池上曽根遺跡

11日まで開催の正倉院展へ行こうかと思ったものの、写真撮影がほぼ全面的にNGと分かり、前回大阪府にもあると知った弥生時代の遺跡へ。目的地は阪和線の信太山駅。

区間快速に乗りそこね関空快速で鳳へ。8分も待って普通に乗り換え信太山駅に到着。マンホールの蓋は弥生時代のイラストがいっぱいでテンションが上がります。

500mほど歩くと国道26号線、自分が岸和田に住んでいた頃は第二阪和と呼ばれていた道路で、南海本線より海側を通っていたかつての国道26号線は府道に格下げられています。

明治36年、地元池上町在住の中学生が自宅の土塀から石鏃(やじり)を発見したのが池上・曽根遺跡の始まり。その後長らく注目されていなかったものの第二阪和道路の計画が発表され、その明治の中学生だった南繁則氏が中心となり遺跡の保存運動が始まり、発掘調査され巨大な弥生時代の遺跡であることが判明した由。泉大津市のサイトに詳しい経緯が紹介されていました。

池上曽根遺跡公園

池上曽根遺跡公園のマップには紀元前3世紀から紀元後3世紀にわたって営まれ、その中期に最も栄えていたとあり、概ね唐古・鍵遺跡と合致しています。公園の大半は和泉市池上町、北側が泉大津市曽根町です。

復元された建物の周辺はフェンスで囲まれていました。

復元建物に近づけないのかとがっかりしていたら、フェンスの一部が開かれていました。勝手に入って問題なさそうです。

いずみの高殿と名付けられた大型掘立柱建物、手前はくり抜き井戸。脇に立っている柱はトーテムポールか何かと思いきや何ら彫り物はなく柱が立っているだけ。

いずみの高殿と丸太くりぬき井戸を正面から。屋根の上にはガンらしき鳥が2羽。

もう1羽の鳥、手前は丸太くりぬき井戸の屋根の棟部分の模様。

丸太くりぬき井戸の屋根の内側です。

丸太くりぬき井戸に水は湧いていないようです。

いずみの高殿の中へは上がれませんでした。

いずみの高殿の妻面です。近くで地面を掘り返しているお揃いのTシャツの大学生らしき人たち、発掘作業ですか、と訊いてみると、明日からイベントがあってその整地をしているとのことでした。

梁にトンボと鹿、杵と臼で脱穀、戦い、鹿狩り、高殿に上るところの線画が刻まれています。

唐古・鍵遺跡の復元楼閣みたいな渦巻き模様も。

土屋根をもつ小竪穴、温度と湿度を一定に保つ半地下式の施設、としか説明が無いのですが、住居じゃなくて貯蔵庫のようです。ガラスの蓋で閉じられた中は暗くて見えません。

掘立柱建物(切妻)と高殿の間はまつりの場、掘立柱建物の南側や東側は生産の場だったらしい。

いずみの高殿の北側(泉大津市曽根町)にはかなり広い空地が広がっていて史跡公園はまだ拡張されそうな感じです。

西側の森は曽禰神社、天武天皇4年(675年)の創建、クスノキの大木は樹齢500年。境内には北曽根のだんじり小屋も。

溝の左手は史跡公園、右手は曽禰神社、この溝が和泉市と泉大津市の境界になっているようです。和泉市と泉大津の境界はものすごく複雑で、飛び地がかなり入り組んでいます。区画整理がされなかったためと思われますが、住民の生活に特段不便はないんでしょうね。

史跡公園の南側にもフェンスに囲まれた竪穴建物が2棟、こちらは勝手に入れず情報館に断って開けてもらい、竪穴建物の内部も見ることができそうですが、大体イメージできるのでパス。

池上曽根弥生情報館に入ってみると葦船が復元されていました。池上曽根遺跡周辺にはアシが生えていたことが分かっており弥生時代の海岸線や河川が遺跡の近くまで迫っていたようです。

