津堂城山古墳
近つ飛鳥博物館で見た水鳥埴輪、その発掘現場の藤井寺へ、南大阪線ではなく谷町線で向かいます。
上空を行くヘリの機体番号はJA100F、大阪市消防航空隊のEurocopter AS365N3 Dauphin 2。八尾空港は八尾南駅のすぐ東側です。
当初の計画では車庫のみ設置する予定だったらしい八尾南駅、駅ビルは商業ビルではなく大阪メトロの事務所だけのようです。八尾南到着前に他の駅では聞かないものの、聞いたことのあるようなメロディが鳴っていたのは河内音頭と分かりました。エンヤコラセ〜ドッコイセ♪
とても八尾を感じさせない八尾南駅周辺、コンビニとモスバーガーくらいしかない駅前にドドーンとあるのはミキハウス本社。
調べてきたお店でランチ、ビーフシチューハンバーグ(レギューラー)で、これに前菜の唐揚げがついて1,815円はちょっと予算オーバー。デミグラスソースの代わりにビーフシチューがある感じで黒い石でジューっと焼きながらいただきます。
ハンバーグ屋さん近くのバス停へ着くと次のバスまで15分くらいあります。道路を渡って自販機で水を買っているとあじゃー、バスがやってきました。1本前が遅れてやってきたようです。マップをチェックすると大和川がすぐ近く、目的地まで30分もかからないと分かり土手を歩くことにしました。
まほらしろやまの管理人さんらしき女性と目が合い、コスモスはまだこれからですか?と訊いてみると、今年は天候不順でよくわからないようです。近つ飛鳥博物館でみた水鳥埴輪の発掘現場を見たくてやってきました、ビデオご覧になりますか、ぜひ。
ところがビデオは英語モードから日本語に変えることができず、英語のままでいいです、とじっくり鑑賞。前方後円墳の英訳はKeyholeと分かりました。
かつては二重の濠で囲まれていた前方後円墳も、南北朝時代、楠木正成の武将、志貴右衛門の小山城が築かれ、その後の開墾で大きく変形していたのが最近の調査研究成果により復元されているそうです。足利方ではなく楠木方の武将が大王のものと思われる大型古墳に城を築いていたのは興味深い。
前方後円墳に登る
どうやらここが正面らしき墳丘北側の入口には近所の子どもたちや親子連れの自転車。前方後円墳の正面は普通前方部に面しているのにここでは後円部に面しています。それに宮内庁管理だと立ち入り禁止ですが、ここでは中に入ることができます。
草花園を横切る道を進むと後円の一画に津堂八幡神社。鳥居の左に立てられた「津堂八幡神社由緒略記」によると、永禄9年(1566年)に三好康長が祈願所として勧進、現在地より6丁西北に位置していたものの宝永元年(1704年)の大和川付け替え後の享保元年(1716年)新大和川氾濫で社殿浸水崩壊、享保5年(1720年)現在の社地に移されたとまで読みにくい文章から何とか理解できました。
三好康長は、南大阪線古市駅南側にある第27代安閑天皇陵高屋築山古墳にあった河内高屋城城主、生没年不詳も三好氏の出、昨日の味方は今日の敵のように乱世をくぐり抜け、信長に仕え重宝され、秀吉の時代まで生きて長命を全うしたようです。その名も知らなかった戦国武将ですが、詳しくその生涯を探ってみたくなりました。
後円部の西側と東側、ゆるすぎずキツすぎず転んでも怪我をしないくらいの傾斜で、子どもたちには絶好の遊び場かと。Googleストリートビューの人も墳丘の上を楽しげに歩き回っています。
見つけました!島状遺構の案内板。水鳥形埴輪2号・1号・3号、出土当時の写真、島状遺構の全体像と図面、その構築作業の想像図が紹介されています。
案内板のQRコードの上あたりに止まっていたショウリョウバッタがのっそり動き出し、右の柱に張られていた蜘蛛の巣に絡めとられてしまいました。柱の陰からクモが出てきてショウリョウバッタは危機一髪、もがけばもがくほど蜘蛛の巣に包まれていきます。見過ごせないので細長い葉っぱで蜘蛛の巣にからまったショウリョウバッタ救出に成功、ショウリョウバッタは翔んで行きました。メデタシメデタシ
案内板の下から出てきたのは黒いイトトンボ、萎びているもののこの子もアオモンイトトンボのようです。
島状遺構はお花畑になっていて肥料が撒かれています。元は内堀だった場所に、墳丘から離れた島を墳丘の両側に設け、そこに水鳥形埴輪を埋設したのはなぜか、前方後円墳左側にも島状遺構があったらしく、そちらの発掘調査は行われたのか、また今度訪ねた時に管理人の女性に訊いてみたいと思います。
来る前は前方後円墳の周囲をぐるっと回ってみるだけのつもりだったのですが、予想を遥かに超えて楽しく、心地よく、学べる津堂城山古墳です。被葬者には諸説あるものの、ここはやはり白鳥伝説のあるヤマトタケル説を採りたい。
島状遺構から200mほど南側に小山バス停、ベンチに腰を下ろし、空を見上げコハクチョウたちの姿を思い浮かべ、思わずウーウーウーと叫んでいた自分です。あとからやって来た高齢女性が、いつまでも暑いですね、と日差しの強いベンチじゃなくて日陰で立ってバスを待ってます。10月半ばでこの暑さ、それでも湖北のコハクチョウは10月10日に第一陣が到着済みでほぼ例年通りです。
藤井寺行でも、近鉄八尾駅行(八尾南駅経由)のどちらでも1時間ほどで帰れるのですが、藤井寺行が先にやってきたのであべの橋経由で帰ります。今はコスモスの草花園は早春には菜の花畑になるらしく、一画には菖蒲園もあります。季節を変えて何度も訪ねたい古墳です。