平城宮跡とその周辺

近くまで来たので、いつも電車から見るばかりだった平城宮跡に行ってみました。

奈良市役所の平城京巨大ジオラマ、1300年前、奈良が世界有数の大都会だったことは伝わってきます。

2枚目はその東大寺付近。

市役所の隣にあるイトーヨーカドー奈良店、元奈良そごうだった建物で、他のヨーカドーではありえないようなバブル絶頂期を彷彿させるエントランスホールはそのまんまです。

ドアの取っ手は金メッキの鹿のデザインですが、奈良公園の鹿というより、クリスマスのトナカイに見えます。

この場所は奈良時代長屋王の屋敷があったところだそうですが、バブル時代の遺跡にもなってしまっているようです。

ヨーカドーから平城宮への途中の池で色んな種類のトンボが舞っていました。なかなか止まってくれない中で、ショウジョウトンボがじっくり写真を撮らせてくれました。ちなみに「夕焼け小焼けのあかとんぼ」はショウジョウトンボではなくて、アキアカネではないか、と思われます。

ひっくり返ってるウラナミシジミ、翅の美しさは芸術的です。

朱雀門辺りでの撮影です。大極殿の塀の門が駅の改札口みたいに見えます。

この辺り、若草山を背景に近鉄電車が撮れます。ちょうど奈良線100周年ヒストリートレインがやってきました。

踏切を渡ったあたりから大極殿と朱雀門です。とにかく広い。

ベニシジミとムギワラトンボ(シオカラトンボ♀)、ムギワラトンボとはうまく名づけたとナットクできる1枚です。

大極殿の塀の中、陽が射してくると逃げ場がありません。

せんとくん、まだまだがんばってます。

もう汗だくですが、平城宮跡を突き抜けて、北側の水上池(みずがみいけ)が面白そうなので行ってみることにします。若草山を背景に大仏殿と二月堂が見えます。

野生のサフランモドキです。

いましたいましたケリです。自分は初めて見るすごく脚の長い鳥さんです。木の桟橋は営業をやめてしまった釣り堀のものと思われ、このおかげでケリさんたちをよく観察できるようになっていました。

ウチワヤンマがかなりの数います。コシアキトンボも。

池辺に20cm以上ある見事な赤い花が咲いています。モミジアオイです。ハイビスカスの仲間で、1日だけ咲いて夕方には枯れてしまうそうです。

水上池の東側にある小奈辺陵墓参考地、宮内庁の立て札が立っています。

その北側に磐之媛命(いわのひめのみこと、仁徳天皇妃)陵があります。このお堀でチョウトンボをゲット。

古墳の西側には見事な田んぼが広がっていました。

水上池の方に戻ると、な、な、なんと、コブハクチョウがいました。おじさんがエサをやっていて、結構人懐っこそうです。

西大寺駅から帰ります。特急に挟まれた阪神1000系の写真、これ以上ないタイミングの写真でしょ?

もう全身汗びっしょり、尻ポケットに入れていた財布の中の千円札まで湿っていました。

とても楽しいちょこっとウォークでしたが、周辺の池や古墳はともかく、平城宮跡自体は、真夏の炎天下は避けた方がいいです。


APPENDIX

ショウジョウトンボの写真の池をGoogle Mapの航空写真にしてみると、水の上に何か建物が建っています。関連投稿画像でシルクロード博記念館とあり、調べてみると去年解体されてしまったようです。

昭和63年にならシルクロード博が開催され、メインは奈良公園内だったようですが、この平城宮辺りも会場のひとつになっており、そのパビリオンが記念館として残されていたものの、平城宮の復元や資料の保存展示方法が変わり、記念館は平成17年に閉鎖、その後放置されていたのが解体となってしまったようです。

ならシルクロード博、半年の開催期間中600万人以上が来場しており、大阪万博の1/10程度とはいえ、イベントとしては大成功だったようです。大阪万博の丹下健三や岡本太郎に対し、ならシルクロード博は井上靖が総合プロデューサーだったようです。石坂浩二のナレーション、喜多郎のテーマ曲のNHKシルクロードシリーズが人気を博していたのがこの頃なので、企画意図は理解できます。

当時自分は千葉県に住んでおり、昭和60年のつくば博には行ったこともあるのに、ならシルクロード博についてはその存在すら記憶にないのですが、関西ではかなり盛り上がっていたハズです。当時を回顧されているブログが見つかりました。「民族の英知とロマン」というテーマだったようです。

大阪万博は万博公園が整備され、太陽の塔が今も人気を博しているのに対し、ならシルクロード博の最後のモニュメントともいえる記念館を解体してしまったのは、その後平城京1300年祭もあり、平城宮跡の整備計画に沿わなくなったとういうこともあるでしょうし、高度経済成長そのもののような大阪万博の「人類の進歩と調和」に対し、テーマの普遍性が低いこと、それに記念館自体に太陽の塔のようなシンボリックなインパクトがなかった、ということもありそうです。

シルクロード博記念館を解体して平城宮跡の整備を進めるという考え方には賛成ですが、その周囲の、古代から変わっていないと思われる古墳に囲まれた田んぼや池も、シルクロードの終点=オアシス、として大切にして欲しいと思います。