黒塚古墳、西殿塚古墳

1月で期限切れになる近鉄特急のポイントが残っていたので桜井へ。

9:43の鳥羽行はビスタカー、その2階席です。ほぼ満席でビックリ。

いつもより高い視点から高安の車庫、窓框の角ハイは後ろの席の人のです。

関西線の201系と併走。そして交差。

大和八木に到着、5200系の大和朝倉行区間準急に乗り換え。

橿原市営駐車場に遣唐使を描いた特大レリーフが掲げられているのに初めて気づきました。画面の上には大陸への3つの航路が描かれています。

桜井に到着。南口の絵都蘭世で茶粥モーニングにもそそられるものの、今日はこのまま万葉まほろば線に乗車。

右手車窓、三輪山手前の木の生えていない低い丘が元旦に訪ねたばかりのホケノ山古墳

左手車窓に纏向遺跡辻地区

柳本

巻向の次の柳本駅で下車、跨線橋から227系を見送ります。正面の森は大和(おおやまと)神社。

交換可能駅で土日の日中は30分毎に列車交換が行われます。

柳本駅駅中食堂ピクトン、古墳めぐりのプランを立てている中、マップの検索で見つけたお店です。

ピクトン定食って何ですかと尋ねてみると、エビフライとクリームコロッケ、サーモンのおつくり、サラダ、卵焼き、山芋、梅干し…と流れるように説明してくれました。小ぶりもプリンプリンのエビフライ、ブロッコリーのフライ、ポテトサラダののったシャキシャキサラダ、どれも美味しいのですが、中でもびっくりしたのが梅干し、どちらかというと苦手な食物ですが、梅干しが美味しいと思ったのは初めてで、しっかりご飯のおかわり。

窓の外にやってきた227系を撮ってみると右下になんとフジタ。「猫のいる自画像」の藤田嗣治が227系を眺めていました。もう少しフジタを眺めたくてコーヒーを追加。

帰り際に梅干しを褒めたら販売しているのでよかったらどうぞ、と勧められたものの、またここに来て食べることにしますと応えておきました。接客もとても心地いいお店、かなり気に入りました。

柳本駅の全景です。右手の丸い大木が見事。

イソヒヨドリが屋根の角に止まってくれました。バッグからカメラを出す余裕はないので、とりあえずiPhoneで。

駅前から垂直に伸びる石畳の道。この先20分で長岳寺、去年の春に長岳寺を訪ねているのに柳本駅にやってきた記憶がなく、バスで天理駅へ向かっていました。

黒塚古墳

5分ほど歩くと33面もの三角縁神獣鏡が出土したことで知られる黒塚古墳。10年ほど前にここを通り過ぎた記憶があるもの、変な公園があるとしか思いませんでした。大和国造末裔の楊本氏が室町時代に古墳を利用して砦を築き、戦国時代には松永弾正が柳本城を築き、江戸時代になって信長の弟の織田有楽斎の五男尚長により柳本藩が開かれここに陣屋が置かれていたとのこと。

3世紀後半の前方後円墳、前方部から墳丘に上り後円部から向こう側へ抜けられるように道が続いています。前方部はかなり平坦で戦国時代の砦が築かれた時に削平されたものと推測します。

後円部に上る階段下の説明板にはここに戦国時代の掘割があったと紹介されています。

後円部墳頂には竪穴式石室の配置と発掘調査時の説明板。

何枚もの三角縁神獣鏡が並べられ、石室の中央には1枚だけ出土した画文帯神獣鏡が立っています。

後円部から急な階段を下りて濠の築堤を渡ると黒塚古墳展示館。入館料無料です。

展示館には写真で見たばかりの竪穴式石室の1/1スケール復元模型、赤く水銀朱が施された石室内側には木棺が安置されていたと分かる凹みがあり、周囲の石ころひとつまで忠実に再現されているようです。

凹みの頭があった辺りに画文帯神獣鏡が鏡面をこちら側(北側)に向けて置かれています。

南側にのぞき穴が開けられていて、画文帯神獣鏡の彫刻面が覗けるようになっていました。

2階へ上がると竪穴式石室を真上から。画文帯神獣鏡の置かれた場所がよく分かります。

2階には三角縁神獣鏡33枚全てが展示されていてこれも壮観。レプリカと断り書きがあるものの、錆や割れまでが実に忠実に再現されています。

三角縁神獣鏡の三角縁銘帯四神四獣鏡22.0cm、三角縁獣帝四神四獣鏡22.3cm、三角縁神人竜虎画像鏡22.3cm。

画文帯神獣鏡はぐっと小さく13.5cm、3世紀頃に中国で作られたものが日本列島にもたらされたもの。

玄武、孔雀、鳥、魚、蟹などが描かれた三角縁獣帯四神四獣鏡22.2cm。三角縁神獣鏡は中国や朝鮮半島では見つかっておらず国産らしい。ZV-E10で撮ったらうまくピントが合っておらず、近接写真はiPhoneの方が上手く撮れると分かったものの、後の祭り。

