橿考研

先週末行きそびれた橿原考古学研究所附属博物館へ。

奈良県には有力考古学研究機関が2つあります。ひとつはこれから向かう奈良県立橿原考古学研究所、愛称は橿考研。もうひとつは奈文研と呼ばれる国立奈良文化財研究所、国立文化財機構の傘下で平城宮跡の西大寺駅側に本庁舎があり、平城宮跡資料館の他に藤原宮跡資料館飛鳥資料館を運営しています。橿考研は昭和13年、奈文研は昭和27年の設立、良いライバル関係にあるようです。

目的地周辺に飲食店は殆どないようなので大和八木で途中下車、以前は近鉄百貨店がある大阪上本町や大和八木は途中下車指定駅だったのがICカード普及のせいか途中下車指定駅の制度自体がなくなってしまいました。高架下のグリルマロニエのマロニエランチです。よく流行ってます。寂れた洋食屋ってあまり見た記憶がなく、新しく飲食店を開業するならラーメンより洋食が絶対オススメです。

駅北側にストリートファイターのキャラクターと橿原市の観光地が描かれた壁画、今井町、橿原昆虫館とアサギマダラ、橿原神宮、藤原宮跡が確認できました。

畝傍御陵前でどどっと下車した橿原公苑陸上競技場の競技会出場らしいジャージの高校生たちについて改札を出ると、駅前にどーんと畝傍山。駅前にこんな単独峰が立つ景色は珍しい。

10分ほど歩くと橿原考古学研究所付属博物館、65歳以上無料。

エントランスホールに奈良盆地全体の巨大ジオラマ、その橿原市、御所市辺りです。ボタンを押すとその位置のLEDが光るのですが、ジオラマが大きすぎてわかりにくいです。先週末訪ねたばかりの新沢千塚古墳群、その中でも126号墳のボタンを押してみると写真中央付近に小さな光が。

特別展示はあとにして常設展示場へ。

石器時代から縄文時代

入ってすぐ右手に2mくらいのナウマン象の牙、撮影禁止が残念ですが、何万年か前、奈良盆地にもナウマン象が生息していたようです。その隣には「人類の登場」として三郷町から出土の3万年前の石器を紹介。

その石器づくりに最適素材だったのが二上山のサヌカイト(安山岩の一種)、二上山が火山だったとは知りませんでした。およそ1,000万年前頃まで活火山だったそうです。

縄文時代草創期(紀元前10,000年〜紀元前8,000年)の土器と石器(山添村の桐山和田遺跡出土)。

続いて縄文時代前期(紀元前4,000年から紀元前3,000年)の土器と石器、縄文時代中期末から後期(紀元前2,000年〜紀元前1,000年)の土器。

縄文人は現代人と大差ないカロリーを摂取していたそうです。

何と縄文時代早期(紀元前7,000年前)から日本で漆加工が行われていて、中国長江流域と古さを競い、漆器作りの基礎技術は縄文時代に完成していたとのこと。技術立国ニッポンは縄文時代に遡るようです。展示された装身具には重要文化財が多数。

縄文時代も既に遠隔地との交渉が行われていて、橿原遺跡(現在地からすぐ近く、橿原公苑内)からも全国各地のそれぞれに特徴ある文様が描かれた縄文時代晩期(紀元前1,000年〜紀元前600年)の重要文化財縄文土器が出土しています。

弥生時代

紀元前6,000年頃、中国長江下流域で始まった稲作は紀元前10世紀頃に九州北部に伝わり、その後本州北端にまで広がり、奈良盆地では紀元前500年頃の水田が見つかっています。縄文人と弥生人が交流する中、縄文ムラは弥生ムラへと変化していきます。

唐古・鍵遺跡から出土の農耕具と土木具です。

京奈和道の工事で見つかった弥生時代前期(紀元前4世紀)のエノキの切株、石斧で切断され表面を焼きながら作業が進められれた痕跡が残っていて、弥生人の森林開発の様子を示しています。

