新春コウノトリの舞

10日ほど前に訪ねたばかりの久米田池で初日の出、と思いつきました。池の向こうから日が昇り美しいはず、それに日の出直後の鳥たちは活発なので、ハシビロコウ状態じゃないコウノトリに会えるかも。当然レンタサイクルが営業しているわけじゃなく久米田駅から歩くことにします。

5時半にウチを出て、天王寺駅前から見上げたハルカス、電気のついているフロアが多い。

5:54の関空快速は紀州路快速と併結しない単独の4両で阪和線ホームの4番線から発車、えらく混んでいて座れず。関空早朝便の人もいるのですが、友達同士で年越ししてきたらしき若い人が多い。

鳳で普通に乗り換え久米田駅に到着、6時26分。

15分ほど暗い道を歩いて久米田寺。前回撮りそびれた松平定信揮毫の隆池院扁額、大門の内側に朝焼け。

大門を抜けると池の畔に人がびっしりでビックリ。同じことを思いついた人がこんなにいたとは。8割方が若い人、それもこんなに寒いのに超短いスカートやショートパンツ、長いまつ毛エクステ、バリバリ岸和田弁のJKさんらしきが目立ちます。

無風でのっぺりした久米田池、快晴ですが、和泉葛城山、岩湧山、金剛山、大和葛城山がそれぞれ雲の帽子を冠ってます。人はどんどん増えてきまて数百人。

池の杭にミサゴ。日の出の位置は岩湧山の北側、地図で確認すると天見辺りです。

空中でホバリングのミサゴと杭でじっとしているミサゴ。池面もオレンジに染まってきました。もうでる、もうでると隣のJKさん、ちっちゃい子のトイレとちゃうで、と声を掛けたいのをがまん。

雲の縁が輝いてきました。ミサゴのホバリングです。

雲がピッカピカに光りました。不思議なことに雲が消えて2026年初日の出、7時16分。

池面に光が伸びます。

ミサゴの翼がオレンジ色。

自転車じゃないので今日はそのつもりがなかったのですが、やはり歩いて2.6kmを一周してみることにしました。

久米田池一周

上空をアオサギかと思いきやコウノトリです。

全部で6羽、カタカタとクラッタリングも聞こえました。鳴かないコウノトリはクラッタリングでコミュニケーション。遠くて聞こえにくいのでだいぶ前に撮った豊岡の動画で確認してください。

7時半くらいです。

足輪の標識が見えるものの個体識別はできません。

コウノトリと六甲山。

赤いのは足輪じゃなくて脚、コウノトリの脚は赤い。久米田寺をバックに着陸態勢。

新春コウノトリの舞。

水鏡のコウノトリ。

クロツラじゃなくてふつうの方のヘラサギがいました。右端から2番目の白い鳥です。池南側のクリーク、今日もシギチは見当たらず。

寝正月のカワウたちに対して元気なコウノトリたちです。

さっきから低空飛行専門です。

池の北側まで回ってきました。日の出前に見たミサゴがまだ杭に止まったまま、もう8時40分です。さっき見かけたばかりの女性の背中がまた自分を追い抜いて行ってビックリ。かなりのスピードです。

遠いですがミコアイサが4羽。

アオサギとオオバン。久米田池一周完歩、まだミサゴが舞ってます。

久米田寺

久米田寺大門のスピーカーからはお経じゃなく琴の音。今朝まだ暗い時に扁額を撮った金堂です。

本堂の金堂より賑わっている観音堂(大師堂)、久米田寺に限らず教義的な本堂ではなく現世利益的な大師堂が賑わうそうです。

開山堂(行基堂)にはこの前には無かった五色幡が立てられています。

ゴ〜ン。

久米田古墳群

久米田寺境内の奥に光明塚古墳、久米田古墳群のひとつに数えられる円墳です。道路を渡ると池に囲まれた貝吹山古墳。

貝吹山古墳の墳丘に上ります。久米田古墳群最大で全長130mの前方後円墳。4世紀中頃の築造で摩湯山古墳より古いと分かったらしい。

後円部墳丘のてっぺんにいます。4世紀前半は古墳時代前期、歴史記録のない空白の4世紀ですが、ヤマト王権が確立されて行く時代で、名前は分からないものの大和盆地のヤマト王権を支えた有力豪族の古墳と考えられます。香川県産凝灰岩製の石棺の破片が出土しており、ヤマト王権と四国や九州とを海でつなぐ役割を担っていたのではないかと推測します。

