一ノ谷から会下山
1年前の今時分に須磨海岸でミユビシギを撮った写真をアップされているブログを見つけました。男里川河口や南港野鳥園では一度もミユビシギに会ったことはなく、東京湾や伊勢湾と異なり大阪湾にはやってこないとばかり思いこんでいただけにビックリです。このブログ以外に関連した情報は見当たらず、ミユビシギに会える確率としてはせいぜい20%程度かと覚悟しつつ須磨へ行ってみることにしました。
新・平家物語は一ノ谷の合戦が終わり舞台が鎌倉に移ったところまで読み進みました。ミユビシギだけでなく一ノ谷を訪ねてみたく、久々の阪神なんば線乗車です。近鉄シリーズ21/LCカー5820系で淀川を渡ります。
元町でJRに乗り換え、すっかり様変わりした三ノ宮駅と異なり昭和な雰囲気がぷんぷんするJR元町駅ですが、地下の阪神から高架ホームまでずっと階段はちょっとキツイ。
JR須磨駅に到着、海水浴場直結の快速停車駅です。
間近を消防艇「たかとり」が明石海峡方面へ。Celebrity Millenniumの歓迎放水で「たかとり」のかっこいいところを撮りました。
一ノ谷
須磨海岸を西へ、須磨浦ロープウェイの赤いゴンドラと白いゴンドラが行き交ってます。
須磨漁港の西側は期待通り人が少なく釣り人がちらほらだけ。鉢伏山の先端から水平線上に伸びているのは海釣り公園。5年前、あそこからトワイライトエクスプレスを撮ってます。
砂浜を小さな川というかか細い流れが横切っています。せいぜい1mほどで飛び越えられなくもないですが、山陽本線もこの部分に横幅の方がよほど広い小さなガーター橋が架かっていてその脇に向こうへ渡れる飛び石が並んでいました。調べてみると一ノ谷川という立派な2級河川で、一ノ谷水系という単独の水系を構成していると分かりました。須磨アルプスから集めた水を大阪湾に直接注ぎ込んでいる訳です。
この一ノ谷川の西側が一ノ谷、平軍が陣を敷き、源軍が逆落としで急襲したと伝わる場所で、JRの複々線の向こう側、須磨浦公園内に石碑が建っています。逃げ遅れた平敦盛を浜辺で熊谷直実が見つけ、一騎打ちで組み伏せたところ、息子直家と変わらない少年だったことから憐れみ躊躇したものの、味方の軍勢が迫り敦盛の首をはねざるをえなくなります。敵味方に分かれ命を賭して戦うも、お互いを敬い憐れむ、涙なしには読めない場面ですが、その現場がこの辺りのはずです。
貨物列車がひっきりなしに通過します。この辺りは複々線でも方向別じゃなくて路線別になっていて快速と普通の走る緩行線下り、上り、新快速と貨物列車の走る急行線下り、上りの順に並んでいます。
大阪湾のミユビシギ
100mほど先にシギチ発見。そーっと近づいてみるとミユビシギ、いや違うかも。単独行動のミユビシギは見たことがありません。
少しずつ近づいてみます。背中の羽の模様が違うような気もします。
もう10mくらいまで近づきました。正面からと大股開き。
やはりミユビシギで間違いありません。後ろ向きの指がなくて3本指。大阪湾にもいることを証明できました。
223系快速加古川行とツーショット、久々の鳥鉄完成。
近くを人が通って岩場の方へ逃げたと思ったらすぐさま戻ってきてくれました。
シギチの採餌方法はくちばしの長さや形に合わせて様々、ミユビシギのくちばしは短いけど、砂にくちばしをつっこむスピードがコゲラのようにハンパないです。同じ浜辺でもミユビシギはスナガニやコメツキガニのように砂地がお好み、トウネンはハクセンシオマネキのように泥地、ハマシギはどっちでもOKのようです。
砂に付けられた3本指の足跡を波が消して行きます。
もう3mくらいのところでポーズを取ってくれます。
ちょっと引いて撮ってみました。ぼっち感が際立ちます。
波に追いかけられるリアクションは知る限りミユビシギだけです。
30分以上たっぷり遊んでもらい、まだ後ろ髪を引かれる思いでミユビシギにバイバイまたね。同一個体の鳥をこれだけ撮ったのは初めてかも。
須磨海岸から月見山
海岸の東、海水浴場の方へ向かいます。男里川河口とは大阪湾のほぼ対岸、どちらもウチから直線距離でほぼ40kmです。
関空ゲートタワーらしきビルがうっすら見え撮ってみると上空に離陸機、タイ国際航空のB777です。手前の船は"PIONEER A"、6,249総トンのRORO船です。
沖をしずしずと進む巨大LNGタンカーは"LNG DREAM"、118,876総トン。NYKが運行する大阪ガスの液化天然ガス輸送で西オーストラリアから姫路へまもなく到着です。
