古墳で撮り鉄

黒塚古墳展示室で紹介されていた木津川市の椿井大塚山古墳へ。黒塚古墳発掘以前では最多の銅鏡が出土している古墳です。

快速急行車内から佐保川の桜をチラ見して小西さくら通りのドトールでモーニング。万博のせいで消えてしまった大阪と違って喫煙席が残されているのがありがたい。

奈良公園へ花見に向かう人の流れと逆行して三条通を歩きます。振り返ると春日山、京都の四条通の眺めと似ています。久しぶりのJR奈良駅に到着。

ふたたび佐保川を渡ります。下から見るとこんな感じ。木津で大和路線、学研都市線と別れ単線で木津川橋梁を渡ります。

上狛

上狛駅に到着。何と駅舎がなくて鉄パイプで囲まれた自動改札機があるだけ。調べてみると去年6月に木造駅舎が解体されてしまい、新しい駅舎を作るつもりはあるようですが、工事が進んでいるようには見えません。

駅前から趣のある街道が伸びています。「サービス低下と安全無視の上狛駅無人化反対」と民進党の広報板、無人化どころか駅舎すらなくなってしまってます。

今年初めてのツバメです。奈良街道のひっそりした集落の上狛、航空写真で見るとそれとわかるレモンの形をした環壕集落。狛は高麗に由来、高句麗系渡来人が開発したらしい。茶の集散地として発展、環壕集落の南に今も福寿園が本社を構えています。梅酒のチョーヤが本社を構える羽曳野市駒ヶ谷に似ています。

郵便局前のバス停の時刻表を見ると木津駅や棚倉駅へのコミュニティバスが1時間ヘッドも平日だけ。お店も少なくないものの気づいた限りシャッターが空いていたのは唐揚げとかを並べた惣菜店1軒だけですが、懐かしさたっぷりの街道歩きです。

学び子像の建つ上狛小学校、明治6年の開校で、現在の児童数は103。ハクセキレイが水路脇をトコトコ。

上狛を出て椿井(つばい)集落に入ると山城中学校。校庭脇にムスカリと開ききったスイセン。昭和22年上狛中学校として開校で生徒数208。

阿彌陀寺門前の標語はえらくタイムリーなやなせたかし。電線にカワラヒワ。

石積の隙間に生えたハナニラ、こうやってみると葉がニラそっくりですが、ハナニラは有毒植物。薄紫のハナニラも。

椿井大塚山古墳への道標のかすれた矢印の方へ進むとボケが満開。

椿井大塚山古墳

レンガの鉄道橋をくぐります。なら-4がこの鉄道橋の名前のようです。

明治29年の奈良鉄道全通時築造の鉄道橋かと。鉄道橋なら-4の東側に出て来ました。

椿井大塚山古墳の墳丘を横切る奈良線の線路。墳丘脇のお宅に停められたヤリスは鉄道橋なら-4をくぐるしかないと思われるもののボディに擦った跡はありません。

タンポポもここまで鮮やかだと見事です。ニホンタンポポかセイヨウタンポポかは不明。

椿井大塚山古墳の後円部です。右手の斜面の階段から墳丘に登れます。

その斜面に咲いていたのはタチツボスミレ。

椿井大塚山古墳後円部墳丘に上り先客の高齢夫婦に目礼。

説明板では、箸墓古墳など定型化した前方後円墳出現時期(3世紀後半)の築造、いわゆる邪馬台国の時代の古墳、との分かりやすい説明。昭和28年の鉄道拡幅工事の際、偶然発見された竪穴式石室から、三角縁神獣鏡が32面以上、画文帯神獣鏡1面、内行花文鏡2面、方格規矩四神鏡1面が出土しています。

被葬者は、倭迹迹日百襲姫命の占いで謀反が発覚し四道将軍のひとり大彦命らに討ち取られたと記紀に記された武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)という説があるようです。

