須磨ベルトコンベヤ

アサギマダラの季節です。去年の経験から須磨京都藤袴祭か悩んで須磨に決めました。須磨離宮公園以外にフジバカマが咲いているところがないか探していると、須磨離宮公園の北、須磨アルプスの向こう側、横尾道とよばれる横尾山麓の遊歩道に少なからず植えられているとの情報を見つけました。

快速急行で三宮に到着、モーニングを食べていこうとお店を探しているとJR三ノ宮駅構内に気になる行列。博多もつ鍋やまやのランチが11時開店、その5分前なので行列の後ろについてみました。

明太子と高菜とごはんがおかわり自由で、博多水炊きの連想から唐揚げ定食にしました。ジューシーな唐揚げは絶品、もちろんごはんをおかわり、この際尿酸値のことは忘れることにして明太子をたっぷりのせていただきました。元々明太子は大好物で、一番好きなのは稚加榮、二番目がやまやかふくやのどっちかだったのを忘れましたが文句なし。熱いお茶をくださいと頼んだ、たぶん博多っ子じゃなくて神戸っ子のフロア係さんの笑顔がとても素敵で美味しさアップ。

テーブルにお出汁のポットが置かれていて出汁茶漬けも楽しめます。三杯目は控えて、少し残したごはんに明太子と高菜を追加して出汁茶漬けで仕上げして大満足。

横尾道

横尾道への最寄り駅、神戸市営地下鉄妙法寺駅に到着。初めてやって来た全く未知のエリア、トンネルを出た掘割構造の駅で、ここから終点の西神中央まで地上を走っているようです。階段を上がって改札を出ると地平。

南側の公園への近道になりそうなので、小ぶりでもシャッター下りてる率はかなり低めの駅前ショッピングモールに入り南側の出口へ向かうと、何と南側の出口は2階になってました。つまり駅は周囲からするとかなり谷底に位置していることになります。

ショッピングモールの南側はさらに坂道それも結構急坂です。坂道の向こうの山が須磨アルプスの横尾山312m。

ショッピングモール南側に広がる椿谷公園、地図で調べた時には思ってもみなかった緑豊かで起伏のある公園です。

だだっ広い運動場に出て来ました。向こうに見覚えのある三角錐は高取山、あのてっぺんまで登ったのはもう9年も前。毎日登る人が多い山ですが、結構キツかったのでその後は眺めるだけにしています。

さらに坂を上るとエレベーターは無さげな5階建ての並ぶUR横尾団地。団地の植栽にヤノネボンテンカ。

横尾小学校前バス停です。75系統のバスが妙法寺駅から須磨一の谷まで神戸市バスと神姫バスの共同運行で概ね15分ヘッドとなかなか便利。

団地を抜けるといよいよ目的地の横尾道、ネコが寝ている方へ進みます。

少し進むと道は二手に別れ、道標の右面には「横尾道→啓明バス停」左面には「横尾道←高倉台」とあります。右の道は山裾、左の道は右の道の少し高い位置を回る道と思われ、悩んでチョウが多そうな左の道に進むことにしました。

左の道は急な階段の坂道になり、いくら進んでも坂道が続くばかり。よほど引き返そうかと思ったものの、がんばって先へ進むとケルンのように石の置かれた道標、左の道はさらに山の上へ続き、直進方向は緩やかな下り坂。当然直進です。

左の道から須磨アルプスの稜線へ続いているのか不明ですが、横尾山山頂は間近。横尾山から稜線を東へ進むと有名な馬の背、まるで北アルプス槍ヶ岳のように切り立った狭い稜線と岩場の道、崖っぷち恐怖症の自分には絶対無理です。

どこまでも続くゆるい下り道、山裾に並行する道路からクルマやバスの音が聞こえてくるのですが、そこへ出る道がありません。それでも何とか啓明学院前バス停に出てきました。フジバカマは見つからず。

バス停の後ろにある道標の戻る方向の右面には「←横尾二丁目」とあります。フジバカマは選ばなかった低い方の山裾の道だったかも知れないのですが、1.2kmも戻るのはつらいので諦めます。

