山科の門跡寺院二題

今週もおけいはんでお出かけ。

京阪7000系急行

天満橋で次の電車は急行。その次は快速特急洛楽で枚方市で抜かされるはずですが、今日の下車駅中書島には停まらないので急行に乗車、先頭車右側のカブリツキ席ゲットです。

7000系急行電車の前面展望です。マスコンとブレーキの2ハンドルもVVVF制御の1993年製、マスコンを入れると間髪入れずにグイーンと加速、あっという間に110km/hでビックリ。

複々線区間と並ぶ京阪本線のもうひとつのハイライト、石清水八幡宮から中書島までの前面展望動画です。この区間あまりスピードは出せないようです。

中書島で下車、7連x4本しか存在しないレア形式です。中書島の楽しみは絶滅危惧種の駅そば。京風じゃなくて甘めの出汁と感じたのですが肉そばだったせいかも知れません。

かなりキツくカーブしたホームでホーム下でライトが点滅しています。カーブのよりキツいはずの1番線(出町柳方面)より2番線の方がカントが効いているように見えます。

京阪電車に馴染みのなかった頃はてっきり「なかがきじま」と読むと思い込んでいた中書島です。伏見の中心駅で酒蔵や坂本龍馬の足跡が色濃く残る地、12年も前(この時は母と一緒でした)に訪ねたきりですが、3番線の宇治行10000系に乗車します。

六地蔵で地下鉄に乗り換え、山科川を挟んでいて5分くらかかります。足下の山科川自体が今日の目的地なのですが、それは後ほど。画面左端にイズミヤ六地蔵店が見えます。30数年前、食品輸入の仕事をしていた時に納品書を書いた記憶があります。調べてみると昭和56年1月の開業だそうです。改装は繰り返しているようですがブランドはそのまま、スクラップアンドビルドの激しい業界で貴重な存在かと。

常々日本一つまらない鉄道だと思っている京都市営地下鉄東西線です。全線地下で駅は天井までのホームドアで囲われいて電車の姿がほとんど見えません。鉄道というより水平移動するエレベーターです。

随心院

小野の随心院,、総門をくぐった正面は醍醐山。美女の代名詞、小野小町ゆかりの門跡寺院で、秋田新幹線「こまち」が由来する秋田県湯沢市や福島県小野町等、小野小町の出自は各地に伝わるものの、小野篁や小野道風らの小野氏が栄えたのがここ山科区小野だそうです。

百人一首にも含まれる小野小町の歌碑です。

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

重要文化財の仏像や襖絵は撮影できないものの表書院能の間の襖絵は撮影OK、極彩色梅匂小町絵図です。だるま商店という京都絵描きユニットによる2009年の作品、4枚の襖に小野小町の生涯が精緻に艶やかに描き込まれていて、映える襖絵として、狩野派の襖絵よりこちらの方が人気のようです。

表書院や奥書院をぐるっと廻って最後に随心院の紹介ビデオを椅子に座って鑑賞できるようになっていたのですが、本堂や御本尊を見逃していることに気づき、戻ってみると本堂は工事中。仏像は書院に移されていたものの、御本尊の重要文化財、如意輪観世音菩薩坐像は御簾の中でした。庭園も書院の縁側から眺めるだけで、回遊することはできませんでした。

写真NGだった確か奥書院にあった年老いた小野小町が庭掃除しているところの襖絵が強く印象に残っています。上述の百人一首の歌を詠んだ頃を描いたもののようです。「花の色はうつりにけりな…」は何も女性だけの歌じゃないと改めて感じさせられ、身につまされます。

近くのお寿司屋さんでランチ、あまり考えないで注文したら、さっき駅そばを食べたばかりなのにお蕎麦を頼んでました。こちらはネイティブな京風のお出汁です。

山科川を右岸へ渡ります。

勧修寺

こちらも門跡寺院の勧修寺(かじゅうじ)。チケットブースを訪ねると誰もいません。ご住職らしきがいて尋ねてみると、表で掃除している人です、Mさ〜ん、と大声で呼んでくれたものの戻ってきてくれず、表へ出ると掃除中のおばさんがいて、Mさんですよね、と声を掛け漸くチケットゲット。

内側の門を入ると、自分ひとりの境内で音声ガイドが始まりました。

さざれ石だそうです。頭の中で君が代が流れ始めました。

元禄時代に明正天皇から下賜された宸殿内部は重要文化財の襖絵で囲まれているそうですが、特別公開の時しか入れないようです。色んな説明書きが掲げられていて、明治のはじめ頃は小学校の校舎になっていたと分かります。

高山帯で見るハイマツのような木はハイビャクシン、こんな低木なのに何と樹齢750年だそうです。ハイビャクシンに半分隠れた風変わりな石灯籠は水戸黄門様ご寄進だそうで、「京都へ来たら必ず見て通ろう」とシャレているそうです。

