光琳乾山銹絵皿

一昨日行きそびれたお城のロウバイへ。そのあと藤田美術館を訪ねます。

大阪城公園梅林

鶴橋駅まで歩いて環状線、森ノ宮下車。階段下に美しい漆塗りのような案内板が設置されていました。やよい軒でランチを済ませ大阪城公園に入ると、もみじ園にジュウガツザクラ。

東外堀のユリカモメたち。餌やりオジサン登場で騒ぎ出したところです。

一番櫓前の生け垣の中にスズメとは違うお腹がまだら模様の何か。お腹に斑模様があってツグミのようですが、ツグミより小さい。桜門と天守閣を撮っただけで本丸へは上らず雁木坂を下りて梅林へ。

梅林に入ってすぐ左手の香篆(こうてん)、早咲きの代表品種です。

香篆の向こうにジョビ太。今季初めてまともな出会いです。

寒紅です。

冬至梅です。桜と違って枝ぶりを鑑賞するのも楽しみ。

月影のジイさん手前のロウバイです。

何年も首の皮一枚で立ち続けている月影のジイさん。今年も白梅を咲かせました。

月影のジイさんと天守閣、ロウバイと天守閣。

ロウバイはまだこれからで鈴なりではないものの、酸っぱい香りは十分楽しませてくれています。

枝ぶりの見事な冬至梅。

春に満面の白い小さな花を咲かせるユキヤナギがこんなに美しく紅葉するとは気づきませんでした。

逆光の八重寒紅と天守閣。花期の長いスイセンも見頃です。

藤田美術館

大阪城から新鴫野橋、片町橋を渡って10分ほど、10月以来3ヶ月ぶりの藤田美術館です。3つのテーマで展示され毎月ひとつずつ新しいテーマに展示替えされるので、10月の展示からは全て替わっています。後ろにクレーンや掘削機が立ち並んでいるのは結婚式場だった太閤園跡で藤田観光から創価学会に土地が売却され「関西池田記念大講堂」を建設中も、昨年11月に掘削機が倒れ、付近を走っていたバイクの男性が負傷、藤田美術館の屋根が破損したらしい。

最初のテーマは「数」、「数が集まって意味があるもの」と理解できそうです。

5幅の掛軸は観音三十三身像(嘉吉3年)33幅のウチ、童男童女身、婦女身、比丘比丘尼身、婆羅門身、宰官身。その解説パネルは観音様と人間のLINE、今日もiPhoneの充電ケーブルを忘れてきたので解説パネル右上の電池残量12%が気になる。

刀の鍔が5点、左から梅に竹の葉、竹林の七賢、花に籬、シャボン玉で遊ぶ人物、城郭にライオンの西洋風モティーフ、だそうですが作者も異なり「数」としてちょっと無理があるかも。

楽焼の栄螺形蓋付向付(了入、18世紀)、了入は楽家9代目。向付は会席料理で飯碗や汁碗の「向こう側」に置かれる、刺身やなますなどの最初に供される料理を盛る器。穏やかな海に育つ棘のないサザエに対して棘の大きなサザエは荒海育ち、たぶん瀬戸内産ではなく丹後や若狭産のサザエがモデル。

重要文化財 尾形光琳・乾山 銹絵絵替角皿10枚、光琳、寂明、法橋光琳いずれかの落款(いずれも光琳のこと)があり、縁に描かれた文様は同一。尾形乾山が焼いた角皿に兄の光琳が錆釉で絵を描き、乾山が賛を記したもの。

一枚ずつトリミングして並べてみました。クリックすると一枚ずつ拡大できます。順に、布袋、大黒、竹賛四字、竹寂明書入、菊、芦鶴、竹雀、眞向福祿壽、柳、梅。元は20枚あったのが10枚のみ残されているらしい(参考)。

自分のお気に入りはやはり芦鶴、タンチョウぽいです。江戸時代までタンチョウは蝦夷地に限らず広域に飛来し江戸でも見られたらしい。光琳は宝永元年から宝永6年頃まで江戸に滞在しています。

Geminiに芦鶴の皿の賛を翻刻してもらうと、仰顧未爲霄漢擧 一声清唳 辞驚人。意味は、空を仰ぎ見ても、意味は、この鶴はまだ大空(霄漢)高くへと飛び立ってはいない。しかし、ひとたび澄んだ声で鳴けば、その清らかな響きは人々を驚かせることを厭わない(それほど素晴らしいものだ)。北宋の詩人・范仲淹の漢詩を元にしたものとのこと。

この10枚を含む20枚シリーズとは別らしきが光琳乾山合作の銹絵角皿があり、東博に銹絵観鷗図角皿(重要文化財、カモメを描いた角皿で1枚だけのもので現在東博で展示中)、京博に銹絵寒山拾得図(重要文化財、2枚セット)、その他にも少なからず存在し、正方形の他に長方形や六角形もあると分かりました。

国宝大般若経(薬師寺経)、奈良時代に書写された大般若経の一部で全600巻のうち387巻が藤田美術館所蔵。玄奘三蔵がインドから持ち帰り、唐で翻訳され、文武天皇の時代に日本に伝えられたもの。開かれた巻の冒頭には「三蔵法師玄奘奉」と記されているのが確認できます。

三蔵法師と大般若経と題したいかにも藤田美術館なノリの解説パネルです。国宝玄奘三蔵絵全12巻も藤田美術館の所蔵で、パネルの三蔵法師の絵はその一部。至近では2020年に展示されていたらしい。