銅鐸はなぜか撮影禁止だったので、銅鐸の鋳型を撮っておきました。ショーケースの隅に紐がぶら下げられた模型のミニ銅鐸があって、紐を振ってみるとカーンと乾いた音が静かな展示室に鳴り響きました。

唐古・鍵遺跡で見た絵画土器、ここに描かれている渦巻きの付いた高殿が唐古池の畔に復元されています。

唐古・鍵遺跡の北側に隣接する清水風遺跡の高殿と鹿の絵画土器。

胸に鹿が描かれた衣装を着た鳥装のシャーマンとふたりの人物、左が女性で右が男性だそうです(清水風遺跡)。

顔までしっかり描かれたシャーマンも。しかしながら、これより数千年も前の古代エジプトの壁画などと比較するとかなり稚拙な絵であることは否めません。2万年前のフランス・ラスコー洞窟壁画より稚拙かも。人物埴輪や動物埴輪などもミロのヴィーナスなどと比べようもない稚拙な造形です。一方、渡来品の模倣が原点だとしても三角縁神獣鏡などに刻まれた図案や文様は埴輪より古いくらいなのに極めて精緻、この大きなギャップがどこから来るのか不思議でなりません。

纏向遺跡からの出土品の数々、右端は紡織具、機織りも盛んに行われていたと分かります。河内、近江、吉備、東海、山陰、北陸と全国から纏向に集まめられた土器は、この地でヤマト王権が確立しつつあったことを示唆しています。

纏向遺跡出土品の手前に掲示された「ヤマト王権の成立」の説明には、箸墓古墳が最初の「大王墓」と紹介され、纏向遺跡が初期ヤマト政権の中心であったと考えられる、とあるものの、ここ橿原考古学研究所付属博物館では、卑弥呼のひの字も、邪馬台国のやの字も一切でてきません。邪馬台国北九州説への配慮と思われます。

古墳時代

メスリ山古墳のコーナーに入ると5mくらいある木棺。メスリ山古墳は桜井駅の南1.5kmに位置する古墳時代前期(4世紀初頭)の前方後円墳です。

巨大円筒埴輪のパネルの前には埴輪界で人気ナンバーワンの挂甲の武人の小さなパネル、さらに「特別展はにわ」に出展中とあります。ここに挂甲の武人があるわけじゃなくて貸し出されているのは巨大円筒埴輪です。

高さ2.5m世界最大の1本は現在九州へ貸し出されているものの巨大円筒埴輪が3本。

メスリ山古墳の円筒埴輪がどのように並んでいたかのパネルも。

箸墓古墳より少し遡る3世紀中頃の築造とされるホケノ山古墳、箸墓古墳とJR万葉まほろば線を挟んで反対側に位置し、巻向駅から何度も訊ねたことのある井寺池、檜原神社への道にあり、墳丘に上ることもできるようで、これまで通り過ごしていたのが悔しく早々に訪ねたい古墳です。

その出土品の鉄製品や画文帯神獣鏡。

黒塚古墳から出土の三角縁神獣鏡、平成9年橿原考古学研究所の発掘調査で何と33面もの三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡1面が副葬時のままの状態で出土しています。

黒塚古墳から出土の武器、武具、農耕具、右端は画文帯神獣鏡。黒塚古墳は長岳寺から柳本駅への途中に立ち寄った記憶があるものの、こんなすごい古墳だとは知りませんでした。

新沢千塚500号墳の管玉と勾玉。500号墳は群集墳から離れた1kmほど南にある4世紀後半に築造された前方後円墳と分かりました。

発掘時の写真に貝殻のようなものが多数見えます。オオツタノハという貝で造られた貝輪を模造した車輪石と呼ばれる腕輪アクセサリーです。その回りに三角縁神獣鏡も置かれています。

宮山古墳の大型家型埴輪、御所市室にあり、Google Mapに行ってみたいマーカーが付けていたのを忘れていました。古墳時代中期(5世紀初頭)の築造で被葬者は葛城氏の祖、葛城襲津彦が有力視されています。

