大極殿の長元坊

昨日に続いて日本の首都めぐり、何度も行ったことのある平城京へ。大極殿、朱雀門と復元され、今も大極殿南門の復元工事が進んでいる平城京ですが、京都の町そのものになっている平安京に対して、復元されるまでの平城京はどうなっていたのかが気になりました。

「駅」で昭和末期の奈良線特急前面展望ビデオを見せてもらったところ、西大寺を過ぎると広大な原っぱが広がるばかり、それ以前もずっと原っぱだったんでしょうか。資料館を訪ねると分かるはずです。

西大寺駅の萌えポイントを撮っておきます。4月に南北自由通路ができて新しいビューポイントができました。1番線のこの角度は新鮮ですが、構造物が多すぎてイマイチ。

駅構内の二条庵で中華そばのつもりだったけど、ならファミリーに行ってみることにしました。スガキヤは既になく、サンマルコのカレーは一昨日食べたばかり、他に食べたいものが見つからず、このまま平城京へ行ってしまうと食べそびれてしまいかねないので焦ります。

駅へ戻り南口へ回ってみます。南口は工事のまっさかり、ここにバスターミナルができるそうです。

味楽座という和食のお店を見つけました。彩定食950円に満足。見覚えのあるうな重や高知フェアのポスター、最近よくランチで利用させてもらっている上本町シェラトンホテル地下の操舵とどうやら姉妹店のようです。会計時にはKIPSカードをお持ちですか、と。調べてみたら何と操舵も味楽座も近鉄リテーリングの直営と分かりました。

近鉄沿線に住んでいると近鉄の囲い込みから逃げることはまず不可能、近鉄本社がある上本町も、近鉄最大のジャンクション大和西大寺も同じと改めて痛感しました。南海沿線にはこれほどのドミナントはありません。

レンタサイクルは借りずに歩くことにします。引き込み線で折返しの3200系を挟んでビスタカーと8000系の急行が行き交います。朱雀門が見えてきました。

朱雀門です。いつも北側から見るばかりなので南側に回ってみると、いつの間にか朱雀ひろばという広場ができていました。両側にいざない館、みはらし館、つどい館といった観光や学習施設、うまし館というレストランまであります。

22000系特急が通過、既に奈良線の運用からは外れたものの京都線では走っているはずと聞いた12200系はやってきませんでした。ススキは3mくらいあります。

梅林に入ってみると10羽くらいのエナガたちが追っかけてきました。風切羽が美しい。

やんちゃ坊主みたいなポーズもエナガならでは。撮りやすい木のてっぺんに止まってくれました。

枝先に止まったままではあるものの、ずっとキョロキョロ、いつもながらせわしない奴ではあります。エナガの動画を撮ったのは初めてかも。

草茫々の梅林から大極殿。ツマグロヒョウモンがやってきました。

今日の目的地、平城宮跡資料館です。入って最初のジオラマのタイトルは「遷都」、平城京の建物が次々と解体されて、長岡京へ運ばれるシーンです。作るところじゃなくて壊すところはから始めるセンスが洒落てます。

その次のジオラマは「発掘」、いきなり1200年の時間をジャンプしていました。ジオラマが斜めに立て掛けられていたのですが、やはり水平に置いた方がリアリティでるかと。

「発掘」のジオラマの説明、「平城宮の跡は1000年以上のあいだ水田となっていたため…」とあります。学芸員さんに質問をするまでもなく、冒頭の疑問が解決してしまいました。

年表のパネルには、平安時代に「このころ、平城旧京のあたりは田畑となる。」とあります。鎌倉時代、室町時代は、1行もなくて、江戸時代末期になって「北浦定政の『平城宮大内裏跡坪割之図』などが完成する。」とあり、その後の研究と発掘、復元の歴史が列記されていました。平城宮跡に1000年以上水田が広がっていたことは間違い無さそうです。

平安時代以降の奈良は興福寺や東大寺、春日大社の門前町として発展、平城宮跡はその寺社領だったのではないかと思われます。

北浦定政の紹介と平城宮大内裏跡坪割之図のパネルです。水上池の記述は何やらびっしり書き込まれていて自分には読み取れませんが、「元正天皇陵字コナベ、元明天皇陵字大ナベ、字ヒシヤゲ平城天皇陵トイヘリ イカ丶」とあります。現在ではいずれの古墳も被葬者は明らかでないとされているものの、江戸時代の研究者の息遣いが伝わってきます。

大極殿南門のジオラマ、南門の復元は2022年完成予定です。出土品の展示には、奈良時代の遊び道具やおもちゃも。1300年前にあやつり人形もあったとは。

企画展示「地下の正倉院展 -重要文化財 長屋王家木簡-」が開催中で、出土した木簡のいくつかが展示されていました。納品伝票のような木簡が多い中、目についたのが犬の餌の納品伝票。長屋王邸には犬の飼育の担当者もいたようです。

木簡が多数出土した当時の新聞も大興奮。

長屋王邸跡の近年の年表、木簡が多数発見された後、地元や研究者の反対を押し切って奈良そごうが開店するも2000年に経営破綻、その後、イトーヨーカドーが出店したものの2017年に撤退、現在はミ・ナーラというショッピングモールになっています。

相次ぐ閉店は、悲運の死を遂げた「長屋王の呪い」によるものと言われています。年表の左端にある「じつは…正殿ほか一部の遺構は、いまも駐車場の下に眠っています」とのイヤミっぽい小さなパネルに思わずニヤリ。

資料館を出るとベニシジミ。と、上空を行くのはチョウゲンボウかな?

やはりチョウゲンボウです。おぉ、大極殿の屋根の天辺に下りました。

獲物を食べているようです。

食べ終わったようですがまだじっとしています。大極殿全体を正面から撮っても小さな点のチョウゲンボウが確認できます。

あっ、いなくなった、と思ったら右側の鴟尾の下、屋根の角に止まりました。遠くの獲物を探しているようです。エナガのようにキョロキョロせず、じっと集中。

獲物を見つけたらしく、地面へ急降下、何かを捕まえて大極殿の向こうへ。

いなくなった、と思ったら、屋根の天辺に戻ってきました。やはり何か食べているようです。

大極殿の高さは27m、獲物(たぶん5cmくらいのトカゲ)までの距離は50m近いはず、ものすごい視力です。

平城宮跡北側に色鮮やかなコキア、その先にはサルビアホットリップス。

水上池のモミジは一部が紅葉していました。

平安宮跡と異なり、バスで移動しなくても、歴史を学ぶだけでなく自然がたっぷり楽しめる平城宮跡、1000年以上田畑のままだったおかげです。