室宮山古墳

カメラクリーニング

ZV-E10で撮った写真にホコリ(ボヤッとした黒い点)が目立ってきたので、昨日カメラのキタムラなんばCITY店でクリーニングしてもらってきました。レンズが原因か本体(センサー)が原因か不明なので、両方のクリーニングを依頼。

ランチで1時間つぶして引き取り、いかにもカメラ好きそうなお嬢さんの担当さんによるとセンサーがかなり汚れていたとのこと。18mm〜300mmの広角から望遠まで一本で済むレンズなのでめったにレンズ交換しないものの、細かいホコリがレンズ接続部分から侵入するので定期的なクリーニングが必要とのこと。まるで歯医者さんと同じですねと返すとウケたみたいです。担当のお嬢さんがいつもの歯科衛生士さんに見えてきました。料金も2ヶ月毎の歯科と同じくらいでした。

ということでパークスガーデンで試運転。のっぺりした曇り空だとかならずボヤッとした点々が写りこんでいたのがきれいに無くなっています。

ところがどっと大粒の雨、たまらず南海ホークスメモリアルギャラリーで雨宿り。江本孟紀氏らの奔走で南海電鉄と野村家の和解が成り立ち、背番号19野村監督のユニフォームも展示されています。ホークス、ホークス、なんかいホークスがイヤーワームに。

阪神高速環状線から堺線が分岐するところ、いかにも望遠レンズで撮りましたという感じです。道路標識も南海グリーン。

パークスタワーから顔を出したおひさまとモクレン。

御所

あべの橋で吉野行急行に乗り込むと大混雑、吉野の桜はまだ見頃のようです。尺土で乗り換え行き止まりの御所駅に到着。

駅近くの御菓子司あけぼ乃さんでレンタサイクルを借ります。朝からひっきりなしにお客さんがやってくる和菓子屋さんです。

葛城川支流柳田川のソメイヨシノは葉桜もまだまだ綺麗。

10分ほどスタンバイして葉桜と二上山雄岳をバックに和歌山線227系。

西側に大和葛城山、よく見るとロープウェイのゴンドラが写ってました。

室宮山古墳

大和葛城山の南は金剛山、交差点の名前は蛇穴(さらぎ)。これまでこんな写真を撮ったら必ず画面右上辺りにボヤッとした点々があったのがキレイに消えています。

前方に見えてきた巨勢丘陵手前に広がる丘が目的地の室宮山古墳。前方後円墳の形に見えるものの、あまりに大きすぎてこれじゃないんじゃないかと疑ったくらいです。墳丘長238m、後円部の高さ25m、全国で18番目に大きい古墳です。

後円部東側に室八幡神社。白い電動アシスト車が今日の相棒、境内を掃除していた宮司の奥さんらしきに挨拶をして駐めさせてもらいました。

本殿左手から墳丘への階段が続いています。

緩やかだった階段が急になってきました。3段築成で段毎に角度が異なっているようです。

階段を上りきり、墳頂の平坦な道を抜けると広場。

墳頂の広場にポコっと穴が空いています。竪穴式石室です。

石室の長持形石棺が覗いて見えます。「王者の石棺」とも称される王墓に特有の棺で、その中でも大規模なものとのこと。

石室入口にタチツボスミレ。

石室の穴に並んで靫形埴輪。竪穴式石室が後円部墳丘にふたつ並んでいて穴が空いている方は南石室で、6枚の天井石で覆われていたのを1枚だけ取り外された状態で石室内を見学できるようにしているようです。

説明板に南石室の周りには靫形や家型、盾形、甲冑形の埴輪の発掘時の配置が示されています。これらの発掘品実物は橿原考古学研究所に展示されています。

靫形埴輪の表と裏、靫(ゆき)とは矢を入れて背負う道具で「靭」とも書かれ、「うつぼ」とも詠まれるようです。大阪の靭公園とは魚のウツボじゃなくてこの矢を入れて背負う道具にちなむものと分かりました。

小さな桜はたぶんコヒガン。

スギの木の上から、しきりに三拍子の鳴き声が聞こえてくるのですが、姿は確認できず。

急坂を下りて室八幡神社に戻ると掃除している人が3人に増えていて、さっきの人も宮司の奥さんじゃなくてボランティアの人だったかも知れません。境内を囲む石垣の外、後円部先端の案内板に墳丘復元図、後円部の2箇所だけでなく、前方部にも2箇所、左右の造り出し部にも2箇所、何と合計6箇所もの埋葬施設が示されています。古墳時代中期5世紀初頭の築造で、被葬者は葛城襲津彦とする説が有力としてもあと5つの埋葬施設はその家族でしょうか。ファミリーの結束が強かったことを窺わせる葛城氏です。