前方部側に広がる眺望、自分の立っている後円部と前方部の間をJR奈良線が横切っています。前方部では何やら工事中。

後円部墳頂から撮り鉄、205系奈良行普通が通過。

線路の向こう前方部の工事現場はどうやら発掘調査で間違い無さそうです。

出土した銅鏡は京大博物館に保管されているそうですが、1月に訪ねた時に見た記憶がなく、見落としてしまっていたようで再訪する必要があります。

スミレは種類が多いのであまり自信ないもののたぶんヒメスミレ。

足元のタチツボスミレにキチョウが止まってくれました。

鉄道橋なら-4の上を行く221系です。

線路の西側から椿井大塚山古墳、工事中の前方部に測量機器、やはり発掘調査のようです。

築堤を上ってくる221系。

椿井大塚山古墳から戻って来たのに別の方向へ椿井大塚山古墳の道案内が立てられていたのでその方向へ進んでみると史跡椿井大塚山古墳順路の地図、今歩いてきた道が前方部端で、前方後円墳の北側からもある程度近づけるようです。

順路図の上の空地に史跡椿井大塚山古墳の石碑が立ってます。

その先に進むとさっきのよりさらに小さな鉄道橋なら-05です。

221系が通過するところを超広角で撮ってみました。椿井大塚山古墳の小さな看板が立っていてその上はさっき見下ろして撮り鉄した辺りです。

棚倉駅へ

上狛駅じゃなくて反対側の棚倉駅まで歩くことにしました。木津川市の福祉施設の桜並木。その右手の奈良線線路はさっきのより少し背が高いレンガの鉄道橋。

小さな峠を越えるように県道を進むと「28災の悪夢をわすれるな!」の幟と「鳴子川上流巨大太陽光発電の建設に反対しよう!」の立札。

峠を下ると奈良線のガーター橋、この川が鳴子川で、28災とは昭和28年8月に発生した死者・行方不明者336人、被災家屋5,676戸もの被害をもたらした南山城水害と分かりました。この川上に東京ドーム10個分のメガソーラー建設する計画は2年前に白紙撤回されたものの再度進められているらしい(資料)。自分も大嫌いなメガソーラー、ここで署名を求められたら躊躇なくサインするところです。

木津川の向こう、遠く生駒山地の北端の禿山が見えます。10年前に寝屋川市穂谷から京田辺市天王までの里山歩きであの付近を歩いたことがあり、のどかな里山に挟まれたダンプカーが頻繁に行き交う異様な光景が記憶にあります。美しい山並みが続く生駒山地で唯一の見たくない場所です。

竹林を抜けてやってきた奈良線221系、キハがトコトコ走るところを撮り鉄したかったと思います。

ダークブルーとオレンジが鮮やかなイソヒヨドリ。上狛の古い家並みとは全然違って戸建ての新興住宅地が広がる棚倉駅の西側です。

地下道をくぐって駅東側の駅舎へ。

地下道やその上のトイレにツバメがいっぱい。トイレの手洗いの鏡に止まって自分の顔から50cmくらいのツバメも。そのせいでトイレの中は人間のじゃなくてツバメの糞で汚い。

木造駅舎が残されている棚倉駅です。元気があれば行ってみようと思っていた今昔物語の蟹の恩返しで知られる蟹満寺は片道1.5kmもあるので今日は見送ります。毎年4月18日にサワガニを放流する放生会が行われるらしい。

奈良線の駅でよく見る駅舎脇の大木、棚倉駅はソメイヨシノです。いささかくたびれた感じの221系が到着。

対向列車との交換でしばし停車、レンガのトンネルをくぐってきたのは「お茶の京都トレイン」。ラッピング車はあまり好まない自分ですが、薄汚れた221系のラッピングは歓迎、デザインもなかなか秀逸です。

レンガのトンネルの上は天井川の不動川です。棚倉駅には7年前に訪ねていました。不動川を越えて蟹満寺に近い山口踏切で103系撮り鉄しています。

山口踏切の先にも天井川の天神川。

さらに天井川の渋川。玉水駅南側の天井川は玉川。木津川に長年土砂が堆積して川底が上昇したことで天井川になったもので、上述の南山城水害の被害を大きくした原因になっており、玉水駅の駅舎も流出したそうです。

玉水駅で下車、花見に向います。以下、後編に続く。