滋賀県立美術館から二条城

承前、滋賀県立美術館の続きです。

常設展示室への渡り廊下の外にブランコやすべり台、でも「外にあるものは全て美術作品です、あそべませんので、ご注意ください」とのこと。よく見るとブランコの椅子はカギ字になっていてどの方向にスイングするのか不明、すべり台はY字になってます。

常設展入口手前にはイケムラレイコうさぎ観音、信楽の陶芸の森で制作された3.4mもある陶芸彫刻。

小倉遊亀

常設展示の小倉遊亀コレクション。小倉遊亀 花屑(昭和25)は無造作に鉢に活けられたクチナシ、キキョウ、ナデシコ。そこに描かれている呉須赤絵鉢。

小倉遊亀は明治28年大津市生まれの日本画家、遊亀(ゆき)は本名。上村松園や片岡球子と並ぶ日本三大女流画家。

憩う(昭和35年)のモデルは越路吹雪。画人像(昭和37年)と題された67歳頃の自画像。平成12年、105歳まで長命、晩年まで生涯現役で絵を描き続けています。

飛鳥の春の額田女王や卑弥呼(いずれも滋賀県立美術館所蔵)の安田靫彦に生涯師事し「70代が仕事ざかり」という持論を持ち、後半生に多くの名作を残しています。安田の推挙により岡倉天心や横山大観らが創設した日本美術院同人に推挙され平成2年には日本美術院理事長就任。とても上品な凛としたおばあちゃまです。

家族達(昭和35年)のモデルは養子の小倉典春夫妻。パッと見、マティスです。

見たことのないようなメタリックな銀色の背景が紫のアイリスを際立たっせている盛られた花(昭和38年)。器は富本憲吉、ここでもまた民藝の登場です。遊亀と憲吉は親交深く静物画に憲吉作品が何度も登場しているらしい。

時間はかたち?

横山大観が琵琶湖を描いた鳰之浦絵巻(大正7年)。全長10.3mもあるそうで、その一部です。

鳰之浦絵巻の部分をクローズアップ、湖面に小舟、岩山に堂宇、竹生島ですね。

岩礁に鵜、上空を舞うのはコハクチョウたちに見えなくもないです。

冨⽥渓仙 風神雷神(昭和4年頃)、渓仙は明治から昭和初期に活躍した博多出身の日本画家。京に出て富岡鉄斎に師事、横山大観に認められ日本美術院同人に。お腹も出ていない絞り込んだ体形の軽快な風神雷神です。

岸⽵堂 四季之⽉図(明治10年代)、右から春夏秋冬の月。岸⽵堂は彦根出身で虎や桜を得意とした明治の京都画壇3巨頭のひとり。

川村曼⾈ ⼭岳登攀(昭和5年頃)も京都画壇を代表する日本画家。画面左下にロッククライミングしている人が3人。

「時間はかたち」という常設展のテーマの意味はとうもピンと来なかったものの、和歌山県立美術館y兵庫県率美術館ともまた違った趣きと、他館では真似のできないような湖国ならではのコレクションの滋賀県立美術館、見どころ満載でした。出口に空港の出発案内風バス時刻表、30分ヘッドでまずまず便利。和歌山とほぼ同等の費用と時間で来れるので年2回くらいは足を運びたい。

館内の渡り廊下から見えた池、公園の奥には滋賀県埋蔵文化財センターもあるものの土日休業。瀬田駅に戻り、駅前の王将でランチして、琵琶湖博物館に行きそびれたのでもう一箇所へ回ることにします。

二条城

山科で地下鉄東西線に乗り換え二条城前下車、徳川大坂城の障壁画で改めて訪ねなければと書いてしまった二条城へ。地上へ出ると重要文化財二条城東南隅櫓、なぜ巽櫓にしなかったんでしょう。