Google Mapにマーカーのある野路菊の丘を目指し、バス停から少し西へ進んだところから分岐した急な階段を登ります。

さらに急な階段を登ると、毎日登ってくるらしい近所の人たちのためと思われる休憩所、ベンチがいくつも並べられています。高取山もここも坂道に慣れた神戸の人たちは健脚の人が多いと感じさせられます。紀貫之の藤袴の歌が掲げられ期待が高まります。

紀貫之から少し先にさらに急な階段、どうぞご利用くださいとばかりに竹の杖がたくさん置かれていいたので、一本拝借して楽に登れたものの、野路菊の丘は一面緑でわずかにツユクサが見えるばかり。11月には野路菊で真っ白に埋め尽くされるそうです。

野路菊の丘の南側の眺めが圧巻、播磨灘をバックにした大迫力の明石海峡大橋。

丘の真下は啓明学院、細長い塔の三角屋根に十字架が見えるミッションスクールの中高一貫校です。調べてみると何と我が母校の系属校と分かりました。創設者ランバスファミリーで共通する関西学院、啓明学院、広島女学院、聖和大学でランバスリーグを構成しているそうです。

野路菊の丘の崖っぷちに何やら案内板、ここから見える山や建物を案内するパネルかと思いきや、須磨ニュータウンが出来る前と須磨ニュータウン開発後の航空写真の比較です。1960年は全面的に山地です。

国土地理院地図でこの付近の1961年から1969年の航空写真と標準地図を切り替えて見るともっとよく分かります。啓明学院が中山手通から当地へ移転したのは1983年なので足元には山地が広がるばかり。

1960年代は菊水山付近から須磨の海岸まで殆ど山と渓しかありません。現在の鵯越駅付近から一の谷までほぼ山ばかりなので、鵯越の逆落としとは鵯越ではなく鉄拐山だったと特定しなくても、より広範なエリアとして捉えると鵯越の逆落としで問題なさそうです。

山、海へ行く

来る前に下調べをしていて分かったのですが、六甲の西の端の山を切り崩して須磨ニュータウンを造成、その山を切り崩した土砂で埋め立てたのがポートアイランド、六甲アイランド、神戸空港だそうです。湾岸開発が先に有りきで住宅地の方が後のようです。千里ニュータウンや泉北ニュータウンより10年ほど後ではあるものの、須磨ニュータウンへの足として地下鉄が名谷まで開通したのは1977年ともう47年も前、臨海部と山間部を一挙に開発、その産業振興と住宅開発を一挙に解決する事業で大幅な税収増をもたらし「株式会社神戸市」ともてはやされていた頃です。

「山、海へ行く」というキャッチフレーズがあったそうで、須磨ニュータウン造成で切り崩された土砂は何と、神戸電鉄木津駅付近から一の谷まで総延長14.5knものベルトコンベヤで海岸へ運ばれ、海岸に築かれた積み込み施設で船に移し替えられポートアイランドや六甲アイランドへ運ばれていたと分かりました。

ベルトコンベヤは42年に渡りおよそ6億トンの土砂を運び、2002年に稼働終了しています。関学生だったので須磨へも何度か行ったことがあるはずなのにベルトコンベヤがあったこと自体全然知りませんでした。

野路菊の丘から急坂を下りて竹の杖を返却、さらに坂道を下りて啓明学院前バス停のベンチにへたり込みました。結局横尾道ではアサギマダラはおろかフジバカマにも全く会えずじまいも、ベルトコンベアの成し遂げた偉業をいくらかでも体感できればとここまでやってきたので、野路菊の丘に置かれた地元の人たちの誇りが伝わるBefore Afterの写真を見ることができ、やってきた甲斐がありました。

