エル・グレコ

中之島香雪美術館で特別展「大原美術館所蔵 名画への旅 - 虎次郎の夢」が始まりました。倉敷の大原美術館改修工事に伴い、その名品たちが中之島香雪美術館にやってきました。大原美術館には大昔に訪ねエル・グレコの受胎告知を見た記憶がうっすらあります。その受胎告知も現在は中之島に。

さらに大原美術館は館内撮影禁止なのに中之島香雪では撮影OKらしい。これは見逃せません。

中之島香雪美術館

千日前線から四つ橋線乗り換えのルートは鬱陶しいので、自宅最寄りバス停から渡辺橋までシティバス62系統、バス停の真ん前がフェスティバルタワーウエスト。えらく長いエスカレーターを3回乗り換え4階まで上がると中之島香雪美術館。神戸のゴッホのように混雑していたら日を改めようと思っていたのですが超余裕で拍子抜け。

大原美術館は現クラボウ、クラレ、中国電力などの礎を築いた大原孫三郎が1930年に創設、その西洋美術コレクションを収集したのはその友人の洋画家、児島虎次郎です。この虎次郎の足跡をたどりつつ大原美術館のコレクションを鑑賞するという特別展、「虎次郎の夢」というサブタイトルは「寅さん」シリーズにひっかけているのはミエミエですが悪くないノリです。

以下額縁のない写真は撮影した写真の画角の補正やトリミングをしています。

虎次郎は1881年現高梁市の生まれ、少年時代から画才を発揮し大原家の奨学金を得ながら現東京芸大西洋画科に学びます。黒田清輝の指導を受けつつ将来を嘱望される洋画家と評価され、大原孫三郎からさらなる奨学金を得て、フランスで本場の研鑽を受けるべく、1908年神戸港からフランスへ旅立ちます。

Ⅰ最初の渡欧、Ⅱ帰国

「和服を着たベルギー人の少女」(1911)は最初の渡欧時の作品で、大原美術館本館で最初に来館者を迎える作品だそうです。「道頓堀」は帰国後1916年頃の作品、110年前のひっかけ橋(戎橋)の様子です。道頓堀南側から宗右衛門町方面の眺めと思われます。

Ⅲ 絵を買ってよし

虎次郎は1919〜1921年、1922〜1923年と渡欧を重ね、自らの画業と並行し「日本の若い画徒」のために名画を日本に持ち帰ることを責務と捉え孫三郎の理解を得、名画の購入に奔走しています。

ミレー「グレヴィルの断崖」、コロー「ラ・フォルテ=ミロンの風景」、クールベ「秋の海」、いわゆるバルビゾン派の作品です。パリから50kmほど南のバルビゾンに集まり自然主義的な風景画や農民画を描いた画家たちです。クールベはバルビゾン派には含まれないものの交流があり、関連する重要な画家と位置づけられているらしい。

Ⅳ スペイン、イタリア、スイス

児島虎次郎「スペインの丘」、赤い土の丘に囲まれたスペインの丘、30年前新婚旅行でこんな場所を旅したことを思い出しました。ロバを見たような記憶もうっすら。

スイスの国民的画家と呼ばれるホドラー「木を伐る人」、スイスフラン紙幣に描いたデザインが元になっているらしい。とても迫力ある動きです。

エル・グレコ「受胎告知」(16世紀末)、マリアさまの上に照明の映り込みがあったのをレタッチしています。ダ・ビンチ、アンジェリコ、ボッティチェリ、カラヴァッジョら錚々たる数多の巨匠が描いた受胎告知の中でも図抜けて美しい。大天使ガブリエルに答えるマリアさまの声が聞こえてきそうです。

わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。 - ルカ による福音書1章38節

30年前のプラド美術館で、エル・グレコが描いた十字架のイエスさまの眼差しが強く印象に残っています。このマリアさまと同じ眼差しです。

周りに誰もいない瞬間に引いて撮って、エル・グレコならではの光を際立たせてみました。昨年夏にプラド美術館から絵画修復士を招聘し、表面の汚れや後世の加筆部分を除去し、400年前の色調や透明感を取り戻す修復作業が行われたばかり。修復完了後昨年末まで大原美術館でプレ再展示が行われ、年が明けて大阪にやってきたとのことです。

山田五郎オトナの教養講座のエル・グレコ編最後の方で、日本との関わりが紹介されています。トレドにいたエル・グレコに天正遣欧少年使節団が会った可能性が高いとの話には、ちょうど原田マハさんの風神雷神を読んでいるところだったので惹き込まれました。さらに第二次世界大戦以前は日本で実物が見られる唯一の古典西洋絵画だったことが、エル・グレコの工房作説も踏まえたうえでこの受胎告知が紹介されています。ひょっとしたらこの作品が俵屋宗達にも影響を与えているのかも知れない、と想像を膨らませています。

大好きなモディリアーニのジャンヌ・エビュテルヌの肖像、ジャンヌ・エビュテルヌはモディリアーニにとって最も重要なモデルで内縁の妻、かつ優れた才能を持つ画家。モディリアーニが35歳の若さで結核により死去、その翌日にお腹に子を宿したまま21歳の若さで身を投げてしまいました。

Ⅴ エジプト

3回目の訪欧では行き帰りにエジプトに立ち寄り太古の歴史に思いをはせた虎次郎です。その折に収集された人型棺断片、ラムセス2世葬祭殿スケッチ、ルーブル美術館でのウセルハト墓壁画模写。

