山の辺の道の西洋美術館
今日は近鉄のダイヤ改定、特に大阪線は白紙改正といってもいいくらい大きく変化。その初日は明日香にするか山の辺の道のどちらか迷って山の辺の道へ。
上本町駅地上のりばの発車案内です。デイタイムの基本パターンは、区間急行と普通ばかりで区間準急がなくなってしまいました。昨日までは急行、区間準急、普通の3本立てだったのですが、急行の停車駅を増やして区間急行になり、区間準急が廃止され、高安行普通が大和朝倉まで延長されています。つまり昨日までの区間準急の役割を区間急行と普通に分散させ、桜井へも約20分間隔が約15分間隔と便利になってます。
6番線には近鉄と台北メトロ友好協定締結記念ラッピングのLCカー5800系区間急行榛原行、7番線には1220系区間急行青山町行。発車案内ではなぜか青山町行と名張行はオレンジ、榛原行は赤、と色分けされています。名張まで行ける、あるいは名張から先伊勢中川方面への連絡がある区間急行はオレンジということかな。
もう一つ大きな変化は、6番線の5800系LCカーのシートがクロスシートに設定されていること。これまで奈良線は土日祝のLCカーはクロスシート設定も、大阪線は土日祝でもロングシート設定だったのが方針変更されたようです。せっかくなのでLCカーで桜井へ向かいたいところですが、めざす桜井のモーニングセットに間に合わなくなるので先発の青山町行ロングシートに乗車。
先週訪ねたばかりの大和文華館のアジアのやきもの展の車内吊りです。右から2番目は景徳鎮窯・黄地紅彩龍涛文壺、右端はブログでは割愛した15世紀ベトナム青花牡丹文大鉢ですが、左ふたつは記憶がありません。
三輪山が近づいてきて桜井に到着。八尾、山本、高安と停車駅が増えたにも関わらず上本町から47分と急行と大差なく、特急退避が高安だけだったことからも、ダイヤのパターン化が進んだことで全般的に特急退避時間や退避回数が減っているようです。
桜井駅ではパタパタが顕在。
安全側線の錆びたレールにホトケノザ。踏切を渡った先に製材所、桜井駅周辺には今も製材所が多数、桜井市木材協同組合のページによると市内の製材業者(組合員)は約220軒にはビックリしました。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「網干し場」は1882年)、ゴッホがまだ29歳の時の作品。色彩の無い画面に白い頭巾を被った農家の女性やグニョグニョ歪んだ網の目がゴッホらしい。
佐伯祐三「食料品店」は1925年の作品。1回目の渡仏(1924–1926)、2回目の渡仏(1927–1928)いずれも住んでいたのはモンパルナスのアパートらしい。自分もモンパルナスが大のお気に入りで、パリ滞在時は殆どがモンパルナスのホテルでした。画面にCHOCOLAT MORANDと書かれておりショコラティエかと探してみたものの見つからず、左にはL'EPICERIE(食料品店)とあり、CHOCOLAT MORANDはショコラティエではなく佐伯祐三滞在時に存在していたチョコレートメーカーの広告らしいと分かりました。
ChatGPTから佐伯が住んでいたアパートはRue du Châteauと教えてもらい、端から端までストリートビューで歩いてみると、現在はイタリアンレストランになっている建物がそれっぽいです。思わぬパリの街散歩が楽しめました。
すぐ近くに第十代崇神天皇磯城瑞籬宮趾、桜井市埋蔵文化財センターで邪馬台国だった(?)纒向の宮廷が廃絶後、次に築かれた宮廷がこの磯城瑞籬宮だったのではないかと想像したその現地を訪ねるのが今日のさらにもうひとつの目的。
実在する最初の天皇ともされる崇神天皇が営んだ宮、吉備津彦ら四道将軍を派遣し国の安泰につとめ、民をよく治めたことから、初めて国を治めた天皇とされます。案内板の三輪山の麓にあった1700年前のこの地の賑わいと権威を現代風に描いたイラストが素敵です。
現在は志貴御縣坐神社になっています。創建は不詳も天平3年に従五位上に叙されたとの記録が残ります。小さな拝殿には菊紋の瓦、皇室とのつながりを思わせます。
日本の首都めぐりにひとつ項目が増えました。
ホケノ山古墳の墳丘に上り、ぐるっと一周動画です。
少し北へ歩いた道路の東側に小川塚古墳、一辺41mの方墳ではないかとされるようです。
西側には巻野内石塚古墳、こちらも前方後円墳の可能性あり。9月と違って草が生い茂っていないので、墳丘に上れたかも知れません。
もう少し佐伯祐三
92枚の写真と4つもタグが付くブログになってしまいましが、もうひとつ書いておきたいことが。佐伯祐三の「食品店」でChatGPTとパリ散歩を楽しんだのですが、佐伯祐三は船でパリへ行ったのか、それともシベリア鉄道だったのか尋ねてみると、1回目の渡仏は船でナポリ、鉄道でパリで約1か月、2回目は妻娘一緒にシベリア鉄道ルートで約2週間、費用は船だと800~1200円程度でシベリア鉄道ルートは600~900円程度と大差ないものの、現在の価値に置き換えると大雑把に1円は1万円くらいになるらしく、滞在費を含めると2年分の年収くらいがかかったものと思われます。
佐伯祐三の場合、奥さんの実家が裕福でその援助が大きかったらしい。それでも1924年頃のパリには300人以上の日本画家がいたらしく、モンパルナスには日本人画家コミュニティも存在したそうです。シベリア鉄道が整備された他、第一次世界大戦後の日本の好景気で円高と日本経済の国際的地位が上昇していたことも大きかったようです。
日本人画家はモンパルナスのラ・ロトンドやその向かいのル・ドームに集まっていたらしい。そこではピカソやモディリアーニ、ヘミングウェイらも常連さん。もちろんそこには藤田嗣治も。大好きなパリの街も今やパリがパリじゃなくなったと聞かされることが多くなりました。フランからユーロに変わる直前に出張で訪ねたのが最後ですが、改めて訪ねるよりも、佐伯の絵とストリートビューでパリ散歩した方が夢破られなくていいかも知れません。
中島美術館に佐伯の作品が60点も所蔵されているらしく、常設展がないのが残念ですが、いずれ特別展もあるはず。和歌山県立近代美術館のオプセルヴァトワール附近をアップした時もストリートビューでパリ散歩してました。