駒ヶ谷の小さななかまたち
大阪府羽曳野市駒ヶ谷は自分にとって古里のような思い出のいっぱいつまった場所です。従兄弟の家がここにあって、毎年夏休みは1週間ほどこの駒ヶ谷で過ごさせてもらっていました。
思い立って約半世紀ぶりに駒ヶ谷に行ってみました。
阿倍野橋駅にはラビットカー復刻塗装が止まっていました。旧型電車ばかりだった往時、ラビットカーは憧れの的でした。
次発の河内長野行準急に乗って、古市で始発の普通電車に乗り換えます。
駒ヶ谷到着、阿倍野橋から30分かからないのですが、ここから先は田園風景が広がります。
駅舎は昔のまんまですが、無人駅になっていました。
駅前にチョーヤ梅酒の本社・本社工場があります。
10年程前、従弟と冬のニューヨークのイタリアンレストランで食事した時、メニューにUmeshuを見つけオーダーしてみたら、Choyaの缶がそのままでてきました。缶にはKomagatani, Japan、と書かれているのを見てふたりして大感激したのが忘れられません。
駅東側の橋から眺めた駒ヶ谷駅、懐かしい。
駅から橋を渡って斜め右方向の路を進みます。半世紀経っても足が道を覚えていました。
細い道ですが、国道166号線です。竹内(たけのうち)街道と呼ばれ、推古天皇の時代に造られた難波と飛鳥を結ぶ日本最古の官道、つまり国道だそうです。
趣きのある古い家屋が並んでいます。
その後、従兄弟たちは転居、長く空き家になっていたところ、先年解体され駐車場になっていると聞いていたのですが、場所はすぐにわかりました。
御神木だけが大切に残されていました。茅葺きの母屋があったところです。駐車場の中を歩かせてもらい、ここには離れ、ここには亀の池、ここには蔵、ここにはトイレがあったとか、感慨にふけってしまいました。
杜本(もりもと)神社、ずいぶん従兄弟たちと遊んだ場所ですが、アウトドアでどんな遊びをしていたかはよく思い出せません。それより、家の中で鉄道模型を走らせたり、階段の下の本棚に大切に保管されていた従兄のまんがコレクションを読ませてもらったり、離れにあったビリヤードをプレイしたり、インドアで遊んでいたことが鮮明に思い出されます。
マガジン、サンデーのはしりの頃で、マガジンでは「巨人の星」の連載を読んでました。まだジャンプが創刊される前です。
この辺りぶどうの産地で、山にはぶどう畑がずーっと広がっています。
ちょうど収穫の季節、たぶん巨峰かと思われます。
夏休みでお世話になったばかりなのに、9月になったらまた駒ヶ谷にやってきて、ぶどう狩りを楽しませてもらっていました。今や実に様々な品種のぶどうが出回っていますが、当時はデラウェアとマスカットくらいしかありませんでした。マスカットなんて超贅沢品で、ぶどう狩りも当然デラウェアでした。
駒ヶ谷の家並みを抜けて飛鳥川に沿って歩いてみることにします。飛鳥川は奈良の明日香の飛鳥川とは別の川ですが、この辺り、奈良の明日香に対して河内飛鳥、あるい飛鳥時代から「近つ飛鳥」と呼ばれていたことをこのブログを書いていて初めて知りました。
ギンヤンマみっけ!
ハグロトンボみっけ!
ん?ハグロトンボが頭を水の中につっこんでいました。
どうやら産卵の場面に出くわしたようです。♀(胴が黒)の上を♂(胴が緑)が心配そうに飛んでいます。
あちこちで産卵シーンが見つけられます。
♀が2匹、♀が3匹。
お尻だけじゃなく、頭から水の中に突っ込んで何をしているのでしょうか。
翔んでるところも撮れました。
近くでは♂が産卵を見守っているようです。気づいたらハグロトンボだけで100回もシャッターを押してました。
上ノ太子までやってきました。
ハクセキレイみっけ!ハクセキレイは自然のまんまより、人がいることろのほうが好きなようです。
上ノ太子駅から東へは峠越えです。駒ヶ谷へ戻ります。
駒ヶ谷駅の西側にはその名もずばり、駒ヶ谷駅西側公園というのができていました。
その先、石川河川公園に続いています。
石川河川公園にある修景池の葦原にショウジョウトンボ発見。
ピントがなかなか合わず苦労しました。それでもピンボケですよね。
キマダラカメムシ。可愛いでしょ!
たぶんヒメサユリかと思います。いつも集団で翔びまわっているウスバキトンボ、はじめてじっくり写真を撮らせてくれました。
インドア少年だった自分、いつの間にかアウトドアオヤジになっていました。