次のテーマは「支」、動物で表される十二支から動物をテーマにした展示のようです。

鎌倉時代の仏涅槃像、ここでは釈迦や八部衆ではなく画面最下部に描かれた動物たちが主役のようです。左端からガチョウ、鶴、おしどり、金翅鳥(こんじちょう、ガルーダ)、オウム?、亀、迦陵頻伽(上半身は美しい女性、下半身は鳥の姿)、龍、猪、象、猿、虎、鹿、獅子、山羊、兎?、馬、牛とかなり賑やか。

万暦染付双竜唐草文蓋物(明代)はパッっと見て景徳鎮窯かもと思ったら当たってました。自分にも少し陶磁器を見る目ができきたのかも。

黒楽金溜鶏香合(桃山時代)は楽家初代長次郎の作、黒い釉薬にところどころ金が残されています。右側は野々村仁清の鶯香合(江戸時代17世紀)、目とくちばしが黒い釉薬、つぶらな瞳がいかにもウグイスですが、全体の色や尾羽の立て方からカワガラスと言ってもいいかも。本来の用途ではないものの、ウグイス豆とか入れておもてなしすると良さげ。

印籠 馬図(飯塚桃葉、江戸時代)は、たてがみとしっぽが平蒔絵、馬の体は金梨地で輪郭は螺鈿。こういう凝った風流な印籠を見ると、水戸黄門が本当に葵の御紋の印籠を持っていたのかと疑問になって調べてみたら、水戸市の徳川ミュージアムに葵の御紋の印籠が保管されていると分かりました。ちなみに印籠の主な用途は薬入れだそうです。

ひと目見て楽茶碗と分かる黒樂茶碗 銘臥猪は楽家5代目宗入の作、尾形光琳・乾山兄弟の従兄弟だそうです。猪が伏せたような姿から銘は臥猪(ふすい)。

3つ目のテーマは「浄」、極楽浄土の浄です。

まずは特別展示の古絵巻模本のうち法然上人絵詞(冷泉為恭、江戸時代)、知恩院に伝わる法然上人絵伝のうちの第2巻を写したもので、法然の父を殺した明石定明が罪を悔いて念仏を唱え極楽往生を願う場面だそうです。紅葉が美しい。

重要文化財 木造地蔵菩薩立像(鎌倉時代、1207〜1227年頃)、運慶と共に東大寺南大門の仁王像を作った快慶の弟子行快との共作。力強い造形の運慶に対し、繊細な美しさにこだわった快慶快慶の特徴が全体に表されていて、彩色は快慶が作った時のままだそうで800年もよくぞここまで残されていたと驚かされます。興福寺伝来で、明治の廃仏毀釈で荒廃した興福寺が復興を目指して売却したらしい。

体が前方に傾いているのは雲に乗って飛んでいることの表現。

重要文化財普賢十羅刹女像(鎌倉時代、14世紀)、普賢菩薩が乗った白い象は鼻が短く牙が6本、象が初めて日本にやってきたのは鎌倉時代、足利義持に献上されたのが最初で、鎌倉時代ではまだ空想上の動物の域にあったようです。

木造金彩阿弥陀如来立像(鎌倉時代、13世紀)、作者が明記されていないものの、目や口などの表現は上掲の快慶作木造地蔵菩薩立像にそっくり、快慶作の可能性がありそうです。

重要文化財阿字義(平安時代、12世紀)、密教の根本を示す「阿」字の意義と阿字観の実践について詞書と絵画であらわした絵巻。詞書は漢字ひらがな交じりで、漢字にはカタカナでルビが振られているのが目を引きます。

カタカナの方が古く成立は9世紀前、ひらがなは9世紀後半。いずれも特定の発明者はおらず、カタカナは平安時代初期の僧侶たちが経典の読解のために漢字の一部を抽出して簡略化したもので漢字のフリガナがカタカナなのは自然。一方ひらがなは漢字草書のくずし書きとして自然発生的に広まり、紀貫之、紫式部、清少納言らが完成、洗練させた文字。それからわずか2百年ほどでこの阿字義のように普及していることは日本人として誇らしく感じます。

描かれているのは特定の人物ではなく、平安時代の貴族男性と尼僧。いずれもシースルーの装束をまとい、胸をはだけ、光を放射している梵字の「阿」が描かれた月輪(がちりん)を抱えています。平安時代のイラスト付き密教トリセツだそうです。

千体聖観音菩薩立像50体のうち2体(平安時代、12世紀)は50cmほどの仏像、興福寺北円堂伝来の50体を明治時代の廃仏毀釈で藤田伝三郎が購入したらしい。

法隆寺金堂天蓋付属天人像(鎌倉時代、13世紀)、琵琶を弾く天人、透かし彫りの光背には彩色も残っています。

当麻曼荼羅(鎌倉時代、13〜14世紀)は當麻寺で中将姫が蓮の糸で負ったと伝承されるもの。それを解説するチャート図はいかにも藤田美術館のノリ。

次回の藤田美術館訪問は今回のテーマが全部切り替わって、曜変天目にも会える4月になるはず。

ひょうたん池

天満橋への帰り道のひょうたん池でヌートリアの親子。ヌートリアの子供を見たのは初めてかも。

特定外来生物で日本の侵略的外来種ワースト100にも指定されているヌートリア。

餌やりオバサンが登場、好ましい行為ではないものの、両手でニンジンを食べる姿はやはりカワイイ。ちなみにヌートリアに似ているカピバラにはしっぱはありません。