バス停には啓明学院生と思われる女子中学生、バスがやってくると、先にずっと待っていたのに私を優先してバスに乗せてくれたのが嬉しかった。

須磨一の谷行のバスに乗り込むと、須磨離宮公園の方へはまっすぐ進まず、横尾道の道標にも出てきた高倉台という団地の中をぐるっと回って行きます。高倉台6丁目、高倉台7丁目…と高倉台の中だけで7つもバス停がありました。横尾台団地と高倉台団地の間を通っていた須磨ベルトコンベヤは自然環境や農業地域、風致地区を守る観点から海岸近くを除き全面的にトンネルになっていたらしく、高度経済成長も決して環境を壊すだけじゃなかったと分かります。須磨ベルトコンベヤについては関西の土木事業・土木遺産探訪のページがとても参考になりました。

須磨離宮公園

どう見ても80を超えていそうなドライバーさん運転の慎重な運転で離宮公園南バス停に到着。車内のモニターはひとつ前の高倉台南口のままだったのが残念。

須磨離宮公園東口で400円払って入園、チケットボックスすぐ裏手のバタフライガーデンに入るとフジバカマ、白の他にピンクも。でもチョウはいません。それにバタフライガーデンは去年と較べて荒れた感じで全体的に花が少なく見えます。

もう足が痛いのですが、せっかく400円も払ったので少し公園の奥へ歩いてみます。コカコーラを買って広場のベンチに腰を下ろして飲んでいると、広場の芝生を挟んだ向こうの木に止まった鳥と目が会いました。胸には黒い斑模様、エゾビタキです。

バタフライガーデンへ戻ります。沖に停泊している大型船はNYK ZEUS LEADER38,500総トンの自動車運搬船、何と10月8日に新車1,500台を積んで松山沖を航行中に挫傷したらしい。乗組員に怪我はなく、船体の損傷もないようですが神戸港沖に停泊で点検中と思われます。

バタフライガーデンに戻るとランタナにホシホウジャク。

黄色いランタナにツマグロヒョウモンとチャバネセセリ。

フジバカマにツマグロヒョウモン。アサギマダラは現れず。

アサギマダラに会える確率でいえば、摩耶山天正寺が一番高いと思われるのですが、これから電車、バス、ケーブルカー、ロープウェイと乗り継いで1時間半はかかるし、やはり須磨ベルトコンベヤのことをもう少し調べてみたいので、今日のアサギマダラは諦め一の谷海岸へ向かいます。400円払って離宮公園のメインエリアへは一歩も足を踏み入れませんでした。

山陽電車の踏切を渡った先に大ケヤキ、神戸大空襲や阪神大震災をくぐりぬけてきた樹齢百歳以上だそうですが、方向を間違っていることに漸く気づき軌道修正、もう歩きたくないのですがとにかく歩きます。

須磨寺-山陽須磨間のカーブした築堤を行く阪神8000系です。

砂に埋れた銘板

バタフライガーデンから途中道を間違ったこともあって30分も歩いて須磨海岸にたどり着きました。夏は終わったのにまだ人が少なくない海水浴場と漁港をを抜けると一の谷海岸。さっきの市バス75系統の終点、須磨一の谷バス停は山陽本線が一の谷川を渡る辺りです。線路の下をくぐり海岸へ出ることができれば、もっと楽してここまで来れたかと。

源平合戦一の谷の戦いで平敦盛と熊谷直実の一騎打ちがあった場所ですが、3年前にミユビシギに遊んでもらった場所でもあります。上述の関西の土木事業・土木遺産探訪のページにも紹介されているように、この浜に須磨ベルトコンベヤ跡地の銘板があるはずです。過去3回も来ているのにそんな銘板を見たことはなく、探したかったのが重くなった足を引きずってここまで歩いてきた理由です。

ベルトコンベヤが須磨ニュータウンから運んできた土砂を積み込む巨大な船積み桟橋が、画面左端、一の谷川河口の短い突堤と右端の長い突堤の真ん中、画面正面辺りで沖へ250m伸びていたはずです。

一の谷海岸の砂浜が途切れる西の端まで行って水辺から線路下まで丹念に探してみたものの銘板は見つかりません。砂に殆ど埋もれた何やら低いコンクリートの台のようなものがありここがそれっぽいのですが、砂浜に完全に埋もれてしまったのか、風化してしまったのか、銘板は見つからず。

一の谷川より東側も丹念にチェックしたものの見つからず、諦めて帰りかけたものの空きられきれずもう一周、さっきのコンクリートの台まで戻ってみると海に向かう側じゃなくて台の東側、叢の陰に半分砂に埋れた銘板をついに発見!

