久保惣記念美術館
柏原市立歴史資料館に掲示されていた弥生文化博物館の「いのち輝く古代中国社会のデザイン」のポスターに、和泉市久保惣美術館副館長による「中国古代の青銅器 魅力と見どころ」と題した講演会(6月15日)の案内が掲載されていました。初耳の和泉市久保惣美術館、調べてみると青銅器や青磁などが展示されていると分かり、早速訪ねて見ることにしました。
駅南側の眺めです。1kmほど進むともう岸和田市、高層住宅の左手に見える低い丘は神野山、子供の頃何度も上った岸和田市民には馴染み深い山です。中学で一時期だけ陸上部に入っていて、神野山を駆け上らされた記憶があります。400mや800mの中距離を走ることになったものの、短距離でも長距離でもない中距離は超シンドくて、一回だけ大会に出た記憶があるもののあっさり辞めました。
1時間に1本の美術館行のバスは5分前に出たばかり、30分ほどなので、歩いて行くことにします。エコールいずみという大規模ショッピングモールを抜けると和泉シティプラザという市の特大施設、和泉市の代表駅は今も阪和線和泉府中駅ですが、和泉中央の方が遥かに発展しています。
桃山学院大学と美術館への矢印に沿って歩いていると斜張橋が現れました。斜張橋の向こうが桃山学院大学のキャンパス。桃山学院大学(ピン大)といえば谷村新司、在学中はアリス以前のロック・キャンディーズだったはず。今聞き直してみてもこの人の声の美しさはすごい。
キャンパスに沿って歩くと喫煙所がありました。チンペイさんの通学先はこのキャンパスができる前の昭和町だったかと。
桃山学院大学に隣接する宮の上公園、何やらところどころにアート。ART GUSHという和泉市と桃山学院大学、久保惣記念美術館によるアートプロジェクトだそう。
ケシにオニヤンマとモンシロチョウ、ハギにミノムシ、ギボウシにカブトムシの画本虫撰。牧野富太郎博士の植物図のように細密です。
ダース・ベイダーを彷彿とさせる迫力ある写楽の画は、三代目沢村宗十郎演ずる国家転覆を狙う稀代の悪人、大伴黒主。三代目沢村宗十郎の当たり役は仮名手本忠臣蔵の大星由良助も実悪(残忍な悪人)役も得意としたらしい。ここに掲げたすべての浮世絵はべらぼうこと蔦屋重三郎が版元です。
展示室2は写真撮影NGの平常陳列西洋近代美術、モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、ルオー、ピカソ、シャガール、フジタの絵画が9点とロダンの彫刻が2点のみの展示。浮世絵が印象派に与えた影響の説明があったものの、展示作品にそれを感じられなかったのはたぶん自分に鑑賞力がないせい。
続いて平常展「中国の工芸品」、獣面文琮(じゅうめんもんそう)はなんと新石器時代(紀元前3300〜2200年)、青銅器の殷より千年以上、中国最古の王朝とされる夏よりさらに数百年前、三皇五帝時代の玉製品です。長江文明の一文化とされる良渚(りょうしょ)文化のWikiPediaに似た玉製品が紹介されています。
まるで木製のような軽快感を感じさせる顔料で彩色された土器、円文双耳壺(えんもんそうじこ)。新石器時代(紀元前3000〜2000年)と紹介されていたものの、デジタルミュージアムでは甘粛・仰韶文化(紀元前4000−同2000)の後半期とありました。こちらは長江文明ではなく黄河文明。
東洋陶磁美術館でも見た清時代の鼻煙壺(びえんこ)です。山水画が描かれた特大鼻煙壺も。東洋陶磁美術館の展示と較べ何となくみすぼらしく見えてしまったのは座布団を敷いていないことと平台展示のせいかと、このような小さなモノは東洋陶磁美術館のように棚に展示が適していると思います。
お隣の白磁は座布団を敷いてました。
本館に戻り最後に瓦当の展示室。戦国時代の樹文半瓦当と前漢時代の白虎文瓦当。
見応えありました、とチケットブースのおねえさんに声をかけ退出。美術館をたっぷり2時間かけて歩き回ったので、もう歩いて駅へ戻る元気はありません。バス停の時刻表をチェックすると30分待ち。帰宅後チェックすると美術館から槇尾川沿いに15分ほど歩くとららぽーと、花や鳥を探しながら散歩してららぽーとで美味しいものを食べて、本数が多めのバスで和泉中央駅へ戻るというのも良かったかも。
ららぽーとには阪和道の岸和田和泉ICが隣接、そのすぐ先はもう子供の頃にみかん狩りで何度も訪ねた岸和田市内畑、いつの間にか岸和田もすっかりクルマ社会になって、駅前商店街がだんじりの時以外は寂れてしまった理由が分かった気がします。
「和泉中央駅からあしをのばして」の左上が腰を下ろしてショウジョウトンボを撮った椅子、右上は池上遺跡の大型掘立柱建物「いずみの高殿」。
難波に戻ってきました。