久保惣記念美術館

柏原市立歴史資料館に掲示されていた弥生文化博物館の「いのち輝く古代中国社会のデザイン」のポスターに、和泉市久保惣美術館副館長による「中国古代の青銅器 魅力と見どころ」と題した講演会(6月15日)の案内が掲載されていました。初耳の和泉市久保惣美術館、調べてみると青銅器や青磁などが展示されていると分かり、早速訪ねて見ることにしました。

和泉中央行区間急行に乗り込み、新今宮で振り返ると無塗装7000系。

三国ヶ丘、中百舌鳥と他社連絡駅を通過して和泉中央に到着。4月に泉北高速から南海の駅になったばかりですが、光明池までしか行ったことがなく、泉北高速時代を含め初めて訪ねる駅です。切り通しに設置された半地下で、エスカレーターを上り改札を出るとそのまま地上です。

駅南側の眺めです。1kmほど進むともう岸和田市、高層住宅の左手に見える低い丘は神野山、子供の頃何度も上った岸和田市民には馴染み深い山です。中学で一時期だけ陸上部に入っていて、神野山を駆け上らされた記憶があります。400mや800mの中距離を走ることになったものの、短距離でも長距離でもない中距離は超シンドくて、一回だけ大会に出た記憶があるもののあっさり辞めました。

1時間に1本の美術館行のバスは5分前に出たばかり、30分ほどなので、歩いて行くことにします。エコールいずみという大規模ショッピングモールを抜けると和泉シティプラザという市の特大施設、和泉市の代表駅は今も阪和線和泉府中駅ですが、和泉中央の方が遥かに発展しています。

美術館への道

美術館へと遊歩道が続いています。マンホールの蓋はカワセミ。

桃山学院大学と美術館への矢印に沿って歩いていると斜張橋が現れました。斜張橋の向こうが桃山学院大学のキャンパス。桃山学院大学(ピン大)といえば谷村新司、在学中はアリス以前のロック・キャンディーズだったはず。今聞き直してみてもこの人の声の美しさはすごい。

キャンパスに沿って歩くと喫煙所がありました。チンペイさんの通学先はこのキャンパスができる前の昭和町だったかと。

桃山学院大学に隣接する宮の上公園、何やらところどころにアート。ART GUSHという和泉市と桃山学院大学、久保惣記念美術館によるアートプロジェクトだそう。

公園内にも色々アート作品があり、それだけでなく公園内に和泉市いずみの国歴史館があり円筒埴輪や須恵器などが多数展示されていると分かったのは帰ってから。ここを歩いていた時にはそんなことには全然気づかず、再訪することになりそうです。

桃山学院大学の校舎にもアート。

ガクアジサイとタピアン。

正面に南海本線の車窓からもよく見える台形の山は経塚山822mと分かりました。

公園が尽き住宅街にでるといい声が聞こえてきて、電線にイソヒヨドリ♀。

カシワバアジサイです。

美術館への案内に沿ってしばらく歩くと槇尾川沿いの遊歩道に入り、その先は花で「ひつじ」と描かれている公園。

橋を渡ってGoogle Mapの示す経路を進むと赤いシモツケ、白いシモツケ。

マーカーの場所に到着も美術館じゃなくて和泉野窯とあり、中には焼き物がいっぱい並んでいます。どうやら陶芸教室のようです。

反対側に回ると駐車場と美術館研究棟があってその先は和泉野窯の入口しかなく、美術館入口が見当たりません。

さっき渡った橋の道路沿いにそれらしき平屋建ての建物、和泉市久保惣記念美術館に到着です。和泉中央駅から40分ほどかかったものの、バスに乗りそびれて良かったと思う散歩道でした。

蔦屋重三郎と写楽・歌麿

入館料は特別陳列を含め600円、65歳以上は2割引で480円をPayPayで支払い入館。「浮世絵の黄金時代 - 蔦屋重三郎と写楽・歌麿」を開催中。西洋美術の展示室以外は写真撮影OKと確認しました。

