大和文華館と中野美術館

「日本工芸の美―古代から近世まで―」展開催中の大和文華館へ。出陳目録には重要文化財5点を含む飛鳥時代から江戸時代までの工芸品83点がリストされていて、尾形乾山や酒井抱一、柿右衛門の名も。同じ近鉄グループの美術館でも、他館から借りてきた特別展専門のあべのハルカス美術館と異なり、大和文華館は自館コレクションを中心に年6回程度の様々なテーマで展覧会が開催されています。今回の展覧会は100%自館コレクションのようです。

総コレクション数は約2,000点と藤田美術館とほぼ同規模で、曜変天目のような国宝や重文数は藤田に及ばないものの、初代館長だった美術評論家でボッティチェリ研究で知られる矢代幸雄の審美眼の下、日本、中国、朝鮮半島の絵画や工芸品が体系的・学術的にバランスよく収集されていることが特徴的。楽しく読ませるパネルでの解説など学芸員さんたちの洒落やノリが際立つ藤田に対し、こちらは至極真っ当にアカデミックです。

大規模な特別展と異なり、自館コレクション展や常設展はレンタル料や輸送費も掛からないので、入館料もリーズナブル、それに混雑することはめったにないので、絵画や工芸品とじっくり向き合うことができます。

朱色に塗り替えられた阪神1000系で学園前に到着。美術館へ道すがら住宅街に今年始めてのヒガンバナ、阪神1000系と同じ色。

大和文華館に到着、門を入るとシロバナマンジュシャゲ。

ピッカピカの渡り廊下を抜けると単独展示ケースが3つ。

単独展示ケースの3点、左から尾形乾山作色絵竜田川文向付5客、型打ち成形に竜田川の紅葉と白波。ひとつだけ裏向けられ高台に短冊形に「乾山」の銘、白化粧され銹絵で描き込まれているものらしい。

鉄製蜻蛉文真形釜(径25.8cm)は室町時代末期の伊勢芦屋釜と考えられる茶釜。鎌倉時代から筑前国芦屋津で鋳造され隆盛した芦屋釜が京釜の勃興で衰退、芦屋釜の職人が伊勢国阿濃津に移り作ったのが伊勢芦屋釜。胴に何匹もの蜻蛉が刻まれています。解説文には蜻蛉に「かげろう」とふりがな、古代にはカゲロウとトンボの区別はなかったらしく、描かれた翅や胴のフォルムからトンボではないかと。

銅製松喰鶴舞蝶文鏡(径10.3cm)は平安時代後期の「和鏡」、含綬鳥や花喰鳥と呼ばれるペルシャから中国に伝わった文様が奈良時代に日本に伝わり、日本の吉祥である松喰鶴文になったらしい。

飛鳥・平安時代

赤地格子連珠花文経錦 (蜀江錦、飛鳥時代)は古代中国の蜀で織られたことに由来する、法隆寺伝来の上代裂。日本にその技術が伝来し織られているものの、法隆寺のものは輸入品であった可能性が高いようです。

金銅風鐸(奈良時代、高19.7cm)は法隆寺夢殿の軒に吊り下げられていたと伝わる魔除けのための鈴、風鈴のルーツらしい。

銅製秋草鳥蝶文鏡 (平安時代後期、径10.9cm)、出羽三山の御手洗池で明治末期から昭和初期に600面も発見された羽黒鏡のひとつらしい。秋草文とあるとつい反応してしまう自分です。

重要文化財 銅板地螺鈿花鳥文説相箱(平安時代、30.0×26.0cm)は外枠や脚部は銅板で作られ、内側に黒漆塗りの木箱が嵌められた法衣や経典を入れて運ぶため仏具。銅板を切り抜いて宝相華文や鳥文の螺鈿が施されています。

金銅独鈷杵(平安時代、長21.3cm)は、古代インドの武器に由来し煩悩を打ち砕くための密教法具。金銅蓮華形磬(重要文化財、鎌倉時代前期、幅15.5cm)は、中国の打楽器だった磬(けい)が日本に伝わり、法要で打ち鳴らす梵音具として発展したもの。規則正しく蓮の花弁が並べられた中央に撞座(たたく部分)。

