丸木スマ展

コハクチョウがやってくる前に琵琶湖のメカニズムを学ぶべく湖南の琵琶湖博物館へ。

草津駅に着くとなにやら若い人たちで大混雑。バスまで時間が有るので、東口にタバコの吸える喫茶店が2軒も並んでいるのを見つけ、口コミ評価の高い方のお店でモーニング。駅西口のバス停へ向かうとバスに乗れそうもないくらい長い行列、さっきの若い人たちです。琵琶湖博物館に隣接する広場で開催されるFEST. INAZUMA(去年までイナズマロックフェス)という大型ロックイベントの初日、3日間で12万人もの集めるらしい。ということで琵琶湖博物館はあっさり諦めるて、もうひとつの目的地へ。

草津駅から京都方へ2つ戻って瀬田駅からバスに乗車。5連休初日の名神高速下り線は大渋滞。龍谷大学瀬田キャンパスで折り返して県立図書館・美術館前バス停に到着した帝産湖南交通のバスです。ICOCAは使えず現金決済。びわこ文化公園に入ります。

ここかなと思いきや、こちらは県立図書館。少し道を迷って県立美術館に到着。

第1・2章

元々、琵琶湖博物館のあと来るつもりだった丸木スマ展、73歳からのアーティストです。

「絵を描きはなえてから、面白うての。こりゃ、まだまだ死なりゃせん思うて。わしゃ今が花よ」とスマさんのメッセージ。

「第1章 スマ、73歳絵を描く」、奥にスマさんのポートレイト。

左側の壁は左からあじさい、花見、とんぼとり、けんか、いずれも1949年、スマさんが73歳で絵を描き始めた初期の作品。いわゆるヘタウマですが、光と影の描き分けが絶妙。

美術ジャンルとしては、正規の美術教育を受けず、独学で独自の表現を追求した画家たちによる素朴派(ナイーブアート)に分類される画家、日本では、谷内六郎、山下清、原田泰治、フランスではアンリ・ルソー、セラフィーヌ・ルイ、ウクライナのマリア・プリマチェンコらが素朴派の代表的作家です。

「第2章 ひらくスマの世界、―植物、生き物、風景」だけで40点以上のボリューム。まずは「野菜・果物」が6点。左から柿とみかんと玉葱とりんご、なす・うり・みかん・トマト、いちさんの白かぶ赤かぶ、なすときゅうり、真ん中の小さい作品はれいし(トロピカルフルーツのライチではなくゴーヤのこと)、右端は夏みかん。

「花・植物」が5点、左からもくれん白、生けた南天、黄色い花、ダリア、支那焼の壺。同じ人が描いたと思えないくらい様々な表現のバリエーション。

まとめられた展示をまとめて1枚に収めてみたのですが、iPhone18Proでそれぞれに細部まで結構くっきり撮れているので拡大してみてください。

「花・植物」がさらに7枚、赤いグラジオラス、山ごぼう、つつじ、ユリ、すすきと太陽、熟れたほおずき、カンナ。

「生き物」が9枚、白い犬、ノンという犬、草むらの親猫・子猫、ねこととり、こっちを見ているサル、めんどり、にわとりいっぱい、にわとりと八重椿、にわとりとひよこ。

愛犬といっしょのわたしとクマと猫の食事風景のめし。

「川のある暮らし」の7枚、駒、動物園から逃げてきた、カニとザリガニ、太田川のカニ、行く魚B、ほうせんかとくま、鳥たち集まりに行く。

「風景・暮らし」の6枚、一粒百万倍、年齢の離れた画家との交流、ろん、ばくろう、村の夕暮れ、家族。

第3・4章

「第3章 画壇へ」、女流画家展に出品し5点入選、再興日本美術院展に出展し入選し、二本画壇に新風を吹き込むことに。第5回女流画家協会展(1951年)出展の川のかにと母猫。再興第36回日本美術院展(1951年)出展の海と野。

せみが鳴く、セミはどこにいるかさんざん探して画面右端に見つけました。

「第4章 丸木家の人々」はスマの家族の作品紹介。スマの前衛的な水墨画の長男・丸木位里の休息と梅。

油彩を中心に描いた位里の妻・丸木俊の原爆の図 祖母子、モデルは義母のスマ。丸木位里・俊夫妻共同制作の原爆の凄惨さを視覚化した15部連作の「原爆の図」は大きな衝撃をもって受け入れられ海外での巡回展も行われています。

左から、スマと俊の写真、丸木俊が姑を描いた丸木スマ肖像、スマが嫁を描いた俊の像。

スマの長女・大道あや作の解放。度重なる不幸に見舞われた後、あやも60歳から絵筆をとり、独学で画家・絵本作家として大きな足跡を残しています。

母と異なり、対象をじっくりと観察し緻密な筆づかいで画面の隅々まで描き込むあや。一方やはり心の赴くまま奔放に筆を走らせた丸木スマの楽しい日。

第5・6章

渡り廊下にソファに腰を下ろしてひと休み。

「第5章 丸木スマはどのように受け入れられたか」、昭和27年広島の百貨店・福屋で開催された初の個展のポスター。家族総出で準備、大盛況だったらしい。塔は広島市西区の三滝山にある三滝寺の多宝塔がモチーフ。

木に上って柿を取ろうとしている人より柿の方がずっと大きい柿もぎ、同名の作品が精神科医の式場隆三郎が所有しており、「まず柿を大きくかいてしまったら、人間をかくところがなくなつてね、つい、小さくしてしまいましたよ」と式場の質問に答えています。