垣根に「京都庭園代表の巨木、千年杉(前方百メートル」と立て札。百メートル先ってどこどこと探すと左手奥の枯れ木のような突き出た木が千年杉です。

ピークを過ぎたヒガンバナ、周りが巴瓦で囲まれています。

境内に広がる大きな池は氷室池、その名のように御所に氷を献上する池だったそうです。

わずかながらまだハスの花が咲いています。水草をかき分け移動中のカルガモたちと、左手にいるグレーのお腹に黒い頭、黄色い嘴は見慣れないもののマガモのようです。

ハスにしてはスイレンのように花びらが多くて小さいものの、よーくみると花びらの中に花床が見えるのでやはりハスです。

このシバフにてご休息ください、この先出口に至ります、とあり、池に沿って先へ進むと、この先カレエダ落下、お立ち入りキケンですと竹のバーでブロックされていました。カタカナがとても効果的です。

花の時期はさぞかし見事だったかと。銀閣寺のような建物は大悲閣とも称される観音堂、屋根に鳳凰がのっていてちょっと銀閣っぽいです。嵐山の大悲閣は固有名詞も、一般に観音菩薩像を安置したお堂を大悲閣と呼ぶそうです。

かなり美形のツマグロヒョウモン♀です。

ヒガンバナにナミアゲハ。

池の反対側も竹のバーでブロックされていました。さっきと同じ、この先カレエダ落下、お立ち入りキケンです、とはあるものの、立入禁止じゃなくて、この先行かれるのはご自由ですが大いに危険、とも掲げられていたので先へ進むのは止めておくことにします。それにしても何かと注意書きが多いお寺です。通常注意書きが多いと反感を感じてしまいがちですが、それを感じさせないフレンドリーな口調、それに達筆とは言い難い筆跡で、そこはかとなくおかしみが感じられます。繊細にして雅に徹している随心院と較べると対極的、同じ門跡寺院でもかなり大雑把で雅さよりも親しみやすさを大切にしているようです。門跡寺院という気取った雰囲気のない京都としてはちょっと風変わりなお寺です。

山科川

醍醐山を正面にゆるい坂道を下り、山科川右岸を遡ります。子どもたちが何かを採っています。

聞き覚えのある声がして探してみるとコバルトブルーの光線がビューンと通り過ぎ、とりあえずレンズを向けると低空飛行中のカワセミの影が写ってました。白い◯のところです。

川には小さな魚たち、タモロコとか在来種のようです。

名神高速をくぐると山科川は旧安詳寺川を分岐、間隔の広い飛び石が置かれています。ちょっと大きめの魚はブラックバスで間違いなさそうです。山科川にはヌートリアなどもしょっちゅう出没し「外来種のアンテナショップ」と呼ばれるようです。

オレンジ色のキバナコスモスにオレンジ色のツマグロヒョウモン♂、川面にはハグロトンボ。

堰堤の端で滝を覗き込んでいるコサギ。カワガラスのように流れてくる水生昆虫ではなく、滝を遡る魚を狙っています。小さな魚をゲットしたところは見たものの撮れず。必死の思いで50cmほどもある滝を遡ったとたんにパクっとやられてしまう魚が哀れです。

山科川右岸を3kmほど歩いて新幹線沿いの五条バイパスのバス停にたどり着き、30分も待って京阪バス四条山科醍醐86B系統三条京阪行に乗車、先月訪ねた小松谷を片方向だけ下るです。フロントガラス越しに見えるのは京都女子大J校舎。

思い出して京阪バスを途中下車、ちょこっと京都へ住んでみたのロケ時をチェックしてきました。ルノー4がそのまま置かれています。ドラマの近藤正臣さんのように京町家でしっぽり暮らしてみたいなとちょっと思っていたりして。

ハローキティはるか

四条河原町で友人と合流。

お好み焼きを食べたいということになり、烏丸御池まで歩いてみたものの満席、JRで帰ろうということになり、京都タワー近くでお好み焼き。

京都駅に写り込んだカクカクの京都タワーです。

JRはJRも新快速じゃなくて関空特急はるかで帰ります。乗り場はかつての山陰線ホームの30番線、隣の31番線には京都丹後鉄道丹後の海のはしだて8号が到着。自分の好まないミトオカデサインで車内を覗いてみるとやはり木の肘掛けとかが黒ずんでいました。

30番線にハローキティはるかの281系が入線。

車内はこんな感じ、ガラガラですが特急料金650円で天王寺まで乗り換えなし。

新大阪から梅田貨物線を経て大阪環状線に入り西九条付近までの車窓です。3:50頃グランフロントを眺めながら新駅工事現場脇を通過、浄正橋の踏切を越えて勾配を登り環状線に合流します。前から見たかった車窓で、来年3月には地下駅が完成してこの風景は見れなくなります。明るい時に改めて乗っておきたいところです。