京都の時間

やっぱり京都へ行きたくなって東山へ。

初めて下りる七条駅、駅名表記は「しちじょう」ですが「ひちじょう」と読みたい。

七条通の坂道の正面に見える山門が今日の最初の目的地、智積院です。その向こうは東山三十六峰のひとつ阿弥陀ヶ峰196m。

おしゃれなカフェの店頭にタバコ屋さんだったらしきタイル張りのショーケースが残されていて、ダブルカセットデッキや黒電話、五つ玉のそろばんが飾られていました。昭和59年発売のSONY CFS-W80ダブルカセットラジカセと分かりました。何をするものかというと、FMラジオで好きな音楽を録音(エアチェック)して、録音した番組のCMを除いたり、好きな曲を集めて自分のお気に入りのカセットに編集するものです。よくみるとこのダブルカセットデッキ、Bは録音と再生、Aは再生だけになってます。BでエアチェックしてAに移してBに新しいカセットを入れて編集するようになっていると分かります。

三十三間堂を過ぎた左手に京都国立博物館、七条通からは側面で大和大路に面した正門からの景色が素晴らしいと帰ってから分かりました。ぱっと見、東京駅や中之島中央公会堂の辰野金吾設計かと思いきや、迎賓館赤坂離宮本館や奈良国立博物館を設計した片山東熊(とうくま)の設計で、片山と辰野は工部大学校同期、妻は琵琶湖疏水を築いた田辺朔郎の姉鑑子(てるこ)だそうです。

智積院

七条通のどんつき、智積院(ちしゃくいん)総門です。正直なところこれまで名前も知らなかったお寺ですが、成田山新勝寺や川崎大師、高尾山、高幡不動、大須観音といった著名寺院を擁する真言宗智山派の総本山です。

チケットボックスで最初にどうぞと案内された収蔵庫はがっしり重そうな扉で閉ざされているのですが、近づくと自動扉が開きました。中は桃山時代の絵師、長谷川等伯・久蔵親子による国宝の障壁画に囲まれているのですが撮影禁止なので、Wikipediaでどうぞ。

大書院に上がると下駄箱には自分の靴だけ、大広間をひとり占めは申し訳ない。

等伯の楓図や久蔵の桜図のレプリカを背に、縁側に腰を下ろしてのんびり利休好みとされるお庭を眺めます。

池の向こうの見目良い築山にはサツキやツツジが並んでいて、花の代わりのようにツマグロヒョウモンのカップルがずっと舞ってました。手前には横に長い手水鉢。花手水になっていなくて良かったです。

お庭に下りて歩くることはできないものの、縁側が池の上に張り出していて、縁側に座ったまま青空を映した池面の錦鯉が眺められます。

池に掛けられた2枚の青石で掛けられた華奢な感じの石橋からも、お庭の中を回遊するのではなく、この大広間の縁側から鑑賞するように元々設計されているようです。

大書院と講堂に囲まれた内庭は枯山水。狭い空間も枯山水。

講堂の縁側にも横長の手水鉢、土台部分と一体で削り出されているようです。

大書院に戻り、広間の外から楓図と桜図。国宝の本物は大切にしまっておいて、レプリカを元からある場所に飾る方法は、とてもいいと思います。

外から智積院庭園、20分もぼーっと座っていた縁側が見えます。

智積院総門の内側から七条通の眺め、七条大橋まで見通せ、交差点ごとに坂の勾配が急になっていることが分かります。

小松谷

総門の北側の門を抜け坂道を少し上ると京都女子大、日曜日なのにプリンセスラインという赤いバスが頻繁に行き交っています。スクールバスではなく一般路線バスで京都女子大学前から京都駅や四条河原町まで急行運転、平日朝は5分ヘッドで運行され、運賃は市バスと同じ230円。

阿弥陀ヶ峰が近づいてきました。ちなみにこの坂道は女坂という名前が付いています。

京都女子大建学記念館の錦華殿、明治31年築のフランス様式の洋館が昭和56年に解体されたものの、平成12年に再建されたそうです。

周辺に校舎が散在していてこれは法学部のF校舎、ガラス戸に「F」が色んなフォントで描かれていいるのが素敵です。

せっかく坂道を上ってきたのに急な石段を下ります。またゆるい坂道を上ると目的地らしきお堂が見えてきました。

小松谷正林寺です。「寺院参拝者・保育園・児童館・境内家屋に御用の方以外の立ち入りを禁じます」と掲げられたゲートで閉鎖されていたものの、鍵は掛かっていないので失礼して入らせていただきました。左手の低い方が本堂です。

保育園が併設され、鐘楼の奥には墓地が広がっていて、観光寺ではなく純然たる菩提寺のようです。由緒書とかは何も見つからなかったものの、この地に因んで小松殿と呼ばれていた平重盛の邸宅があった場所、48の灯籠が掲げられていた場所です。

新・平家物語を読んで、父親の清盛とは正反対の臆病で優しさ溢れる重盛に触れ、ずっと訪ねてみたかった次第です。アニメ平家物語でも主人公のびわと同じ未来が見える不思議な目を持つ人物として描かれていました。もし重盛が早逝することなく清盛の跡を継いでいたら、義仲や義経と和平交渉して細々とでも平家を生きながらえさせたかも、と想像してしまいます。

小松谷の坂道を京阪バスが下りてきます。この坂道は渋谷街道と呼ばれ洛中と山科を結ぶ最短ルートだそうですが、醍醐方面からのバスの本数は多いものの逆方向は五条バイパス(国道1号線)経由なのでここを通りません。小野小町で知られる随心院へ向かうことも考えていたのですが、機会を改めます。