式場は放浪の画家・山下清の才能を見出し広く世に紹介し、柳宗悦らと深く交流し民藝運動に参加しています。民藝-山下清-丸木スマが「専門的な美術の世界の外から生み出された表現」という一本の線でつながっているようです。カニの図は丸木俊から吉川英治に贈られたと伝わる作品。

河童の絵が4点、カッパの踊りA、河童、カッパの踊りB、カバンをさげたカッパたち。

ひまわりと暮れる畑には石牟礼道子や水上勉の賛辞が並べられていました(残念、読み取れない)。

 

「第6章 ピカドン」、70歳のスマは爆心地から2.5kmの三滝山(現在の広島区西区)自宅で被爆、崩れた天井の下敷きになるも奇跡的に一命をとりとめるも、町にあふれる無数の遺体や大火傷に苦しむ人々、後には放射能で命を落としていく人々を目の当たりにしています。ピカーゆうれいーは苦しむ人を描いたものかと。

文字だけの画面にスマのことばの朗読が流れされています。辛いですが聞かねばなりません。

掛け軸になったピカドン、太田川と思われる川面や川辺に死体、血を流し苦しむ人々。

75年間は草木も生えないという噂が流れるも昭和20年9月には爆心地近くで咲いたカンナ。終戦後昭和23年から絵を描き始めたスマの作品の多くは豊な自然や動物、そこに暮らす人々。原爆の記憶を直接的に伝える作品は多くないものの、「私が画をかきだしたのは原爆のせい、つれあいに先立たれ、いつ死んでもよいと思うと、画をかき出したら死にとうなくなりました」とも語っています。

平和を守る会編 ピカドンは丸木位里・丸木俊による簡素な絵本、中を開くと原爆を描いたモノクロのイラスト多数。おそらく復刻版ではないかと思われます。

とうろうながし(1950年)は毎年8月6日夜に元安川で営まれる灯籠流しを描いたもの。一緒に被爆したスマの夫・金助は昭和21年3月に亡くなっています。

第7・8・9章

「第7章 スマが描いた広島の風景」、スマが生まれ育ったのは伴(とも)村(アストラムライン伴駅がある)の農家、束縛を嫌い学校より野山で遊ぶことが好きの少女だったそう。20歳の頃に飯室村(可部から山地に入った太田川の中流)の丸木金助に嫁ぎ、家業の船宿と農業を切り盛りし三男一助を育てます。やがて太田川の水運が衰退し、船宿が成り立たなくなったことにより、土地も家財も手放して、広島市内の三滝(JR可部線で横川の次)に移り住むことになります。

稲刈りは伴や飯室での記憶が混然となったもの、もみじ谷は三滝にある紅葉の名所・三滝寺を描いたものと思われます。

次男・宜三の住む加計にもしばしば滞在し描かれた加計の夕暮れ。

スマが過ごした広島の地のマップ、概ね現在のJR可部線沿線です。不義理をしてしまった義父母の家で盆や正月を過ごしたことを思い出します。地図の府中町に近い辺りです。丸木スマのことはたぶん知っていたと思われ、三滝や伴にボロいカローラで案内してもらえたはず。

「第8章 丸木スマ的曼荼羅」、鳥の国、葉鶏頭、おんどりめんどり、朝顔と鳥、お人形、黄菊、白菊、仙人A。この並べ方自体が曼荼羅ぽく見えます。

とても楽しげな田楽は広島県山県郡に伝わる田楽踊り、画面に描かれた文字は、読み書きのできなかったスマさんが見様見真似で書き添えたもの。

簪(昭和30年)は最晩年の150号の大作、スマの全作品の中で最大。猫、犬、雄鶏、雌鶏、ひよこ、鳩、蛇、蝶、とんぼ、蜂、猿、百合などがビッシリ。タイトルは丸木俊が付けたもの。曼荼羅とは宇宙の理などを幾何学的に秩序だてて描かれるものですが、この混沌とした全ての生命が等しく存在しつながり合っているこの景色がスマさんの宇宙。

昭和31年11月14日にスマさんは突然の死、何と位里・俊の住む練馬区の家で強盗に殺害されています。位里・俊夫妻が巡回展でオランダ滞在中のことだったらしい。享年81歳。翌昭和32年には東京、名古屋、徳島、広島で丸木スマ遺作展開催。昭和42年埼玉県東松山市に原爆の図丸木美術館開館。

「第9章 絵は誰でも描ける」は丸木位里・俊の著書に由来。「わしも、あんたたち(丸木位里・俊のこと)のように、むこうとそっくりにやって見ようと、思うが、うまいぐわいにはいかんのう、わしはわし流にやるより仕方がない」とスマさんの言葉で締めくくられていました。

かにとえびと山椒魚、画面左上のほうに山椒魚らしきが。ガザミもいます。猫とあかまんま、あかまんまはイヌタデの穂のような赤い花のこと。

展示作品の最後はまるで遺影のよな自画像、苦しみと悲しみと喜びと幸せが全部詰まっているような表情です。

第9章の展示室には大きなテーブルが置かれこどもたちが絵をかけるようになっていて、壁にはその作品。上段中央のにわとりやスマさんの愛犬クマが太い線で描かれた作品などから、令和の子どもたちにもスマさんの世界がしっかり受け継がれているようです。スマさんの世界の余韻を残したいので続きは項を改めます。