砂を払ってみると船積桟橋の全容が姿を現しました。土運船2隻がタグボートのサポートで桟橋の両側に横付けされています。株式会社神戸市を象徴するような巨大モニュメントじゃなくて、砂に埋れた小さな銘板に胸を締め付けられるような思いがしました。古代の遺跡じゃなくて平成の遺跡ですが、遺跡発掘の面白さってこういう体験なのかも知れません。

沖縄からのソラシドエアB737-800が既にランディングギアを出して須磨ニュータウンの土でできた神戸空港へ着陸態勢。

正面遠くにりんくうタウン、観覧車もよく見えます。

鉢伏山の斜面に日が沈みます。海に沈む夕陽が見える舞子へ行こうかと一瞬思ったもののたぶんもう間に合わないです。

もう日が沈むのに須磨海岸にはまだ遊び足りない人たちがいっぱい。

元町で下りると、さっきの夕陽がまだビルを照らしていました。

プファーは神戸に来る度に欠かせなくなったセンタープラザ西館地下のタルショウ、すっかり常連扱いしてもらえるようになって嬉しい。フランクを頼んでみたら麦ロックによく合います。クライマックスシリーズ第1戦は9回裏、木浪のタイムリーで1点返すもあえなくゲームセット、明日があるさ。

長田本庄軒のぼっかけそばは長蛇の列で諦め、地下街をウロチョロしてさんプラザ地下のハンバーグ屋さんに入ってみました。シングルハンバーグに目玉焼きとウインナー追加です。パッと見コワオモテも笑顔が素敵なスキンヘッドのマスターと何かと気のつく奥さん(たぶん)で切り回していて、とても居心地のいい接客と粗挽きハンバーグがとてもマッチしていました。

ハンバーグ、そばめし、餃子専門店、中華料理、ベトナム料理、インド料理…、飲み屋じゃなくて食べ物屋さんがばかりがびっしり詰まった昭和な地下街。こればかりは大阪にも京都にもなく、神戸ならではです。

APPENDIX

須磨ニュータウンの様子やベルトコンベヤの遺構を見て株式会社神戸市と呼ばれた頃の神戸を体感してきましたが、今や神戸市は全国の政令指定都市で人口減少率ナンバーワンだそうです。震災からの復興までは上手く行っていたものの、2010年頃から人口は減少傾向に。神戸製鋼や川崎重工のような重工業の衰退とかそう簡単に解決はできそうもないですが、今日見てきた中で思いついたことがあります。

須磨ニュータウンのエレベーターの無い5階建て、これに新しく入居する若年夫婦・子育て世帯には補助金が出るそうですが、あまりに付け焼き刃。調べてみると外付けエレベーターを提供する事業者は少なくありません。おそらく問題はその設置費用のはず、千里や泉北、あるいは多摩など同じ問題を抱えているところを集めて量産化低コスト化ができれば、恵まれた自然環境に低コストの住宅をたくさん供給できるはず。

もうひとつは以前も書いたのですが神戸空港はいまさら国際線に対応するよりも、国内線のハブ空港化を目指すべきかと。近隣ではまず復興ノウハウを提供できる能登、サンダーバード分断で不便になった富山や小松、近い割に不便な白浜、関西/伊丹から直行便の無い、稚内、旭川、大館能代、庄内、静岡、米子、山口宇部、北九州、佐賀等に就航し、地方と関西を結びつけ、東京一極集中打破を目指すべきかと。これでJRも手をこまねいているはずはなく良質なサービス競争が生まれるはずです。以前就航していたスカイマークの神戸-米子線を利用したことがあるのですが、JRと変わらないコストでかつとても快適でした。国内の様々なところから人が集まることで、さんプラザの昭和な地下街や今も元気な湊川の商店街、新神戸真裏の布引の滝、等々神戸の隠れた魅力が再発見されるかと。