東洲斎写楽の石部金吉、歌舞伎「花菖蒲文禄曽我」に登場する金貸しで、「融通の効かない人」「頭の固い人」を意味する石部金吉が役名になってます。

高島おひさと難波屋おきた、いずれも絵師は喜多川歌麿、おひさは両国薬研堀米沢町の煎餅屋の看板娘、おきたは浅草寺境内の水茶屋の看板娘。ふたりともお歯黒していない白い歯をちょっとだけ見せているので独身です。

寛政三美人、右は上掲の難波屋おきた、左は高島おひさ、中央は富本節浄瑠璃名取の冨本豊雛。性格キツめで頭の良さそうなおきた、可愛くてちょっと天然ぽいおひさ、バランスの取れた美人の豊雛、僅かな目つきの違いで性格を見事に描き分けている歌麿です。

初代市川男女蔵の奴一平(写楽)、目の周りの隈取が薄いバージョンです。

ケシにオニヤンマとモンシロチョウ、ハギにミノムシ、ギボウシにカブトムシの画本虫撰。牧野富太郎博士の植物図のように細密です。

ダース・ベイダーを彷彿とさせる迫力ある写楽の画は、三代目沢村宗十郎演ずる国家転覆を狙う稀代の悪人、大伴黒主。三代目沢村宗十郎の当たり役は仮名手本忠臣蔵の大星由良助も実悪(残忍な悪人)役も得意としたらしい。ここに掲げたすべての浮世絵はべらぼうこと蔦屋重三郎が版元です。

展示室2は写真撮影NGの平常陳列西洋近代美術、モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、ルオー、ピカソ、シャガール、フジタの絵画が9点とロダンの彫刻が2点のみの展示。浮世絵が印象派に与えた影響の説明があったものの、展示作品にそれを感じられなかったのはたぶん自分に鑑賞力がないせい。

庭園

浮世絵と西洋絵画は新館で庭園の先の新館に青銅器があるはず。庭園の池にショウジョウトンボ。

交尾していないのに体を思いっきり反り上げているアオモンイトトンボ。

池の畔に白い花、裏側がピンク、ヒメウツギの一種でベニガスミと分かりました。大変美しい。

手入れが行き届いていて水も綺麗、錦鯉を飼っていないのも良し。ここでもカシワバアジサイ。

庭園の奥になまこ壁の蔵、これが本館なのかと思いきや市民ホールだそうです。

さらに奥に進むと円筒形の建物、こちらは市民ホール。コンサート開催直前だったのですが、今日はパス。

市民ホールのブロンズ弦楽四重奏とブロンズピアニスト。

美術館本館

庭木で囲まれた平屋が本館です。中に入ると外からは想像できない広さ。初代久保惣太郎氏像と並び「朋来る又楽」の掛軸。

明治19年創業、綿業で泉州有数の企業として発展した久保惣株式会社が昭和52年に廃業、美術品、建物、敷地、基金が和泉市へ寄贈され、昭和57年久保家旧本宅跡地に美術館開館とのこと。繊維不況を見極め、廃業で資産を散逸させなかった三代目惣太郎氏の判断がすごい。

まずは特別陳列「古美術の中の舶来 - 書画に見る異国との交流」。弘法大師行状絵巻は東寺に伝来する南北朝時代の絵巻の江戸時代の転写本、唐の宮廷で空海が両手両足と口を使って書を描いている部分です。

円山応挙の老松鸚哥図(ろうしょういんこず)、松の枝に止まっているのは日本にはいないズグロインコ。東インド会社のオランダ人がインドネシアから連れてきたズグロインコの美しさに応挙が感銘して描いたものと思われます。

続いて平常展「中国の工芸品」、獣面文琮(じゅうめんもんそう)はなんと新石器時代(紀元前3300〜2200年)、青銅器の殷より千年以上、中国最古の王朝とされる夏よりさらに数百年前、三皇五帝時代の玉製品です。長江文明の一文化とされる良渚(りょうしょ)文化のWikiPediaに似た玉製品が紹介されています。

まるで木製のような軽快感を感じさせる顔料で彩色された土器、円文双耳壺(えんもんそうじこ)。新石器時代(紀元前3000〜2000年)と紹介されていたものの、デジタルミュージアムでは甘粛・仰韶文化(紀元前4000−同2000)の後半期とありました。こちらは長江文明ではなく黄河文明。