金銅輪宝(鎌倉時代、径18.6cm)は、古代インドの回転して敵をなぎ倒す投擲武器が、煩悩や迷いを打ち砕く象徴として取り入れられた密教仏具。PhotoshopのAIシャープを試してみるとグッとくっきりしたのですが、この3点だけで生成クレジットを消費してしまいました。

鎌倉・室町時代

春日大社談義屋跡出土と伝わる重要文化財 黒味銅地銀象嵌藤花鹿文太刀金具(鎌倉時代)から一の足金物(雄雌鹿・藤花・芦文)と目貫(雄鹿文)。写実的な鹿の高肉彫から、鎌倉時代にも春日大社には鹿が親しい存在だったことが伝わってきます。奈良時代あるいはそれ以前から棲息していたらしい。

銀製鍍金透彫菊文刀把(鎌倉時代、長さ8.3cm)は、刀の柄に銀板を巻き、細密な菊文様を透し彫りにした銀製鍍金の材が重ねられた刀の柄。赤く錆びている部分は刀身。

金銅鴛鴦形水滴(鎌倉〜室町時代、長さ7.5cm)はオシドリ形の書道具、嘴と両翼の根元に開口部があるらしい。

白天目茶碗(室町時代、径12.6cm)は瀬戸焼の和物天目、口縁部のすぼまり具合はまさに天目茶碗の姿ですが、金の覆輪がキツすぎて残念。

蒔絵宝相華唐草文輪花鏡巣(鎌倉時代、径10.4cm)は、鏡を収めるための器。宝相華は想像上の天上の華。

蒔絵籬菊文机(重要文化財、室町時代、38.5×102.5cm)は、平蒔絵、梨地、針描といった技法が用いられており、室町時代の伝統的な技法を残しながら、次の桃山時代に流行する「高台寺蒔絵」へとつながる過渡期の作品。

根来塗天目台(室町時代、高さ11.0cm)は天目茶碗のせるための台。展示場南側部分です。

桃山・江戸時代

高台寺蒔絵 蒔絵秋草文徳利(桃山時代、高さ21.0cm)の解説には、萩、薄、桔梗、竜胆、藤袴、菊などが描かれているとあるものの萩と菊しか分からないのですが、実に見目麗しい徳利。黒漆塗のベースに、ベタ塗りの金一色に見える部分が平蒔絵、金色のグラデーションに見える部分が絵梨地、黒いシャープな線が針描です。

木を徳利の形に切り出し、内側をくり抜いたもので、細い首に穴を開けL字形の刃物で削り広げる方法と、上下を分割して内部を削ってから接合し漆で接合を分からなくする、というふたつの方法が考えられるものの、首の細さに対し胴が大きく膨らんでいることから、上下分割の方法らしい。分割した方が目視しながら薄さを均一にして軽く割れにくいものに仕上げられます。

斜めに撮ると何故か色っぽく見え、トランジスタグラマーという言葉がでてくる秋草文徳利。高台寺蒔絵ではあるものの、高台寺伝来とは限らず、桃山時代後期に流行した、高台寺に伝わる平蒔絵多用などの共通の特徴を持つ蒔絵の様式のこと。高台寺が創建される以前から、京都市中の蒔絵屋と呼ばれる民間工房でさかんに作られていたらしい。

蒔絵桐文阿古陀形手焙も高台寺蒔絵、底に文禄三年銘(1594年、径42.8cm)、正也と花押もあります。手焙りなのに木製、内側に落としと呼ばれる金属製の器がすっぽりはめ込まれているらしい。正也については詳細不明。

西洋のトランクに似た金銀の平蒔絵に施された青貝蒔絵草花文洋櫃(32.6×18.5cm)。桃山時代にポルトガル人やスペイン人の神父や商人の注文により京都付近で制作、輸出され帰ってきたもの。

