EXPO'70パビリオン

一度気にいると同じ場所へ飽きるまで足を運ぶのが自分の習性、今週も万博公園へ。

西口からすぐなのに、まだ行ってなかった「水草の池」、オオシオカラトンボがいました。

春の泉(ソ連館跡)

「松の池」は向こう側はきれいに整備されているのに手前は雑草で水辺に近寄れませんでした。

前回もやってきた「春の泉」、正面に太陽の塔が小さく立ってます。

岩に腰掛けてサンドイッチをぱくついていると、シオカラトンボがやってきてサンドイッチを欲しげ。

春の泉の水が岩の隙間から湧き出していることに気づきました。湧き出すというには水量が多すぎるので、地下水をポンプで組み上げここから放出しているものと推測。調べていると万博公園東側に浄水場があります。そこが水源かも知れません。

セスジイトトンボです。交尾中のとぼっちの、イマイチピンぼけ。

ショウジョウトンボ♀です。こちらは翅の網目模様までくっきり。

太陽の塔をどーんと。こうやって見ると「黄金の顔」の金色は全然剥げてないですね。お腹の「太陽の顔」の横顔も凛々しい。

旧鉄鋼館

EXPO'70パビリオンが今日の目的、2010年にオープンした、万博当時の鉄鋼館を再利用した万博関連資料を展示する博物館です。

2階に上がると、お祭り広場と万博中央駅、エクスポランドのジオラマ。大屋根から頭を出した太陽の塔です。

目を光らせた太陽の塔、実物はここまで強く光らないです。手前左端のボケているのはエキスポタワーのジオラマ。

EXPO'70シンボルマークに映った自分です。太陽の塔の中と同じような真っ赤な通路を進んで行きます。

当時の料金表です。1970年の消費者物価指数が2020年比で30.9なので、現在であれば2,600円程です。2025年の大阪万博の入場料が6,000円で調整中(参考)だそうです。EXPO'70の入場者6,400万人に対し、EXPO2025の3,000万人を想定しているらしく、EXPO'70は安く設定し過ぎて大混雑してしまった、という見方をしているようです。TDLやUSJと比較して6,000円は妥当なところかも知れません。

建物の中央はスペースシアターという鉄鋼館当時の劇場のままですが劇場としては利用されていないようです。

耳にタコができるほど聞いた「人類の進歩と調和」、2025年は「いのち輝く未来社会のデザイン」だそうですが全然ピンと来ないです。太陽の塔は、未来の顔、現在の顔、過去の顔がセットになって調和しています。バック・トゥ・ザ・フューチャーも1985年、2015年、1955年が揃って完結です。ことさら未来ばかりを歌っても、老い先短い爺さんとしては「ふ〜ん」としか感じないかと。

階段に当時の入館者数ベスト10が紹介されていました。月の石やアポロ宇宙船を見るために延々と並んだアメリカ館じゃなくて、何とソ連館が1位です。ソユーズの展示があったのかも、でも不自然な動員がかかっていなかったか、とちょっと勘ぐりたくなります。

縦長パネルでパビリオンの紹介

  • 一番好きだったスイス館、柔らかい光で輝いていた夜のスイス館の美しさは今も目に浮かべることができます。
  • 鎌と槌の国旗をイメージさせるソ連館、ブレジネフ時代のソ連です。さっきまで歩いていた春の泉の場所にドーンと建っていました。
  • 中華人民共和国館の出展はなく、中華民国館。田中角栄と周恩来のいわゆる日中国交正常化は万博後の1972年です。この頃中国はまだ文化大革命の真っ最中でした。

  • キリスト教館、バチカン市国の出展で、イケイケドンドンの世間に対し一石を投じる内容だったようです。
  • 虹の塔は日本専売公社。国鉄と郵便の出展は無かったようです。
  • 海外からは国単位に限らず州や市の出展も少なくなくて、ブリティッシュ・コロンビアという名前は万博で初めて知りました。後年バンクーバーを訪ねた時、国境を隔てて隣接しボーイングやマイクロソフトなど有名企業が多く立地するシアトルよりずっとにぎやかな町でびっくりしました。

  • 東芝IHI館、東芝IHクッキングヒーターじゃなくて、IHI、石川島播磨重工業との共同出展、両社で経営トップを務めていたミスター合理化、土光敏夫氏の関連かと、
  • 七重塔の古河パビリオンは東大寺に2基あった七重塔をプレハブ構造で再現したもの。内部はコンピュータ関連の展示。
  • 今いるEXPO'70パビリオンの52年前の姿、鉄鋼館。エントランスとかも当時のままと分かります。

EXPO'70の時、自分は12歳、少なくとも3回、たぶん5回くらい訪ねたはず。和服を着た祖母と月の石を目指して走ったことが一番記憶に残ってます。パビリオンはスイス館とアメリカ館の記憶しかありません。

