六角墳と八角墳
古墳めぐりには一番いい季節になりました。もっと暖かくなって雑草茫々になる前に飛鳥へ。
八木西口駅前の橿原市観光案内図です。「いざ世界遺産へ、飛鳥・藤原の宮都」と大きくあるものの、案内図でその対象となるのは藤原宮跡と本薬師寺跡だけ、橿原神宮や今井町は時代が違います。
橿原神宮前で吉野線に乗り換え。当駅どまりの普通が到着、方向幕回転ショーを見物していると、区間急行下市口というのが出て来ました。2012年まで平日朝に1本だけ運転されていたらしい。
以前撮り鉄をした記憶のある踏切から谷へ入ります。調べてみると6年前のまだコロナが収まっていなかった頃です。
踏切を渡るの田んぼに先週は会えなかったレンゲ。
ウグイスの下手なさえずり。
ぐるっと回ってみたものの石室入口は見当たらず埋められているようです。シュロの木が1本、古墳を守るように立っているだけ。
マルコ山古墳も当初飛鳥・藤原の宮都世界遺産登録の構成要素に含まれていたものの、大和三山ともども外されてしまっています。世界遺産に登録されるまでの手続きや条件を見ると実に厳しい。
束明神古墳
踏切を渡らずにV字に折り返し高取国際高校沿いの上り坂からマルコ山古墳の眺め。マルコ山古墳の向こう側の谷に牽牛子塚古墳があります。ひとつの谷にひとつのやんごとなき人の陵墓という飛鳥時代の決まりごとがあったのかも知れません。
帰宅後飛鳥古代史チャンネルの来村先生の案内でマルコ山古墳石室入口を示す岩が置かれていると分かったものの、2/3周くらいしか回らなかったせいか気づきませんでした。この写真を拡大すると見逃したその岩らしきが見えます。
境内右手の低い土盛りが束明神古墳。終末期古墳で、牽牛子塚古墳や天武・持統天皇陵、中尾山古墳と同じ八角墳です。被葬者は天武・持統天皇皇子の草壁皇子の可能性が高いとのこと。
天武天皇の後継者として立太子、天武天皇崩御後持統天皇が即位、人望厚かったものの草壁皇子は皇位に就くことなく27歳で早逝。ライバルだった異母兄弟で聡明と伝わる大津皇子(母は持統天皇異母姉妹の大田皇女)の墓所は二条山雄岳山頂付近にあって訪ねるのは大変ですが、こちらは壺阪山駅からだと歩いて20分ほど。
こちらも来村先生の説明で石段のある南向きではなく、踏切から上ってきた東北向きの谷に向かって位置していると分かりました。後述の岡宮天皇真弓丘陵が草壁皇子の陵墓に治定されているのは、明治時代の役人が佐田の村人に尋ねたところ、ここを「草壁さん」と呼んでいたにもかかわらず、立ち退きを命じられるのではないかとおそれ、ここではなくあっち、と答えたためという話はとても興味深い。
壺阪山駅にたどり着きました。ちょうど上り電車が発車したばかりで約30分待ちです。高取町の観光案内図を眺めていると、キトラ古墳、子嶋寺、上子島沢砂防公園、壷阪寺、それに今日歩いたところで、高取城を除き、概ね高取町全域をカバーできたようです。
観光案内図の隣に新たに大河ドラマがらみで新しい案内板が立てられていました。高取が秀長ゆかりの地とは知らなかったのですが、大和郡山へ入城後、詰の城として高取城を大改修したのが秀長で、CGはその大改修後の高取城だそうです。CGの上には高取城国見櫓からの夜景、二上山の向こうに大阪が輝いてます。
春分の日で日の丸を立てたバスは壷阪寺行、バスの向こうの双葉食堂でお好み焼きを食べたかったのですが、しばらくの間休ませていただきますとの張り紙。
駅舎に入ると雛人形、町家のひな祭りは15日で終了しているものの、壷阪寺の大雛曼荼羅は4月中旬まで開催らしい。