堆黒蟹文香合(江戸時代、径7.2cm)は、黒漆を厚く塗り重ねた後、表面を彫刻してカニを立体的に表現した漆工芸の香合。

象牙貼宝尽文独楽形香合(江戸時代、径8.4cm)、木製の素地に、亀甲形の枠に薄く削った象牙をはめ込むみ、黒い円は漆塗り、そこに金嚢(宝袋)、丁字、分銅、宝鑰など宝尽くしが描かれています。

秀衡塗片口(江戸時代、高13.8cm)は、奥州平泉周辺に伝わる秀衡塗の片口の銚子。黒漆塗の器に朱漆、黄漆、緑漆で模様を描き金箔を散らしたもの。

酒井抱一図案・原羊遊斎作 竹製蒔絵椿柳文茶入(江戸時代後期、高8.0cm)の身は竹製で椿と柳、蓋は紫檀に金銀の薄肉高蒔絵で椿の折枝。

赤織部沓茶碗(径13.5cm)は、沓のように歪ませた織部好みの美濃焼茶碗。底面には「茶 須暖火炙活火煎(花押)」と記されています。「茶は必ず暖火に炙り、活火に煎ずべし」と読み、茶葉は穏やかに温かい火でじっくりと炙り乾かし、湯はよく燃える炭火で一気にお湯を沸かして煎じるのが良い、という茶の香味の真髄を引き出すための鉄則だそうです。

蒔絵秋草文徳利から赤織部沓茶碗までを振り返ったところです。展示場北側部分です。

流釉水指(江戸時代前期、高15.1cm)は、小堀遠州の指導を受け瀟洒な茶陶を生産した高取焼白旗山窯の作される薄手の水差し。

萩焼粉引徳利(江戸時代前期、高15.0cm)、粉引は素地に白化粧を施して釉薬をかけたもの。

重要文化財有田焼染付山水文大皿(江戸時代前期、径45.4cm)は、古染付の図様を倣った山水図が描かれた古伊万里の大皿。

有田古九谷様式祥瑞手色絵鷲文深皿(江戸時代前期、径29.8cm)、初期の色絵磁器である古九谷様式の内、明代末の景徳鎮で作られた瑞祥を手本とした幾何学文様が細かく書き込まれた瑞祥手、見込みには枝にとまる鷲。

有田焼 色絵亀甲花詰文角徳利 (江戸時代中期、高19.3cm)は、初めて見るタイプの伊万里焼の角瓶。

近衛家への献上品と伝わる野々村仁清作色絵おしどり香合 (江戸時代前期、全長6.5cm)、オシドリの特徴がとても可愛く小さな香合に再現されています。

尾形乾山作 銹絵菊図角皿(江戸中期、幅21.8cm)、略画の菊は兄尾形光琳。賛は乾山で「花中真隠逸 浥露傲深秋」、菊の花の気高い姿を隠者の精神に例えたもの。

淡路焼の創始者・賀集珉平作 色絵鳥文鉢(江戸時代後期、径19.8cm)。見込みには柘榴とカラフルな鳥、縁にはラーメン鉢によくみる雷紋。清湯スープの鶏塩ラーメンが合いそうです。

青木木米作 赤絵龍文盃(江戸時代後期、径5.3cm)、これは欲しい!と思わせるお猪口。上述の蒔絵秋草文徳利からこれに伏見の玉乃光あたりを注いでぐいっと呷っている自分をイメージしてみます。

ヨーロッパ向け輸出品と思われる古伊万里柿右衛門様式の色絵草花文高足盃(江戸時代中期、高13.0cm)。濁手と呼ばれる乳白色の地に、余白をたっぷりとった明るい色絵、いかにも柿右衛門な草花文の盃。こっちは当然赤ワイン、ボルドーのカベルネ・ソーヴィニョンかな。

伊万里焼 色絵梅文把手瓶(江戸時代中期、高17.5cm)は、西洋風の把手瓶、英語だとジャグあるいはピッチャー。色絵梅文とあるものの、描かれた花は梅じゃなさそうに見えます。カベルネ・ソーヴィニョンのデカンタ。