情報館はすぐ近くに弥生文化博物館があるためかあっさりした展示、最近の調査で発掘された弥生時代ではなく古墳時代の土器等が紹介されていました。

池上曽根史跡公園で観察できる生き物たちも紹介されているものの、特段珍しい鳥や昆虫はいないようです。

大阪府立弥生文化博物館

国道26号を300mほど南に歩くと大阪府立弥生文化博物館、65歳以上450円。午後から講演会があり面白そうだったものの終了が4時と聞いて諦めます。

2階が展示ホールでまずは第1展示室目で見る弥生文化、クジラか恐竜のお腹をくぐるようにして始まるディスプレイはタイムトンネルをイメージしたものかと。

クジラの骨を抜けると弥生人家族だんらんのジオラマ。

反対側には弥生式土器第1号、原資料所蔵東京大学総合研究博物館とあるのでレプリカですが、明治17年に東大に近い向ヶ丘弥生町(現文京区弥生町)で発見されたので、弥生式土器と命名されたそうです。

全国弥生遺跡マップ、唐古・鍵遺跡だけじゃなく、纏向遺跡もリストアップされています。纏向は弥生じゃなくて古墳時代ではと思ったのですが、弥生後期から始まっているわけで、唐古・鍵から纏向への連続性が確認できます。

なかなかおしゃれな博物館、シンプル一辺倒の近つ飛鳥博物館もいいけど、これはこれで気分を盛り上げてくれます。

米つくりの始まりでは春の水田風景と、大中の湖南遺跡(滋賀県安土)、鬼虎川遺跡(東大阪市新石切駅付近)、里田原遺跡(長崎県平戸市)から出土した鍬の類、刃先が本物で柄は付け足したもののようです。

秋の水田のジオラマと稲穂を摘みとる石器、右上ふたつが池上曽根遺跡出土、下段右から2つ目は池島・福万寺遺跡とあります。夏にはオオヨシキリが大きな声で鳴いている何度も訊ねたことのある池島緑地貯水池の南側と分かりました。身近な所にある弥生遺跡です。

打製石器と磨製石器の作り方や威力の違いを動画で勉強。

そして鉄の登場です。

鋳造技術がもたらされ銅鐸や銅鏡が作られ、機織りが普及、植物繊維で布を織り、男性は横幅衣、女性は貫頭衣を着ていたと魏志倭人伝にも記されているそうです。

表情の豊かな木偶、1mくらいの木偶はジャコメッティのブロンズ彫刻を彷彿とさせます。弥生人の1年のパネルから、稲作だけじゃなく、農業、採集、狩猟、漁労と一年中忙しくしていたと分かります。

ターンテーブルに載った絵画土器とサンタクロースみたいな壺。

1/50スケールの卑弥呼の館。よく見ると中央の衛兵が立っている門を抜けた左側の建物に卑弥呼らしきが。その脇のパラボラアンテナみたいなのは超長い傘のようです。

卑弥呼の館の後ろには弥生時代の頃の世界のパネル。中国や朝鮮半島だけでなく、インド、中東やヨーロッパからの文化も邪馬台国に届いていたのかも知れないと想像させます。

概ね邪馬台国畿内説に基づくと思われる展示だけでなく北九州説に基づく展示が続き、漢委奴国王印のレプリカとその印面です。

金印は紙に押すものではなく、封印する粘土に押すもので、文字が彫り込まれた陰刻になってます。金印は福岡市博物館所蔵ですが、来春リニューアルオープンする大阪市立美術館の記念特別展「日本国宝展」に貸し出されるそうで、これは見に行きたい。

