室宮山古墳
カメラクリーニング
ZV-E10で撮った写真にホコリ(ボヤッとした黒い点)が目立ってきたので、昨日カメラのキタムラなんばCITY店でクリーニングしてもらってきました。レンズが原因か本体(センサー)が原因か不明なので、両方のクリーニングを依頼。
ランチで1時間つぶして引き取り、いかにもカメラ好きそうなお嬢さんの担当さんによるとセンサーがかなり汚れていたとのこと。18mm〜300mmの広角から望遠まで一本で済むレンズなのでめったにレンズ交換しないものの、細かいホコリがレンズ接続部分から侵入するので定期的なクリーニングが必要とのこと。まるで歯医者さんと同じですねと返すとウケたみたいです。担当のお嬢さんがいつもの歯科衛生士さんに見えてきました。料金も2ヶ月毎の歯科と同じくらいでした。
石室の穴に並んで靫形埴輪。竪穴式石室が後円部墳丘にふたつ並んでいて穴が空いている方は南石室で、6枚の天井石で覆われていたのを1枚だけ取り外された状態で石室内を見学できるようにしているようです。
説明板に南石室の周りには靫形や家型、盾形、甲冑形の埴輪の発掘時の配置が示されています。これらの発掘品実物は橿原考古学研究所に展示されています。
急坂を下りて室八幡神社に戻ると掃除している人が3人に増えていて、さっきの人も宮司の奥さんじゃなくてボランティアの人だったかも知れません。境内を囲む石垣の外、後円部先端の案内板に墳丘復元図、後円部の2箇所だけでなく、前方部にも2箇所、左右の造り出し部にも2箇所、何と合計6箇所もの埋葬施設が示されています。古墳時代中期5世紀初頭の築造で、被葬者は葛城襲津彦とする説が有力としてもあと5つの埋葬施設はその家族でしょうか。ファミリーの結束が強かったことを窺わせる葛城氏です。
後円部外側に池、キトラ池という名前がありますが、室宮山古墳の周濠を拡張した池です。壁画で知られる飛鳥の古墳と同名ですが、同じく「亀虎」に由来するのかは不明。池の向こう岸の桜並木の向こうに見える小さな丘はネコ塚古墳と呼ばれる宮山古墳の陪塚です。間を横切る国道309号とネコ塚古墳の半分くらいを含め幅40mもあった周濠です。
4世紀から5世紀前半築造の佐紀古墳群と5世紀から6世紀築造の百舌鳥・古市古墳群の中間期に築かれた大王墓ではない巨大古墳の意味について想像を膨らませてみます。現在地から2.5kmほど、金剛葛城山麓に広がる葛城氏の南郷ムラ(そのイラスト)はムラの規模ではなく王国規模だったのかも。
京奈和道の御所南インターから南は巨勢丘陵のトンネル、連続する4つのトンネルを抜けるともう五条。これも帰宅後ですが、巨勢丘陵には日本最大級の群集墳である巨勢山古墳群が室宮山古墳の山手からトンネルの上のゴルフ場周辺まで広がっていると分かりました。ゴルフ場の無許可拡張工事で少なくとも4基の古墳が破壊され、行政指導で修復されたらしい。室宮山古墳築造を契機として古墳時代終末期に至るまで、いくつもの特徴的な支群に分けられる700基もの前方後円墳、円墳、方墳などの多様な古墳群、葛城氏だけでなく葛城本宗家滅亡後も渡来系も含む多様な集団の墓域となっていたらしい。しっかり予習をしてから機会をみて訪ねたい。
もう1箇所訪ねたいところがあり、今日の古墳めぐりはここまでにして御所駅へ戻ります。キズイセンに囲まれたスノーフレーク。