二上山博物館

承前、古墳時代から一挙に逆戻りして次の目的地は旧石器時代へタイムスリップ。

御所から香芝

近鉄御所駅で30分待って尺土に到着。尺土ではすぐに区間急行に乗り換えられるものの目的地には止まりません。区間急行には「延長運転」のヘッドマーク、桜の季節で橿原神宮前発が吉野発に延長されているようですが、橿原神宮前行でワンマン2連の普通と4連の急行に分けられてしまったのを一時的に1本に戻しただけと推測。

続いて16000系の特急。16000系は先ごろ2連1本と4連1本が運用を離脱したそうで、これが最後の1編成になってしまったらしい。

たぶん来年の桜は見ることができないと思われる16000系。車番が確認できないものの16009+16109のはず。

尺土で15分も待って古市行普通が到着。

ルート検索では二上山駅下車とでてきたのですが、60円安いと分かりひとつ手前の二上神社口駅で下車、二上山が目の前です。

20分ほど歩くと香芝市役所。あまり馴染みのない市ですが、平成3年まで香芝町、戸建てのニュータウン造成で令和が始まるまで人口が急増、令和になって人口は減少傾向だそうです。

市役所の北側にふたかみ文化センター、この中に目的地の二上山博物館があります。

入口に立つ「海を渡ってきた武人」像、五位堂駅近くにある別所城山古墳から出土した札甲(挂甲の武人の挂甲とほぼ同意みたい)と中国の俑を元に制作された石像とのこと。ただ四世紀後半と出土品のような表現があるのは適切ではないような気がします。

館内の二上山博物館に入ります。KiPSカード提示で50円引き。

3つの石の博物館

展示室に入るとまず岩石標本、後で読もうとiPhoneで撮っておいたものの文字が潰れて読めませんでした。およそ1,000万年前まで活発な火山活動が行われていた二上山によって生み出された火成岩の内、3種類の石がこの博物館のテーマになっています。自分以外他に見学者はいなくて後ろに手持ち無沙汰っぽいボランティアガイドさんらしきが立っています。

3つの石の紹介がこの博物館のテーマ、旧石器時代の打製石器となったサヌカイト、古墳時代の石棺や石室に用いられた二上山凝灰岩、明治以降の研磨剤としての金剛砂です。背景の二上山は5年前の秋に訪ねた千股池から撮ったものと分かります。

300万年以上前の人類の出現から1万年前ころまで、人類が打製石器を使い、火を利用し自然環境と調和して生活していた旧石器時代との説明。旧石器時代をフィーチャーする博物館は貴重です。

約30万年前ころの象狩りのジオラマ。スペインの前期旧石器時代の遺跡の様子から再現したジオラマでこの象はアンチクウス象という象だそうですが、二上山付近でもナウマンゾウの狩りをしていたはずという想像を膨らませられます。

「これがサヌカイトだ」の展示。我慢できずボランティアガイドさんに声をかけ、手前の黒いピカピカの断面は磨きだされたものと確認できました。

プレートには「普通輝石シソ輝石安山岩質サヌキトイド、羽曳野市株山」とあります。サヌキトイドとはサヌカイトと似た岩石の総称でサヌカイト類という意味のようです。株山遺跡は上ノ太子駅北側、子どもの頃に毎年ぶどう狩りで訪ねたぶどう園が広がる辺りです。

サヌカイトはガラス質の岩石で、打ち欠くと鋭利な刃ができることから、旧石器時代の生活に欠かせない打製石器の原材料です。

採掘されたサヌカイトを瀬戸内技法という工程で製作された国府型ナイフ形石器の説明。国府(こう)は大和川から石川が分岐するところの藤井寺側に位置する旧石器時代から中世の複合遺跡で、昭和32年の発掘調査で出土した石器が規則正しい割り方で作られており、特徴的な翼のような破片から作られた石器を国府型ナイフ形石器、その工程が瀬戸内技法と名付けられたそうです(参考: 藤井寺市のページ)。

旧石器時代の遺跡と石材産地のパネル、瀬戸内海がなく本州と四国九州が地続きです。九州と朝鮮半島は現在よりかなり狭い対馬海峡で隔たれていて旧石器時代の渡来人も舟で渡ってきたのは間違いないようです。この地図で気になるのは琵琶湖、湖北野鳥センターの沖の湖底に縄文時代からの葛籠尾崎湖底遺跡が確認されており、琵琶湖が存在していたとしても旧石器時代の琵琶湖は現在とは全くことなる形をしていたはずです。

もうひとつの注目点は伊豆諸島、大島でも三宅島でも八丈島でもなく名前が表記されているのは神津島。神津島はサヌカイト同様に剥離して鋭利な刃物になる良質な黒曜石の産地、伊豆半島でも神津島産の黒曜石が発見されており、旧石器時代に神津島に住んでいた人たちが外洋航海の技術を持っていたと分かります(参考: ボランティアガイドさん談とソトコトの記事)。

石材採掘現場のジオラマです。旧石器時代は氷河期だったはず、裸同然の格好での採掘作業に違和感があります。エスキモーやイヌイットの衣服のような毛皮でできた全身を覆うような衣服だったのではないかと思います。裸足のままなのも気になります。サヌカイトを採掘しているとしたら鋭利な切り口で怪我は必至、何か足に巻いていたのは間違いないと思います。

時代は縄文時代(紀元前14,000年頃から紀元前10世紀頃)へ。石器が精密なものに、表面を磨いた磨製石器、鏃や斧などの道具だけでなく装身具なども登場してきます。

縄文時代のかしばのイラス、中央部を左右(南北)に流れる葛下(かつげ)川が分岐する辺りが現在地、その手前(南東)の集落が狐井(きつい)ムラ、イラスト左下の大きな集落の瓦口森田ムラは現在の五位堂駅辺りです。画面左上には竹内ムラ、司馬遼太郎ゆかりの地である竹内には5年前に訪ねています。