卑弥呼と出会う博物館

弥生文化博物館は「卑弥呼と出会う博物館」というコンセプトで2015年にリニューアルされています。卑弥呼の宝石箱にはカラフルな管玉のネックレスがいっぱい。

卑弥呼の食卓は、池上曽根遺跡などから出土した骨や種子、花粉などの分析結果からある春の日の夕食を再現したもの。左上の赤いのは肉じゃなくてイイダコ、ハマグリとワカメで汁物に。その向こうはサトイモ、タケノコ、豚肉の煮物、ご飯は野菜の入った炊き込みご飯、フグの一夜干しの手前はキビモチ。

鏡を掲げる卑弥呼さま、お召し物は中国や日本の専門家の監修で復元されたもの。性格キツそうですがかなりの美人でドキドキします。鏡の中に自分が。

ずらりと並んだ銅鏡。全部違う種類のようですが三角縁神獣鏡は見当たりません。

画文帯環状乳神獣鏡をクローズアップ。三角縁神獣鏡と異なり縁には画文帯と呼ばれる精緻な文様が刻まれています。

銅鏡の鏡面を初めて見ました。曇ってしまっていますが、ピカピカに磨けばくっきり映るはず。

卑弥呼さまを斜め後ろから、ちょっと恋に落ちたような気がしないでもないです。

後ろ髪を惹かれもう1枚。

銅鐸、銅矛、銅剣の数々、鋳造したはいいものの相当重いはずでどうやって運んでいたのでしょう。

展示室を出ると顔出しのカットアウト、係の人に頼んで撮ってもらおうかと一瞬思ったものの、やはり恥ずかしいので止めておきました。

第2展示室 池上曽根ワールド

続いて第2展示室の池上曽根ワールド。弥生時代じゃなくて発掘現場のジオラマです。

現地では入れなかったいずみ高殿の中の様子を確認できました。

鳥型木製品、空を自由に舞う鳥は弥生の人たちにとって特別な動物だったそうで、いずみ高殿の屋根にも飾られていた理由が分かります。

いずみ高殿の前にあるくりぬき井戸の枠。よくぞこんなに巨大なものが2千年もそのまま残っていたと驚かされます。

池上曽根遺跡の環境復元では、南海本線はほぼ海岸線、実家の岸和田は地図の範囲から外れているものの、実家の辺りもすぐ海辺だったのかも知れません。現在の大津川らしき古槇尾川の河口には湿地が広がっていて、さぞかしシギチが集まっていたはず。

池上曽根遺跡から出土の弥生時代の土器、600年間栄え、進化進歩してきたことが実感できます。

特別展示室では見たことのある幟、「発掘された日本列島2024」展で近つ飛鳥博物館と同時開催。

新千歳空港近くの美々4遺跡から出土の動物形土製品は弥生時代じゃなくて縄文時代です。

フクロウ意匠貼付鉢形土器、明るい茶色の部分は補修でよくぞフクロウの顔の部分が出土したものです。教科書で見た記憶がある遮光器土偶も。

最後はずいぶん端折ってしまいましたが、予想をはるかに越えて見応えのある博物館です。

堺市役所21階展望ロビー

もう1箇所行ってみたいところがあり、信太山駅へ戻り、三国ヶ丘で高野線に乗り換え堺東に到着。遅いランチは高島屋B1のしゃぶ扇。月イチくらいでOCATのお店に通いビタミンを補給しています。

堺市役所の21階展望ロビーへ上ります。

堺市役所21階展望ロビーからの眺め、広がる森は仁徳天皇陵、その向こうにニサンザイ古墳。

西側は堺港、その入口に広がる緑は豊かな生態系が育まれつつあると聞く立入禁止の共生の森、その向こうは高取山。

堺東駅1番線に銀の列車、仁徳天皇陵で大きくカーブして行きます。

明石海峡大橋がくっきり。手前の共生の森はかなり広い。

ストリートピアノが置かれていて、ちっちゃい女の子がちょっとだけ蓋を開けて練習していました。夕焼けはなさそうなので引き上げます。

狭山池を訪ねた時に乗ったばかりの6000系6023編成にまた遭遇、難波まで各駅停車で帰りました。