EXPO1970

EXPO1895を訪ねたので、万博へ行ってみることにしました。ヘンクツな私は夢洲じゃなくて千里です。

1年半ぶりですが、茨木からバスでアプローチが楽だったことと阪急よりJRの方が安かったことを思い出し大阪駅、新快速を待つすごい人にビックリ。自分は隣の普通です。

JR茨木駅北口のやよい軒でランチ。お米の値上がりでもおかわり自由は変わらずありがたい。好物の甘い卵焼きを追加。

近鉄バス阪大本部前行で日本庭園前から中央環状線を走ると太陽の塔が見えてきます。記念公園西口で下車。

自然文化園

プラタナスに囲まれた西大路、僅か50年ほどで見事に育った並木道です。

ソ連館跡付近の春の泉でホバリングするシオカラトンボ。

羽化したばかりと思われるイトトンボ、体はボヤッとしていて何イトトンボかは判別できないものの影がくっきり。足元にオオシオカラトンボが止まってくれました。

たぶんセスジイトトンボです。

合体セスジイトトンボ。水中のビラビラの葉っぱはたぶんエビモ。

水鳥の池の観察舎です。出現する鳥がいっぱい紹介されているけど、何もいません。

その隣はベルギー館跡、パネル写真の七重塔は古川パビリオン、EVバスも走っています。夢洲で万博会場内の移動は1回400円もするバスだけらしく、EVバスだけじゃなくてモノレールやロープウェイ、動く歩道もあったEXPO1970の圧勝です。

水鳥の池に鳥もトンボもカエルも見つからないもののヤマフジが咲いてました。道端の黄色い花はオニタビラコ。

ビオトーブにやってきました。鉢植えのアヤメです。

ここでも見頃はカキツバタ。

花びら根元が白い1本筋なのがカキツバタの見分け方。

カキツバタの葉っぱに止まったシオカラトンボカップルがお取り込み中。

畳になるイグサです。白い小さい点々はイグサの花。漸くビオトーブらしくなってきたビオトーブです。

もみじの滝のモミジの花、なかなか可愛い。

楽しみにしていた「もみの池」は池の上にネットが張られジップラインみたいなアトラクションが設置されていてビックリ。それに池のぐるり(おそらく池底も)がコンクリートで覆われています。2年前のもみの池とは完全に様変わり、もうカワセミがやってくることは100%無いはず。よくみると池の向こう側に順番待ちの行列、人気アトラクションになっているようですが、やるせない。

けやきの丘の喫煙所はそのままでした。

太陽の塔が見えてきました。頭の中で、こんにちは〜、こんにちは〜、せかいのくにから〜♪と鳴り出します。夢洲でもコブクロがこんにちは〜♪と歌ってますが、ここは三波春夫に匹敵するマツケンの出番かと。

太陽の塔広場までやってくるとビックリ、超ハデハデカーペット。

マツバギクに似たまるで造花のようなハデハデはリビングストンデージー。光沢のある花びらが太陽光を反射してまぶしい。

こいのぼりも揚ってました。

側面からと背中の黒い太陽。

みんな大好き太陽の塔、夢洲でもこんな強烈なにキャラの立ったシンボルができるものと期待、草間彌生さんあたりの作品が登場するのではと予測していたのですが、ハズレました。

国立民族学博物館

今日ここへやってきたのは国立民族学博物館(みんぱく)見学が一番の目的、万博公園には何度も来ているのにみんぱくに入ったことがなく(レストランで食事したことはある)、泉屋博古館の青銅器のような強烈な古代のエネルギーを感じられるような何か、例えば古代アンデス文明の何かとか見ることができるんじゃないかと考えた次第。

最初はオセアニアゾーンでどどーんとモアイ像(複製)。

パプアニューギニアの仮面とオーストラリアのブーメランの数々。いずれも1980年代頃の収集とあり、古いものじゃないです。

16世紀アステカ文明の暦石(複製)、右下の説明では260日暦のものとしか分からず、ちょっと調べてみるとツォルキンというマヤ文明の暦法がアステカにも伝わっていたとまでは分かったものの、260日が何を意味するものかWikiPediaを読んでも理解できませんでした。

