京大博物館

今年の京都初めは寒さに関係ない博物館へ。最高気温は8℃も意外とポカポカ、厚手のジャケットで歩くと暑いくらいです。

出町柳から百万遍まで歩いて来ると交差点にパイロンが積み重ねられています。今日開催される皇后杯全国都道府県対抗女子駅伝の準備です。西京極をスタートしてここ百万遍を経て国際会館前折り返し、同じルートを戻り西京極がゴールの42.195kmを9区に分けた駅伝と分かりました。

背後のピザ屋さんにはガンバレ広島京都と掲げられています。店主が広島県出身なんでしょうね。

京大吉田キャンパス本部構内、文学部もこの中にあるようです。受験で数学と理科を放棄してしまった自分には高嶺の花というか目標にすらなりえなかった大学、現役合格も9年かけて卒業したロザンの宇治原氏はやはりスゴイと思います。

東大路を少し下ったところに今日の目的地、京都大学総合博物館。先週まで存在すら知らなかった博物館です。

自然史展示室、技術史展示室、文化史展示室に分かれまずは自然史展示室。

地球をつくる鉱物コーナーには愛媛県西条市にあった市之川鉱山から産出された輝安鉱の群晶、ブレーキパッドの摩擦材となる硫化アンチモンの結晶だそうで、同じ市之川鉱山産出の輝安鉱の群晶が大英博物館やスミソニアン博物館に展示されていることをアピールするほど貴重なものらしい。

様々な鉱石の標本、蛍石、紫水晶、オパール、孔雀石など。さらに自然金、自然銀、黄銅鉱、閃亜鉛鉱。

ナウマンゾウ

続いて化石から見た進化のコーナー。

ナウマンゾウの頭骨とアジアゾウの頭骨が並べられています。左側のナウマンゾウの方はこの下にアゴ部分があることを想像するといかに巨大なゾウだったかがイメージできます。

ナウマンゾウの1/5スケール模型とナウマンゾウのキバ(2m)の化石。

2000万年前に現れた日本で最初のゾウ、ゴンフォテリウム。

2000万年前のゴンフォリウム、500万年前から50万年前はシンシュウゾウ、アケボノゾウ、トウヨウゾウらのステゴドンゾウ、最後は1万年前頃までナウマンゾウやマンモス、だそうです。

ステゴドンゾウの後、100万年前から50年前に温帯に棲んでいたマンモスの仲間のシガゾウが琵琶湖らしき湖の畔を歩いています。化石が発見された滋賀県志賀町にちなむ命名ですが、大阪にも生息していたと推測されるようです。

もう1枚のパネルで氷河時代に、ナウマンゾウは大陸と陸続きだった九州から、マンモスは樺太を経て北海道にやってきたと分かります。

ネットにアップされたタイのゾウのショートムービーが好きでよく見るのですが、ホントにゾウは頭が良くて人間とコミュニケーションしているのが分かります。現生人類が生活していたことが分かっている氷河時代の日本列島、現在のタイのようにナウマンゾウと縄文人が共生していたはずです。

ニホンザル

京大が生み出した霊長類学のコーナー。サルは甘みに敏感で苦みに鈍感だそうです。

ニホンザルの分布、下北半島がヒト以外の霊長類分布の北限だそうです。湖北箕面で会ったことがあります。

東日本のニホンザルと西日本のニホンザルは遺伝子が異なるそうで、その区分は関ケ原じゃなくて兵庫岡山県境辺りらしい。

霊長類の紹介パネルにあるボノボは初耳ですが別名ピグミーチンパンジーは聞いたことがあります。メス同士が性器をこすりあわせて挨拶し、メスがリーダーシップをとる平和な社会に暮らしているそうな。京大野生動物研究センターは世界的にもその調査研究の先駆者らしく、ボノボ紹介がこのパネル1枚だけではあまりにもったいない気がします。

京都府には哺乳類52種、爬虫類16種、両生類23種の陸上脊椎動物が生息しており、京大ではその系統分類学、生態学、行動学の研究が活発に行われ、野生動物保護管理にも結びついているとのこと。

全長816mmもあるオオサンショウウオとチュウゴクオオサンショウウオの交雑個体の骨格標本。賀茂川にオオサンショウウオが現れたという情報を時々見かけますが自分はお目にかかったことがありません。