中野美術館

展示場を出た石庭に見慣れないトンボ。コノシメトンボ♀と思われます。歩いて5分ほどの中野美術館へ、1月以来です。

前回同様まずは館長室で寛がせてもらいます。テーブルにはムック本の平凡パンチ五木寛之や銅版画の南佳子画集。階段を下りて1階の日本画展示室へ。

長谷川潔 野辺小禽(昭和32年)、極限の集中力を必要とするビュラン技法による超絶技巧の銅版画、右下に描かれているのはウニではなくアリの巣。

窓辺には蒔絵の盆、徳利の一輪挿しの葉っぱではなく、上手く蒔絵にピントがあってました。

床の間には香炉が置かれ、畳には炉畳が切られています。障子がぴったりひとマス分開けられているのがシブい。軸は岸竹堂、竹内栖鳳に師事し、花鳥画や動物画を得意とした西村五雲作紅蓮。

左側のケース一面に村上華岳 中国列仙伝(大正4年)、亀にのった仙人、水牛と仙人など6幅、全部で16幅あるらしい。

竹内栖鳳 新荷朝露(大正7年頃)、右下隅の蓮の葉の下にカエル。村上華岳 春山棲鳥図(昭和6年)、鳥はイカルですね。

高村光雲 西王母(大正元年)、度々引用している原田マハ・リーチ先生にも登場しているので、前回より何やら親しげに見えます。

2階の洋画展示室へ、佐藤忠良 若い女・夏が迎えてくれます。

日本画展示室にもあった長谷川潔 二つのアネモネ(昭和9年)、アクアタントとありますが一般的にはアクアチントと呼ばれる、水彩画のような美しい面の濃淡や陰影を表現できる凹板銅版画技法です。

長谷川潔 狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話、昭和38年)、こちらはマニエール・ノワール、メゾチントとも呼ばれる17世紀に発明された銅版画技法、長谷川潔がフランスでこの忘れ去られた古典技法を独学で再解釈・復活させ、近代的な芸術表現として昇華させた技法。お腹を空かせた一匹の狐が、高い枝に実ったおいしそうな紫色の葡萄を見つけ、狐は何度も懸命に跳び上がるものの届かず、「どうせあんな葡萄はまだ熟していないし、酸っぱくてまずいに決まっている」と捨て台詞で諦めた、イソップ物語を元にしたラ・フォンテーヌの詩がテーマ。

長谷川潔は明治24年12月9日(自分と同じ誕生日!)横浜生まれ、黒田清輝から素描を、本郷洋画研究所で岡田三郎助、藤島武二から油彩を、バーナード・リーチからエッチング技法を学び、大正7年に渡仏、第二次大戦中も含め、昭和55年89歳で亡くなり遺言で青山墓地の実家の墓に葬られるまで、一度も日本へ帰ることがなかったらしい。

椿貞雄 八重椿(昭和32年)、椿は岸田劉生の盟友で、暗い色調と克明な細密描写による独自の写実表現を追求した草土社の主要メンバー、白樺派とも深く関わり、バーナード・リーチとも交友があったらしい。須田国太郎 双貝(昭和26年)、白い二枚貝と赤い巻貝がお話しているようです。

小出楢重 鏡のある静物(大正8年)、深みのある特徴的な静物画です。

岸田劉生 青年の首(岡崎精郎之顔、大正7年)岡崎精郎昭和時代前期の高知県出身の農民運動家、人道主義者、画家。

舟越桂 ウォーター・ブルーⅡ(平成2年)スピットバイト(間接凹版・腐蝕法)とドライポイント(直接凹版・直刻法)を併用し、水彩画のような極めて柔らかい面表現と、にじみを伴う鋭い直線を同居させた作品。

靴を履いて外へでるとショウリョウバッタ、ではなくショウリョウバッタモドキ。後脚がショウリョウバッタより短く折りたたまれています。

布施で途中下車して、いつもの角打ちでプファーして、1番のりばに上がると、5200系の普通が行ったばかりなのに、次の区間急行も5200系。久しぶりの5200系の乗り心地を6分間楽しんで上本町に着くと、窓の向こうに乗りそびれた5200系。