泉屋博古館青銅器館

承前、4月26日にリニューアルオープンしたばかりの泉屋博古館(せんおくはくこかん)青銅器館にいます。

03文様・モチーフの謎

「02種類と用途」のフロアから階段を上がると「03文様・モチーフの謎」のフロア、建物中央の螺旋階段のホールの周りに渦巻き状で展示フロアが配置されています。

酒を貯めるための饕餮文有蓋瓿(とうてつもんゆうがいほう、紀元前11世紀)、蓋の上に火を吐く龍。

鳥蓋瓠壷(ちょうがいここ、紀元前5世紀)、傾けると鳥の嘴が開き酒を注げるようになっています。緑青のグリーンが美しい。

ドールハウスのような螭文方炉(ちもんほうろ)は扉の中に火種を入れ食べ物を温めるための器、春秋前期(紀元前8世紀)のもの。扉の両側には足切りの刑を受けた門番、中国古代の底しれぬ恐ろしさを伝えます。

殷時代に戻り饕餮文瓿(とうてつもんほう、紀元前13-12世紀)、他にも饕餮(とうてつ)が描かれた青銅器が多数展示されています。大食いの怪獣、饕餮は殷時代の人気者だったようです。

泉屋博古館のシンボル的存在の虎卣(こゆう、紀元前11世紀)、虎に食べられそうな人とも、虎に抱きついている人とも見える、中国古代の奇想と超絶技巧が融合した、世界に2点のみが現存する逸品です。

鴟鴞尊(しきょうそん、紀元前13-12世紀)と戈卣(かゆう、紀元前12世紀)、架空の動物の饕餮と並んで、実在のフクロウも大人気。殷周青銅器器種一覧で尊は酒を盛る器、卣は酒/香草の煮汁を盛る器と確認できます。

04東アジアへの広がり

螺旋状につながっていたフロアからは独立した「04東アジアへの広がり」フロア、いよいよ銅鏡の登場です。

殷周時代に発達した青銅器は秦の頃には衰退、漢代に発達したのが銅鏡で東アジア世界に広くもたらされ、日本列島では中国鏡を模倣した国産の鏡(仿製鏡)の生産も行われています。

六朝(AD6世紀)の四蛙銅鼓(しあどうこ)、鼓面には4匹のカエル。

小さな窓があるだけでぐんと明るい4つ目のフロア、まずはオリンピックの表彰台のように並ぶ3枚の銅鏡。

銀メダルの位置は仁寿狻猊鏡(じんじゅさんげいきょう、唐代7世紀)。白銀色は錫の含有量が多いことでもたらされると来村先生の動画で学びました。紐(中央の突起)のまわりに配置された8匹の狻猊(さんげい)は獅子のことらしい。

金メダルの位置の線刻仏諸尊鏡像(せんこくぶつしょそんきょうぞう)は平安時代の国産銅鏡。帰ってから気づいたのですが説明に小さく「国宝」マークが付けられていてビックリ。白銅製八稜鏡で鏡面の中央には如来形(悟りを開いた仏の姿)、周囲に6体の尊像が刻まれています。鏡背面には鳳凰2羽と小鳥たち。

銅メダルの位置は画文帯環状乳神獣鏡(後漢後期〜三国時代)、おなじみの画文帯神獣鏡のひとつ。8体の神獣それぞれに孔があり環状に並べられているのが確認できます。

その鏡面にはスマホを構える自分の手。来村先生の動画で自分の姿を映すため以前に火を起こすための陽燧(ようすい)として用いられていたのが銅鏡の始まりと学びました。ギリシャで行われるオリンピックの採火式と同じです。

表彰台の他にもこんなに種類があったのかとといくらい銅鏡がずらり、さらにいくつかピックアップしてみます。羽繕いしている鳳凰が描かれた四鳳文鏡(紀元前4世紀)、青は緑青ですが赤い色は鉄も混ぜていたということかな。