世界の糞中の標本、大好きなオオセンチコガネも見えます。糞虫コレクションとしてはやはりならまち糞虫館の方がずっとすごい。

考古常設展示室

2階は技術史展示室もその先に考古常設展示室への案内が見え、技術史は素通りしてしまい階段を下りると石棺が並べられていました。一番大きいのは城陽市久津川車塚古墳出土の古墳時代中期(5世紀)の長持形石棺。

大秦景教流行中国碑(複製)、唐代にネストリウス派キリスト教(景教)が盛行していたことを記す781年に長安の大秦寺に建立された碑、複製ではあるものの、1907年に世界各地に寄贈されたもののひとつ。国内では2箇所にあり、もう1箇所は何と高野山奥の院の一の橋近くに建てられていると分かりました。

慶長年間のキリシタン墓碑、詳しい資料が見つかりました。多くは北野白梅町付近から出土しており、北野白梅町付近に当時のカトリック教会があった可能性が高そうです。

いよいよ考古常設展示室に入ります。中央に宇治市庵寺山古墳出土の蓋形埴輪(4〜5世紀)。

丹後半島ニゴレ古墳出土の甲冑(5世紀)。分国される前は丹後も丹波だったわけで、崇神天皇による四道将軍の派遣先のひとつが丹波だったことからも丹波が吉備のような有力国だったと思われます。

藤井寺市国府遺跡出土の旧石器時代の大型粗製石器(写真中央)。国府遺跡は大和川から石川が分岐する西側に位置する、大正時代の京大による発掘調査で明らかになった縄文時代、弥生時代から中世に至る複合遺跡。付近を自転車で走ったことがあるものの全く気づきませんでした。大和川付け替えポイントでもあり私本太平記みなかみ帖の舞台にもなっていた場所です。

現在地からほど近い北白川遺跡群から出土の縄文土器や石器。関西でも縄文時代の遺跡が少なくなく、ナウマンゾウがいた頃から現在に至るまで連綿と人間の営みが続けられてきたようです。

お隣は唐古遺跡のコーナー、弥生土器だけじゃなくて縄文時代晩期の縄文土器も出土していると分かりました。持ち運びに便利なように蔓製のネットを掛けられた様子を復元しているそうです。

唐古遺跡といえば絵画土器、舟が描かれた壺です。

縄文時代に戻り、東日本各地から出土の土偶。

諏訪湖に近い岡谷市海戸(かいど)遺跡出土の縄文時代中期の土器、古代エジプトに負けていないようなダイナミックな造形です。

名張市夏見廃寺出土の塼仏(粘土で型を抜き、焼いて作った板状の仏像)、手前の小型の独尊仏は千体仏として金堂の壁面を飾っていたらしい。夏見廃寺跡は名張中央公園内にあり、夏見廃寺展示館で復元された金堂塼仏壁が展示されていると分かりました。博物館見学で行ってみたいところがどんどん増えてきます。

滋賀県竜王町雪野寺跡(現龍王寺)出土の塑像(7世紀)。木や石を彫る彫刻と逆の立体表現が塑像(モデリング)で、7世紀頃に渡来した技法らしい。現在のアニメフィギュア原型製作に通じるものが感じられます。

あまり広くない考古常設展示室ですが一画で中国や朝鮮の出土品を展示、中国甘粛省出土の新石器時代(紀元前2400年頃)の彩陶壺です。

日本には新石器時代はなくその時代は縄文時代に区分されると掲げられた東アジア考古年表で初めて知りました。

慶州から出土の新羅の金製耳飾、とても繊細で美しい。

中国吉林省にある高句麗将軍塚のパネル写真、奈良の頭塔や堺の土塔にそっくりです。

唐代の陶俑、日本の埴輪に相当する副葬品のようです。女性像が巫女埴輪とそっくりなヘアスタイルなのが興味ぶかい。

殷代の出土品の数々、紀元前11世紀頃に中国では既に文字(甲骨文)が登場していたことが分かります。

さらに古代エジプトの出土品も。第30王朝(紀元前4世紀頃)カウ・エル=ケビル遺跡出土の亀甲形や三角形に組み込まれたビーズネット、日本の古墳から出土する管玉そのものですね。とても美しく見入ってしまいますが、復元作業はさぞかし大変だったはず。

シャブティは死後の世界で墓の主の召使になると信じられていた人形。スカラベは聖なる甲虫とされていたフンコロガシ、その形を模した装飾品のようです。オオセンチコガネも古代エジプトでは崇められていたのかも知れません。

