川の土手に上がってみました。ドピーカンです。

日本アルプスのパノラマ

川向う遠くに雄大な雪山、すぐに御嶽山と分かりました。

右手遠くの雪山連峰は南アルプス。中央の尖った山は聖岳3013m、左端は赤石岳3121m、右手に伸びた山が光岳2592m。現在地から直線距離で136kmほど。

川上の左手遠くにも雪山連峰、岐阜福井県境の能郷白山1617mです。

真正面は名古屋の摩天楼、その向こうは中央アルプス、さんざん調べてみたものの山の名前は確認できていません。

1/8追記: 空木岳2686mと南駒ヶ岳2841mで間違いなさそうです。K君ありがとう。

もういちど御嶽山、藤村の「夜明け前」を読了したばかり、3度目のはず。以前はツグミの焼き鳥がうまそう程度の読後感しかなかったのですが、自然や歴史への思いが深まったこの年になって読み返してみると、木曽の宿場町の中に描かれた歴史に翻弄される人々の生き様にどっぷり浸ることができ、年内にも馬籠や妻籠を訪ねてみたいと思っていたのに年を越してしまいました。

きそのなあ〜なかのりさん、きそのおんたけさんはなんじゃらほい♪ 木曽節がイヤーワームになって止まらなくなりました。

右手へ目を転じ、もいちど聖岳。名前も知らかなった山ですが、なんともカッコいい山容、日本百名山のひとつで長野静岡県境にある体力も必要なかなり難易度の高い山らしい。この向こうに富士山があるはずです。

御嶽山の左手、北アルプスの乗鞍岳3026m。

ずーっと右手、聖岳の左手には赤石岳とさらに荒川岳、乗鞍から直線距離で100kmの大パノラマです。

能郷白山をバックに国道1号の伊勢大橋、後ろの緑色のトラス橋は近鉄の揖斐・長良川橋梁です。

元日で国旗が掲げられた住吉神社、緑の山は養老山地で、西側を三岐鉄道北勢線、東側を養老鉄道が走っています。

東海道の七里の渡跡、ここから名古屋の熱田までの東海道の海路です。

マンホールも七里の渡。七里とは熱田までの距離にちなみます。

お正月休みの可能性が高いですがマップで見つけた六華苑という庭園に行ってみます。ポンプ場の貯水池脇のベンチに腰を下ろすと正面に美しいレンガ倉庫、何ら案内板とかはないものの、調べてみると諸戸家煉瓦蔵と分かりました。

こちらも案内の無い商家風の重厚なお屋敷、諸戸家住宅の主屋と分かりました。この先を回り込むと洋館が2棟とレンガの塔、マップでは諸戸家住宅 洋館と玉突場、水道給水塔とありました。

この先に六華苑があるようですが、やはりお休みのようです。六華苑は諸戸家から寄贈された桑名市が管理する庭園と建築物群で鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルによる現存する唯一の住宅作品の洋館が保存されているそうです。

諸戸家とは山林王として知られる資産家・実業家で今も山林事業を中心とした諸戸グループ企業の本社が現在地周辺に置かれているようです。いずれ出直してきて六華苑を見学してみたいと思います。

七里の渡跡へ戻り、もう一度御嶽山。きそのなあ〜なかのりさん♪ なかのりさんて誰や、と調べてみると木曽から流された丸太を操る人のことと分かりました。

揖斐川土手ではあるものの、この付近の揖斐川は既に長良川と合流していて中洲で区切られているだけ。写真手前の流れは長良川、芦原の向こうは木曽川です。木曽から流されてきた丸太を扱うには絶好のポイントであったことが分かります。

長良川の上でホバリング中のミサゴ発見。

バッシャーン、飛び込みました。

見事、大物ゲットです。

上流へ去って行きました。

本多忠勝像、どうする家康の山田裕貴さんです。テレビや肖像画と同じ鹿角脇立の甲を被ってます。関ケ原の戦功により伊勢国桑名10万石を与えられた桑名藩初代藩主です。

桑名城跡の九華公園、天守だけでなく曲輪はひとつも残されていません。幕末の桑名藩は会津藩と並ぶバリバリの佐幕派も鳥羽・伏見の戦いに破れると、最後まで徹底抗戦して多くの犠牲者を出した会津と異なり、桑名城は無血開城されており、そのためのようです。

