六角墳と八角墳

古墳めぐりには一番いい季節になりました。もっと暖かくなって雑草茫々になる前に飛鳥へ。

今朝、自宅ベランダから春分の日の日の出、タワマンが2棟も建ってずっと空が狭くなってしまったのですが、真東だけは空がキープされています。

7番線には先週の山の辺の道へと同じ9:56の区間急行青山町行。空いていた6番線に先週と同じ台北メトロラッピング編成が入線してきました。LCカーのクロスシート設定ですが、乗車側のドアが開いても方向転換されないまま、乗客が自分で座席下のペダルを踏んで方向転換することになります。

青山町行の後ろ2両は昭和43年製の2400系、110km/hで爆走中。

大和八木で途中下車してお気に入りの八木西口のラ・ポッシェへ。ランチには早すぎてモーニングにしたものの、これだけでは足りず、スーパーマツゲンでサラダ巻半分を買うはめに。

八木西口駅前の橿原市観光案内図です。「いざ世界遺産へ、飛鳥・藤原の宮都」と大きくあるものの、案内図でその対象となるのは藤原宮跡と本薬師寺跡だけ、橿原神宮や今井町は時代が違います。

橿原神宮前で吉野線に乗り換え。当駅どまりの普通が到着、方向幕回転ショーを見物していると、区間急行下市口というのが出て来ました。2012年まで平日朝に1本だけ運転されていたらしい。

当駅止の区間急行が普通吉野に表示を変えて到着。桜に「延長運転 大阪阿部野橋-吉野」と描かれたヘッドマーク付、延長運転の時は4両編成が吉野まで直通、そうじゃない時は橿原神宮前で2両編成に乗り換える、とうことのようです。

飛鳥駅に到着、ガラガラの4連特急と列車交換。

マルコ山古墳

飛鳥駅前の推古天皇に挨拶してベンチに腰を下ろし、さっき買ったサラダ巻きをおなかへ。今日の目的地は駅西側ですが、欄干に朱雀が描かれた橋を渡って高取川沿いに南へ。

以前撮り鉄をした記憶のある踏切から谷へ入ります。調べてみると6年前のまだコロナが収まっていなかった頃です。

踏切を渡るの田んぼに先週は会えなかったレンゲ。

オオイヌノフグリとタンポポ、ヒメリュウキンカもいっぱい。

ムスカリもいっぱい。この先、電チャリでもキツそうな坂道を行くと、与楽カンジョ古墳を始めとした与楽古墳群、その先御所まで飛鳥駅から7kmくらい、いずれチャレンジしたいと思っています。

ユキヤナギに囲まれた最初の目的地、マルコ山古墳に到着。

7世紀末〜8世紀初頭の終末期古墳、類例の殆どない二段築成の六角墳ですが、外観からは円形にしか見えません。キトラ古墳や高松塚古墳同様に内壁全体が漆喰で塗られた石室があるものの、期待された壁画は無かったそうです。被葬者は天武天皇第二皇子の川島皇子説が有力らしい。

丸い建物はトイレです。坂道を上って古墳の裏側に回ってきました。

ウグイスの下手なさえずり。

ぐるっと回ってみたものの石室入口は見当たらず埋められているようです。シュロの木が1本、古墳を守るように立っているだけ。

マルコ山古墳も当初飛鳥・藤原の宮都世界遺産登録の構成要素に含まれていたものの、大和三山ともども外されてしまっています。世界遺産に登録されるまでの手続きや条件を見ると実に厳しい。

谷の向こうは県立高取国際高校、次の目的地は谷の向こうです。

谷のこちら側は明日香村、向こう側は高取町。あぜ道を行けそうですが、これまでの里山歩きで「急がば回れ」はさんざん経験しているので止めておきます。

踏切まで戻ると青の交響曲がやってきました。2枚目はヘッドマークがくっきり見えるように、Gemini+Nano Bananaに補正してもらってます。

束明神古墳

踏切を渡らずにV字に折り返し高取国際高校沿いの上り坂からマルコ山古墳の眺め。マルコ山古墳の向こう側の谷に牽牛子塚古墳があります。ひとつの谷にひとつのやんごとなき人の陵墓という飛鳥時代の決まりごとがあったのかも知れません。

帰宅後飛鳥古代史チャンネルの来村先生の案内でマルコ山古墳石室入口を示す岩が置かれていると分かったものの、2/3周くらいしか回らなかったせいか気づきませんでした。この写真を拡大すると見逃したその岩らしきが見えます。

道を歩いていると頭に何か落ちてきました。ヒノキの実です

すれ違う人もいない道でハイカー向けの道案内、束明神古墳が向う2つ目の目的地です。谷の奥に見えてきたのは高取町佐田集落。

害獣除けのカイトがぐるぐる回ってます。佐田の集落に入るとオオアラセイトウ(ムラサキハナナ)。

狭い道を進むとノースポール(カンシロギク)。

息切らせて石段を上ると春日神社。

境内右手の低い土盛りが束明神古墳。終末期古墳で、牽牛子塚古墳天武・持統天皇陵中尾山古墳と同じ八角墳です。被葬者は天武・持統天皇皇子の草壁皇子の可能性が高いとのこと。

天武天皇の後継者として立太子、天武天皇崩御後持統天皇が即位、人望厚かったものの草壁皇子は皇位に就くことなく27歳で早逝。ライバルだった異母兄弟で聡明と伝わる大津皇子(母は持統天皇異母姉妹の大田皇女)の墓所は二条山雄岳山頂付近にあって訪ねるのは大変ですが、こちらは壺阪山駅からだと歩いて20分ほど。

