丸太町浅葱斑

先週、アサギマダラはパスしたものの、SNSにアップされているアサギマダラを見てやはりどうしても会いたくなりました。去年も訪ねた藤袴祭が開催中です。

今日の京都はずっと曇り、夜には雨の予報、明日日曜日は雨が上がって晴れの予報、よほど明日にしようかと思ったものの、土曜日に出かけた方が楽、天気を選ぶんじゃなくて与えられた天気を楽しむべきと考えました。

5000系の特急はロングシートの隙間ゲットがやっと、天満橋で買ってきたパンとジュースは京都へ着いてからにします。

三条で2500系の急行に乗り換え神宮丸太町駅、たしか初めて下りる駅です。改札を出ると地下道に金屏風の平安神宮。

丸太町橋対岸の風格のあるビルはスーパーマーケットのフレスコ、大正12年竣工の元京都中央電話局上分局です。女子大生さんたちらしきが川の流れに脚立を立て何やら観察中。なぜか川の流れじゃなくて「時の流れに身をまかせ」の合唱が風にのって来ました。

どんぐもりだった大阪市内と違って青空も少し広がっています。鴨川べりのベンチで遅い朝食、ハトが寄ってきて物欲しげに自分の周りをぐるぐる。

まずは藤袴祭の寺町通とは逆、丸太町通を東へ、SNSで情報のあった金戒光明寺へ行ってみます。雑貨屋さん店頭にゆたんぽ、金属製の他、カラフルなポリゆたんぽもあります。自分はそれなりの世代ですがゆたんぽを使ったことは無く、豆炭のあんかの記憶はあるものの、今は冬もふとんの中に暖房器具を入れるのは好きじゃないです。

亀の子束子のトレードマークを見たのは初めて、たわしは漢字で束子と書くとも知りませんでした。

丸太町通どんつきに見える東山を撮ろうとしたら何と117クーペが通り過ぎました。30前後の自分の愛車は、カナダに引っ越すことになった友人から譲り受けたダークグリーンの117クーペでした。かなり大事に乗られているこの白い117クーペは自分と同じ丸いヘッドライトの1968〜1972年モデルのようです。めちゃかっこいいのですが、燃費は10km/Lも走らず、パワステ無しのFR駆動で車庫入れも大変でした。

道路の向こうは京大熊野寮、窓にある「歓迎ちうね先生」とは何なのか、令和の女子高生が大正時代にタイムスリップする「紡ぐ乙女と大正の月」という作品で知られる漫画家さんと分かりました。この京大熊野寮の場所に、白河法皇の白河北殿があったそうです。

東山丸太町の聖護院八ツ橋総本店、ショーウィンドウの朱色の缶が何とも懐かしいですが、我が家(子供の頃の実家)では、八ツ橋より生八ツ橋の方が人気になってからこの赤い缶はあまり見なくなりました。ちなみに生八ツ橋にあんこの入った「おたべ」は聖護院八ツ橋ではなく美十という菓子舗、「夕子」は井筒八ツ橋本舗です。

長い塀の向こうの森は平安神宮神苑です。またハンミョウに会えるかも知れないけど、裏側からは入れないので今日はパス。岡崎道を上ルとその北端に「右くろたに」の道標。

くろ谷金戒光明寺

門前の石材店の店頭に黄色い大輪のブッソウゲ。金戒光明寺の総門、高麗門をくぐります。黒谷は通称で、法然上人が比叡山の黒谷から下りてきてここに草庵を結んだことに因みます。黒谷と漢字じゃなくて何故か「くろ谷」に統一されているようです。

山門をくぐります。以前吉田山へ行った時に大きさに圧倒されたものの素通りしています。さらに石段を上がって本堂の御影堂。法然上人が草庵を結んだ頃の面影はまったく感じられない巨刹です。

山門の東側にある蓮池の周囲を満開のフジバカマが囲っていて、ツマグロヒョウモンがいっぱい舞ってました。アサギマダラはいません。

ツマグロヒョウモン♀とヒメアカタテハです。よく似ていますが、ヒメアカタテハは黄色じゃなくて朱色っぽいです。

境内図を見ると、法然上人御廟の他、熊谷直実、平敦盛の供養塔、時代が下って、お江(浅井長政三女で茶々の妹、徳川秀忠妻、徳川家光母)、春日局(大原麗子さんが演じた大河ドラマの主人公)と錚々たる名前の供養塔が散在しています。知恩院と金戒光明寺のどちらにも法然上人御廟があるのの、知恩院は浄土宗総本山、金戒光明寺は浄土宗大本山だそうです。

