明日香で古代史勉強
竹内街道や葛城のみちを歩いて俄然古代史に興味がでてきました。戦国時代や幕末史については司馬作品や大河ドラマでかなり馴染みがあるものの、古代史については、せいぜい大化の改新が645年という程度しか知識がありません。
蘇我氏ー古代豪族の興亡という本を読んでみたものの、少治田宮治天下止余美気加志支夜比売(おはりたのみやにあめのしたしらしめししとよみけかしきやひめ ー 推古天皇)や阿米久爾意斯波留支比里爾波乃弥己等(あめくにおしはるきひろにわのみこと ー 欽明天皇)…、殆ど頭に入らずとりあえず挫折。
超初心者モードでまんが日本史の大化の改新-中大兄皇子と藤原鎌足-と壬申の乱-新しい国家の誕生-を抑えておいて、次に井上靖の額田女王を一読、乙巳(いっし)の変から壬申の乱までの大筋が何とか頭に入って来たところです。
つーことで明日香へ、ウチから1時間ほどで古代史のメッカを辿ることができるのはありがたいです。
昨日買っておいた近鉄1dayおでかけきっぷ(大阪/京都/奈良版)1000円で出発、橿原神宮前からは今日もラビットカー。
飛鳥駅で電チャリのレンタサイクルを借りて出発、ムギワラトンボがしっかり古代史勉強してきてね、だって。
いきなり急坂、左手のこんもりした森は文武天皇稜。天智天皇の孫、聖武天皇の父。
せっかく上ったのに少し下りてまた上り、電チャリでもキツくなってきました。
何とか自転車を漕ぎ続けたまま峠のピークを越すと棚田の視界が広がりました。
棚田の谷を下りて県道15号に合流、振り返るとかなり遠くに今日の第1目的地、アイーン。
もういちど飛鳥川の流れを越えて棚田側へ。ホオジロがじっと止まって鳴いているもののなかなかピントが合いません。鳥の写真を撮るのがだんだん下手になっているような気がします。
9月から11月初旬にかけ案山子ロードというイベントが毎年開催されていて、数十体の趣向を凝らした案山子が並ぶそうです。先行してジャンボ案山子、今年は「バカ殿様」が先月25日に立てられたと分かり、秋まで待てなくてやってきた次第です。
主催するNPO団体のFacebookページに企画段階から制作、設置まで詳しく紹介されています。去年のジャンボ案山子「チコちゃん」は6月まで立っていたようです。
ちょっと©関係が気になったのですが、今年で25回目、地元自治体も関わっているらしく、マスメディアにも何度も紹介されており、気にしなくて大丈夫かと。古代史とは何ら関係無いですが、志村けんさんの死は現代史の大きな1ページとなったことは間違いないです。
オオシオカラトンボとハグロトンボ。周囲の道路は狭くて、自転車と軽トラがすれ違うにも退避スペースの確保が必要です。
トンボがいないか飛鳥川の流れをチェックしたけど何も見つからず、帰ってから、このすぐ後ろに男性のシンボルを模した男綱が架けられていて、もう少し川上に女性のシンボルを模した女綱が架けられていると分かったものの、全然気づきませんでした。
近くに飛鳥川万葉の飛び石という史跡があるようなので行ってみます。田んぼに挟まれた飛鳥川の流れに小さな木橋。
その脇に並ぶ石が史跡のようです。自転車を下りて歩いて行くしかないです。
明日香川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思ほえぬかも ー 万葉集、作者未詳
県道15号線はこの先吉野へと続いています。おそらく古代の道は飛鳥川そのもので、飛鳥宮から離宮のあった吉野へ、額田女王や大海人皇子らが度々渡った飛び石だったと思われます。侍女を連れ裳裾を掻い取り飛び石を渡る額田女王の姿が目に浮かびます。変哲のない飛び石が万葉集で歌われたことにより、特別な意味を持ちました。
記紀では飛鳥、万葉集では明日香と表記することが多く、叙事的には飛鳥、叙情的には明日香と表記されると理解して良さそうです。
6年ぶりの石舞台です。前回は入場料をケチったのですが、300円で見学。被葬者は乙巳の変で中大兄皇子に暗殺された蘇我入鹿の祖父、蘇我馬子と推定されます。石室の中は流石にひんやり。普段よりはずっと少ないようですが、そこそこ観光客は来ています。
出口のところで奈良県庁の人の口頭アンケート調査を受けました。ウェットティッシュをもらって、どこからどのように来て、どこを回ってきたのか、これからどこへ行く予定か、等々根掘り葉掘り効かれ、コロナ対策として、とにかくできるだけ、人がいっぱいいるところには近づかないようにしています、と答えておきました。
石舞台の土手のアザミにツマグロヒョウモン。休憩所裏の喫煙所の乾いた地面にツチガエル。
伝飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)跡、乙巳の変の舞台となった場所です。乙巳の変の後、皇極天皇が退位して孝徳天皇が即位すると、ここから難波宮(この辺り)に遷都、孝徳天皇崩御で皇極天皇が斉明天皇として重祚して板蓋宮に戻り、板蓋宮が火災で川原宮へ、さらに後岡本宮へ遷っています。遷都を繰り返した経緯は井上靖の額田女王にも詳しく描かれています。
