MOCOの天目茶碗
大阪市立東洋陶磁美術館特別展「MOCOコレクション オムニバス - 初公開・久々の公開 - PART1」、その初日を訪ねてみます。MOCOはMuseum of Oriental Ceramics Osaka、初公開や久々の公開が多数らしく楽しみ。
半年以上開催されていた特別展「CELADON - 東アジアの青磁のきらめき」が終了、しばしの休館で大規模な展示替えが行われ、今日から新しい特別展のスタートです。
明器遊境
緑釉水榭(すいしゃ、後漢時代・1〜2世紀)、望楼二階の四隅で弩(ど、石弓)を構える兵士と、階下の水辺で遊ぶ水鳥たち、上下の緊張感が違いすぎます。
緑釉鴟鶚尊(しきょうそん、後漢時代・1〜2世紀)、フクロウの酒器。泉屋博古館で見たこれより千年以上前の青銅器鴟鴞尊と較べると同じ題材でもかなり地味。
加彩天王俑と三彩天王俑(いずれも唐時代・8世紀)、天王は唐代の皇帝の別称。ひきしまった体型の三彩よりお腹のでた加彩の方が強そうに見えます。天理参考館では同様のが神将像と紹介されていました。
いずれも頭に鳳凰のような被りもの、説明には伝説上の猛鳥、鶡冠(かつかん)とあります。鶡冠は勇猛な武将が被るものとされ、鶡(かつ)とはヤマドリまたは河北省や山西省固有種のミミキジを指すらしい。よく見ると大阪市立美術館の天龍山石窟第8窟将来の鳳凰にそっくりです。天龍山のも鳳凰ではなく鶡なのかも。
青磁彫刻童女形水滴と童子形水滴(高麗時代・12世紀)は回転台に載せられ前回よりふたりの距離が近くなってました。800年の時を経ての童女と童子の再会、良かったです。
特別展「慧眼探美」の韓国陶磁などについては機会を改めます。特別展だけで172点、コレクション展が200点以上の展示、見逃している魅力的な作品がまだまだ見つかりそうです。限られた展示点数をひとつずつ丁寧に紹介する藤田美術館とは対極的に大量の展示品をこれでもかと紹介する大阪市立東洋陶磁美術館、それだけにお気に入りを探し出す楽しみがあります。
国宝油滴天目(南宋時代建窯、12〜13世紀)はやはりダントツに美しい。重文の木葉天目、マットな木葉天目、玳玻天目、白覆輪天目と併せて5点もの天目茶碗を所蔵する大阪市立東洋陶磁美術館です。
油滴天目や藤田美術館の曜変天目は南宋時代建窯、木葉天目と玳玻天目は南宋時代吉州窯、白覆輪天目は金時代磁州窯系。いずれも手に馴染みやすそうな小ぶりの黒釉ですが、福建省建窯と江西省吉州窯は300km、河北省磁州窯とは1,000kmも離れています。土も全然違っているはず、製作技術が共有されていたとも考えられません。では天目茶碗とは何なのか、疑問が広がりChatGPTに詳しく教えてもらいました。
天目茶碗は日本で成立した呼称で、中国では建盞(けんさん、建窯製の小さな杯の意)と呼ばれているようです。浙江省天目山で修行していた日本人僧が持ち帰っったことから天目と呼ばれます。持ち帰った僧とは臨済宗の宗祖で建仁寺を創建した栄西が有力な説らしい。
天目茶碗は、宋代中国(主に建窯)で焼かれた黒釉碗で、日本の茶の湯が「天目」として受容・分類・評価してきた器と定義されるものの、そこに絶対的な定義はなく、茶の湯の世界の中での文化的な合意があるだけらしい。曜変、油滴、木葉、玳玻、白覆輪などの名称も日本で付けられたもの。
誰が天目と認定するかというと室町将軍家や武野紹鴎や千利休らの茶人・数寄者、目利き・道具衆らの集合知で、排他的ではなく、境界は曖昧で異論も成立し解釈差も生じ、茶の湯の文化的特性と捉えられているとのこと。茶の湯の世界って民主的です。「天目茶碗とは、日本の茶の湯が天目として扱ってきた茶碗」とのみの理解で良さげらしい。
帰り道、八軒家浜の対岸で誰も見ていない噴水ショー。試運転か何かかと思いきや、2月頃まで12時から22時まで毎時0分、30分に実施されていると分かりました。途中までしか撮っていないので、今度は夜に撮り直したい。