壺阪の血

一年前と同様に元旦は津へ向かうことに決めたものの新春フリーパスの販売はなく、近鉄週末フリーパスを購入。30日からの3日間有効なので、どこへ向かうか悩んで壺阪山にしました。2025年の元旦は水曜日になるのでたぶん来年は新春フリーパスが販売されるかと。それに「おとくなきっぷ」用のQRコード決済が導入されるらしく、スマホで利用できる可能性がありそうです。

発車直前に飛び込んだ伊勢中川行急行1422系1423の車内がリニューアルされていました。シートモケットは花柄になり、ドア脇には風除けに効果がありそうな仕切板が取り付けられています。

壁面や天井、妻面、さらに床面も張り替えられ、LED照明に。奈良線でこのようなリニューアル車はまだ見たことがなく、大阪線が優先されているようですが、奈良線には来年何十年かぶりの新車が導入されるためかと。

大和八木と橿原神宮前で乗り換え壺阪山駅に到着。

ここへやってきたのは、祖父のお母さん、会ったことのない自分の曾祖母の実家があったとの従姉からのメールを思い出したためです。つまり自分には1/8の壺坂の血が流れているということになり、そのルーツ探しです。

土佐街道

くすりの町、高取町です。

国道を渡ってまっすぐ進むとキトラ古墳ですが、国道と並行するように趣きのある古い街道が伸びています。土佐街道と呼ばれ、飛鳥時代の都造りに動員された土佐の人々が住み着いたことが起源、この辺りの歴史はハンパなく京都とも較べようもないくらい古いです。

「土佐街道まちなみ作法 七つの心得」の高札、自主的ルールではあるもののなかなかに厳しいもの、自分たちだけでなく町自体を守る、という心意気を感じさせます。

江戸時代高取藩の城下町で、山城の高取城での生活は不便なので藩主や家臣の屋敷も街道筋に移されたらしい。町家の2階は屋根裏部屋程度の高さしかない厨子二階(中二階)建て。街道両脇の石畳は阪神大震災の復旧工事で出土した阪神国道線の敷石だそうです。

祖父がお腹の調子が悪くなると飲んでいたけど、あまりにも苦くて自分は飲めなかった「だらにすけ」の看板を掲げた漢方薬局、街道沿いに他にも漢方薬局、付近には製薬会社も少なくなく、まさにくすりの町です。曾祖母の実家は蔵が3つも並ぶ薬問屋だったと聞いたのですが、名前は分かったものの名字が不明なのでどこが自分の1/8ルーツなのかは分かりません。

自分の実家も戦前に漢方薬の販売をしていたそうで、納屋にその頃の残骸の温度計とかがあった記憶があります。曾祖母からノウハウを受け継いだ生業だったのかもしれません。

バス停風看板の無人販売所、雑煮用大根とは祝だいこんと呼ばれる大和の伝統野菜です。大和の雑煮は祝だいこんと里芋、豆腐に丸餅の白味噌仕立て。自分の実家のある岸和田の雑煮も伝統的に白味噌仕立てなので、婿養子だった祖父にとって居心地が良かったはずと気づきました。自分は子供の頃からお餅がキライなのですが、お餅が大好物だった祖父は雑煮を何杯もおかわりしていたことを思い出します。今なら喉を詰まらせないか随分心配しなければならないところです。

薬局だけでなく、街道沿いに立派な門構えの皮膚科医院、クチコミを見るとえらく評判が良く、特にアトピーにお強いようです。

高取城CG再現プロジェクトの看板、城跡まで5km。

石畳に交じってところどころに薬草のタイル絵、せきにはナンテン。

町家カフェはお正月休みに入ってました。

その奥になにやら色んな人形、赤いユニフォームのオオタニサンらしきも、「天の川実行委員会」とあり、それをキーワードに調べると、10月に行われた「かかしまつり」に展示されていたかかしたちのようです。15年続けられたのに今年で最後だったそうで残念。動画を見ると、かかしまつりといっても可愛い人形ばかりで、お隣、明日香村の案山子コンテストとはだいぶ趣きが異なってます。

大きな卵型のお雛さまらしきがいっぱい並んでます。毎年3月に町家の雛めぐりというイベントも開催されていると分かりました。

ゲンノショウコのタイル絵、9月に貴船川沿いの道端に咲いているのを見つけました。他にナズナ、タンポポ、センブリ、アオキ、ドクダミ、キキョウのタイル絵も。

「助産婦」と掲げた格子窓のお宅、丸い門灯が素敵です。「生まれそうです!早く!」と飛び込んできた家族の声を聞いて、割烹着を着た産婆さんが出てくる場面が目に浮かびます。

高取城から移築された松ノ門の一部、内側の公園はかつて小学校だったようです。

武家屋敷の長屋門、今もお住まいだそうですが維持管理は大変かと。

たわわに実ったナンテンです。

立派ななまこ壁は植村家長屋門、高取藩筆頭家老の屋敷だったそうですが、今もお殿様だった植村家のお屋敷だそうです。

土佐街道の家並みが途切れ里山風景になりました。道端の水路にはネコノメソウ。

さっきのとはアングルの違う高取城CG再現プロジェクトです。

砂防ダム

サザンカが満開、高取山が見えないかもう少し先まで行ってみます。

谷が狭まり道路に並行して高取川が流れています。

見覚えのある石垣の奇妙な形の花は流谷でも見たウキツリボク。

見目の良い山、自信はないのですが高取山っぽいです。周辺からジッジッジッとウグイスらしき地鳴きが聞こえてきて、今日初めてバッグからカメラを取り出したのですが、見つからず。