川原宮はちょっと離れているものの、後岡本宮も、それ以前の岡本宮も、後年の天武天皇と持統天皇の浄御原宮も、ここ板蓋宮と同じ位置にあったことがほぼ確認されたらしく、ここに立てられている奈良県教育委員会の案内板は今も「伝飛鳥板蓋宮跡」のままですが、史跡名称は平成28年に「飛鳥宮跡」に変更されています。写真の井戸の遺跡は浄御原宮の時のものだそうです。
田んぼ脇の水路に高速で泳ぎ回る魚が数尾、アブラハヤと思われます。最近オオシオカラトンボにはよく会います。
田んぼの中の遊歩道から離れた場所にハスの花、蓮根の栽培のようです。
飛鳥寺西門です。ここも前回はケチってしまい東門の前を素通りしただけだったのですが、拝観料350円で中へ。写真はOKですとのこと。靴を脱いで本堂に上がるとセンサーが感知して音声ガイドが始まります。
本尊の飛鳥大仏は鎌倉時代の火災で大きく損傷、顔の一部と右手だけが創建当時のままだそうです。このためか日本最古の仏像とされるものの国宝には指定されていません。
6世紀末、蘇我馬子により創建、聖徳太子による四天王寺創建とほぼ同時期で、日本最古の大伽藍を持つ本格的寺院であったものの、鎌倉時代以降廃寺同然となっていたのが、江戸時代に小寺院として再建されて今に至る由。少なくとも飛鳥大仏の鎮座する場所は大伽藍から小寺院になっても創建当初のままということは音声ガイドでもかなり強調されてました。
元々蘇我氏の氏寺だったものの、乙巳の変後も官寺と位置づけられており、中大兄皇子と中臣鎌足の関係と同様に、蘇我馬子は聖徳太子の政策立案実行のパートナーだった訳で、朝廷は蘇我氏滅亡後もその功績を否定していたのではなかったと感じます。
飛鳥大仏が今も鎮座する飛鳥寺本堂、かつてはこの何倍もの大きさの金堂だったはずです。
西門跡から本堂までの距離が80mほどもあり、往時の壮大さを実感できます。西門跡の反対側に蘇我入鹿の首塚があり、その先に槻の木広場、まんが日本史でも描かれていた蹴鞠をする中大兄皇子と藤原鎌足が出会った場所があります。井上靖の額田女王でも描かれていた、大化の改新後に東北地方の蝦夷や南九州の隼人たちを招いての饗宴が開かれていた場所でもあります。
ブラタモリで紹介されていた水落遺跡、中大兄皇子による日本最初の水時計です。前回もここに来た記憶があるのですが、こういう貴重な遺跡とは全く気づきませんでした。
遺跡の片隅に案内では水時計のメカニズムは説明されていないものの、明日香村役場の分かりやすい動画がアップされていました。日時計とは別に、夜中や雨の日でも時刻がわかるという水時計のメリットは大きかったようです。近江神宮のサイトによると中大兄皇子が天智天皇に即位、大津京へ遷都後、近江でも671年4月15日に水時計を作り、そのグレゴリオ歴換算の6月10日が時の記念日の由来だそうです。
右下のイラストをトリミングしてみると、この水時計の建物の向こうに飛鳥寺の伽藍が広がっていて、当時の様子を実感できます。
もう少し北へ向かいます。正面に天香久山、その向こうに耳成山。緩やかな下り勾配で水が自然に流れる地形が、この地が古代の都に選ばれた理由のひとつのはずと感じます。
左手に小山が2つ、ブラタモリのタモさん曰く、コンビニみたいにあった明日香の名もない古墳です。左端に畝傍山が見えます。ということはもう橿原神宮前駅に近く、飛鳥駅に戻らなければならないので北上しすぎと気付き南へ戻ります。
橘寺も前回は前を通っただけだったので、拝観料350円で中へ。聖徳太子生誕の地とされ、8世紀には66もの堂宇が立ち並んでいたそうです。その当時とは比較にならないものの今もかなりの規模で、飛鳥寺よりすっと大きいです。
橘寺の放生池手前にある二面石、右が善面、左が悪面で自分たちの心の持ち方を現している飛鳥時代の石造物です。
橘寺往生院の花の天井画です。
往生院のホワイトボードには参拝者のコロナ退散祈願の寄せ書き。
橘寺の対面に川原寺。短期間仮宮のあった川原宮跡に天智天皇が創建した寺院だそうです。
帰りは基本的に下り坂、飛鳥駅で借りてきた電チャリじゃない人たちが自転車を押して上がってきます。この先高松塚古墳で、自分が来た稲渕の棚田への道ほどではないものの起伏が続きます。明日香でレンタサイクル借りるなら電チャリがマスト、お店によっては原付バイクのレンタルもあるようです。
遅いランチができる店を探していると、田んぼの向こうに16400系特急。
ググってみると★4.4の中華料理屋さんを見つけました。きくらげたっぷりの木須肉のランチ、特大唐揚げ付で680円!台湾料理店とあるものの、台湾料理っぽくないのですが満足。とてもアイソのいいお姉さんがやっていて心地いいです。ピッチャーで出してくれた水をガブ飲みしました。
さっきの場所でもう一度近鉄特急、こんどは16600系。
自転車を返却して駅に戻ると青シン、さっきの場所でもう少し待っていれば良かったです。
駅前に「飛鳥を翔けた女性たち」のパネル。パネルのイラストとは別ですが、里中満智子さんに古代史を舞台にした名作が多数あることを思い出しました。じっくり読んでみたいところです。
またまたラビットカーに大当たり。やっぱりさっきの場所でもう少し粘れば良かったです。
対向列車もラビットカー?
勾配を下って左カーブすると橿原神宮前駅、まっすぐ行くと台車交換庫です。
ラビットカーを見送っているウチに京都行急行に乗り遅れてしまいました。