コンパニオン、ダイダラザウルス、電気自動車…

コンパニオンさんたちのユニフォームの展示、何館だったかは覚えていないものの、親戚のお姉さんがこんなミニスカートのコンパニオンをしていてすごく憧れました。

5台のジェットコースターが同時走行のダイダラザウルスには開催期間中には乗れず、エキスポランドになって5コースから2コースに減ってからしか乗れなかったはず。自分は今も絶叫マシン系は苦手ですが、それでも平気くらいだった記憶があります。

乗った記憶がある電気自動車、会場内の移動に使われていたのですが、今や大阪城公園で何台も似たようなのが走ってます。

会場スタッフ用の電動自転車、電動アシスト付自転車とほぼ同じ形態ですね。

当時のポスター、2025年にもそのまま使えそうなセンスの好さです。UCCの缶コーヒーは50年以上前のデザインと分かります。

万博ホールライブイベントのポスター、ザ・タイガース、フォーリーブス、ブルー・コメッツ、トワ・エ・モワ…、まさに日本のアイドルが残らず勢揃い。和田アキ子、由紀さおり、森山加代子…、今もバリバリ現役歌手の名前も少なくないです。

ペーパークラフトのジオラマです。白いキルティングのような屋根はアメリカ館、その隣のブロントサウルスのようなのはオーストラリア館、蚊取り線香入れのようなのはガスパビリオン。手前をモノレールが走ってますが、モノレールの現在地はそのまた手前の北大阪急行とある付近。日本庭園は今も変わりません。

閉会式のビデオを見てお終い。太陽の塔の中よりずっと見応えがありましたが、逆に2025年の万博が成功するのかちょっと覚束ない思いがしてきました。高度成長期の始まりの頃、日本中が夢いっぱいだった頃、鉄腕アトムに描かれていたような世界が体験できるかもと期待し、実際に体験できたEXPO'70でした。提供する側も、電気自動車や人間洗濯機、動く歩道などなど、鉄腕アトムのような世界をシンボリックに実現するだけで十分に役割を果たせたはずです。ところがスマホひとつで手塚治虫が描いたよりはるかに多くのことができてしまう世の中になってしまいました。城崎温泉でカニを食べるより海外旅行した方が安上がりにもなりました。2025年の万博で海外の文化を紹介することにどこまでニーズがあるのかも疑問です。

テーマパークとして捉えても、清掃作業すらエンタテイメントに仕立て上げる年季の入ったTDLやUSJに対抗できるだけの楽しさを、目のこえた消費者にEXPO2025が提供できるのか、かなり厳しいと思わざるを得ません。民間パビリオンが発表されてましたが、トヨタやソフトバンクの名前が見当たりません。EXPO'70に出展していたサントリーもいません。参加するメリットが明確であればGAFAの一角でも名前があるかと。とても残念ですが時代遅れのローカルイベントになりそうな気がしてきました。

暑中お見舞申し上げます♪

自然文化園西口から入ってきて東口から帰ります。曇りがちだった午前中から一転、日差しが強くなり、木陰を選んで歩くものの木陰が無い場所はキツいです。

EXPO'70パビリオンからだと万博記念公園駅よりずっと近い、初めて利用するモノレールの公園東口駅です。

やって来たのは京急1000系風のラッピング広告車、万博記念公園駅で乗り換え、さらに南茨木で阪急に乗り換え。

どこでプファーするか悩んで梅田に出ることにしました。

新梅田食道街、駅前第4ビル、と回ってみたもののピンと来なくて、お初天神の商店街を歩いていると、第3ビルで入ったことのある立ち食い寿司店と同じ屋号の店を見つけました。第3ビルのお店と違ってカウンターに椅子があるのを見て入店。写真のカワハギにはキモともみじおろし、剣イカには海苔に岩塩、といわゆる「しごとした寿司」、職人さんはわっかいニイチャンもしっかりした仕事ぶりです。シャリは10gなので、パカスカ食べてしまいます。寿司自体はこのクォリティとしては格安ですが、結果的にそれなりのお会計になるものの気に入りました。

BGMで暑中お見舞申し上げます♪と流れてきました。EXPO'70の後に季節感たっぷりのキャンディーズで自分のテンションがぐっと上がります。お店の中の人もお客さんたちもせいぜい30代ばかり、この歌知ってはる、と訊きたいのをじっとガマンしてました。

ちょっとお腹に余裕があるので阪神百貨店のスナックパークでラーメン、壁一面に、とびだせ!えほんの長谷川義史画伯の絵が描かれていてびっくり。「ここへでてまいりましたのは、大阪は南のほう(たぶん藤井寺のこと)からやってまいりましたふたりのおやこ」の物語です。