螭(ち、龍の一種)が象られた紐のついた有舌螭文鏡(紀元前5世紀)、径8.8cmの小型鏡です。

方格規矩四神神獣鏡(前漢末BC1-AD1世紀)、中央の方格(四角形)のまわりに規矩(TLV字状の幾何学模様)が配され、上に玄武、右に青龍、下に朱雀、左に白虎の線画、その外に隷書体の漢字が円を描いてます。紐の部分が僅かに欠けているものの艶々していて美しい。

椿井大塚山古墳からも出土している内行花文鏡(後漢前期-AD1世紀)。神獣など具象的な図柄は描かれず抽象的な文様だけでまとめられたており、古代のデザイナーのセンスを感じさせます。

ぶどうがいっぱいなっている海獣葡萄鏡(7世紀)は唐を代表する鏡式で盛んに制作され、正倉院宝物、法隆寺五重塔毎納品、高松塚古墳出土品ともなっています。

貼銀鍍金双鸞走獣八花鏡(ちょうぎんときんそうらんそうじゅうはっかきょう、8世紀)、紋様を裏側から打ち出した銀板にメッキを施し青銅製の鏡本体に貼り合わせる貼銀鍍金技法による八花鏡。内側には向き合った鳳凰は殷周の青銅器の鳳凰と異なり、平等院鳳凰堂や金閣銀閣、あるいは手塚治虫の火の鳥のような形態に進化しています。2羽の鳳凰の下には富士山のような霊峰、外側には左右に馬、鹿の子柄のある鹿、キリンビールのような麒麟が見えます。

城陽市久津川車塚古墳から出土した7面の鏡。2枚目の写真はケースの反対側から撮ったもので右手の2枚は1枚目とダブってます。2枚目右下は仿製画文帯神獣鏡(古墳時代前期、3世紀)、つまり国産の銅鏡です。

縁の厚いナポリ式ピザ風の三角縁四神神獣鏡(三国時代、3世紀, Φ22.2cm、1240g)と薄く繊細なミラノ式ピザ風の画文帯同向式神獣鏡(後漢末、3世紀、Φ16.1cm、650g)。

久津川車塚古墳出土の7面のうちこの2面が中国鏡でそれ以外は仿製鏡と説明されていてビックリ。三角縁神獣鏡は中国での出土例は殆どなく基本的に仿製(国産)鏡と理解していたので自分の頭の中を大いに混乱させてくれます。

黒塚古墳でテキトーな感じで積まれていた33面の三角縁神獣鏡に対し、1面の画文帯神獣鏡が被葬者の頭付近に大切に置かれていたのは、仿製鏡より渡来鏡の方が当時の世間でも重宝されていたにせよ、値打ちにかかわらず被葬者の画文帯神獣鏡への特別な思い入れがあったためと理解した方が適切かも。

ちなみに鏡じゃなくてピザでは圧倒的にミラノ式が自分の好みです。

金銀錯獣形(北宋、10-12世紀)は殷周時代の酒器「犠尊」を模した酒器。どうみてもウサギに見えるのですが、何の動物をあらしているのは定かではないとの説明です。

展示室奥の小さな窓からの東山の景色です。緑が美しい。

広形銅矛(弥生時代後期、1-3世紀)と袈裟襷文銅鐸(弥生時代後期、2世紀)、いずれも弥生時代後期には実用的な武器や楽器ではなく儀式用としての性格が強まったようです。

小さな窓で日差しの差し込む04フロア、階段を下りるといきなり01フロアにつながっていました。

青銅器館を出ると「饕餮の間」という休憩室。大きなガラス窓に饕餮が描かれています。饕餮(とうてつ)は空想上の怪獣ですが、翻訳をチェックすると饕も餮も「貪欲な」となってしまいます。もう少し突っ込んでみると、「饕」は財貨をむさぼること、「餮」は飲食をむさぼることだそうです。字を拡大して字の違いを確認してみてください。

給茶機が置かれていて、ゆったりしたソファに腰掛けジャスミンティーをいただきながら外の緑で目の疲れを癒します。見てきた展示品に「複製」や「復元」の表示はなく全てホンモノ、それにツギハギの跡とかも見当たらず、極めて状態のいい青銅器の数々、古代のエネルギーがストレートに感じられるホンモノを堪能させてもらいました。