谷が広がり、「日本最強の城」の幟が並ぶ直進方向へ高取城跡への道が続いていいるのですが、ここからはかなりの急坂、左手には公園が広がっています。道端にぽつんと自販機、たぶんこの先には自販機も無いと思われ引き返す判断をするにはちょうどよいポイントです。

公園の奥に砂防ダムがあります。

吊り橋がかかっていて砂防ダムの下へ出られるようになっているのですが、頑丈に作られているもののかなり揺れてビビりました。

砂防ダムの下です。京都のキワ、音羽川砂防ダムと似た景色です。

殺風景な公園も春には桜の名所になるようです。今はオオイヌノフグリが可憐な花をひっそり咲かせていました。

おっかなびっくり吊り橋を戻ります。

里山歩き

セーターを脱いでバッグにしまい、のんびりと来た道を引き返します。

さっきジッジッジッと聞こえたポイントまで戻ってくるとやはりジッジッジッ。ピントが合った実感はなかったものの、なんとかウグイスが撮れてました。

朱色の俵型の実はカラスウリ。

たわわに実った緑の実はアオキ。花の少ない季節ですが、木の実の観察も楽しい。

紅葉も美しいナンテン。黄色い実はどう見てもレモンですね。

土手に咲いたホトケノザ。

ちっちゃい白い花はたぶんハコベ。

周りの葉っぱは乾いているのになぜかこの種類だけ水滴をのせた葉っぱ、ノチドメと思われます。

おそいランチ

土佐街道に戻ってきました。金剛力酒造の酒蔵、残念ながらもうここでの醸造は行われていないそうです。

お仕事中の植木屋さんを見たのは久しぶり、木の上でしきりに話をしているので、木の上でスマホなのかと思ったら木の陰に相方さんがいました。

駅に戻ってきました。朝から何も食べておらず、街道筋で他にお店が見つからなかったら入ろうと思っていた駅前食堂に入ります。

熱燗とミックス焼きです。先客の常連さんや女将さんと話が盛り上がり、ここへやってきた理由まで全部お話してしまい、初めてなのにすっかり常連さんキブンになってしまいました。

駅前の駐車場の向こうになぜか踏切、ちょうど警報が鳴り出したところで、やってきたのは青のシンフォニー。

続いて橿原神宮前行普通が発車、車番は6429で形式は6432系だそうです。まったくもって不可思議な近鉄一般車の形式名です。

踏切を渡らず線路の築堤から田んぼへ下りる道が続いています。遠くに見えるのはたぶん音羽三山の経ヶ塚山。

土佐街道に戻って来ました。さっきとは逆に北側へ歩いてみます。

土佐街道の西側には広い田園地帯が広がっていて、もう明日香村との境界です。

8世紀中頃創建の古刹、子嶋寺。平安時代には21もの塔頭が並ぶ大伽藍だったものの、室町時代には衰退。江戸時代は高取藩主の庇護を受けたものの明治の廃仏毀釈でふたたび衰退。その後有志により復興されたとのこと。この山門は高取城二の門を移築したもので現存する唯一の高取城建造物だそうです。

子嶋寺を囲む森の周りをぐるっと回ると向こうに明日香村近隣公園。

この11月に閉店してしまった吉野ストア、食堂の女将さんから不便になったと聞かされたばかりです。もう飛鳥駅まで半分くらい歩いたかと思ってチェックしてみると壺阪山駅から遠くない場所と分かり土佐街道を引き返します。

従姉のメールを読み直してみると、曾祖母の実家は壺阪山駅から飛鳥駅の方へ少し寄ったところ、とあったので、たぶんこの辺です。伯母の談によると、庭に池があり、早逝した父(伯母の弟)が池にたらいを浮かべて乗っていたところ、ひっくり返って池に落ちた事件が忘れられないとのこと。自分も祖父の父方の実家近くの肥たごにハマってお庭で洗って貰った記憶が今も生々しく、親子揃って何やってんねんと今更ながら思います。

吉野行さくらライナーが壺阪山に到着。やはり青のシンフォニーよりずっとカッコいいです。

さくらライナーと列車交換の橿原神宮前行普通の6519系6521で帰ります。八木からの今日のアンカーはお気に入りの5200系。

お好み焼きを食べながら、高取町の人口減少や商業の衰退、明日香村と較べての、観光や農業に対する国の補助の違い等、この町が抱える色んな問題も聞かせてもらいました。スーパーマーケットの閉店も眼の前にしてきたものの、明日香村とは全く異なる城下町としての魅力がたっぷりの高取町も見てきました。城下町でも山城の城下町という極めて特殊な魅力もあります。かかしまつりのようなイベントが継続できなくなったのは何とも残念ですが、地元のひとたちの並々ならぬ町おこしへの熱意や創意工夫も強く感じられます。

自分の血の1/8がこの町由来であることを誇りに感じさせてもらった壺阪、高取町です。花もいっぱい咲き始めているはずの、ひなまつりの3月にぜひ再訪したいと思います。まだまだ今日見逃したこの町の魅力が見つかるはずです。