馬見古墳群
バードウォッチング、お花見、古墳めぐりがオールインワンで楽しめるはずと気づき馬見丘陵公園へ。5年前にひまわりを見に行って以来かと。
昭和63年から整備工事が進められ、1600年前と後の姿を同時に見ることができるようにしたと案内されています。案内板に河合町教育委員会とあります。てっきり広陵町かと思いきや、現在地は河合町です。河合町と広陵町の境界はかなり錯綜していて、ナガレ山古墳、乙女山古墳、一文字古墳は河合町、上池、下池は広陵町です。
前方部側面に続く円筒埴輪に囲まれた石段を登ります。
コゲラの地鳴きって始めて聞いたかも。ギーギー。
巣山古墳の西側側面からの全体像です。4世紀終わりごろに築かれた前方後円墳、公園館のジオラマでは「馬見古墳群中央郡の盟主となる巨大前方後方墳」と説明されていましたが、ここでは墳丘の全長220m「馬見古墳群全体で最大」と明記されています。被葬者は明らかではないものの、馬見古墳群は葛城氏の墓域とされその祖とされる武内宿禰説があるようです。
巣山古墳の案内板に御墳印めぐりというのが案内されています。ここ北葛城4町だけでなく、埼玉県行田市周辺の古墳群、八尾市の心合寺山古墳などでも御墳印を集められると分かったものの、宮内庁管理の古墳はもちろん、百舌鳥古市古墳群や佐紀古墳群などは全く含まれておらず、神社仏閣の御朱印帳のような広がりは難しそうに思います。
巣山古墳に出島状遺構が見つかり水鳥形埴輪が出土と紹介されています。やはり水鳥形埴輪が出土している古市古墳群の津堂城山古墳の島状遺構と酷似、築造時期も4世紀後半と合致しています。
見えにくいものの周濠に石の敷かれた場所を見つけました。たぶん出島状遺構です。
三吉石塚古墳の墳頂からの眺めです。正面はヒトコブラクダの二上山。
帰り道を検索して馬見中二丁目バス停にたどり着くと1時間に1本しかないバスが5分後。来る時は後ろ乗り後払いだったのに帰りは前乗り前払い、ICカード決済がどういうしくみになっているのか不思議です。五位堂からの急行電車の連絡もバッチリ。このまま上本町まで戻っても日曜休業の店が多いので布施で途中下車していつもの小西酒店へ。
駅前に見覚えのある菜の花、やはり菜の花忌のプランターです。3年前の菜の花忌に司馬遼太郎記念館を訪ねています。