饕餮の間では泉屋博古館名称の由来や住友コレクションの由来をパネル紹介。「泉屋」は住友の屋号、博古は北宋時代の青銅器図録「博古」に由来、住友グループの礎を築いた第15代当主、住友春翠のコレクションが母体とのこと。

イギリス貴族の節度ある端正な生活に共感した春翠の趣味を映す住友家須磨別邸のジオラマです。明治36年築も昭和20年の戦災で消失、ジオラマは15,000坪あった敷地の1/4を再現、須磨海浜公園のスターバックス付近に広がっていたらしい。ジオラマにはガラス張りの温室も見えます。

中庭にイソヒヨドリ。

♀もやってきました。

中庭の全景です。画面左上の山に木の生えていないところは大文字山の火床。中庭の向こうは企画展示「リニューアル記念名品展Ⅰ帰ってきた泉屋博古館 いにしえの至宝たち」開催中、写真NGなのでさっと見ただけで何を見たかあまり覚えていません。メジロやヤマガラがいっぱい止まっているカイドウの木が描かれた伊藤若冲「海棠目白図」が展示されていたと帰ってから気づいて悔しい思いをしたくらい、青銅器に集中してしまったようです。

フロアマップで円形の⑤青銅器館と、銅鏡メインのフロアの④眺めの良い部屋の位置関係を確認できました。若冲は見逃したものの学ぶことが多くそれにとても居心地が良く大満足の美術館、今までに訪ねた博物館美術館でも頭抜けてハイレベル、こんどはあまりガツガツせずにゆったりした心持ちで再訪していみたいと思います。

鳴き声だけのカエル

すぐ近くなので哲学の道を歩いてみます。乾いた地面から生えているのでアヤメです。

大豊神社御旅所の扉が開かれ神輿が覗いて見えます。明日が祭礼で南禅寺から法然院まで巡幸すると分かりました。ご自由にお打ちくださいという太鼓の車。

アヤメとウマノアシガタ。

シャガとアヤメ。

法然院に到着。山門はもう閉められていて脇から境内へ入ったところです。椿は見当たらずキョウチクトウが僅かに残ってました。

毎回楽しみにしている水盤には花は置かれておらず水も流れていませんでした。本堂裏に回るとしきりにカエルの声が響いてきます。

3匹以上いそうですが、さんざん探したものの姿は全く見つかりません。カエルの鳴き声を比較した動画と聴き比べてみると、どうやらニホンアマガエルで間違いなさそうです。上掲の四蛙銅鼓のカエルを眺めながら聴くといいかも。

柵の向こうの方丈庭園からもカエルの鳴き声、同様に聴き比べてみたもののよくわかりません。去年の秋の特別公開で方丈庭園を見学させれもらったのですが、春の特別公開は4月1日から7日で終わってました。

曇ってきた空を見上げているイソヒヨドリです。

横に広がる吉田山からちょこっと頭を出しているのは愛宕山のはず。

カンシロギクとナニワイバラ。

疎水を白く縁取っているのはヒメウツギ。

長い行列の銀閣寺前バス停は無視して白川通の銀閣寺道バス停へ。こちらも10人くらいの列も頻繁にバスがやって来て、運良くガラガラのバスに乗り込み座れました。それでもバス停毎にどんどん乗り込んできて満員。東山三条では京都駅まで無料で地下鉄に乗れますと誘導していました。観光公害で評判の良くない京都市バスですが色んな工夫で少しでも問題を解決しようとしていると伝わってきます。

四条河原町周辺は渋滞しているはずなのでひとつ手前の河原町三条で下車。三条と四条で東西と南北の順番が逆なのはなぜなのか。いつもの高田酒店にたどりつきました。今日の冷酒は高知の美丈夫特別純米、あては肉じゃが。とうがらし要りますかと渡されたけど、肉じゃがには要らんでしょ、十二分に美味しいよ。

PRiVACEで帰ります。シートを回転させているところです。阪神梅田のみっくちゅじゅーちゅで仕上げ。