世界の考古美術

承前、布留遺跡にある天理参考館を訪ねています。

日本、朝鮮半島

いよいよ世界の考古美術展示室、まずは日本のコーナー。

古墳時代後期の盛装男子埴輪(群馬県高崎市出土)、顔の左側の色が違っているのは化粧または入れ墨らしい。

縄文土器の数々、殆どが青森県や秋田県の東北地方の出土品です。

そして土偶もすべて東北地方。

順に岩手県軽米町、秋田県北秋田市、岩手県二戸市から出土の縄文時代晩期の土偶。スノーゴーグルをかけた遮光器土偶自体東北地方発祥だそうです。雪の多い東北地方なので、北極圏に暮らすエスキモーの人たち同様にスノーゴーグルを掛けていたのではなく、目の誇張表現らしい。

北秋田市の土偶は世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」のひとつ伊勢堂岱遺跡から出土したものと思われます。北秋田市公式チャンネルの動画で伊勢堂岱遺跡には環状列石(ストーンサークル)が4つも残されている知りぜひ訪ねてみたいところですが、大館能代空港のすぐ近くではあるものの、羽田からANAの1日3便だけ、大阪からだと海外旅行より高くつきそうです。

弥生時代中期の袈裟襷文銅鐸2点と弥生時代後期の袈裟襷文銅鐸。

もうひとつ大型の袈裟襷文銅鐸(1.14m、弥生時代後期)、銅鐸が巨大化し本来の役割をなくして行った様子が伺えます。

自分的にはすっかりお馴染み、唐古・鍵遺跡の絵画土器。現在地からも近いです。

蛇行剣出土で有名になった富雄丸山遺跡の三角縁神獣鏡3面を展示、その三角縁吾作銘四神四獣鏡。

中国・朝鮮・日本対照年表、これはしっかり頭に入れておきたい。

統一新羅時代の陶質土器、つまり日本では白鳳時代から平安時代前期となります。

オリエント

ゆったりした展示のオリエントのコーナー、写真を撮っている場所に椅子が置かれていてしばし休憩。

紀元前22世紀頃、古代メソポタミアの都市国家ラガシュ(現在のイラク南部)の王、グデアの頭像です。

紀元前4000年頃の幾何学文鉢と幾何学文深鉢(イラン)、クッキーみたいな紀元前2000年頃の楔形文字粘土板(イラク)。楔形文字は表音文字らしくUnicodeが振られていると分かりました。

かな・古代ペルシャ楔形文字変換というサイトを発見、「たすく」(自分の名前)→「𐎫𐎠𐎿𐎢𐎤」、と変換してくれました。ひらがな3文字がなぜか5文字、「た」が「𐎫𐎠」、「す」が「𐎿𐎢」、「く」がなぜか1文字で「𐎤」です。この文字には母音の「え」と「お」が無いとのことで自分の名前を変換してみた次第。

イラン出土の紀元前1500年頃の鳥文壺、古代オリエントの人たちも自分同様に鳥が大好きだったようです。

イスラエルの地中海沿いに位置するテル・ゼロール遺跡出土品。手前は紀元前11世紀頃のランプ、旧約聖書の時代です。ダビデ王の部屋にもこんなランプが置かれていたのかも知れません。

紀元前4〜2世紀頃のリュトン(イラン、アゼルバイジャン)、底に開けられた孔を塞いで液体を注ぎ、孔からその液体を飲んでいたそうな。こんなに手間をかけて水を飲むはずはなく、紹介文にある「液体」はワインで間違いないかと。

ビザンチン帝国時代のモザイク(5〜6世紀頃、シリア)。

イランがイスラム勢力下に入ったウマイヤ朝、アッバース朝の頃の切子ガラス長頸瓶、樹文ガラス杯(8〜10世紀)。

10〜11世紀イランの黄白地彩画文鉢。士気上がる騎士の表情といななく馬、カラフルな鳥も、岡本太郎のノリに通じるような作者の思いを感じさせます。

展示品は多くないもののエジプトのコーナーも。第18王朝(前1550~前1295年頃)のファラオ、トトメス4世(たぶん)の供養碑。その象形文字を拡大してみました。

象形文字(ヒエログリフ)の変換サイトもみつけました。こちらはアルファベットで「TASUKU」は「𓏏𓄿𓋴𓅱𓎡𓅱」。こちらのPDFによると「T」はロールパン、「A」はエジプトハゲワシ、「S」は折りたたんだ布、「U」はウズラのヒナ、「K」は把手付のかご、だそうです。頻繁に使うはずの母音が複雑な形状なのが不思議です。
 

そして地中海、紀元前7世紀頃の鳥文オイノコエ(酒注ぎの陶器、キプロス)、ギリシャでも鳥。

紀元前4世紀の赤絵式フィアレ(儀式用の酒器、イタリア)。イタリアから出土も赤絵式は古代ギリシャ陶器の様式、赤褐色の地色を絵柄に残し、他を黒く塗りつぶしています。紀元前の絵画技法やデッサン力に驚かされます。

紀元前6〜5世紀頃のアンフォリスコス、紀元前2〜1世紀頃のアンフォリスコス、紀元前2〜1世紀頃のウンゲンタリウム。いずれも東地中海沿岸から出土の小さな香油壺。美しい。

墳墓のインテリアデザイン

世界の考古美術は一通り見終えたはずで外へ出ると、監視係のおねえさんにありがとうございましたと挨拶されてしまったので、まだあっち(企画展示「墳墓のインテリアデザイン」)を見てません、と返事して、企画展示室へ。