後円部外側に池、キトラ池という名前がありますが、室宮山古墳の周濠を拡張した池です。壁画で知られる飛鳥の古墳と同名ですが、同じく「亀虎」に由来するのかは不明。池の向こう岸の桜並木の向こうに見える小さな丘はネコ塚古墳と呼ばれる宮山古墳の陪塚です。間を横切る国道309号とネコ塚古墳の半分くらいを含め幅40mもあった周濠です。

4世紀から5世紀前半築造の佐紀古墳群と5世紀から6世紀築造の百舌鳥・古市古墳群の中間期に築かれた大王墓ではない巨大古墳の意味について想像を膨らませてみます。現在地から2.5kmほど、金剛葛城山麓に広がる葛城氏の南郷ムラ(そのイラスト)はムラの規模ではなく王国規模だったのかも。

後円部墳丘外縁に沿った小さなお花畑を見つけ自転車をUターン。ムスカリとキズイセン。

ハナモモとチューリップ。

ヒメリュウキンカがいっぱい。濃いピンクはたぶんシバザクラ。

薄紫の花の検索結果はオオアラセイトウ。大和葛城山をバックにヤエザクラ。

キトラ池のソメイヨシノ。花びらの浮かぶ池面にはコガモカップル。

御所南パーキングエリア

レンゲ畑も満開。金剛山の手前が室宮山古墳、キトラ池の桜並木、その右手は大和葛城山をバックに室ネコ塚古墳です。

今日のランチは室宮山古墳からすぐの海鮮回転さんきゅう御所南IC店と決め、大好物の玉子のお寿司を楽しみにしていたのですが、順番待ちの人がめちゃいっぱいで諦めました。針中野や八尾のさんきゅう水産と違って寿司が回っていたのですが、サービスセットはほぼ同じ内容のようです。

さあランチをどうするかと自転車を漕いでいると御所南インターのパーキングエリアに自転車で入れると分かりました。自転車でパーキングエリアは初めての経験、それに他に自転車も見当たりません。

えらくコスパのいいヒレカツの付いたとん汁定食にしました。トレイを持ってテーブルに着くとヒレカツにソースをかけるのを忘れていることに気付き、厨房前にソースを取りに戻り、次にとん汁に七味をかけていないことに気付き取りに戻り、さらにお漬物も取りに戻って、やっとお箸を取ることができました。

京奈和道建設で見つかった遺跡紹介のパネルです。現在地付近に弥生時代の中西遺跡、パーキングエリア北側周辺には古墳時代前期の秋津遺跡。航空写真を見る限り、どちらも既に埋め戻されているようです。

田んぼの中を走っていると何やら古墳らしき丘、帰宅後みやす塚古墳と分かりました。

もう一度金剛山と室宮山古墳。

京奈和道の御所南インターから南は巨勢丘陵のトンネル、連続する4つのトンネルを抜けるともう五条。これも帰宅後ですが、巨勢丘陵には日本最大級の群集墳である巨勢山古墳群が室宮山古墳の山手からトンネルの上のゴルフ場周辺まで広がっていると分かりました。ゴルフ場の無許可拡張工事で少なくとも4基の古墳が破壊され、行政指導で修復されたらしい。室宮山古墳築造を契機として古墳時代終末期に至るまで、いくつもの特徴的な支群に分けられる700基もの前方後円墳、円墳、方墳などの多様な古墳群、葛城氏だけでなく葛城本宗家滅亡後も渡来系も含む多様な集団の墓域となっていたらしい。しっかり予習をしてから機会をみて訪ねたい。

もう1箇所訪ねたいところがあり、今日の古墳めぐりはここまでにして御所駅へ戻ります。キズイセンに囲まれたスノーフレーク。

菜の花より薄い黄色でボヤーっとした花、検索結果はセイヨウアブラナとでてきました。

役小角生誕の地と伝わる吉祥草寺です。熱心にお参りしていた女性がひとりいただけでひっそりしていましたが、1月に行われる左義長(とんど)はかなり賑わうらしい。

吉祥草寺南側、京奈和道の高架下に隠れた小さな駅は和歌山線の玉手駅。

和菓子屋さんに自転車を返却して近鉄御所駅に戻ると電車が行ったばかりで30分待ち、駅前のWelcome Gardenにネモフィラとチューリップ。

次の目的地は古墳時代じゃないので今回も後編に続けます。