Ⅵ フランス、ふたたび

マティス「エトルタ-海の断崖」、マティスの風景画は初めて見ました。画面左上にモネやクールベも描いた「アヴァルの門」の断崖、アルセーヌ・ルパンの奇岩城です。

リトグラフのムンク「マドンナ」、マドンナは聖母マリア、画面左下の「叫び」のような人物は胎児、画面の額縁に精子が舞ってます。

フランス領ポリネシアのマルキーズ諸島で描かれたゴーガン「かぐわしき大地」の油彩と木版に焼き直したポーラ版(商業用ポスター)。ゴーギャンではなくフランス語読みに近いゴーガンが大原美術館流。モデルは当時13歳くらいも、現地では成人と認められていたテハーマナ。ゴーガンの現地妻として2年間ともに暮らし、一旦フランスへ帰国した2年後にタヒチへ戻ってきた時には既に再婚していたらしい。

セザンヌ「風景」とドガ「赤い衣装をつけた3人の踊り子」、今回の展示品の殆どは1922年頃に虎次郎が持ち帰った作品ですが、この2点は後年に大原美術館に寄贈されたもの。

モネ「睡蓮」は1906年の作品で虎次郎が買付け1920年に大原美術館に所蔵されています。

パリから北東へ60kmほどのジヴェルニーにある自邸の睡蓮の庭を案内するクロード・モネを1920年10月に虎次郎が撮影した写真です。モネは1840年11月14日生まれなので79歳。浮世絵の強い影響を受け、日本庭園まで作ったモネだけに、虎次郎の訪問は大歓迎だったかと。写真の向こうにはその太鼓橋が見えます。

73x92.5cmの作品です。真正面にソファが置かれていてゆっくり鑑賞させてもらいました。会場で一番賑わっていたのがこの睡蓮の前、日本人が大好きなモネ、去年の京セラ美術館モネ展もかなりの混雑だったようです。ただ自分的にはやはりエル・グレコ。

展覧会の入口です。出品リストのPDFを見ると展示品数は総計66点と多くないものの満足度は高いです。リストの最後に茶室展示としてジャコメッティの作品があったと分かったのは帰宅後、完全に見逃してました。3月29日まで開催なので、再度訪ねることになりそうです。

「今夏奇跡の来日」の朝日新聞号外が置かれていました。フェルメール「真珠の耳飾りの少女」が8月21日から9月27日まで大阪中之島美術館での展示決定の速報です。日本ではたぶんダ・ヴィンチのモナリザより人気の作品、大混雑は必至もぜひ見てみたい。フェルメールの他の作品も集められるのか、同時代のレンブラントらの作品もやってくるのか、どういう展覧会になるか楽しみです。会場はここ中之島香雪美術館ではなくて収容力のある大阪中之島美術館です。

中之島香雪美術館は朝日新聞の運営、フェスティバルタワー自体が朝日新聞大阪本社。大嫌いな朝日新聞ですが、文化事業は高く評価したい。

窓の外の眺めです。てっきり東向きに堂島川かと思いきや、帰ってから西向きに土佐堀川と分かりました。足下の阪神高速は環状線から池田線への短絡線。

渡辺橋バス停とフェスティバルタワーウエストです。どこへ向かうのか数十人のインバウンドさんたちが集まっています。

ロウバイが始まっているはずのお城へ向かってみます。淀屋橋の向こうに生駒山。

大阪市立東洋陶磁美術館

東洋陶磁美術館まで来て素通りできず入ってみることにしました。ひと月前に来たばかりですが、また来てくれたんやニャーとMOMO(当館のイメージキャラ)。iPhoneと充電器をつなぐケーブルを忘れてきたのiPhoneの電池残量は心もとないのですが、東洋陶磁美術館はカメラでもOKです。

加彩天王俑と三彩天王俑(いずれも唐代)の鶡冠(かつかん)をアップで。Geminiに製造方法の違いを尋ねてみたところ、加彩は焼き上がった素地に顔料で色付け。釉薬を塗って再度焼くことをしないため、マットな仕上がりで細やかな表情や文様が表現できているものの、長い年月で色が剥落しています。三彩は釉薬を塗って再度焼き付け、色が定着し釉薬が混じり合う流動美が表されているらしい。

さらに大阪市立美術館の天龍山石窟将来の鳳凰との違いについては、天王俑の鶡は直線的に力強さが表現され戦う姿、天龍山石窟将来の鳳凰は優美で平和を象徴しているので鶡ではないとのこと。

もうさんざんアップしていますが、国宝油滴天目茶碗。真横から撮ってみると口縁がかなり歪んでいるようです。これも景色かと。

木葉天目茶碗と重要文化財木葉天目茶碗(いずれも吉州窯、南宋時代・12〜13世紀)、重文の方は葉っぱの繊維がくっきり浮かび上がっていて、さすが重文と感じさせます。

前回帰ってからそれと気付いたあとふたつの天目茶碗、玳玻天目鳳凰文茶碗(吉州窯、南宋時代・13世紀)と白覆輪天目茶碗(磁州窯系、金時代・12世紀)を撮り直してきました。

玳玻天目は鳳凰文とあるのにどこに鳳凰がいるのか、内側もチェックしたもののやはり不明。白覆輪天目は天目茶碗としてはやはりちょっともの足りない感じ。いずれも油滴天目や木葉天目よりひとまわり小さいです。

土佐堀川でヒドリガモたちがひなたぼっこ。繁殖羽のカワウも。ロウバイへ向かうつもりだったけど歩き疲れたので日を改めます。