久津川古墳群
母の祥月命日で臨時休業として墓参り。
臨時休業のはずがクライアント様のトラブル処理を何とか電話で完了、予定通り古墳巡りへ向かいます。
西大寺で乗り換え、時刻表アプリの案内通り各駅停車で目的の駅へ。奈良市山陵町の山林に挟まれた谷を抜けます。谷からこちらを撮り鉄したことがあります。近鉄宮津駅で特急を退避、左手の車庫でアーバンライナー中間制御車撮影会は10年前のこと。
墳丘の東側をJR奈良線が突き抜けています。椿井大塚山古墳では前方部と後円部の間のくびれ部あたりを線路が横切っていたのですが、久津川車塚古墳では古墳の端を縦方向に貫通しています。
踏切から前方部墳丘を撮ったところです。
大女将と若女将がいるような店なのかと表にでると、ごはん屋さんの奥に暖簾のかかった玄関、道路側には由緒書きも。いただいたばかりの釜炊きかやくご飯は古代から受け継がれた「奈良火鍋(ならほうこう)」の流れをくむものと分かりました。
暖簾のかかった玄関は京都八百忠という料亭で、ごはん屋さん(永楽)はその経営と分かりました。八百忠のランチをチェックすると魅力的なお膳がかなりリーズナブル、京都市内だとこの倍はするかと。おふくろが元気だったら連れてきたかったと思う。
さらに後方部東側には前方後方墳に関する説明板。自分の訪ねたことのある中では布留の西山古墳も前方後方墳、前方後円墳へと発達する前の古墳時代前期の古墳の墳形です。
東側にも入口があって「史跡芝ヶ原古墳」の石碑が置かれていました。
その周濠跡の一角が黒い幕で囲まれた茶畑になっています。この幕は被覆栽培と呼ばれ木津川の河原辺りでよく見かけます。日光を遮ることでお茶の旨味を増し渋みを抑える効果があり、特に抹茶の原料となる碾茶(てんちゃ)栽培に用いられるそうな。ちょうど茶葉をいっぱいにした竹籠を軽々と片手で持ちつつも腰が90°曲がったおばあさんとたぶん孫娘さんらしきが畑から出てきたので、摘みたての茶葉を撮らせてもらいました。振り返ったおばあさんの笑顔の何と素敵だったか。
夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る、あれに見えるは茶摘みじゃないか、茜襷に菅の笠♪
茜襷じゃなかったけど茜襷を掛けているように見えたおばあさんが摘んだばかりの宇治茶の抹茶の元です。このあと「夏も近づく八十八夜♪」がずっとイヤーワームになってのは言うまでもありません。
芝ヶ原古墳埋葬施設のジオラマでは墓壙上面の拳大の礫敷が再現されています。
芝ヶ原古墳出土の四獣鏡とふたつの銅釧、いずれも重要文化財。QRコードの先のページによると四獣鏡は4匹の龍のような獣像を配置とあるものの、どうみてもナメクジにしか見えません。中国からの渡来品ではなく仿製鏡だそうです。渡来鏡と比べるとかなり稚拙ではあるものの、古墳時代初期にここまでのものが国産されていたこと自体が評価されるべきかと。
芝ヶ原古墳現地でパネルの首長が掲げていた銅釧の実物、赤い部分は顔料とのこと。釧(くしろ)とはブレスレットで、縄文時代から貝で作られていたのが古墳時代になって銅や石でつくられています。新沢千塚500号墳の発掘現場で石の釧が見つかった様子が写真で紹介されていたのを思い出しました。
仿製鏡ではなく中国製の三角縁銘帯三神四獣鏡は芝ヶ原11号墳から出土、黒塚古墳出土の鏡と同型鏡だそうです。黒塚古墳展示館にも三角縁銘帯三神四獣鏡のレプリカが展示されていました。
円筒埴輪に刻まれていたような帆掛け船の写真。上津屋の流れ橋は八幡市に位置するもののすぐ上流は城陽市域、10年前に橋が流された状態の時に訪ねています。
予想以上に学ぶことが多かった沓川古墳群と歴史民俗資料館、城陽市教育委員会がかなりいい仕事をしていると感じさせます。京都市内と違って外国人旅行者を見かけることも殆どなく、ゆっくり歴史探訪できまた来たくなりました。