上町のオッサンの鳥鉄日記
承前、7年前の奈良線103系撮り鉄をした日、桜が咲き始めの井手の玉川を訪ね、へんちきの花見と題してブログを書いてます。人と同じことをしたくないという思いは変わらないものの、咲き始めじゃなくてやはり満開の花見もしてみたくて玉水を再訪。
玉水駅から京都方は山城多賀-城陽間を除き複線化されていて、南山城水害で流出し翌年再建された玉水駅舎は平成30年に現在の橋上駅舎に建て替えられています。両側に出られるものの西側がメインです。
駅近くの広場で桜まつりのイベント開催中、キッチンカーで焼きそばを買って、子どもたちや若いママさんたちに囲まれ落ち着かないランチをさっと済ませ、通常は週末の夜だけ営業のお店で生ビールをゲット。
井手の玉水のソメイヨシノです。人が少ないところを撮っており、土手を散策する人たちや、河原でビニールシートを広げたファミリーで混雜というほどではないものの賑わっています。特筆すべきは外国人観光客が殆ど見当たらないこと。
新・平家物語を読んでファンになった老将・源頼政の歌碑
山吹の 色をうらやみ 中垣の あなたにゐでと 思ふ頃かな
紀貫之の歌碑でも桜ではなく山吹をが詠まれています。
音にきく 井手の山吹 みつれども 蛙の声は 変わらざりけり
7年前の訪問時には見られなかったヤマブキが土手や河原に花を咲かせており、紀貫之歌碑の後ろにも見えます。紀貫之の歌に詠み込まれた蛙(かわず)は山吹同様に井手の枕詞でカジカガエルのことだそうな。現在地から5分ほど北に蛙塚があり、南山城水害で絶滅したとも一部で復活したとも伝わるらしい。
ホーホケキョと聞こえてきてがんばって探して撮れたのは、たぶん鳴いていたのとは別のウグイス。メジロのように花の蜜を吸っているようにも見えますが、虫を探しているんだと思います。いつもながら鳴き声から見つかるととても嬉しいウグイスです。
少し川上へ歩いただけで人がぐんと減りました。
ムスカリとヒメリュウキンカ。丸いヒメリュウキンカと細長いヒメリュウキンカ。
フサザキスイセンです。
桜並木を過ぎるとまだ仮設トイレが設置された場所なのに人がずっかりいなくなりました。ソメイヨシノの並木に代わってヤマザクラ。
アカタテハです。顔が隠れてしまったもののホオジロと分かります。
7年前にもこの辺りで見つけ期待していたツクシ発見。
砂防ダムの上までやってきました。ダムの下に玉川堤の桜。
ここまで来たら地蔵禅院のシダレザクラを見に行くことにします。
和菓子のような紫の花はアケビ。低木の黄色い花はオウバイ。
坂道を上って行くと地蔵禅院のシダレザクラ。
鳥居の先にさらに石段、シダレザクラをじっくり鑑賞する前に石段を上ってみます。
鳥居の手前で振り返ったところです。正面に生駒山、その手前の森はけいはんな学研都市辺り。
一気に石段を上りきって振り返ったところです。ん?、腰をいわしてしまったようです。
7年前にここまで来た記憶がなく、鳥居から上は地蔵禅院とは別の神社とようやく気付きました。天平3年橘諸兄創祀と伝わる玉津岡神社です。
本殿脇に朱塗りの祠が並び、さらに山の上へ鳥居が続いているのですが、ここまでにしておきます。
さっきの石段をもう下りたくないので他のルートを探していると、社務所の脇から裏参道が続いているのを見つけました。
玉津岡神社裏参道を下りつつシダレザクラ、もう葉っぱが増えてきています。ツブツブの花はアセビ。
地蔵禅院への参道に立つ小野小町塚まで戻ってきました。腰に痛みが残るので、シダレザクラに戻るのは諦めました。小町が愛でているのも蛙と山吹。
色も香も なつかしきかな 蛙鳴く 井手のわたりの 山吹の花
小野小町の時代、玉川から草内の鳥見で訪ねた飯岡の渡しが舟で結ばれていたと分かります。
扇形の説明板で小町晩年の姿が語られています。山科の随心院奥書院襖絵に描かれた庭掃除をしている晩年の小野小町の姿は写真NGだったものの記憶に残っています。説明板のキャラクターのモデルはたぶん橘諸兄。
長い茎に白い小さな花はナズナ。
玉川堤の桜並木に戻ってきました。砂防ダムに近いところは土砂が堆積しています。
ムスカリとハナニラ。花曇りも悪くない。
井手の枕詞のヤマブキ。
ほんのりピンクのツバキともう少しピンクのツバキ。
ソメイヨシノの後に出番が回ってくるはずのヤエザクラがもう満開。
源平咲きのハナモモ。ソメイヨシノだけじゃなくて色んな花が楽しませてくれる玉川堤です。
イソヒヨドリはいつもの定位置。来る時と同じ場所でホーホケキョ、探してみたけどシジュウカラだけ。
玉川の説明板によると聖武天皇の行幸で宴が催された玉川には天平の頃から水際にくまなく山吹が植えられていたらしい。南山城水害でその景観が失われたものの近年地元の努力で山吹、さくらの名所として復活したそうです。
ソメイヨシノは江戸時代の植木職人が開発した品種なので、当然聖武天皇の宴の頃には存在していません。花期の短い桜じゃなくて、花期の長い山吹だったからこそ、多くの歌人が愛で詠むことができたんじゃないかと思います。八重咲きのヤマブキです。
源頼政、紀貫之、小野小町、藤原定家、紫式部、和泉式部、源実朝ら錚々たる顔ぶれの歌碑が並ぶ玉川堤、桜を詠んだ歌は皆無で山吹を詠んだ歌ばかりです。
7年前にイカルをいっぱい見た駅近くのツバキの生垣をチェックするとイカルは不在もメジロ。
ツバキの生垣です。
みやこ路快速も停車する玉水駅、棚倉と上狛は通過で次の停車駅は木津。
車内から鉄道橋なら-4付近です。どう考えてもあのレンガのトンネルをくぐれるとは思えないワンボックスカーが駐められています。ストリートビューで東側の道路から椿井大塚山古墳へ近づける道があると分かりました。
木津に到着したみやこ路快速、駅の発車案内を見ると3分後に大和路快速と分かり、JR奈良から近鉄奈良まで歩くには腰が痛いので、乗り換えることにしました。奈良駅でフランス人マダムたちの団体がどどーっと乗り込んできて満員、木津で乗り換えたのは大正解。
24,500歩で14.7km、幸い腰の痛みは残りませんでした。