山の辺の道南行

自然の中の秋草手を見たくなって思いついたのはやはり山の辺の道。ブランチは桜井駅南口の絵都蘭世の茶粥か、柳本駅駅ナカ食堂ピクトンか悩んで、まだ1回しか行っていないピクトンに決め、いつもとは逆に山の辺の道を北から南へ歩くことにしました。

出かける直前、テレビで六甲にアサギマダラ飛来と紹介していて、山の辺の道のアサギマダラで某AIに訊いてみると、行燈山古墳周辺にフジバカマとの情報にテンション上がりました。柳本駅からすぐです。

9時すぎの上本町駅、左側の5200系ではなく右側のボロい2610系が名張行急行、前から2両目のトイレ前にボックス席があるものの先客。八木で先客が下りたのでボックス席へ。耳成山の脇を通過。

桜井駅の高架橋に上がると視界が広がります。右手の三輪山から続く山並みが切れた先の左側の小さく見える緑が箸墓古墳、前方後円墳の形がよく分かります。

櫻井で万葉まほろば線に乗り換え、三輪駅を過ぎた右手車窓の古墳、ホケノ山を撮ったつもりだったのですが、写っていたのは茅原大墓古墳。

柳本

柳本駅の駅ナカ食堂ピクトン、高田行普通が到着。10時開店で、ブランチはピクトン定食、前回と全く同じ内容も、ここの梅干しはやはり絶品。JR西日本の駅舎に天理市が整備した施設で、山の辺の道から長岳寺への道が分岐する地点にある天理市トレイルセンターの洋食勝井が運営する食堂と分かりました。

柳本駅の外観です。左端の大きな木はケヤキ、こういう駅前の木はお気入りで、この前名鉄平戸橋駅でも見ました。JR奈良線の新田駅、棚倉駅にもあります。駅の花壇はキンセンカやセンニチコウで花盛り。

オンブバッタです。ショウリョウバッタモドキと似ているものの、後脚が体に沿ってます。白いセンニチコウにチャバネセセリ。

駅から垂直方向に伸びる趣き有る石畳の道が柳本のメインストリート。柳本は織田有楽斎五男尚長を藩祖とする1万石の外様小藩、幕末まで存続しているものの、小藩ゆえに財政は常に厳しく、百姓一揆や強訴が繰り返されたらしい。明治4年の廃藩置県で柳本県に。

JAならけんには高市首相のポスター、WikiPediaには高市さんの出生地は天理市と記載されているものの、奈良市という説も有力で、奈良市と天理市の境界線に位置する病院で生まれたのかも知れません。

JAのとなりが黒塚古墳、去年1月に墳頂に上り、東側にある黒塚古墳展示館で石室の1/1復元模型や多数出土した銅鏡のレプリカを見学しています。道路反対側の柳本小学校が柳本藩陣屋跡。

その先の二叉路に道標、崇神天皇山辺道勾岡上陵東三町、景行天皇山辺道上陵東南十一町、倭迹迹日百襲姫命墓(箸墓古墳)南二十町、手白香皇女衾田陵(西殿塚古墳)北東十五町、距離が町単位なのでかなり古いものかと思いきや意外や昭和5年のもの、古墳めぐりや山の辺の道ハイキングが昭和初期から盛んだったのAIに訊くと、ハイキングという言葉が日本に定着し、爆発的な大ブームを迎えていたのが昭和初期とのこと。

行燈山古墳

崇神天皇山邊道勾岡上陵、第10代崇神天皇山邊道勾岡上陵。日本書紀により祭祀、軍事、内政においてヤマト王権国家の基盤を築いた実在が確認できる最初の天皇とされ、3世紀後半から4世紀前半の治世と推定されます。写真上部にウスバキトンボが浮かんでいます。

両側は陪塚で左手はアンド山古墳、右手は南アンド山古墳。石段を上がると前方部に面した拝所。ここから濠の周囲を回れる道があるはずと思っていたのですが、ありません。

石段を下りると両側に濠を周回ができそうな道があり、迷って左回りに歩いてみることにしました。アキアカネです。

舞っていたウラギンシジミが田んぼの水路に下りて、泥んこ遊び?

ヒガンバナは殆ど終わってますが、いくらか真っ赤なのが残ってました。

古墳の南側に出ると周濠の土手の上と下の道に分かれていて、土手の上の道にしました。

周濠に囲まれた行燈山古墳前方部がきれいに積まれた石垣で囲われています。古墳時代の遺構ではなく江戸時代末期に柳本藩が行った修陵事業によるものらしい。

秋草手を撮りに来たのを思い出し、三輪山とススキ。

ツリガネニンジンです。フジバカマはどこにも見ありません。

ススキと行燈山古墳後円部。

行燈山古墳周濠の土手を3/4周して道が途切れ、外にコスモス畑があるものの下りるにも道が見つからず、1/2周地点くらいまで戻り外に金剛山が見えた辺りで出ることができました。

山の辺の道に出ると行燈山古墳の解説板、墳丘長242mの前方後円墳で4世紀中葉前半の築造、解説板の墳丘測量図でその形状や2基の陪塚との配置がよく分かります。前方部の石垣が柳本藩によるものと分かったのはこの解説板によるもの。

過去に何度もこの周辺を歩いた時にもフジバカマを見た覚えはなく、結局フジバカマは全く見つからず。某AIの言を信用しすぎたようです。さらにフジバカマを探しつつ山の辺の道を南へ向かうと景色が広がり、二上山から大和葛城山、金剛山が一望。