小松谷が切れ込んでいて谷底には水の流れもあるはずですが見えませんでした。清水山の南麓です。この坂道を下ると平家の本拠地だった六波羅があり、父清盛に命じられてその東の守りのためにここに居を構えたのかと思いきや、新・平家物語を読み返してみると、人間嫌い故にこの地を自ら選んだようです。

喉が渇き水を買おうとしたら小銭入れには50円1枚と10円5枚だけ、さらに坂を下りて100円の自動販売機を見つけました。

京都女子大近くなのでおしゃれなカフェが点在しているものの日曜日なので人影はまばら。おしゃれなカフェだけじゃなくて年季の入った散髪屋さんも営業中。

「とうがらしおじゃこ」の店頭に石碑、佐藤継信・忠信の塚とあります。新・平家物語にも度々登場する源義経の郎党兄弟です。この路地の奥に継信・忠信の墓があると後で分かりました。平家ばかりか源家にもゆかりの小松谷です。とうがらしおじゃことは、ごはんにも、パスタやチャーハンにも合う、山椒じゃなくて唐辛子の入ったちりめんじゃこだそうです。

東大路通に戻ってきました。左手の塀が智積院です。

東大路を北へ。安井金刀比羅宮です。ここの大広間でDrupal Campを開催してから8年も経ってました。事前にチェックしておいたお店はお休み、代わって見つけた寿司屋の海鮮丼です。ハモ、トリ貝、タコ、イカ、タイ、カツオ…、10種類ほど、ひと切れずつ入っていて何から箸をつけるか迷いました。

さらにお庭巡りするつもりだったのですが、方針変更して206系統の市バスに乗って植物園へ。

京都府立植物園

初めて観察温室に入ってみました。植物園の温室というとジャングルを連想しますが、寒冷地、砂漠、高山、夜の温室…、と実に多様な環境が再現されていてなかなか見応えがあります。

1日で枯れてしまうバオバブの花、なかなか見るチャンスがない花だそうです。インゲンのような細長い実を成らせたバニラの木も初めてみました。干したバニラの実(豆)が穴の開けられた容器に入れられていて、嗅いでみると正にバニラでした。高校生の時「バニラエッセンス」という名前のバンドを組んでいたので、いささか思い入れのあるバニラです。いちおう自分がリーダーでドラマーだったのですが、しょっちゅうテンポを外して、いつもメンバーたちに迷惑をかけていました。楽才は無かったようです。

ハグロトンボがいっぱい。

ツクツクボウシをBGMにハグロトンボ男子ペア。

メタリックグリーンの♂はしっぽの先端を持ち上げているのに対し真っ黒な♀は下に下がっています。哺乳類の性器と同様の生理なのかも。

背中の一部が赤くなっている♂。池には後ろ足が生えたオタマジャクシ。

トリオ・ザ・ハグロトンボ、じゃなくてハグロトンボカルテット。

水車が気持ちよく回転しています。小屋の中には石臼も置かれているらしい。パイプで引いた水を汲み上げて水車を回しているようですが、ポンプで汲み上げているっぽく見えます。水車の足元にはシュウカイドウ。

水車の流れの近くでは交尾中のハグロトンボ、♂はしっぽの先の精巣からお腹の下にある副性器に精子を移し、♀の首にしっぽを突っ込んで♂の副性器に♀のしっぽ先端の生殖器をあて受精しているところです。

葉っぱの上の♀のしっぽ先端は金色。

お腹の節が赤く見える♂、構造色のようです。水中の水草はたぶん梅花藻

サルスベリの巨木は20mくらいありそうです。

オニバスの裏にアメリカザリガニ。ギンヤンマの産卵をどアップで。

もうすぐヒガンバナの季節、これは園芸品種のリコリス。

鴨川

北山通西側にも植物園のゲート、合計3箇所もゲートがあるのは便利です。北山大橋から鴨川河川敷に下ります。

鴨川にもハグロトンボがいっぱい。引いて撮ると飛んでいるところもバッチリ。

正面右側はさっきまでその麓にいた清水山242m。川の中に人が見えるところは、北山の飛び石です。

出町のそれよりずっと距離があり流れも早く、渡るのはちょっと度胸が要りそうですが、今日はあちらへ渡る用がありません。

イカルチドリがいました。

砂利の河原だと保護色になってしまいますが、カメラが探してくれました。

カワラヒワが写ってました。対岸の排水路にいたのはイソシギ。

さんざん調べてみたもののどうしてもわからないカモです。

北大路大橋で上に戻り206系統のバスで百万遍まで戻ります。

京町家のおばんざい屋さんでプファー。背中でNationalブランドの扇風機が回ってます。涼しすぎるので「中」を「弱」に変えさせてもらいました。

調べて調べてナショナルの卓上扇、F-30B1K 30cm、1978年モデルと判明、現役なだけじゃなく、破損や汚れ、錆は見当たらず、モーターもずいぶん調子よさげです。無造作にヒーターの上に置かれていて、骨董品として大事にされているというより、居抜きでお店を借りたら押入れの奥から出てきたのが、まだまだ使えるから活用しているだけと感じられます。

長谷川等伯の障壁画の約400年、小松重盛邸跡の約850年、ソニーのダブルカセットデッキの38年、ナショナル扇風機の44年、バオバブの花の1日、ハグロトンボの交尾の一瞬、それに縁側からお庭を眺める自分の20分、京都の1200年の時間の流れでは、今にあるという意味でどれも大差ないような気がしてきました。京都で「先の大戦」とは応仁の乱のことをいうそうですが、その意味が少し分かったような気がします。

京阪特急の帰り道、枚方市駅の5/6番ホームの端っこで電車とは反対向きにスマホを構えている人たち、何かと思いきやドーンと音がしました。

第一回水都くらわんか花火大会だそうです。