MOCOの天目茶碗

大阪市立東洋陶磁美術館特別展「MOCOコレクション オムニバス - 初公開・久々の公開 - PART1」、その初日を訪ねてみます。MOCOはMuseum of Oriental Ceramics Osaka、初公開や久々の公開が多数らしく楽しみ。

半年以上開催されていた特別展「CELADON - 東アジアの青磁のきらめき」が終了、しばしの休館で大規模な展示替えが行われ、今日から新しい特別展のスタートです。

ビジネス街の北浜、土曜日に営業しているお店は多くなく、やよい軒に入ると広くてビックリ、まるで総合大学の学食。バイト君に日本一大きなやよい軒じゃないか、と訊ねたものの確認できず。

やはり、やよい御膳にしました。たまご焼きや納豆を追加したいところですが我慢。いろんなおかずの中で一番のお気に入りは牛肉のすき焼き小皿の糸こんにゃく、朝ドラばけばけのヘブン先生が大の苦手な糸こんにゃくです。

巨大なお店なのでガストみたいな配膳ロボットも活躍、ガストと違って通常は人が運んでくれ、忙しくなるとロボット君が登場です。カップに入っているのは「だし」、出汁茶漬けにする時だけのものと思い込んでいたのですが、スープとしても美味しいと分かりました。

満腹していい気分になって近くの某チェーン店コーヒーショップに入ると、最悪のサービスと接客でがっかり、ほとんどコーヒーを飲まずに返却したのでこちらの怒りは伝わったかと。

快晴の空を見て、不愉快感は収まりました。右から2つ目の茶色いビルが大阪市立東洋陶磁美術館です。

特別展1は「明器遊境」、古代中国で死後も生前の生活を送れるようにとの願いを込めて墳墓に埋められた副葬品です。

明器遊境

緑釉水榭(すいしゃ、後漢時代・1〜2世紀)、望楼二階の四隅で弩(ど、石弓)を構える兵士と、階下の水辺で遊ぶ水鳥たち、上下の緊張感が違いすぎます。

緑釉鴟鶚尊(しきょうそん、後漢時代・1〜2世紀)、フクロウの酒器。泉屋博古館で見たこれより千年以上前の青銅器鴟鴞尊と較べると同じ題材でもかなり地味。

加彩天王俑と三彩天王俑(いずれも唐時代・8世紀)、天王は唐代の皇帝の別称。ひきしまった体型の三彩よりお腹のでた加彩の方が強そうに見えます。天理参考館では同様のが神将像と紹介されていました。

いずれも頭に鳳凰のような被りもの、説明には伝説上の猛鳥、鶡冠(かつかん)とあります。鶡冠は勇猛な武将が被るものとされ、鶡(かつ)とはヤマドリまたは河北省や山西省固有種のミミキジを指すらしい。よく見ると大阪市立美術館の天龍山石窟第8窟将来の鳳凰にそっくりです。天龍山のも鳳凰ではなく鶡なのかも。

加彩侍女俑(唐時代・8世紀)2点、いずれも顔も体型もふくよか。同時代の楊貴妃も同じようなルックスだったとしたらガッカリです。日本の天女像とかもそうですが東洋の女性彫刻はギリシャローマとか西洋の女性彫刻と比べてバストが小さいのは何故なのか。

シルクロードをイメージさせる黄釉加彩騎馬女俑と南方系人物らしい黄釉加彩巻髪俑、いずれも唐時代・7世紀。

千秋精粋/尚用成器

展示の特色紹介には、自分もお気に入りの「作品の間近でゆったり鑑賞ひじ置き台」だけじゃなく、「地震から守る免震台、これがあることで作品をテグスで固定する必要がなく鑑賞のさまたげにならない当館のオリジナル仕様」とのこと。確かにテグスがないです。

何度もなめまわすように鑑賞している油滴天目の展示室を抜けると、特別展2「千秋精粋」、数千年に渡りよりすぐられたもの、といった意味か。

黄釉碗(大清雍正年製銘、景徳鎮窯、清時代雍正年間・1723〜1735年)、内面が白、外が黄色の器は皇后に次ぐ皇貴妃(ナンバーワン側室)が使用するものと決められていたとのことですが、イケアとかの洋食器に見えます。

展示室中央は木葉天目(吉州窯、南宋時代・12〜13世紀)、以前は他の器と並べられていたのが昇格したのかと思いきや、このあと最後まで回って、木葉天目は2点展示されていると分かりました。