こちらも来村先生の説明で石段のある南向きではなく、踏切から上ってきた東北向きの谷に向かって位置していると分かりました。後述の岡宮天皇真弓丘陵が草壁皇子の陵墓に治定されているのは、明治時代の役人が佐田の村人に尋ねたところ、ここを「草壁さん」と呼んでいたにもかかわらず、立ち退きを命じられるのではないかとおそれ、ここではなくあっち、と答えたためという話はとても興味深い。

こちらも石室入口は見つからなかったのですが、帰宅後その復元石室が橿原考古学研究所付属博物館で屋外展示されている石室と分かりました。去年5月に訪ねた時にブログにはアップしていなかったもののしっかり写真を撮っていました。

こんなに大きな石室がこの墳丘の中にあったのかと不思議ですが、来村先生の説明でキトラ古墳石室の4倍もの大きさで地面を掘り下げて八角形に版築されていたらしい。現状からは想像しにくいですが、牽牛子塚古墳に匹敵する巨大な古墳だったようです。

石段を下りる途中からの眺め、山の狭間に壷阪寺が見えます。画面左端のピークが高取城本丸跡です。御殿様も御家来衆もよくぞあんなところまで毎日(たぶん)登城していたものです。

坂道の石垣に花とろうそくが供えられた浮彫の石仏と風化した歌碑のような石碑、GoogleMapには何らマーカーはなく、ChatGPTががんばって読み取ってくれて、歌碑ではなく念仏供養碑でほぼ間違いないとのことです。

来た道の谷とは違う南の谷を下ります。枝ぶりが特徴的な丘の上の桜はケイオウザクラ(啓翁桜)。

下り坂から脇道の上り坂に入ると二手に分かれた石段。左手の石段を上ると岡宮天皇真弓丘陵と記されたおなじみの宮内庁の案内板、陵墓に向かって正面ではなく垂直方向にあり、画面右手は宮内庁の詰所もあります。

岡宮天皇とは奈良時代に草壁皇子に贈られた称号、佐田の村人たちが「あっち」と答えたことにより宮内庁に治定された草壁皇子陵墓がここ、真陵は「草壁さん」こと束明神古墳でまちがいなさそうです。

石段を下りて、右側の石段を上ると左手に玉垣に囲まれた岡宮天皇真弓丘陵の土盛りがあるものの、古墳ですらないのかも知れません。

正面には素盞鳴命(すさのおおのみこと)神社。真弓丘陵とは牽牛子塚古墳、カンジョ古墳、マルコ山古墳、束明神古墳を含む丘陵地帯全体を指すようです。

神社にえらく簡素な住所入りの表札が掲げられていました。境内の隅に何やら曰く有りげな手水鉢、ChatGPTによると石臼を転用したものではないかと。

谷を抜けた辺りから岡宮天皇真弓丘陵を振り返ったところです。飛鳥宮の方を向いていないので、やはり真陵ではなさそうです。オオイヌノフグリがくっきり撮れました。

帰り道

金剛山の南端付近をバックに市尾方面の眺め、6世紀の巨勢氏の古墳とされる市尾墓山古墳や市尾宮塚古墳まで2kmほどですが、もう十分歩いたので機会を改めます。

三叉路に「古代の幹線道 飛鳥〜和歌山、古道紀路(高野街道)」とある道標、今来た道じゃなくて、直進と左折が紀路(きじ)です。神護景雲元年(767年)10月、称徳天皇(皇極天皇)は紀伊国行幸の際、紀路から祖父である草壁皇子墓を遥拝したと続日本紀に記録されています。現在地ではなく、おそらく青の交響曲を撮った踏切付近からと思われます。

歩いてきた佐田の谷の中央に何やら古墳らしき丘。左折して田んぼの中の道を進むとイソヒヨドリ。最近鳥運がさっぱりで、今日もこの子だけ。

鳥はハズレも花はアタリ、誰かが種を撒いたんじゃなく自生と思われるレンゲが美しい。

石垣の上のヒメリュウキンカを真横から。キズイセンも美しい。

壺阪山駅にたどり着きました。ちょうど上り電車が発車したばかりで約30分待ちです。高取町の観光案内図を眺めていると、キトラ古墳、子嶋寺、上子島沢砂防公園、壷阪寺、それに今日歩いたところで、高取城を除き、概ね高取町全域をカバーできたようです。

観光案内図の隣に新たに大河ドラマがらみで新しい案内板が立てられていました。高取が秀長ゆかりの地とは知らなかったのですが、大和郡山へ入城後、詰の城として高取城を大改修したのが秀長で、CGはその大改修後の高取城だそうです。CGの上には高取城国見櫓からの夜景、二上山の向こうに大阪が輝いてます。

春分の日で日の丸を立てたバスは壷阪寺行、バスの向こうの双葉食堂でお好み焼きを食べたかったのですが、しばらくの間休ませていただきますとの張り紙。

駅舎に入ると雛人形、町家のひな祭りは15日で終了しているものの、壷阪寺の大雛曼荼羅は4月中旬まで開催らしい。

周辺をぶらぶらしているとあっという間に電車の時間、壺阪山駅のパタパタです。橿原神宮前行普通ですが、橿原神宮前から大阪阿部野橋行区間急行に変わります。やはり吉野から区間急行にした方がずっと分かりやすいと思う。

青い近鉄電車

八木で区間急行を待っているとやってきたのは青い近鉄電車、初撮り、初乗りでテンション上りました。

車内は新車の香りがプンプン。

高安車庫にずらりと並ぶカラフルな近鉄電車、窓框の外が青いのがミソです。奈良線の8A系との違いはトイレがあること。

布施で下車、既に少なくとも4編成登場しているようです。いつものお店は祝日5時閉店でビール1本空けただけ。