御影堂前に「誠」の旗、幕末に京都守護職松平容保の本陣がここに置かれ、市中取締の命を受けていた新選組の壬生の屯所とは毎日、報告・伝達が行われていたそうです。新選組といえば濃い浅葱色のイメージですが、隊旗は赤、隊服の羽織は浅葱色だったようです。

さっきの道標まで戻ってくるとこちらから岡崎道方向は「右ちおんゐん」です。手へんに「こ」のような字は「於」を元にした崩し字の「お」と判明。

聖護院

岡崎道じゃなくてまっすぐ西へ春日北通を進むと、聖護院消防分団に火の用心の褌の妙なキャラクター、聖護院大根がモチーフのようですが、聖護院大根はもっと太短くて丸いです。

聖護院門跡です。聖護院大根は聖護院門跡ではなく、金戒光明寺に奉納された大根を聖護院村の農家が栽培したのが起源らしいです。明治までは聖護院村から鴨川まで聖護院の森が広がっていて、その美しい紅葉で「錦林」と呼ばれ、市電/市バスの錦林車庫、錦林小学校に名前を残しています。

その先、聖護院八ツ橋総本店本店です。八ツ橋の起源は箏曲の開祖、八橋検校に因んだ箏の形の菓子という説と、伊勢物語の三河国八橋に因む橋の形をした菓子という説があり、京都八ツ橋商工業協同組合でも八橋検校派と伊勢物語派に分かれ、聖護院八ツ橋総本店は八橋検校派だそうです。

斜向いに本家西尾八ッ橋本店、こちらは伊勢物語派だそうです。Wikipediaに八ツ橋発祥をめぐる騒動について詳しく書かれているものの頭に入ってきません。

東大路通を越えて京大病院前に聖護院八ツ橋総本店のビル。東山丸太町のお店も聖護院八ツ橋総本店、総本店も含めて会社名で、聖護院門跡最寄りの店舗が本店かつ登記上の本社も、たぶんこのビルが実質的な本社屋と思われます。

広大な京大病院の敷地を回り込み、Google Mapに行ってみたいマーカーを付けておいた近衛通のお店でランチ、一汁八菜膳です。昆布の佃煮がカウントされていないのが嬉しい。先週奈良でいただいた小皿膳と似ているものの、おふくろの味的な小皿膳に対し、若いご主人がやっていてカンパチのフリット人参タルタル、ズッキーニの卵焼き、と今風です。どのおばんざいもとても美味しいのですが、やはり自分的にはもう少し動物性タンパク質が欲しいところです。

近衛通から川端通に出ると荒神の飛び石、今日はいささか尿酸値が高めのようで足の甲がちょっと痛いのでパスしておきます。

荒神橋を渡り寺町御門。去年同様、同志社松蔭寮、京都市歴史資料館、新島襄旧邸、日本基督教団洛陽教会など寺町通沿いにフジバカマの鉢が並べられていました。

白いフジバカマにツマグロヒョウモン♀と、ヒメアカタテハと違って翅の中が茶色いアカタテハです。

明ヶ粋ヶ - akesukeというバー、京都はお店のネーミングが秀逸、鏡餅のようなカボチャはハロウィンの飾り。

藤袴祭

丸太町通を渡ると、学習したばかりのヤノネボンテンカ。

藤袴祭のメイン会場、下御霊神社のフジバカマです。ここでもアサギマダラは見当たらずアオスジアゲハ。

もうひとつの藤袴祭メイン会場、お隣の革堂行願寺は境内の一画にひとだかり、やっと会えました、アサギマダラ。マーキングもされておらず、後翅に黒い班がある美形男子です。

どアップでアサギマダラ、背景がいい感じでボケてます。ごく薄い浅葱色ですが新選組と通じるところがあります。

イチモンジセセリとツマグロヒョウモン♀。

地域猫の保護に積極的な「ネコの寺」としても知られているそうです。フジバカマにオオハナアブ。

藤袴祭のバザーでコーヒーを買って緋毛氈の縁台でひと休み。1頭だけも、天気の良い日より曇っている方がアサギマダラがやってくるという情報も教えてもらいました。明日じゃなくた今日にして正解だったようです。

シロギキョウです。

おっと、ショッキングなシーンが撮れてしまいました。アサギマダラがスズメバチに襲われています。何とかしなきゃと思っているうちに、アサギマダラは自力でスズメバチを振り払い脱出に成功、去って行きました。