仰韶文化の彩陶渦文鉢(紀元前4000年〜紀元前2500年頃)、ちょっとUFOを彷彿とさせるこんな形の新石器時代土器は初めて見ました。仰韶文化中期黄河中流域の廟底溝(びょうしょうこう)遺跡型だそうです。

久保惣や、弥生文化博物館大阪市立美術館でも見た馬家窯文化の彩陶双耳壺新石器時代(紀元前2600年〜紀元前2300年頃)、相当大量に出土していると分かりますが、文様はそれぞれです。

驚くほど薄く作られた黒陶高脚杯(新石器時代大汶口文化・紀元前4000年〜紀元前2400年頃)、山東省黄河下流域の大汶口(だいぶんこう)文化のもの。既にロクロが使われていて、脚には透かし彫り。

灰陶堆線文壺(新石器時代馬家窯文化半山類型・紀元前2600年〜紀元前2300年頃)、彩陶だけじゃない馬家窯文化です。

灰陶印文壺と、青銅器の尊を模して釉薬がかけられた灰釉印文尊(いずれも戦国時代・紀元前5〜紀元前3世紀)

光沢が美しい青磁天鶏壺(北朝時代・6世紀)、鶏の首は胴に通じておらず実用性はなく明器らしい。

西アジアのガラス碗を模したシルクロードっぽい緑褐釉貼花連珠文碗(北斉~隋時代・6世紀後半)。

三彩印花花文枕(唐時代・8世紀)、何に使う四角い箱なのか、枕です。角の尖った頭の形に沿っていない箱で寝るのはキツイ。

全体に青みを帯びた白磁碗(邢州窯、唐時代・8世紀)、透明の釉薬でこの青みがでているらしい。

白磁刻花蓮花文輪花皿(定窯、北宋時代・11世紀)と青白磁刻花唐子牡丹文輪花鉢(景徳鎮窯、北宋時代・11世紀後半〜12世紀初)、いずれも胴部が屈曲していて窪みの影ができています。

特別展3「尚用成器」は酒器を中心とした中国陶磁コレクション。

新石器時代に戻ります。大汶口文化の黒陶高足杯(紀元前4300〜紀元前2500年頃)。

紅陶堆線文把手付壺(新石器時代馬家窯文化半山類型・前2600〜前2300年頃)、上掲の灰陶堆線文壺と同類で大きさは随分違うものの同じデザイン。

黒釉天鶏壺(東晋~南朝時代徳清窯・4〜5世紀)、上掲の青磁天鶏壺同様に実用性のない明器。

三彩象頭形リュトン(唐時代・7世紀)、西アジアの酒器・リュトンを模した唐三彩、象が鼻が把手になってます。

青白磁杯(北宋時代景徳鎮窯・11世紀)、4客セットも微妙に色が違っているのも景色でしょうね。

黄釉杯 、緑釉杯いずれも遼時代缸瓦窯・10〜11世紀。遼は唐に継ぐ契丹族の王朝、缸瓦窯は内モンゴル赤峰の窯。

玳玻天目鳳凰文茶碗(たいひてんもく、南宋時代吉州窯・13世紀)は鼈甲(ベッコウ)のような斑紋が特徴の天目茶碗。

白覆輪天目茶碗(しろふくりんてんもく、金時代磁州窯系・12世紀)、黒釉をかけた後に口縁部の釉を削り取り、そこに白化粧を施してから透明釉をかけるという技法による華北地方の窯で焼かれた天目茶碗。斑紋が出ていないのが天目茶碗としては寂しい。

花鳥文が描かれた八角形の白地鉄絵花鳥文高足杯(元~明時代霍州窯・14〜15世紀)、霍州(かくしゅう)窯は山西省臨汾市に位置し、金代から元代にかけ白磁を主に生産した窯。