ヨーロッパゾーンを抜けてアフリカゾーン。14世紀ベニン王国の王母の頭像(複製)、ベニンは現在のナイジェリアにあった王国で、15世紀末頃には青銅器や象牙などの芸術で高い技術を持つアフリカで最も強大な国家であったものの、ポルトガルやイギリスあるいは新大陸への有力な奴隷輸出元だったらしい。19世紀末に滅亡しています。

西アジア、音楽、言語、南アジア、東南アジア、朝鮮半島、中国と各ゾーンをささっと見学。率直なところあまり興味が湧きませんでした。古いものは殆どなく、殆どが20世紀末頃に収集されたもの、たぶん自分の偏見ですが観光地の土産物店で買い集めたんじゃないかと思われる展示品も。

モンゴルのゲル(中国語ではパオ)です。中にはいってみました。石炭ストーブやテレビが置かれていてモンゴル人民共和国の頃を再現していようです。

「頭上や足下にお気をつけてお入りください」と注意書きがあったのに、出る時に入ってこようとしたカップルに道を譲ろうとして思いっきり頭をぶちつけ、目から火花が出ました。

シベリアの精霊の木像は見たいと思っていた古代のエネルギーに似たようなものを感じさせてくれました。

最後は日本ゾーンです。あまりにも広範なジャンルの品々を雑然と展示というのが自分の印象です。自然文化園を歩き回ったあとでもうかなり疲れていたせいか、あるいは自分のキャパが小さいせいか、博物館全体の世界の民族というテーマが広すぎて頭に入って来ませんでした。

日本庭園

日本庭園西端の深山の泉、何もいませんでしたがシランがいっぱい。シランをアップで撮っておきました。

薄いピンクはショウキウツギと思われます。

心字池北側の築山から太陽の塔とOSAKA WHEEL。西口から入園してからずっとしきりに「ピンポンパンポン、お客様のお呼び出しをいたします。◯◯市からお越しの△△様、お連れ様がお待ちです…」とそれこそ1970年を彷彿とさせる大音量のアナウンスが何度も、それも別の人を呼び出しているのが聞こえてきます。このゴルフ場みたいに何もないところだとさらによく聞こえてきてしまいます。それにしても今どきケータイ持っていないのか不思議、よほどの年寄なのか、充電を忘れたのか、ケータイ自体紛失したのか…。ディズニーだと開園以来こういうの無かったはず、夢洲はどうなのかな。

火の国という品種の真っ赤なクルメツツジにミツバチ。

日本庭園東端のハナショウブ田まで歩いたけどハナショウブは一輪も咲いていなくてカキツバタやアヤメもなく、池にはコウホネ。日本庭園の橋っぽの回転ドアから出場。

疲れだけが残った今日の万博公園、EXPO'70パビリオンでは「プレイバック1970 大阪万博と昭和レトロ」なる特別展示も開催中で、1970年頃の茶の間の再現とかもあるようですが、イマイチ惹かれません。

日本庭園前バス停周辺でヒルザキツキミソウがいっぱい咲いてました。

吹田総合車両所に解体待ちの201系、3月まで大和路線を走っていた車輌でもう屋上のクーラーは取り外されています。1979年の中央線快速に導入されて以来46年の歴史を閉じた201系です。

曽根崎のYamatoでヒューガルテンと焼ソーセージ、これでようやく疲れが癒されました。

阪神スナックパークのラーメンで仕上げ、カウンターの隣に若いパパと年少さんくらいの女の子、パパはカウンターで海鮮丼、女の子はカウンターの下の荷物棚をカウンターにしてラーメンを食べているのがとても可愛かった。そこへオムライスのママも登場、カウンターの下の女の子に分け分け。

ラーメンの前の壁には長谷川義史画伯の壁画、「とびだせえほん」チームが梅田の歩道橋を渡っていて、その下でロザンが「万博まで道案内」してました。「とびだせえほん」復活しないかな。