EXPO1970
EXPO1895を訪ねたので、万博へ行ってみることにしました。ヘンクツな私は夢洲じゃなくて千里です。
1年半ぶりですが、茨木からバスでアプローチが楽だったことと阪急よりJRの方が安かったことを思い出し大阪駅、新快速を待つすごい人にビックリ。自分は隣の普通です。
JR茨木駅北口のやよい軒でランチ。お米の値上がりでもおかわり自由は変わらずありがたい。好物の甘い卵焼きを追加。
楽しみにしていた「もみの池」は池の上にネットが張られジップラインみたいなアトラクションが設置されていてビックリ。それに池のぐるり(おそらく池底も)がコンクリートで覆われています。2年前のもみの池とは完全に様変わり、もうカワセミがやってくることは100%無いはず。よくみると池の向こう側に順番待ちの行列、人気アトラクションになっているようですが、やるせない。
けやきの丘の喫煙所はそのままでした。
16世紀アステカ文明の暦石(複製)、右下の説明では260日暦のものとしか分からず、ちょっと調べてみるとツォルキンというマヤ文明の暦法がアステカにも伝わっていたとまでは分かったものの、260日が何を意味するものかWikiPediaを読んでも理解できませんでした。
ヨーロッパゾーンを抜けてアフリカゾーン。14世紀ベニン王国の王母の頭像(複製)、ベニンは現在のナイジェリアにあった王国で、15世紀末頃には青銅器や象牙などの芸術で高い技術を持つアフリカで最も強大な国家であったものの、ポルトガルやイギリスあるいは新大陸への有力な奴隷輸出元だったらしい。19世紀末に滅亡しています。
西アジア、音楽、言語、南アジア、東南アジア、朝鮮半島、中国と各ゾーンをささっと見学。率直なところあまり興味が湧きませんでした。古いものは殆どなく、殆どが20世紀末頃に収集されたもの、たぶん自分の偏見ですが観光地の土産物店で買い集めたんじゃないかと思われる展示品も。
火の国という品種の真っ赤なクルメツツジにミツバチ。
日本庭園東端のハナショウブ田まで歩いたけどハナショウブは一輪も咲いていなくてカキツバタやアヤメもなく、池にはコウホネ。日本庭園の橋っぽの回転ドアから出場。
疲れだけが残った今日の万博公園、EXPO'70パビリオンでは「プレイバック1970 大阪万博と昭和レトロ」なる特別展示も開催中で、1970年頃の茶の間の再現とかもあるようですが、イマイチ惹かれません。
曽根崎のYamatoでヒューガルテンと焼ソーセージ、これでようやく疲れが癒されました。
阪神スナックパークのラーメンで仕上げ、カウンターの隣に若いパパと年少さんくらいの女の子、パパはカウンターで海鮮丼、女の子はカウンターの下の荷物棚をカウンターにしてラーメンを食べているのがとても可愛かった。そこへオムライスのママも登場、カウンターの下の女の子に分け分け。
ラーメンの前の壁には長谷川義史画伯の壁画、「とびだせえほん」チームが梅田の歩道橋を渡っていて、その下でロザンが「万博まで道案内」してました。「とびだせえほん」復活しないかな。