黒塚古墳、西殿塚古墳
1月で期限切れになる近鉄特急のポイントが残っていたので桜井へ。
橿原市営駐車場に遣唐使を描いた特大レリーフが掲げられているのに初めて気づきました。画面の上には大陸への3つの航路が描かれています。
桜井に到着。南口の絵都蘭世で茶粥モーニングにもそそられるものの、今日はこのまま万葉まほろば線に乗車。
駅前から垂直に伸びる石畳の道。この先20分で長岳寺、去年の春に長岳寺を訪ねているのに柳本駅にやってきた記憶がなく、バスで天理駅へ向かっていました。
パネルでは黒塚古墳の概要や三角縁神獣鏡などの副葬品の出土状況、黒塚古墳が含まれる柳本古墳群、大和古墳群など近隣の古墳群が写真やイラストを交え分かりやすく紹介されています。
黒塚古墳は発掘調査以前に盗掘されていたものの、地震で石室上部が大きく破損していたこと、それに後年に砦や陣屋が築かれていたことで三角縁神獣鏡が3世紀のまま盗掘から守られていたとのことです。松永弾正久秀により期せずして画文帯神獣鏡が今に伝えられたともいえ、平蜘蛛釜など名物を溺愛した久秀にはさぞかし本望なはず。
受付の男性に展示されている銅鏡は全部レプリカって本当ですか、と確認してみたところやはりレプリカだそうです。バブルの頃で予算があったらしい。本物は橿原考古学研究所にあるものの展示されているのは一部だけ、レプリカであれ三角縁神獣鏡33枚と画文帯神獣鏡1枚が一挙に展示されているのは圧巻です。
以前も前を通ったことのある西山塚古墳、6世紀後半の築造と推定され、こちらが手白香皇女陵とする説の方が信憑性がありそうです。西山塚古墳の埴輪は継体天皇陵と推定される今城塚古墳と同じ高槻の新池埴輪工場で作られたものらしく、第25代武烈天皇から皇統の血筋が遠い継体天皇の大王位正当性を主張すべく、第24代仁賢天皇皇女だった手白香皇女陵を今城塚古墳から遠く離れたこの地に営んだものと思われます。
墳丘に登れそうですが、入口が1泊35,000円もする宿泊施設でブロックされ入れませんでした。その先に特殊器台型埴輪が出土、3世紀後半築造と見られる前方後方墳の波多子塚古墳。こちらも近づけず。
埋蔵文化財センター最寄りの大三輪中学校バス停で下車。すぐ向こうに大神神社の大鳥居、渋滞はここを左折して大神神社に向かう道と分かりました。
埋蔵文化財センターについてはページを改めます。この項続く。