漢〜唐時代の死後のすみかとなる墳墓内の装飾や副葬品の展示です。

多層の建物といろんな動物が表現された青磁堆塑罐(呉〜西晋)、検索してみると、レイアウトはだいたい同じで様々な形の青磁堆塑罐が台北の故宮博物館で展示されていると分かりました。台北も訪ねてみたい。大館能代よりずっと安く行けるはずです。

青磁猪園は豚の囲い。

専属料理人の緑釉庖人(後漢)がお墓の中で腕をふるいます。

女子十二楽坊を彷彿とさせる加彩楽舞女子(唐)、食だけでなく娯楽も贅沢です。

中国

墳墓のインテリアデザイン鑑賞し終えて、さっき椅子に腰掛けたオリエントのコーナーのところで正面に展示されていた仁王像のような二体の像を見逃していたことに気づき、さっきの監視係のおねえさんと目を合わせないように戻ります。

三彩神将と白陶加彩神将、金剛力士像とポーズや表情が似ているものの木像ではなく唐三彩の神将像です。神将像の奥に広がる中国コーナーを完全に見逃してしまうところでした。

奈良国立博物館で魅せられた青銅器も。西周(紀元前11〜10世紀)の饕餮文尊(とうてつもんそん)、中国神話の何でも食べる怪獣、転じて魔を食らうから魔除けとされたそうです。「尊」は器の形のひとつ。

中国先史時代の彩陶と黒陶、特に後列中央の壺の描かれた壺の美しさはとても5千年も前のものとは思えません。紀元前3000年から紀元前2000年の新石器時代馬家窯文化(ばかようぶんか、甘粛省/青海省)のものらしい。

亀の甲羅や獣の骨に刻まれた甲骨文字(紀元前13世紀〜紀元前11世紀)、最古の漢字です。甲骨文字を表示できる白川フォントというのが配布されていたものの甲骨文字のunicodeは見つからず。

殷(紀元前12世紀〜紀元前11世紀)の饕餮文卣(とうてつもんゆう、酒壺)、取っ手が取り付けられたところに描かれているのが饕餮(怪獣)の横顔のようです。

青銅器は饗宴で酒を注いだり、食物を盛られたり、音楽や舞いにも利用されていたようです。

後漢時代(1世紀〜3世紀)の陶製明器の灰陶楽人芸人。死後も娯楽を楽しめるように納められた副葬品です。落語家のような噺家らしき姿も。

前漢後漢の銅鏡が並べられています。黒塚古墳に1枚だけ大切に埋葬されていた画文帯神獣鏡も。逆に黒塚古墳から33枚も出土した三角縁神獣鏡はここに含まれていないことがミソです。

唐代の白陶加彩胡人、長安の都にはシルクロードを越えてやってきた西方人が多く集まっていたそうな。以前読み始めて途中で挫折した永井路子氷輪に再チャレンジしています。鑑真と共にやってきた如宝が西方の人、ブハラ(ウズベキスタン)の生まれらしい。天平の奈良でも少なからず似た容貌の人たちが闊歩していたはず。

最後に夏目雅子さんの三蔵法師を彷彿とさせる黄白釉加彩騎馬女子。

一通り見終えたようです。監視係のおねえさんと目が合わないよう展示室を出ようとするも結局目が合ってしまい、中国のコーナーを見逃していたので…と要らない言い訳をしてしまいました。多くない見学者の中でずいぶん熱心に見学していた自分はやはり目立っていたようです。おねえさんにはエレベーターに案内してもらいました。

世界の考古美術をひととおり概観できた満足感があります。何が一番気に入ったかと振り返ってみるとやはり日本の土偶かな。

天理参考館をあとにして布留川です。布留川で娘が洗濯していたところ、岩や木を切りながら流れてきた剣が、洗濯していた白い布の中に留とどまっていた、という伝説に由来するそうです。向こうの山並みのどれかが布留山266m、白い龍が布留山の上に落とした剣が石上神宮の七支刀になったいう伝説もあるようです。石上神宮もすぐ近くですが、もう4時なので機会を改めます。

長〜い天理本通商店街のアーケードに天理大学雅楽部定期演奏会の旗。ウチの近所などの街角で黒い法被を着て歌を歌っている天理教の人たちを見るとどうしても敬遠したくなるのですが、見てきたばかりの天理参考館の素晴らしいコレクションや研究活動はもちろん、天理大学や天理高校の野球やラグビー、それに雅楽、天理教団の日本文化への貢献は小さくないと思います。

商店街入口付近の喫茶店でいっぷく、自家ローストというアーモンドがサービス。コンセント完備、美味しいコーヒーでゆっくり寛がせてもらいました。

FURUSATOという店名、ひょっとして布留SATOなのかも。

東横インの右側に見えるのが多分布留山。左側の山には鉄塔、高峰山632.5mと分かりました。

高架ホームはJR天理駅で2面4線あるものの通常使用されているのは1・2番線だけ、3・4番は団体専用ホーム、その下は団体待合所でかつて天理臨が多数運行されていた時に利用されていた施設です。

近鉄天理駅構内にストリートピアノ、男子高校生が素晴らしいメロディを聞かせてくれていました。

天理駅にもパタパタが残っています。

3番線の向こうに見えるSLはD51 691、1942年製で長く奈良で活躍していたらしい。後ろにはオハ61。近くまで行ったことがないのですが、設置されている場所は田井庄池という大きな池を囲む公園で、12月なかばから1月なかばまで奈良県最大級のイルミネーションが開催され無料公開されていたと分かりました。

8A系の京都行急行で帰ります。金魚池付近の美しい夕暮れ。

西大寺駅ナカの豊祝でちょっとええ塩梅になって展望デッキに出てみると、京都からのしまかぜ回送が到着。