先王朝時代(統一王朝が登場する以前、紀元前4000年頃)の彩色土器、第18王朝(紀元前1570年頃 - 紀元前1293年頃)の壺。

第12王朝(紀元前1991年頃 - 紀元前1782年頃)、ネフェルヘテブセネブの供養碑。楽しげな食事風景が精緻に描かれその上にヒエログリフがびっしり並んできます。何十年も前に、ルーブルや大英博物館、さらにはメトロポリタンで古代エジプトの美術品を見た記憶があるものの、初めてしっかり見た気がします。

ロビーに戻って来ました。広いカフェやミュージアムショップがあるものの誰もおらず、まさに閑古鳥がシーンと鳴いてました。同じ時間の来場者は10人もいなかったように思います。今日見学した展示は京大が保管する膨大な関連資料のごくごく一部のはず。テーマが広範すぎてもっと絞り込むことで見やすく学びやすくなるのでは、展示すべきコレクションは無尽蔵で集客する方法はいくらでもあるはず、とも考えてみたものの、閑古鳥が鳴くこの展示がOKなんだ考え直しました。

潤沢な研究資金があり、集客や収益性、経済原則もあまり考える必要もないはずで、そこに優秀な研究者が集まり、それぞれの専門分野の調査研究に没頭できる環境からもたらされる未知の「何か」が社会や国、あるいは世界にとって有益であり人類の発展に不可欠です。例えば、ここで古代エジプトのビーズネットを見て興味を持った少年が、何十年もかけて、古代エジプトと古代日本の関係にとんでもない大発見をする可能性があるかも知れません。何人ものノーベル賞受賞者を輩出している京大の「自由の学風」の伝統の意味と意義が少し分かった気がしました。

駅伝

ランチはミリオンでハンバーグのつもりだったのですが、定休日だったので向かいの台湾料理、魯肉飯と海老ワンタン麺セットです。

百万遍交差点へ戻ると交通規制が行われていてもうすぐ駅伝が通過しそうです。既に国際会館折り返しを過ぎて後半戦の7区、今出川通りを歩いていると、1位は京都、大西桃香選手(立命館宇治高校)。

2位は長野、中村柚音選手(中京学院大)、3位は大阪、河村璃央選手(薫英女学院高)。

思わず「ガンバ!」と声がでてきます。最後方は沖縄、島根、石川、沿道の住民らしきおばちゃんが鳥取ガンバレと応援したたので、鳥取じゃなくて島根ですよ、とお声がけしておきました。北白川バス停辺りで47都道府県全てが無事通過。

交通規制が解除され錦林車庫で待機していたと思われる10台近い市バスが白川通今出川交差点でずらりと並び左折したのは迫力ありました。

法然院、出町柳

白川通今出川を越えて哲学の道を歩き法然院。白砂壇は梅の絵になってました。

今日の水盤の花は紅白のサザンカ。本堂裏の一番奥に白い鳥が見えとりあえずシャッターを押しておいたら、キセキレイのお尻が写ってました。

ナウマンゾウや古代エジプトに触れてきたばかりなので、法然さんが活躍したのはわずか850年前と感じます。古代史に興味を持ち始めてから時間の感覚が違って来たように感じます。

哲学の道沿いの電線に小鳥のシルエット、順光側に移動するとジョビ太でした。

出町柳へ戻り河原を歩いていると土手の上から鳥の声、だいぶ遠回りして土手の上へ出るとまだいました。カワラヒワが1羽だけ。このあと10分くらいずっと見ていたのですが、ずっと同じ場所で木の葉の実をつついていました。賀茂大橋の南側、出町柳駅1番出口前の木です。

帰りかけてカワアイサがいるはずなのを忘れていたことに気づき、葵橋まで歩いてみるとやはりいました。

岩の上で首を360°回転させていました。

岩から下りて川下へ、

なかなかのスピードで川下りです。

出町柳で次の発車は13000系の快速急行、前から2両目がクロスシートなことに気づきました。3000系にプレミアムカーを導入することになり余った1両を13000系に連結することになったとは聞いていたものの初めて見ました。淀屋橋まで先着らしいので乗車。

京都競馬開催日で淀にも停車、さらに香里園、寝屋川市、守口市にも停車して天満橋に到着。車番は13871、元3751だそうです。