キトラ古墳
先週行きそびれたキトラ古墳、7月2日の若一調査隊(7月9日にはYouTubeアップされるはずです)でキトラ古墳を訪ねていたのを見て俄然行きたくなりました。先週より3~4℃くらい気温が高めの予報、駅から1kmほどの道のりも日陰がなさそうな道でどうすっぺと迷っていたのですが、去年の七夕の朝9時で30℃の天見からマルバマンネングサを探して歩いています。ウダウダ悩んでいてもしょうがないので出かけます。
土佐街道です。土佐へ向かう道ではなく、飛鳥の都づくりのために動員されてきた土佐の人たちが住んでいた町で、右へ行くと趣ある街道が続き、そのずっと奥に壷阪寺、そのずっとずっと奥の山の上が高取城。左へ入ったあたりが曾祖母の実家があったと思われる付近、高取の血が1/8流れている自分、一昨年の暮に周辺を精力的に歩いています。
特別史跡キトラ古墳
よそ見を重ねつつ駅から20分ほど歩いて国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区。丘陵の上に特別史跡キトラ古墳。上段径9.4m高さ2.4m、下段径13.8m高さ90cmの二段築成円墳、直径23m高さ5mの高松塚古墳よりかなり小さいものの、高松塚古墳のように西洋庭園風の生垣で囲まれてはいません。
「史跡のうち学術上の価値が特に高く、わが国文化の象徴たるもの」と規定される特別史跡は三内丸山遺跡、吉野ケ里遺跡など全国に63箇所、ブログに書いた特別史跡としては、銀閣寺、金閣寺、大坂城跡、姫路城跡、高松塚古墳、石舞台古墳、巣山古墳、藤原宮跡、文殊院西古墳、平城宮跡、本薬師寺跡、の11箇所あり、12箇所目となります(訪ねる人の少ない史跡にリンクを組み込んでいます)。
石室模型が嵩上げされた状態で据えられていて、立ったまま内部に入れるようになっています。二上山産凝灰岩の石室は長さ2.4m、幅1.04m、高さ1.14mと小さめも、黒漆塗りに水銀朱を施された木棺が納められていたそうです。終末期古墳を築造順に並べると、牽牛子塚→野口王墓→高松塚→キトラ→中尾山となり、大化の改新で薄葬令が出されていたものの、野口王墓の持統天皇や中尾山の文部天皇のように火葬ではなかったようです。
石室天井に描かれた天文図、約360個の星は金箔で描かれ、現存する世界最古の中国式天文図だそうです。飛鳥時代の人たちが見ていた北斗七星らしきとオリオン座らしきです。夏の北斗七星と冬のオリオン座を同時に見ることは冬の終わりから春の初めの日没から9時ころまで可能も逆方向らしく、間違っている可能性が高そうです。
南壁の朱雀です。横穴式石室の蓋になる部分で大きく欠けている部分は盗掘跡を再現しています。朱雀は一部が欠けているもののほぼ全体が残されていたのは奇跡的。高松塚古墳の朱雀は盗掘時の破壊で残されておらず、壁画館の復元に朱雀はいません。
キトラ古墳も高松塚古墳も盗掘は鎌倉時代、古墳の盗掘はだいたいどこも鎌倉時代。平安時代の墓守制度が廃止されてしまったのが大きな原因らしい。鎌倉幕府しっかりせんかい。