桑名城絵図です。水路の形は現在といくらか違ってますが、まさに水城です。2日前に訪ねたばかりの高取城とまさに対局をなしてます。

駅へ戻る途中、岸和田のだんじり小屋に似た祭車蔵。毎年8月の第1土日に開催される石取祭の山車の保管庫です。日本一やかましい祭りだそうです。

撮り鉄の桑名

桑名駅に戻ってきました。快速みえが停車中です。

使われなくなって閉鎖された駅前のペデストリアンデッキがまだ残ってました。

DF200 RED BEAR単機回送が通過、関西では見ることができないディーゼル機関車です。四日市のDD51が置き換えられたようです。

せっかくなのでやはり北勢線に乗りたくなって馬道駅まで一駅だけ行くことにします。電車を待つ人達の多くが若いアジア系外国人です。北勢線沿線に鉄ちゃん以外を惹きつけるような観光地はないはず、大阪や京都のインバウンドさんと較べ服装も地味、おそらく技能実習生さんたちで、桑名に限らず朝から何度も見かけました。ヒジャブを被ったインドネシアの女性も少なくないです。三重県に工場が多いためと思われます。

ツリカケ音を楽しみたいので先頭のクモハに乗り込みます。ナローゲージの狭い車内と運転台です。

車内からだと運転手さんのお顔が映り込んでしまうので、馬道駅発車シーンのツリカケ動画です。

馬道駅で下車したのは北勢線が近鉄とJR関西線の上をまたぐシーンを撮りたかったため。おまけにマップをチェックしていると馬道駅から徒歩5分のところに近鉄の駅があると分かりました。

5分で行けるはずが方向を間違ってちょっと焦った近鉄益生駅です。字が違うものの10年間住んでいた新柏の隣の増尾と同じ、ますお駅です。

益生駅北側にまるで撮り鉄用お立ち台のような跨線橋が立っていました。跨線橋から313系で試し撮り。

北勢線の電車がやっきました。

近鉄でもJRでもどちらでもいいからやってこないか期待していたのですがハズレのようです。

あっ、5200系急行がやってきした。北勢線電車の真下にちらっと。

あと5秒ずれていたらバッチリだったのですが、今日はこれで満足することにします。

益生駅は駅舎から地下道で島式ホームと繋がっています。とてもユニークな配線、四日市方面の通過線が直線で、大きく駅舎側に張り出した上下線が島式ホームを挟んでします。

伊勢えびライナーがさっきまでいたお立ち台跨線橋をくぐって来ました。

名古屋行アーバンライナーがくねくね曲がりながら通過、北勢線の下をくぐって行きます。

帰り道

2000系の四日市行準急がお立ち台跨線橋をくぐりポイントを曲がり到着、これに乗ります。快速みえが轟音響かせ通り過ぎました。

終点四日市に到着、同じ列車がそのまま津新町行普通に変身してビックリ。

四日市から5200系松阪行急行に乗り換え。クロスシートで寛ぎながら伊勢中川まで行って急行で帰るか特急に乗り換えるか悩んでいました。伊勢若松の「大黒屋光太夫のふるさと若松」の看板を見て、白子を発車した直後だったか、車内の乗客のスマホが一斉に鳴り出しました。緊急地震速報です。

震度3を記録したので暫く停車しますとのアナウンスですが、電車内で揺れを感じることはありませんでした。安全が確認できたとのことで5分ほどで発車、スマホを見ると元旦早々に能登半島でとんでもない大地震と分かり体が震えました。このまま急行にのんびり乗っている気分ではなくなって津で下車。

津駅の外へ出てみたものの営業しているお店は皆無、吉野家まで閉まっており、駅ファミでファミチキを買っておきました。次のひのとりの特急券を購入も名古屋周辺は震度4の揺れだったらしく14分遅れ。残っていたブラックニッカで体を温めるものの、倒壊した家屋や大津波、助けを求めるSOS投稿を見て気が沈みます。

遅れはそのままで上本町に到着、出発したのはもう何日か前のことのような気がしたのですが、ポケットのカイロがまだ温かく、今朝出発したばかりと気付かされました。

この冬の間にコハクチョウが集まることで知られる石川県の邑知潟(能登と加賀を分ける邑知潟断層帯の上にある湖)へ行こうと計画していました。北陸へ終夜運転があるわけじゃないしきっぷの入手も容易じゃないと思われ、毎年同じことを繰り返すことも大切と考え元旦は津・桑名にした次第。

それにしてもなぜ元旦だったのか、今後何年かかるかはわかりませんが、東北や神戸のように能登も遠からず復興することは間違いないものの、おそらく今後何十年も、めでたく楽しいはずの元旦が来る度に、能登の人たちに悲しくつらい記憶が蘇らざるを得ないと考えると何ともやるせないです。