和泉中央から久米田池
コウノトリがやってきているとの情報を見つけ久米田池へ。阪和線久米田駅から1kmほどですが、久米田池を一周するには自転車が欲しい。ずいぶん前に南海岸和田駅近くでレンタサイクルを借りたことがあるものの、電動アシストがあるか、今も営業しているのか不明。地図を眺めていると、電動アシストを借りられる泉北線和泉中央駅から久保惣美術館とは別方向へ4.6kmほど、岸和田駅からと変わらない距離です。泉北線で岸和田へという意外なルートを試してみることにしました。
発車前に流れていたのはなんとせんぼくんの車内放送。
9年ぶりの久米田池、水は抜かれているものの、完全には抜かれておらず、鳥たちが食料を得やすい環境が提供されていて、鳥の国際空港とも呼ばれているそうです。聖武天皇の命により行基が開削、天平10年(738年)に竣工した灌漑ため池、46haで36haの狭山池より大きく、日本一の満濃池(138ha)がダントツですが、加古大池(49ha)と並ぶ2位クラスと言えそうです。小学校で久米田池の周囲は1里(4km)と教わった記憶があるのですが、実際には2.6kmです。
池の真ん中でカワウたちに混じってコウノトリがいました。でも遠い、250mくらいあります。
どのコウノトリにも足輪が付けられています。左右の足輪の色の組み合わせで個体識別できるのですが、色は確認できません。兵庫県立コウノトリの郷公園の11月30日の情報では554羽、1971年の野生絶滅後、人工繁殖で着実に数を増やしている内の5羽(くらい)です。
1羽だけ離れてこちらへ向かってくるのはヘラサギ、じゃなくて絶滅危惧種のクロツラヘラサギです。ヘラサギと違って顔の黒い部分が広く、ヘラが先っぽまで黒い。
こんな採餌方法の鳥は初めてもハシビロガモのそれに似ています。ちなみにクロツラヘラサギもヘラサギも、サギじゃなくてトキの仲間だそうです。
手水舎の龍と境内図です。一地方寺院の域を越えた灌漑事業を基に据えた、聖武天皇、行基、楠木氏、足利氏、江戸幕府、さらには昭和の戦没者慰霊へと連なる国家的仏教寺院だったと、岸和田っ子なのに今更ながら学ぶことができました。郷土史家だった伯父さんにもっと色々教えてもらっておけばよかったと後悔。
三蔵法師遺骨の信憑性や、久米田合戦の詳細、いわゆる檀家寺ではなく拝観料も収受しない中での主な収益源は何かまで、久米田寺についてかなりつっこんだやりとりをChatGPTとしました。回答にはそれは違うんじゃないということもあったものの「久米田寺が単なる一寺院ではなく、和泉地域の歴史記憶を担う拠点」というまとめは間違っていないと思います。
境内奥には行基墓、さらに光明塚古墳、貝吹山古墳。久米田古墳群で墳丘に上れる古墳や円筒埴輪が並べられた古墳もあると分かりました。遠からず再訪することになりそうです。
降車ホーム側から復刻塗装7100系、種別方向幕のサザンに4つの★はサザンクロス、南十字星です。復刻塗装7100系とラピートの構図を狙ってみました。発車時、何と、南海ホークスさあ行こう♪のメロディ。イヤーワームだったのがホームに鳴り響きビックリ、嬉しくて涙が出て来ました。
この列車だけかと思いきや6番線はホークスホークス♪のあとの、なんかいホークス♪のメロディ。調べてみると、12月26日から1月5日まで(1月1日・2日を除く)に高島屋で開催される南海電鉄140周年記念南海ホークス展に併せて、復刻塗装車に球団マーク表示、5番線6番線の発車メロディが南海ホークスの歌になっていると分かりました。
南海のホームページを繰ってると未来に伝えたい南海電鉄との思い出のページに「デートの待ち合わせはいつもロケット広場」、長いエスカレーターを下りてくる途中右手のロケットが目に浮かびます。1978年から2007年まで設置されていたらしい。まさにわが青春の1ページ。