近つ飛鳥博物館
古代史のイロハのイを学ぶには最適な全国こども考古学教室というサイトを見つけました。惜しむらくは右クリックができないように設定されていて、サイト内の文字からさらに検索することができないのがとても残念ですが、ブラウザの拡張機能インストールで解除できました。このサイトの行ってみようというページで全国の主な遺跡や関連する博物館が網羅されていて、近つ飛鳥博物館が良さげなので、早速訪ねてみることにしました。
河内長野行準急6020系6073の運転台、定位置に置かれた懐中時計がカッコいい。
土師ノ里の手前で澤田八幡神社境内の踏切。踏切側から電車を見るとこんな感じです。土師ノ里の地名は埴輪を発明し垂仁天皇から土師職(はじのつかさ)を賜ったと日本書紀にある土師氏の本拠地がこの周辺に位置していたことに由来。
喜志駅から20分ほどで近つ飛鳥博物館前に到着、新興住宅地の一番奥で、その先に広がる森が大阪府立近つ飛鳥風土記の丘、麓に広がる住宅地が拡大されあやうく古墳群が破壊される寸前に大阪府が土地を買収したものらしい。
風土記の丘(「ふうどき」ではなく「ふどき」)ははるか昔に訪ねた記憶があります。でも近つ飛鳥風土記の丘は1986年の開設で自分は関西にいません。風土記の丘は全国に16箇所あって、どうやら和歌山市の紀伊風土記の丘だったようです。房総風土記の丘は柏から成田空港へ通っていた頃の通り道だったので、クルマを停めて歩いてみたことがあったはず。
近つ飛鳥の紹介パネル、古事記の神話をイラストにして近つ飛鳥の由来を紹介しているのですが、原文混じりでよく理解できませんでした。
二上山の西麓が近つ飛鳥、明日香村が遠つ飛鳥です。その位置関係を示した地図では河内湖からの川の流れが示されています。今も遠つ飛鳥と近つ飛鳥のいずれにも飛鳥川という名前の別の川が流れていて、藤原京付近から明日香への遠つ明日香の飛鳥川沿いをレンタサイクルで、駒ヶ谷から上ノ太子へ近つ飛鳥の飛鳥川沿いは徒歩で歩いたことがあります。地図の右端にある布留(ふる)はパネルの神話に登場する石上神社のある場所です。
埴輪とジオラマ
近つ飛鳥風土記の丘に広がる一須賀古墳群からの出土品の数々。明らかにレプリカと分かる金銅製沓の本物はどこかに大切に保管されていて、こんな感じのはずです。
ミニチュア炊飯具は多数出土しているようです。被葬者がひもじい思いをしないための心遣いと思われます。
仁徳天皇陵だけじゃなくて同時期のいろんな要素を組み込まれていて、法円坂遺跡の16棟の大倉庫群が。
そのとなりに「居館」、大王の居館でしょうか、何やら儀式が行われているようです。
鷹狩の様子と大陸からの使節の行列。
平安京創生館の平安時代末期の平安京同様にいつまでも見飽きないジオラマ。1/1000のジオラマでは表現できない息吹が感じられる1/150スケールです。