山の辺の道

キキョウではなくヤナギバルイラソウです。この辺で道を間違ってしまいました。いつもの南から北じゃなくて北から南へ歩いてきたせいです。

道がおかしいと気づいた辺りで、檻の罠にアライグマが捕まっていました。まだ生きていてとても悲しい目をしていたのが忘れられません。放置されずに早く楽にして上げてほしい。

少し引き返しヤナギバルイラソウのところで道を間違ったとわかり、山の辺の道を少し南へ行くと、ヒガンバナにナミアゲハ。ちょっと止まっては別の花へせわしなく移動していました。

渋谷向山古墳です。墳丘長は約300mの前方後円墳で行燈山古墳より大きいものの、第12代景行天皇陵に治定されていて、第10代崇神天皇陵の行燈山古墳より少しあとの築造。

ハイビスカスティーやジャムになるローゼルです。ワタも実っていました。

自分の靴にウラギンシジミ、行ってしまったと思ったら戻って来てくれました。

畝傍山と耳成山が重なり始めました。足元にツマグロヒョウモン。

ツユクサが群生するとなかなかに美しい。アキアカネです。

スタンプが押されたような柑橘はデコポン。薄紫の花はローズマリーです、Parsley, Sage, Rosemary and Thyme♪

天理市から桜井市に入りました。次の目的地は野鳥やトンボを期待して檜原神社から東へ400mほどの井寺池、山の辺の道を外れて西側の道を進むと穴師集落。纏向に都が置かれていた頃、タタラ製鉄のための採鉱をしていた人たちの極めつけに歴史のある集落です。

火の見櫓の鐘がさすがにえらく立派、前回訪ねたときには台に下ろされていたのが吊るされています。

穴師から井寺池まで25分も一枚も写真を撮っていません。フジバカマの一株でも見つかっていたら元気がでたはずですが、巻向川を渡る時、すぐそこにホケノ山古墳があると気づいたものの、そのまま進み、その先長い坂道を足を引きずるように上って井寺池に到着、箸墓古墳の写真を1枚撮っただけ。

桧原御休処にへたり込んで大休憩、味噌田楽です。隣接する果樹園に喫煙所もあります。
 

重い腰を上げさらに南へ。ミドリヒョウモンです。お腹が緑色なのが特徴ですが、翅はベージュなのも特徴的。

大神神社境内を北から南へ。

最後の目的地、喜多美術館に近づくとヒガンバナにクロアゲハ。近くに止まってじっくり撮らせてくれました。

喜多美術館

クロアゲハの向こうに第十代崇神天皇磯城瑞籬宮伝承地、崇神天皇の皇居と伝わる場所です。そして喜多美術館を再訪。

本館のルノワールやゴッホ、佐伯祐三らの作品、原題絵画や彫刻は前回じっくり見ているのでざっと。

ポール・シニャック 海戦(1915年、水彩)は第一次世界大戦報道画。フェルナン・レジェ 緑の木(1931年、油彩)は、 親友のマン・レイへおくられた作品とのこと。

前回アップしそびれていた熊谷守一 車前草に蝸牛(1962年、油彩)、映画モリのいる場所を見たので庭にゴロリと横になって描いた様子がイメージできます。

それと棟方志功 魚(1948年、油彩)、お皿の上の魚のようにも、荒々しい自然の中で生きる魚のようにも見えます。

新館では岩井博石展を開催中、その1階展示室と2階展示室のほぼ全体です。150号の大作が並び圧倒されます。

"モノ"の「背後にあるもの」その「存在」を表出するため岩盤を掻き削るが如く刻み続けています(抜粋)、という画家のメッセージと、1965年大阪府生まれ、2008年国展国画賞、2012年国展準会員優作賞会員推挙(抜粋)、と簡単な略歴が掲示されているだけ。AIに訊いても詳しいプロフィールは見つからず。

ある日のこと '07、特大画面で額縁にガラスも嵌められておらず、画家の筆致が直に確認でき、画面に吸い込まれそうです。

ある日のこと '04、車椅子生活を送っておられる画家の自画像と思われます。長年車椅子生活を送っている親友とヨーロッパを旅したことがあり、試しに車椅子に座らせてもらった時と同じ視点が感じられます。

座る人と題した2点。

かぼちゃとれんこん。

雪月花、チューリップ、座る人。やはり低い視点からの独特の鋭い観察が感じられます。

他に見学者がいなく、館長さんにかなり詳しく案内していただき、展示されていない作品や、次回の特別展の準備の様子まで拝見でき感激。

帰り道

葉っぱにとまったホタルガとヒメジャノメ。

山の辺の道の南の起点を示す道路に埋め込まれた道案内。ここからは三輪駅の方が近いのですが、ここまで歩いたらもうついでに桜井駅まで歩くことにしました。収穫直前の田んぼと三輪山。

桜井駅のパタパタ。やってきたのはボロい2410系、編成の後ろの方に乗車もボックス席は見つからず。

大和八木で快適そうな5200系普通、よほどあちらでのんびり帰ろうかと思ったものの、30分も余計にかかると分かり諦め、さらに河内国分でも5200系普通、もうここまで来たらこのまま帰ります。

27,000歩14kmも歩いてフジバカマもアサギマダラも見つからなかったものの、今日も山の辺の道を満喫できました。