ブラタモリで飛鳥

ブラタモリは飛鳥、林田理沙アナが交代してしまったのが、すごく残念ですが、Google Mapでタモさんたちの訪問地をチェックしつつ、たっぷり楽しめました。

いつもどおり雨のロケ、タモさん、つくづく雨男です。飛鳥宮跡→石舞台→飛鳥寺→水落遺跡→運河跡→酒船石と辿り、なぜ飛鳥は日本の国の礎になったかを探ります。

飛鳥と明日香、どちらが正しいのか、明日香村のウェブページでは、古事記や日本書紀では主に飛鳥、万葉集では主に明日香だそうで、どちらも正しいということのようです。こんなケースは少なくないです。金刀比羅宮と琴平町もそうだし、阿倍野区と阿部野神社でも「べ」の字が違います。京成青砥駅の住所は葛飾区青戸。ウチのご近所、生魂玉神社も天王寺区生玉町、周囲に生魂小学校や生玉公園が混在しています。やはり日本語は読みが原点で、漢字は渡来文字であり、そう考えるとカタカナ表記が氾濫しているのも目くじら立てることではないのかも知れません。

自分のブログをチェックすると、少なくとも明日香に3度訪ねていることが分かりました。カテゴリー名は飛鳥じゃなくて、語感の美しい明日香にしています。多武峰の秋では明日香に触れていないものの、この日、多武峰から桜井へ戻らず明日香へ歩いて下りています。何故かブログにしていなかったので、5年半前の記憶を辿ってみます。

5年半前の明日香

紅葉の談山神社から裏山を抜けると金剛山地の眺めが広がります。

桜井市から明日香村に入り、舗装道路の端に明日香への道標を見つけ、杉林の山道を下ります。

氣都倭既神社、乙巳の変で、蘇我入鹿を暗殺した中臣鎌足が逃げ込んだ古社だそうです。乙巳の変とはブラタモリで初めて知った次第、自分の時の教科書では大化の改新としか学ばなかったはずです。

山道を抜け視界が広がると電線にキセキレイ。

谷が広がってきました。両側の山肌には棚田がかなり上の方まで伸びています。

石舞台です。ブラタモリによると、元から石室がむき出しだったわけじゃなくて、四角い墳丘に覆われていたそうです。被葬者は蘇我氏繁栄を築いた蘇我馬子説が有力、推古天皇の叔父、蘇我入鹿の祖父に当たります。柵の中に入るには入場料がかかるので、外から眺めただけです。

周りの芝生でもキセキレイ。石舞台でレンタサイクルを借りました。普通のママチャリが1日1000円、200円引きのクーポンで800円も、阪急のレンタサイクルと比べると2倍だったのが記憶に残っています。

石舞台からほど近い岡寺です。近鉄吉野線に岡寺駅があるものの、3.4kmも離れています。大化の改新がほぼ一段落していた7世紀末の創建、江戸時代以降、真言宗豊山派で、長谷寺の末寺になっています。入山料をケチって三重塔の天女の舞う九輪を撮っただけでした。

タモさんたちも訪れた飛鳥寺、蘇我馬子の創建です。ここでも拝観料をケチって外から見ただけです。

形のいい建物が並ぶ橘寺、聖徳太子誕生の地だそうですが、前を通っただけです。

セブンイレブン明日香川原店、付近に他にコンビニはなく、古代のオアシスという趣きです。

高松塚古墳です。壁画は超有名ですが、古墳自体は二段重ねのプリンのような形をしているとは意外でした。隣接して高松塚壁画館というのがあって、この日初めて入館料を払って入ってみたものの、当たり前ですが、オリジナルの国宝壁画は東京に保管されていて、展示されているのはレプリカだけ、300円は高いと思ったことを覚えています。

談山神社を出たのが10時頃なのに、まだ1時過ぎ、飛鳥駅近くのごま団子MARU屋というお店でランチ、5年以上前なのによく覚えているものです。

高松塚古墳の次に写っていたのは橿原神宮前駅を駅の外から撮った写真、右端の台車付け替え場に南大阪線の電車が止まっています。

橿原神宮も訪ねていました。飛び抜けて社格が高く、初詣には76万人もの参拝者があるのですが、創建は明治23年、飛鳥寺より1300年新しいです。

今井町まで足を伸ばしていました。大阪へ引っ越してきたばかりの頃、火坂雅志の講演会を聞かせてもらった称念寺は工事中でした。

レンタサイクルを返却して橿原神宮前駅構内です。振り返ると標準軌の車止の向うを、吉野線の特急が狭軌の急勾配を下りてきました。

まっすぐ帰らずになぜか逆方向、壺阪山駅へ行ってました。スルッと関西3dayきっぷを持っていたので、90°カーブを見たかったためかと。

白く厚化粧される前の16000系、カッコいいです。今や何となく大井川鉄道に見えてしまいます。

飛鳥ナンバー

3年前に天香久山から藤原京を抜け、明日香村の広〜い田園地帯へとポタリングしています。ブラタモリで紹介されていた斉明天皇が作った運河には気付かなかったものの、広い田園地帯が段差になっていたのは運河の流れと関係がありそうです。

広い田んぼの真ん中にぽつんと大官大寺跡の説明板、1400年前にはここに大伽藍が立ち並んでいたと想像するだけで楽しいです。

付近にぽつんと小山、この場所、ブラタモリにもバッチリ登場してました。どう見ても古墳ですが、名前も分かりません。タモさんの、古代の古墳は現代のコンビニより多かったという説はあながち大げさじゃないかと。

ブラタモリで冒頭に登場した田んぼに囲まれた場所かと思ったら違ってました。ブラタモリの場所は飛鳥宮跡、写真は去年の秋、藤原京の一角にあるホテイアオイに囲まれた本薬師寺跡です。

耳成山をバックに藤原京のコスモス畑が広がっています。平城京遷都までが飛鳥時代なので、藤原京も飛鳥の都です。Google Mapで、飛鳥宮、藤原京、平城京、京都御所を線で結んでみると、飛鳥宮はちょっとずれるものの、藤原京から京都御所はほぼ南北に一直線になり、飛鳥が日本の礎になっていることが分かります。

5月から明日香村、橿原市、高取町、田原本町、三宅町で飛鳥ナンバーの交付が始まるそうです。飛鳥時代と奈良時代を明確にする、意義深いご当地ナンバーだと思います。

ここから日本が始まったって現地に来てみないと実感できないよね、知ることと分かることは全然違うってことですよね。

とのタモさんのメッセージが、ブログにしてみて実感できました。見逃している水落遺跡や酒船石とか行ってみたいけど、今、それができないのが残念。