パネルでは黒塚古墳の概要や三角縁神獣鏡などの副葬品の出土状況、黒塚古墳が含まれる柳本古墳群、大和古墳群など近隣の古墳群が写真やイラストを交え分かりやすく紹介されています。

黒塚古墳は発掘調査以前に盗掘されていたものの、地震で石室上部が大きく破損していたこと、それに後年に砦や陣屋が築かれていたことで三角縁神獣鏡が3世紀のまま盗掘から守られていたとのことです。松永弾正久秀により期せずして画文帯神獣鏡が今に伝えられたともいえ、平蜘蛛釜など名物を溺愛した久秀にはさぞかし本望なはず。

受付の男性に展示されている銅鏡は全部レプリカって本当ですか、と確認してみたところやはりレプリカだそうです。バブルの頃で予算があったらしい。本物は橿原考古学研究所にあるものの展示されているのは一部だけ、レプリカであれ三角縁神獣鏡33枚と画文帯神獣鏡1枚が一挙に展示されているのは圧巻です。

展示館の表に置かれた岩に三角縁神獣鏡が刺さってました。反対側はツルンツルン。

後円部から眺めた黒塚古墳です。

西殿塚古墳

次の目的地へ向かいます。黒塚古墳から国道169号に出ると見えてきた古墳はアンド山古墳、行灯山古墳の陪塚ですが、陪塚としてはかなり巨大。

その東側に行灯山古墳(第10代崇神天皇陵)、山の辺の道に沿っているので何度か周囲を歩いたことがあります。

山の辺の道の道標に卑弥呼さまのシルエット。シルエットでも美人と分かります。

山の辺の道を行くと中山大塚古墳、3世紀後半の前方後円墳ですが、近づきすぎているせいか森にしか見えません。先へ進むと前方部から後円部への縊れらしく道が曲線を描いていました。

マンホールの蓋が三角縁神獣鏡になってました。

道を何度か間違って衾田陵(ふすまだのみささぎ)への道標を辿ってGoogle Mapにはない道を進むと西殿塚古墳、でかいです。周囲に何も無いので箸墓古墳より大きく見えます。墳丘長230m、墳丘上に生えた樹木のせいか前方部の方が高く見えます。

柿畑(たぶん)の奥に拝所が見えてきました。

西殿塚古墳は宮内庁により継体天皇皇后手白香皇女(たしらかのひめみこ)衾田陵と治定されていますが、継体天皇は6世紀の第26代天皇、西殿塚古墳はこれまでの発掘調査で初期埴輪が出土、3世紀後半築造の箸墓古墳に次ぐ大王墓と推測され辻褄が会いません。

西殿塚古墳の被葬者は手白香皇女ではなく、ホケノ山被葬者説がある台与、あるいは行灯山古墳に治定されている崇神天皇説もあるようです。

西殿塚古墳・東殿塚古墳の説明板、すぐ東側に東殿塚古墳があり、東側へ道が続いていて引き込まれるように先へ歩いてみたものの、地図も何も無い中で道はいくつかに分かれ、どこまで続くのか分からない竹藪で引き返してきました。

柿(たぶん)畑にぽっこり、ぽっこりと古墳らしき小山。燈籠山古墳と火矢塚古墳、いずれも西殿塚古墳の陪塚ではないかと。

以前も前を通ったことのある西山塚古墳、6世紀後半の築造と推定され、こちらが手白香皇女陵とする説の方が信憑性がありそうです。西山塚古墳の埴輪は継体天皇陵と推定される今城塚古墳と同じ高槻の新池埴輪工場で作られたものらしく、第25代武烈天皇から皇統の血筋が遠い継体天皇の大王位正当性を主張すべく、第24代仁賢天皇皇女だった手白香皇女陵を今城塚古墳から遠く離れたこの地に営んだものと思われます。

墳丘に登れそうですが、入口が1泊35,000円もする宿泊施設でブロックされ入れませんでした。その先に特殊器台型埴輪が出土、3世紀後半築造と見られる前方後方墳の波多子塚古墳。こちらも近づけず。

次の目的地、桜井市埋蔵文化財センターへ向かいます。スマホをチェックするとバスがすぐ来ると分かり国道へ急ぎます。

2時間に1本のバスにピッタリ間に合いました。2つ目のバス停でひとりいた先客が下りて貸切状態。

バスの車窓から渋谷向山古墳(第12代景行天皇陵)。大神神社付近渋滞で遅れが予想されるとの運転手さんのアナウンス。

万葉まほろば線を高架橋で渡ると箸中大池の土手。

埋蔵文化財センター最寄りの大三輪中学校バス停で下車。すぐ向こうに大神神社の大鳥居、渋滞はここを左折して大神神社に向かう道と分かりました。

埋蔵文化財センターについてはページを改めます。この項続く