王の居館を模した宮山古墳の家形埴輪。

古墳時代に飛行機? と思わせる橿原市四条古墳から出土の鳥形木製品(6世紀)。

唐古・鍵遺跡への道すがらにレプリカが展示されていた石見遺跡の埴輪の本物です。中央の「椅子に腰掛けた男」は橿原考古学研究所のマスコットキャラクター、イワミンのモデルです。他所の博物館であれば、「こんにちは!ぼくイワミンです」とか紹介パネルとか置かれているところですが、博物館の入口にパネルはあったものの、現物の前に何もないとことがストイックなこの博物館らしいです。

南郷遺跡群の木製品や土器、韓式系土器も見えます。南郷って聞き覚えあると思ったら、2年前の夏に訪ねてました。

南郷の集落のパネルでは金剛山の麓に広がった賑わいのある集落、2年前のブログでも書いたように1500年の変化は大きくないと感じさせられます。描かれた村人は皆わらじのような履物を履いていて、葛城が豊かなムラ(あるいはクニ)だったと伝わってきます。

さらに同じ葛城地方の寺口和田古墳群から出土の舟形埴輪、とても大和川を行き来する舟じゃなくて、遠洋航海用の形態です。葛城氏の広範な国際交流を伺わせます。

藤ノ木古墳

「速報陳列 国宝藤ノ木古墳出土品修理事業 修理完了遺物 特別公開」コーナー、法隆寺からほど近い藤ノ木古墳は2年前に訪ねています。古墳時代末期(6世紀第4四半期)の円墳、もう飛鳥時代が始まっているとも言えそうです。

被葬者はふたりで聖徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子と宣化天皇皇子の宅部皇子の可能性が高いとされています。まずは藤ノ木古墳出土の国宝神獣鏡。

国宝円形飾金具と辻金具(皮製馬具の留具)。

国宝金銅製鞍金具の前輪と後輪。よくぞここまで修復できたものだと思います。

さらに国宝金銅製馬具。

国宝金銅製履(くつ)、近つ飛鳥博物館で見た金銅製沓レプリカの本物と言えそうです。これだけの国宝をひとりじめして間近で見られること自体に圧倒されます。

新沢千塚古墳群323号墳や272号墳の玉類、312号墳の六獣形鏡、178号墳から出土の鉄地金銅張馬具など、新沢千塚古墳群の出土品の数々。

5世紀は倭の五王の時代、横穴式石室、須恵器の生産、乗馬の風習、金属器の生産など多くの文物がこの国に流入、社会の仕組みが大きく変わり群集墳の出現もそのひとつ。群集墳は前方後円墳より小規模な円墳も、副葬品ではは引けを取らず、それまで古墳を作ることの許されなかった人々が新しい文化や文物を取り入れた結果である。6世紀に多く造られた群集墳は古墳としての個性には乏しいものの、木棺直葬だけでなく横穴式石室で構成される群集墳もあり、武器武具の副葬が多いもの、農具が多いものも見られ、群集墳の多様性理解が6世紀の社会を知るポイント。しかし6世紀末から7世紀初頭には群集墳は衰退、律令体制の確立を図るヤマト王権の意図の反映されている。と4枚のパネルで紹介されていました。

飛鳥時代〜奈良時代

隣の展示室は飛鳥宮、中央に飛鳥浄御原宮のジオラマ。疲れてきたのでちょっと端折ります。

平安時代や戦国時代は詳しく説明されたものの、3学期になってもまだ明治時代頃で近現代史は殆ど端折られてしまった高校の日本史の授業を思い出しました。

奈良時代の木製人形(複製)は歴史に憩う橿原市博物館で展示されていた籌木(ちゅうぎ、くそべら)と同じものではないかと。

奈良時代の絵馬の複製と復元、ようやく写実的で芸術的な絵画になってきました。

奈良三彩の器です。

重要文化財、古事記の編纂者である太安万侶の墓誌、1979年に奈良市内のお茶農家さんによる世紀の大発見です。休憩所で流されていた動画のダイジェスト版がYouTubeにアップされていました。