商時代(紀元前13〜11世紀)の饕餮文(とうてつもん)が描かれた斝(か)、尊(そん)、底爵(ていしゃく)、鬲鼎(れきてい)、いずれも酒器です。1枚目の斝は取っ手部分も饕餮かと思ってクローズアップを撮ったのですが、饕餮じゃなくて他の獣のようです(饕餮は胴の彫刻)。

饕餮のデザインは空想上の大食い怪獣なので器ごとにそれぞれですが、4枚目の鬲鼎のデザインが洗練されています。商と殷は同じ王朝を指し、商に続く周王朝が商のことを殷と呼んでいたことが今に伝わっているらしい。

戦国時代(紀元前5〜3世紀)の蟠龍粟粒文提梁壺(ばんりゅうぞくりゅうもんていりょうこ)と前漢〜後漢(紀元前1世紀〜紀元後1世紀)の亀形硯滴、10cmもない小さな文房具です。

用途は多様化、日用品化しやがて衰退する青銅器です。やはり殷(商)の青銅器に力強さを感じさせます。

極めて状態の良い前漢時代(紀元前2〜1世紀)の仙人神獣文鏡と方格規矩四神文鏡。酒器などの青銅器は衰退するものの青銅鏡は後年まで作り続けられます。

唐三彩壺と白磁長頸瓶。

青白磁刻花唐草文水注と青白磁刻花唐古文鉢、いずれも南宋時代の景徳鎮窯。青白磁は青磁と異なり、透明な青い釉薬をかけ淡い青色に発色させた白磁の一種。

東洋陶磁美術館でも見た清時代の鼻煙壺(びえんこ)です。山水画が描かれた特大鼻煙壺も。東洋陶磁美術館の展示と較べ何となくみすぼらしく見えてしまったのは座布団を敷いていないことと平台展示のせいかと、このような小さなモノは東洋陶磁美術館のように棚に展示が適していると思います。

お隣の白磁は座布団を敷いてました。

本館を出てアオモンイトトンボやヒメウツギのお庭とは別のお庭に出て坂道を下り、橋を渡ると茶室「聴泉亭」。

にじり口から入るような茶室かと思いきや10ほども部屋のある普通に住宅です。昭和12〜15年築で古いものではないものの登録有形文化財。土間じゃなくて座敷に台所。

本館に戻り最後に瓦当の展示室。戦国時代の樹文半瓦当と前漢時代の白虎文瓦当。

見応えありました、とチケットブースのおねえさんに声をかけ退出。美術館をたっぷり2時間かけて歩き回ったので、もう歩いて駅へ戻る元気はありません。バス停の時刻表をチェックすると30分待ち。帰宅後チェックすると美術館から槇尾川沿いに15分ほど歩くとららぽーと、花や鳥を探しながら散歩してららぽーとで美味しいものを食べて、本数が多めのバスで和泉中央駅へ戻るというのも良かったかも。

ららぽーとには阪和道の岸和田和泉ICが隣接、そのすぐ先はもう子供の頃にみかん狩りで何度も訪ねた岸和田市内畑、いつの間にか岸和田もすっかりクルマ社会になって、駅前商店街がだんじりの時以外は寂れてしまった理由が分かった気がします。

バスを待つ間、川沿いの「ひつじ」とあった公園に入るとニャンコがあくびしてました。公園の名前は「ひつじ公園」、以前は写真右端の小屋にひつじがいたようです。

公園の向こうに市民ギャラリーの蔵。

「ひつじ」はマリーゴールドで描かれています。5月にはこの谷にこいのぼりがたくさん掛けられるらしい。

赤紫の花はスイセンノウ。

背の高いピンクはワトソニア。

1時間に1本のバスがファミマ前の美術館前バス停にもう止まっていました。ここが始発です。

「和泉中央駅からあしをのばして」の左上が腰を下ろしてショウジョウトンボを撮った椅子、右上は池上遺跡の大型掘立柱建物「いずみの高殿」。

難波に戻ってきました。