目的は障壁画展示収蔵館ですが、せっかくなので二の丸御殿も回ってみることにします。重要文化財唐門をくぐると二の丸御殿。

靴を脱いで二の丸御殿を見学、スリッパは提供されず、薄いカーペットが敷かれた廊下を回るだけで畳の上には入れません。混み合っていてじっくり説明文を読むこともできず、撮影NGの薄暗い屋内の復元障壁画をさっと眺めただけ。智積院などは宝物館の実物障壁画は撮影NGも堂宇の複製障壁画は撮影OK、畳に腰を下ろしてじっくり鑑賞できるのと完全に逆です。

二の丸庭園の池側から二の丸御殿、徳川大坂城本丸御殿もこんな感じだったかと。寛永の行幸で小堀遠州が作事奉行し改修された二の丸庭園、池泉回遊式なのに池に近寄れないのが残念。ちなみに現座の大阪城本丸には小さな日本庭園があるものの、徳川大坂城本丸には庭園は築かれていません。

前回はまだ工事中だった本丸御殿修復が完成し見学できるようになっていたのですが、別途1,000円の本丸御殿観覧券が必要でさらに事前予約が必要らしい。それに本丸を回るとかなり歩くことになり、肝心の障壁画展示収蔵館の開館時間に間に合わなくなるかも知れないので本丸櫓門で引き返しました。

二条城障壁画展示収蔵館です。100円の展示収蔵館観覧券が必要も、1,300円の入城券+二の丸御殿観覧券でやってきたのですが、800円の入城券に展示収蔵館観覧券プラスで入館できると分かりました。手前に雁や虎の図のパネル。虎の間とも呼ばれる遠侍(とおざむらい)の間の障壁画かと。

畳敷きでなくフローリングではあるものの、大政奉還が表明された二の丸大広間一の間と二の間を合わせて再現されていて、周りを狩野探幽筆障壁画が囲んでいます。寛政の行幸ではここが後水尾天皇の玉座になり、大広間南の庭に能舞台が設けられ、大広間南側には御簾が掛けられ、大掛かりな猿楽が催されています。

大広間一の間障壁画松孔雀図の水辺に立つ孔雀と、二の間松孔雀図の飛翔している孔雀。

重要文化財 狩野探幽 大広間一の間松竹金鶏図と違棚上小襖花卉図。表のパネルで紹介していた遠侍(とおざむらい、来殿者の控えの間)の虎の障壁画などは時期を変えての展示のようです。

無料休憩所の肉うどんが2,200円は2度見してしまいました。パフェに菊紋の最中の皮がのってますが、これは葵紋じゃないとおかしいのでは、と調べてみると、大政奉還後、現在の正式名称は元離宮二条城であり、上掲の唐門も菊紋になってました。

東大手門の番所の壁に二条城行幸図屏風。寛永3年(1626年)公武合体の威信を顕示するため、後水尾天皇が御所から二条城へ向かった、総勢9千人の大行列を描いた六曲一双の図屏風で、実物は泉屋博古館所蔵。壁に貼られたものは六曲一双が3分割されているもののその全体です。

後水尾天皇、大御所秀忠、将軍家光、中宮東福門院の牛車が特定できないかAIにも訊いてみてみたもののイマイチよくわからず。

本能寺

まだ4時を過ぎたばかりなのに東大手門の大扉が閉じられていて、脇の潜り戸を抜けて外へでると寛永行幸四百年祭の「四曲一双」に縮小されたパネル。

率直なところ、前回同様にあまり楽しくなかった二条城ですが、寛永行幸四百年祭として、京都市内の様々な博物館で関連展示が行われ、12月6日には京都御苑から二条城まで行幸行列再現イベントが行われるらしい。

地下鉄に乗ればいいものを、何故か頭が回らず30分も待って満員のバスに乗車し京都市役所前で下車。

寺町通に入ると本能寺、あの「敵は本能寺にあり」の本能寺がこんなところにあるとは知りませんでした。門前の「由緒沿革」を見ると「時の本能寺は四條油小路に在り、秀吉の代寺領替地となり現在地に移転」と紹介されています。

いつもの高田酒店、今日の冷酒は玉乃光純米大吟醸ひやおろし。梅田に戻りインディアンカレー。