特別陳列「ミステリー小説のなかに考古学が登場する件」を見学、インディー・ジョーンズに始まって、松本清張の「万葉翡翠」「内海の輪」「笛壺」「火の路」を資料展示を交えて紹介しています。ちょうど松本清張古代史私注を読み終わったばかりで、次に何を読むか迷っていたところだったのでとてもタイムリーです。

さらに池澤夏樹の「キトラボックス」、和久峻三「大和路 鬼の雪隠殺人事件」、アガサ・クリスティ「メソポタミアの殺人」、秋月達郎「奈良橿原殺人物語、内田康夫「箸墓幻想」、有栖川有栖「海のある奈良に死す」、万城目学「鹿男あをによし」などを紹介。「鹿男」は読んだことがあります。早速Kindle版の「箸墓幻想」を購入、楽しみです。

犬がいるのかと見えた休憩室の庭に置かれていた動物埴輪。

平安時代の日本最古の将棋の駒、興福寺のゴミ捨て穴から見つかったそうな。

ハニワのガチャがありました。付属博物館の外に出ると真後ろに畝傍山。

流行に乗ったり、ウケ狙いでやってみたいといった衝動を抑えて、極めてストイックに、多様な説がある考古学に対し、科学的に裏付けられた史実のみを真摯に伝えようとする博物館のお手本のような博物館です。

神武天皇陵、橿原神宮

松本清張「古代史私注」で紹介されていた西域からシルクロードを経て平城京へ伝わった仮面舞踏、伎楽面の特別陳列が奈良国立博物館で22日までと分かり行ってみようかと思っていたのですが、もう今日の博物館は満足なので、神武天皇陵へ行ってみることにしました。

初代神武天皇、記紀で紀元前660年、つまり縄文時代に即位したとされる、どう考えても伝説上の人物ですが、文久3年にこの地が神武陵に比定されています。

ゴミひとつ落ちていない幅広い砂利道を進むと、鳥居が直線上に3つ並んだ神武天皇畝傍山東北陵(四条ミサンザイ古墳)、右手には宮内庁の事務所があります。この春、愛子さまが初めての単独地方訪問として参拝されていた時と違って、誰もいなくて静まり返っていました。

橿原公苑の薄暗い森の径を歩きます。ところどころに紅葉が残っています。だいぶ前に一度この辺を歩いたことがあります。

畝傍山をバックに広がる広場、若桜友苑という海軍予科練や空母瑞鶴などの戦没者慰霊公苑です。予科練生が搭乗した機種や艇種が紹介されていました。英霊の総ては十代だったとあります。昭和15年の皇紀2600年のため、この年の型式を零式とし、それ以前を九九式、九七式、それ以降を一式、二式としたそうです。 

巳年の巨大絵馬を掲げた橿原神宮、既に初詣の準備は万全のようです。奈良県内では春日大社と並ぶ初詣参拝者が訪れる橿原神宮ですが、春日大社は神護景雲2年(768年)、橿原神宮は明治23年の創建。

橿原神宮の南側にヒドリガモがいっぱいの深田池、推古天皇が作ったと伝わるそうです。狭山池でも推古天皇説がありました。意外と聖徳太子じゃなくて推古天皇自身が治水に関わっていたのかも知れません。

池の対岸を南大阪線の特急が通過。

ジュウガツザクラがほぼ満開状態。セグロセキレイがひょこひょこ。

紅葉と南大阪線、2連なので古市行普通です。

金剛山に沈む夕日。

ストリートファイター・ケンの銅像が立ってました。カプコン創業者が橿原市出身で市の観光振興や地域広報などで市とカプコンが包括連携協定を締結しているそうです。八木駅前の壁画の謎が溶けました。

先週末オムライスを食べた津田食堂、シャッターにはカッコいい八咫烏と思しきイラスト。ランチ営業だけなのでシャッターが下ろされているものの、少し空いているのは大将が明日の仕込み中かと。

先週末と同じ「みよきく」で熱燗、アテは先週末は注文する勇気のでなかったからすみを含む海鮮珍味三点セット。

12200系の特急が引込線から入線してきました。ひとつ向こうのか細い線路は0番線へ続く狭軌線です。