下御霊神社をもう一度のぞいてみると、源氏物語「藤袴」の一節の奉納劇が始まるところでした。演じるのは京都芸大の学生さんたちとのこと。

同じ野の 露にやつるる 藤袴 あはれはかけよ かことばかりも
尋ぬるに はるけき野辺の 露ならば 薄紫や かことならまし

光源氏の息子、夕霧と、光源氏のライバル頭中将の娘、玉鬘の恋問答ですが、夕霧とは女性とばかり思っていたくらい源氏物語には知識のない自分です。

SNSにアップする時には、本来喪服で演じるところ喪服ではないことをひとこと断っておいてください、とのことでした。

すっかり平安気分になって丸太町通にでると喫煙ステッカーのカフェ。窓の外にはなぜか錆びたカエル。

御苑

御苑の南の縁を歩きます。緑一面の草むらに小さな赤い花がたくさん、ミズヒキです。

砂利が敷き詰められた広い通りは建礼門院大通り、当然正面は建礼門。平徳子、安徳天皇母の院号です。

御苑の南西隅、閑院宮邸跡のフジバカマです。大きな池は濁っているものの小さい池の水は透き通っていました。小さな池の畔にもフジバカマが咲いていたもののアサギマダラはいません。

まだいささか痛みがする足をかばいながら、金戒光明寺からここまでほぼ丸太町通沿いに3kmほども歩いてきました。

アオバズクで知られる宗像神社をのぞいてみると、大きな白い蝶。

ひょっとしてと追いかけると、やはりアサギマダラです。

フジバカマどころか何も花が咲いていない枝でじっと動かなくなりました。あれ可哀想に、翅がかなりちぎれてしまっています。ひょっとしてさっきスズメバチにやられた子と同じ? 多分違うと思うものの丸太町通に沿って逃げて来て、ここで休んでいる可能性はあるかも。

同じ子かどうかはともかく、丸太町通がアサギマダラの通路になっている可能性はありそうです。丸太町浅葱斑と書いてみると新選組の小隊みたいで、語感もいい感じです(班ではなく斑)。とするとちぎれた翅も哀れではなく名誉の負傷に見えてくるから不思議です。

宗像神社の鳥居の足元に薄紫の可憐な花はイセハナビです。桜の樹液がキャラメルのように盛りあがってました。

下立売御門から外に出て、烏丸通を越えるとレンガ造りの教会。隣接する平安女学院の礼拝堂を兼ねる、明治31年竣工の日本聖公会聖アグネス教会です。聖アグネスはローマ帝国時代に13歳で殉教した聖女、若い少女たちの守護聖人だそうです。

下立売通室町に旧二条城跡の碑、徳川の二条城の前、足利幕府15代将軍足利義昭のために織田信長がわずか70日で建てた城郭があったそうです。後ろは平安女学院のキャンパス。

室町通のひとつ西、衣棚(ころものたな)通を下リます。また夜明け前を読み直していて、大政奉還がなり東征軍が中山道を進むところまで読み終えたところです。京都の場面では幕末の京の町がかなり緻密に描写されていました。国学者たちを支援している染物屋の伊勢久がこの衣棚通にあって、その様子を伺えないかとちょっと歩いてみたかった次第ですが、普通に京町家が並ぶばかりのようです。

下立売通衣棚の散髪屋さんにはオーナーさんらしきが今年限りで引退との貼紙、65年の長きに渡り理髪師を続けられてきた由、店内にはそれらしきピンと背を伸ばした男性、大変お疲れ様でした。お店は新しく、後継者がいそうです。

烏丸丸太町に戻るとちょうど四条河原町行のバスがやってきて駆け込みました。

阪急河原町と烏丸を結ぶ地下道両側100mくらいにマリオの壁画、通る人たちはコインのブロックを叩いたり、ステージクリアででてくる旗のポールをつかむように写真を撮ったり。自分もマリオのメロディがイヤーウォームに。フンガフンガフガ♪(土管の中)。

いつもの御幸町通の角打ち、冷酒と麦ロックの2杯だけに抑えておきました。動物性タンパク質の補給です。

鉄道の日なので、9300系を撮っておきます。

梅田駅のエスカレーターは右並びで落ち着きます。京都のエスカレーターはいつのまにか左並びばかりになってしまいました。ちょっと前まではそうでもなく、右か左か一定していなかったのですが、たぶん観光客急増が原因と思われます。谷九で外にでると雨。