文様がモダンな白地鉄絵菊花文高足杯(元~明時代磁州窯系・14〜15世紀)。

白磁印花菊花文杯(元時代景徳鎮窯・13〜14世紀)、上掲の邢州窯白磁碗よりさらに青みを帯びた白磁、ガチョウの卵殻に似るので卵白釉と呼ばれるそうです。

青花騎馬人物文高足杯(明時代景徳鎮窯・16世紀)、単純化された騎馬がプリミティブでいい。

青花宝相華唐草文鉢大清康煕年製銘(景徳鎮窯、清時代康煕年間・1662〜1722年)、これでラーメンをいただくとすれば清湯の塩バターかな。

豆彩如意頭文盤(景徳鎮窯、清時代雍正年間・1723〜1735年)、これにタレを入れて餃子を食してみたい。景徳鎮窯の作品は美しいだけじゃなくて食欲をそそります。

以陶即妙

第4部「以陶即妙」は大陸由来や日本の茶道具、多くは初公開。

井戸茶碗銘まこも草(朝鮮時代・16世紀)、まこもの銘は長く入った釉薬の線に因んでいるらしい。

黒織部波文茶碗(桃山時代美濃窯・17世紀前半)、古田織部の美意識を反映した美濃窯織部焼。

紅葉呉器写茶碗(江戸時代永樂保全作・19世紀)、永樂保全は京焼の陶工・永楽善五郎十一代。

黒楽茶碗銘埋火(うずみび、江戸時代・17世紀)、樂家三代目樂道入の黒釉。

赤楽茶碗銘(かがり火、江戸時代・18〜19世紀)、樂家七代目樂了入作。口縁部がやや内側に傾き、胴の中程が絞られた典型的な楽茶碗。

至高雅器/天青無窮

当館のマスコットキャラのmocoちゃんが描かれた青花虎鵲文壺(朝鮮時代・18世紀後半)だけの常設展示室、右側の通路を抜けるとゆったりした休憩所があってその先に「至高雅器」展示室の中国陶器コレクション。

重要文化財木葉天目茶碗(南宋時代吉州窯・12〜13世紀)は上掲のマットな木葉天目と違ってグロスです。

景徳鎮窯の龍2題、瑠璃地白花龍文盤と青花龍文瓶(いずれも元時代・14世紀)。

国宝飛青磁花生(元時代龍泉窯・14世紀)は「天青無窮」自然採光展示室に移されていました。

青磁彫刻童女形水滴と童子形水滴(高麗時代・12世紀)は回転台に載せられ前回よりふたりの距離が近くなってました。800年の時を経ての童女と童子の再会、良かったです。

特別展「慧眼探美」の韓国陶磁などについては機会を改めます。特別展だけで172点、コレクション展が200点以上の展示、見逃している魅力的な作品がまだまだ見つかりそうです。限られた展示点数をひとつずつ丁寧に紹介する藤田美術館とは対極的に大量の展示品をこれでもかと紹介する大阪市立東洋陶磁美術館、それだけにお気に入りを探し出す楽しみがあります。

天目茶碗とは

油滴天目の部屋に戻ってきました。壁には油滴天目をずっと見守っている朝鮮三国時代の鴨形土器。

国宝油滴天目(南宋時代建窯、12〜13世紀)はやはりダントツに美しい。重文の木葉天目マットな木葉天目玳玻天目白覆輪天目と併せて5点もの天目茶碗を所蔵する大阪市立東洋陶磁美術館です。

油滴天目や藤田美術館の曜変天目は南宋時代建窯、木葉天目と玳玻天目は南宋時代吉州窯、白覆輪天目は金時代磁州窯系。いずれも手に馴染みやすそうな小ぶりの黒釉ですが、福建省建窯と江西省吉州窯は300km、河北省磁州窯とは1,000kmも離れています。土も全然違っているはず、製作技術が共有されていたとも考えられません。では天目茶碗とは何なのか、疑問が広がりChatGPTに詳しく教えてもらいました。

天目茶碗は日本で成立した呼称で、中国では建盞(けんさん、建窯製の小さな杯の意)と呼ばれているようです。浙江省天目山で修行していた日本人僧が持ち帰っったことから天目と呼ばれます。持ち帰った僧とは臨済宗の宗祖で建仁寺を創建した栄西が有力な説らしい。

天目茶碗は、宋代中国(主に建窯)で焼かれた黒釉碗で、日本の茶の湯が「天目」として受容・分類・評価してきた器と定義されるものの、そこに絶対的な定義はなく、茶の湯の世界の中での文化的な合意があるだけらしい。曜変、油滴、木葉、玳玻、白覆輪などの名称も日本で付けられたもの。

誰が天目と認定するかというと室町将軍家や武野紹鴎や千利休らの茶人・数寄者、目利き・道具衆らの集合知で、排他的ではなく、境界は曖昧で異論も成立し解釈差も生じ、茶の湯の文化的特性と捉えられているとのこと。茶の湯の世界って民主的です。「天目茶碗とは、日本の茶の湯が天目として扱ってきた茶碗」とのみの理解で良さげらしい。

帰り道、八軒家浜の対岸で誰も見ていない噴水ショー。試運転か何かかと思いきや、2月頃まで12時から22時まで毎時0分、30分に実施されていると分かりました。途中までしか撮っていないので、今度は夜に撮り直したい。