大型の海の家といった雰囲気のJR須磨駅、EF210と明石海峡大橋。
義経軍が鵯越から逆落としで急坂を馬で下り一ノ谷の平家軍を攻略したという物語は有名ですが、鵯越はここから7kmくらい北東に位置します。諸説あるようですが、逆落しが行われたのは須磨アルプスの鉄拐山(てっかいざん)の斜面、海岸の写真で右端の山だったようです。
須磨海岸の東側はビーチにビキニのお姉さんは見当たらないものの、真っ黒に日焼けしたムキムキおじさんが何人もいます。浜辺にゴミや流木も少なくとてもきれいですが、さっきのミユビシギ1羽以外にはカニも見つからず、生態系としては男里川の方がずっと豊か、さっきのミユビシギに会えたのは超ラッキーだったといえそうです。次の目的地へ向かいます。
須磨寺や須磨離宮公園へも行ってみたいものの、欲ばると疲れてしまうので、どうしても行きたい1箇所に絞り込みます。ツマグロヒョウモン♀がきれいに撮れました。
山陽本線の複々線の踏切では3本通過待ち。
逆落としが行われたとされる鉄拐山の南東斜面、鵯越の逆落し図屏風(Wikipedia)のイメージと合致します。
しかしながら、新・平家物語では、逆落しに義経自身は加わっておらず、薩摩守平忠度が守る一ノ谷へ逆落しで突撃したのは熊谷直実らで、平軍の中心は一ノ谷ではなく輪田岬沖に停泊している船隊で、三種の神器もそこにあると見た義経は鵯越からまっすぐ南下しています。
モンシロチョウのようですが、翅の真ん中に茶色く縁取られた白い紋があります。モンキチョウ♀には白い個体もいると分かりました。モンキチョウとモンシロチョウのカップル(らしき)が仲良く飛んでいるところをよく見かけずっと不思議に思っていたのですが、モンキチョウのカップルだと謎が解けました。
月見山駅前の商店街、踏切を3000系アルミカー。
たばこOKのステッカーを見つけ喫茶店で休憩。缶詰のさくらんぼがのった昭和なミックスジュースです。
会下山
どうしても行ってみたいもう1箇所は会下山(えげやま)です。3000系3連の阪急三宮行普通を大開駅で下車。地下鉄上沢駅を過ぎるとかなりの急坂になってきました。
鵯越と輪田の浜との中間にあり、宇奈五ノ岡(うなごのおか)とも呼ばれていた会下山です。新・平家物語では、平家の陣所だったところに源軍の薬院(野戦病院)が置かれ、陣医として活躍するのが新・平家物語のキーマン、阿部麻鳥です。連れてこられる負傷者が源軍ばかりなことに異議を申し立て、義経の理解を得、敵味方別け隔てなく受け入れる場面は、創作であれ、さもあらんと感動的です。その会下山がこの坂の上です。
会下山公園に入り、さらに階段を上るとヒガンバナ、クロアゲハが止まってくれました。
行ってしまったかと思ったら戻ってきてくれます。今日の小さな仲間たちは皆愛想よし。
会下山は新・平家物語以上に新書太平記ゆかりの地、楠木正成がここに本陣をおいて、わずか数百の楠木軍が数万の足利軍を迎え撃ち、正成最期の戦いの地となった場所です。
大楠公湊川陣之遺蹟の碑が建っています。その向こうを眺めるとなんと楠木一族の故郷、金剛山がくっきり見えて大感動。
会下山全体はほぼ木々に覆い尽くされあまり見晴らしは効かないのに、ここだけ大阪湾の景色が広がっていました。
会下山の頂上です。この辺りに義経の野戦病院があって阿部麻鳥が奔走していたのではないか、と想像をふくらませます。
木々の間からポートタワーが見えました。すぐ近くから神戸電鉄の坂を上る音が聞こえ、そちらへ下りてみます。
キマダラカメムシがいました。
会下山のすぐ北側、長田からの急勾配を下ってくる神戸電鉄3000系ウルトラマンです。他の車両は車体もきれいなのに3000系だけはいつも薄汚れていて塗装がはげちょろけ、アルミ車体の特殊性なのかな。でも山陽電車のアルミカーはきれいだし、不思議です。
湊川への築堤を下る1000系1500形3連。
湊川から1000系のツードア車1100形で帰ります。一部の1000系編成は内装が最新型の6000系同等に美しくリニューアルされていました。昭和の電車まだまだがんばります。
三宮で往きと同じシリーズ21/LCカーの5820系快速急行がいたので乗り換え。淀川河口の潮位が高いと、阪神なんば線淀川橋梁を渡るところは千と千尋の海原電鉄の雰囲気です。
隣の席が埋まったのは今津から甲子園の間だけ、京阪プレミアムカーや南海サザンのように座席指定がなくても安心快適に帰れました。