飛鳥の八角墳(後編)
承前、次の目的地は中尾山古墳。野口王墓古墳(天武・持統天皇陵古墳)から山沿いの来た道じゃなくて、谷を流れる平田川という高取川の支流沿いを飛鳥駅方向に戻ります。
飛鳥歴史公園館に入ると大きなジオラマ。現在地左手の縦方向に伸びる丘が野口王墓から梅山古墳のある丘。その下(西)に何もない谷が真っすぐ伸びています。この谷に与楽乾城(ようらくかんじょ)古墳など東漢氏(やまとのあやうじ)の与楽古墳群があります。その先(さらに西)は御所、葛城。大王家(天皇家)だけでなく各地の豪族の古墳や遺跡巡りも興味が尽きません。
飛鳥人総選挙結果発表が張り出されていました。「あなたの推しの飛鳥人に投票してください」という昨年のイベントで、1位は持統天皇で2位の聖徳太子とは僅差も10位の天武天皇の3倍以上。蘇我入鹿が6位で物部守屋が12位と歴史上の悪役も上位にランクイン。斉明天皇は21位なのがちょっと残念。
館内の中庭に何やら石造物。係の人に訊ねたところ出土品とかじゃないようですが、上部の溝に見覚えがあります。おそらく酒船石のレプリカ。
猿石のレプリカも。微妙に違っていますが、吉備姫王墓に4体ならぶ猿石右端の「男性」です。
稜線上にぽっこりと小山が見えてきました。中尾山古墳です。
足元のホームベース型の石は八角墳の角を示すもの。明日香古代史チャンネルさんの来村多加史先生のガイドで予習してきました。
墳丘をゆっくり一周してみました。墳丘を囲む柵も八角形です。ここから南へ400mほどのところに文武天皇陵に治定された栗原塚古墳があるものの、この中尾山古墳が第42代文武天皇(持統天皇の孫)の真陵と思われます。
現状模写、一部復元模写、再現模造模写と工程の異なる模写が重複して展示されています。そのうち、見やすくするため一部泥の跡を取り除いたという一部復元模写の全体です。
カビの大量発生等すったもんだがあったものの2020年3月に壁画の修復作業は完了しています。実物は年数回、事前申し込み制で公開されているようです。場所はさっき訪ねた歴史公園館の裏に設けられた仮説修理施設で、撮影禁止のようなので自分が申し込むことはないと思います。
パタパタが現役です。壺阪山行は平日深夜に1本あり、その晩のウチに橿原神宮前へ折り返してくるようです。