永禄5年(1562年)の久米田合戦で三好実休の陣がここに敷かれていたと記録に残っています。南東方向に道が続いていて墳丘を下りると両側が池に挟まれた道。

広い空間に出て来ました、久米田公園です。隅っこに円筒埴輪のレプリカが並べられた古墳。

無明塚古墳、5世紀初頭築造と考えられる径約26mの円墳です。ずいぶん小さな円筒埴輪ですが、わざと小さくレプリカを作るとは考えにくく、出土した円筒埴輪自体が小さいものだったと思われます。

墳丘に上るには傾斜がきつく躊躇していたら向こう側に石段が造られていました。

無明塚古墳の墳丘の上にいます。公園のトイレは弥生時代スタイル。

無明塚古墳の奥に大型の古墳、墳頂へ長い石段が続いています。

5世紀初頭築造と考えられる無明塚古墳の墳頂です。小型の造出部をもつ円墳として築かれた後に大型の造出部分をもつ帆立貝形に改築されたことが確認されており、墳墓の築造中に被葬者の地位が上昇したらしい。

日焼けして読みにくくなった久米田古墳群の説明板、QRコードも読み取れないのですが、たぶんこのページだと思います。久米田古墳群全体で10基の古墳が確認されているそうな、なかなかしっかりした仕事をされている岸和田市教育委員会です。

帰り道

久米田駅への戻り道、小松里交差点にでてきました。この付近では母方の祖父が繊維工場を経営していました。記憶をたよりに道を取ると記憶に残るスロープ、この先にあったのはたぶん間違いないです。母が事務を手伝っていて、糸巻きの並んだ工場や応接室の白いカバーの掛けられた椅子が思い出されます。60年も前のことをよく覚えてます。

府道30号、熊野街道ですが、自分には小栗街道という呼び名がしっくりきます。浄瑠璃や歌舞伎で描かれた小栗判官にちなむ名前です。何ら特徴のない久米田駅です。

駅前の周辺案内図には各町がだんじりのはっぴで紹介されていました。

となりの岸和田市全体図に貼られたビックリマンシールはいつ頃のものでしょう。さらに新しく設置された久米田駅から歩いてめぐる歴史案内マップも、池田王子という熊野九十九王子のひとつが岸和田にもあるとは知りませんでした。

現時刻は9時55分、次は10:04の普通、そのあとから区間快速になるのに、鳳で快速に乗り換えなければなりません。

天王寺に到着、9番線ホームのカフェプレストが閉店してしまっていました。阪和線の103系がまだ活躍していた頃、窓の外に103系が眺められ、タバコも吸えたので何度も通ったお店です。

天王寺駅周辺のお店はどこもかしこも営業しておらず、元旦でも営業していた天王寺動物園を抜けて新世界へ出ると、どこもかしこも営業中。ちょうど営業開始のやまと屋本店に入れてもらいました。今年一番の客のようです。

本店は寿司屋ですが、隣接した串カツのやまと屋1号店と小さな窓でつながっていて串カツも頼め、お銚子3本目はサービスになります。

元旦の通天閣です。通天閣のお腹には孔雀の絵、よく見るとクラブ化粧品、クラブ歯磨、クラブ白粉、クラブ洗粉とあります。初代通天閣の頃の広告が復元されたものらしい。

このまま日本橋まで歩いて、元旦から23000歩15kmも歩いてました。