縄文土器とその破片がびっしり。狐井遺跡や瓦口森田遺跡等、香芝市内の遺跡から出土したものです。縄目が浮き上がっているのは鋳型で量産していたいうことなのかな。

弥生時代の絵画土器(複製)、弥生人の鳥獣戯画だそうです。唐古・鍵遺跡の楼閣らしきが描かれています。

そして二上山の凝灰岩が古墳の石槨や石室製作に重宝された古墳時代。壁面のパネルは凝灰岩が隆起して露出した屯鶴峯(どんづるぼう)、香芝市の景勝地で近隣の小学校遠足の定番だそうですが、自分はまだ訪ねたことがありません。

香芝市藤山から出土、二上山周辺の凝灰岩で作られた家形石棺。

壁のパネルでは香芝市内北部の平野塚山古墳石室や石槨を紹介。今日出かけるまで室宮山古墳か、この平野塚山古墳か迷っていた古墳です。

時代は飛鳥時代、香芝市尼寺の尼寺北廃寺、「あまでら」ではなく「にんじ」、現存する大字名です。北廃寺と南廃寺の2つの伽藍から構成される古代寺院跡で、北廃寺跡は国の史跡に指定されているのですが、存在すら全く知りませんでした。北廃寺から出土した蓮華文軒丸瓦、水晶玉、金の耳輪、水煙片です。

金のイヤリングが三重塔跡の心礎上面から出土しているらしく、飛鳥寺、四天王寺、中宮寺、尼寺北廃寺だけのことらしい。ということは聖徳太子でつながりそうですが、飛鳥時代後半白鳳期(7世紀後半)の造営で、平野塚山古墳の被葬者と推測される茅渟王(ちぬのおおきみ、斉明天皇父)の創建らしい。その尼寺廃寺の基壇です。

香芝市穴虫から採取されたサファイアと、二上山の火山活動でできた岩石や風化した砂はサンドペーパーの材料、金剛砂(ガーネット)やサファイアなど数多くの鉱物が含まれていることや、香芝市の市制施行を記念して二上山博物館が開設されること、鉱物発見を体験する子どもたちのイベントの様子を報じる平成3年の朝日新聞です。

二上山産の鉄分が多い鉄礬ざくろ石(金剛砂)は硬度が高く研磨剤として利用され、明治以降、サンドペーパーとして製品化、現在も研磨剤製造は靴下製造と並ぶ香芝市の地場産業だそうです。

展示室中央に下田東1号墳から出土の埴輪。下田東遺跡は縄文時代から中近世までの複合遺跡でJR下田駅東側辺りに位置。1号墳は後世の開墾などで完全に削平されて墳丘や埋葬施設は完全に失われていたものの、かろうじて残されていた墳丘や周濠から、5世紀後半築造の帆立貝型前方後円墳と分かったらしい。円筒形だけでなく人形、馬型、家形など多様な埴輪が平成13年から20年にかけての発掘調査で出土、よく見つかったものです。

カンカン石とも呼ばれるサヌカイトでできたシロフォンです。

クイズコーナーでクイズに挑戦、二上山の凝灰岩はどう呼ばれていたでしょう? ②で正解しました。元旦に箸墓古墳を訪ねた時の歌碑を思い出したので正解できました。

大坂に 継ぎ登れる 石群を 手ごしに越さば 越しかてむかも

運んでいた石はサヌカイトでは、と書いていたリンク先の記述は凝灰岩に訂正しておきました。「大坂」とは難波のことではなく、二上山の麓から難波に抜ける穴虫峠のことを指すようです。石の名前を訂正でき、大坂の意味を確認できたことだけでも今日の二上山博物館訪問は意義があります。

二上山凝灰岩vs竜山石

屋外に展示された刳抜式長持形石棺蓋石は狐井城山古墳付近を流れる初田川の中から出土、二上山のすぐ近くなのに、なぜか兵庫県産の竜山石で作られていると正直に紹介されています。

隣はサヌカイトと黒曜石、両端の白っぽいのがサヌカイトかと。

千股池からほど近い良福寺阿弥陀橋に安置された石棺片を元に竜山石で復元された長持形石棺の蓋。二上山凝灰岩のネガキャンにならないのかな。

竜山石は高砂市竜山から採れる凝灰岩、山陽新幹線車窓から岩肌がむき出しの山並みが見える辺りです。加工に適した柔らかさと十分な強度や粘りがあり耐火性にも優れ、仁徳天皇陵の石棺、平城宮の礎石、姫路城の石垣、国会議事堂まで時代を問わず利用されてきたとのこと。どうやら二上山凝灰岩より優れた石材だったようです。

復元された長持形石棺の蓋の真下になぜか遮光器土偶。ヤマトの古墳時代の石棺の下に、東日本の縄文時代の遮光器土偶は強い違和感を感じざるを得ない。

いくつか疑問を感じる展示もあったものの、高校の地学の時間は寝てしまうばかりで、今まで大の苦手だった石について興味を持たせてくれた博物館、来て良かったと思います。

二上山博物館前に広がる二上山雄岳517m、まだ登ったことがありません。膝の調子を見ながら挑戦したい。

近鉄下田駅前の香芝市ガイドマップ。狐井城山古墳まで1kmぼどのようです。右下の広域図では和歌山線に沿って、顕宗陵、武烈両、平野塚山古墳、尼寺廃寺跡史跡公園が確認できます。

南大阪線の2連じゃなくて大阪線は6連のアーバンライナーが通過。

大阪上本町駅に帰り着くと3番線あとに夢洲行バスターミナルがオープンしてました。