布留

近つ飛鳥博物館のパネルで紹介されていた布留(ふる)、遠つ飛鳥(奈良県明日香村)、近つ飛鳥(大阪府太子町周辺)と並ぶ飛鳥時代の中心地のひとつだったと思われます。

現在も天理市布留町として住所が残り、縄文時代から近世までの複合遺跡があり、古墳時代には物部氏の本拠だったと天理市観光協会のサイトで分かりました。このサイトで紹介されている西山古墳、それと布留遺跡出土品が多数展示されている天理参考館を訪ねてみたいと思います。

西大寺から乗ってきた8A系が佐保川を渡るところを平端駅2番ホームから見送っているところです。

天理駅前広場がいつの間にか「ココフン」というイベントスペース(たぶん)になっていました。「前円後円墳」が3つ並んでいます。

丹波市町交差点、明治22年に布留村や丹波市村と周辺の村々が合併して山辺村となり、明治26年に丹波市町に改称、昭和29年に柳本町、櫟本町、周辺の村々と合併して天理市になっています。丹波国から布留にやってきた人たちが市を開いていたのではないかと推測。

天理市中心部を流れる布留川、古代はずっと水量の多い川で、布留川が形成した扇状地に築かれたのが布留のムラだったようです。

西山古墳

天理駅から30分ほど歩いてくると西山古墳、古墳時代前期(4世紀)築造の「前方後方」墳です。全国に約4700基ある前方後円墳に対し、前も後ろも四角い前方後方墳は全国に約500基、近畿には少なく、東日本や中国・四国地方に多いものの、前方後方墳としてはこの西山古墳が最大だそうです。

元は環壕だったと思われるため池は水が抜かれています。

水の抜かれた池にオオバン、こんな場所でオオバンを見たのは初めてかも。それにオオバンってもっと黒かったような気がします。

ちっちゃいウズラみたいな鳥も。

ケリもいました。ちっちゃいウズラみたいな鳥はタシギです。

以前タシギを見た時はもう少し大きいと思っていたのですが、オオバンと比べるとかなり小さく見えます。

さて西山古墳です。下草刈りされていて雑草が伸びていない冬がおすすめと聞いてやってきたのですが、墳丘に登れそうなルートは見当たりません。

前方部には錆びきった案内板、さっきのは天理市教育委員会でこっちは奈良県教育委員会です。

後方部角には石標も建っているものの、後方部も丸いばかりで角ばっている様子は確認できません。

北側の周濠跡は運動場のようになっています。北側にも墳丘に登れるような道は無さそうです。

なにやら洋館が建っています。天理大学創設者記念館で大正13年竣工で東大阪の若江岩田に建てられたものを移築したとのこと。

ツグミがかっこよく撮れました。

前方部東側に柵で囲われた丸い区画と四角い区画、馬の調教する場所のようにも見え、振り返ると天理大学馬術部厩舎がありました。古墳北側の運動場のような場所も障害飛越を練習できる馬場のようです。

西山古墳南側をもう一度チェックしてみたもののやはり墳丘に登る道は見つかりません。

タシギはまだいました。

西山古墳の西側にぽっこりした丘、春日神社とあるですが、航空写真で見ても古墳っぽいです。飛んでいるのはアオサギ。

二上山、大和葛城山、金剛山の眺めです。池にはケリ。

何やら白い鳥が池に下りてきました。肩のところに白い切れ込みのないイソシギみたいなシギ、久々のクサシギです。

水鏡に写った自分を見つめているクサシギ。

西山古墳の水の抜かれた周濠のタシギ、光学ズームだけでもくっきり撮れるくらいまで近づいてきてくれました。箱根の寄木細工みたいな美しい鳥です。

天理参考館

西山古墳から北へ向かうと総天然芝の天理高校ラグビー部グランド、その隣でソフトボール部、道路の反対側にはサッカー部のグランド。硬式野球部はこれらとは別に専用グランドがあるようです。天理高校の校舎からはブラスバンドじゃなくて笙篳篥とかの雅楽が聞こえてきます。

iPhoneの超広角でも入り切らない巨大建築の中央部に天理参考館。

1階は「世界の生活文化」、最初はアイヌの生活文化紹介。

台湾の操り人形とパプアニューギニアの森の精霊。まだ入ったことがないものの万博公園のみんぱくがこんな感じかと。

2階はアメリカへの移民や近代の生活、交通史。住之江停留所の写真は明治40年に難波浜寺間が電化された頃のようです。三角屋根の瀟洒な洋風建築の駅舎が残されていたら間違いなく登録有形文化財です。

開業当初の新幹線の特急券、開業日の昭和39年10月1日0001の番号が振られていてビックリ。天理参考館では近鉄電車展が開催されていた経緯もあり鉄分の濃い学芸員さんがいるようです。

東京国立博物館の後を受け特別展「はにわ」が九州国立博物館で開催中。目玉は5体の挂甲の武人、右端の「最後に誕生した!?末っ子」が天理参考館から出張中。特別展「はにわ」には橿考研の巨大円筒埴輪も出展されているはず。逆に福岡市博物館の金印「漢委奴国王」がゴールデンウィークに大阪市立美術館にやってくるそうで、それまでに博多へ出かけるか思案中。

3階は世界の考古美術、階段を上がると右手は企画展示「墳墓のインテリアデザイン」を開催中。企画展はあとにしてまずは常設展へ。大型モニターでは西山古墳のドローン動画が流されてました。石標が建っていた辺りから墳丘の道があって、後方部墳頂に人の姿が見えます。後方部がしっかり四角くなっているのも確認できます。

錆びきった奈良県教育委員会の説明板の脇あたりから墳頂への道も見え、前方部へと墳丘上の道が続いています。

3階中央に布留遺跡コーナー、円筒埴輪には三角や勾玉型の透かし穴が随分たくさん空けられていてこれまでに見た円筒埴輪と形状が異なっています。古墳の回りにめぐらされていたのではなく祭祀を行う場所の境界線として使われ、その祭祀の場を復元したのがこの展示だそうです。中央のテーブルには古墳時代前期の代表的な型式とされる布留式土器の土師器が置かれています。仁徳天皇陵や今城塚古墳とは円筒埴輪の役割が異なっていたようです。

現在地が布留遺跡エリアに含まれています。西山古墳がエリア外ですが、すぐ東側の杣之内古墳群がエリアに含まれているので西山古墳も布留遺跡の一部と考えて構わないかと。

布留遺跡コーナーを側面から。

布留遺跡から出土の縄文時代中期〜後期の深鉢。火焔土器といってよさそうです。(訂正:火焔土器はもっと派手な装飾で、主に新潟県から出土している縄文土器です)。

もうひとつ縄文時代中期〜後期の深鉢、描かれた絵がダイナミック。布留遺跡が縄文時代から古墳時代までの複合遺跡であることが確認できます。

韓式系土器は朝鮮半島南部からもたらされただけでなく、同じ形の土器が布留のムラで製造されていたようです。スンドゥブによさげな広口です。

現在地付近から出土した馬形埴輪、頭や首はほぼ補修のようですが、バラバラで出土した欠片をよくぞここまで復元したものと思います。

杣之内遺跡出土の海獣葡萄鏡。一面にぶどうが刻まれていて、中央部にはヌメッとした獣、外側の円には鳥も見えます。三角縁神獣鏡とかより彫刻が深くてわかりやすい。

まだアップしたい写真が50枚ほどもあるので後編に分けます。