ぼくのなつやすみ前編

この夏は東京の美術館めぐり、と前々から考えていたのですが、東京国立博物館、国立西洋美術館、東京国立近代美術館、東京都庭園美術館、日本民藝館、静嘉堂文庫…と行ってみたい美術館がありすぎて計画を立てきれず、であれば、ヤマザキマザック美術館と愛知県美術館でその充実度に驚き、まだ徳川美術館や愛知県陶磁美術館など行ってみたい美術館がいっぱいある名古屋なら日帰りで何往復かする手もあると思いつきました。

そんな矢先、最近どっぷりハマっている原田マハさんの〈あの絵〉のまえでという短編集の表紙になっているクリムトの作品が豊田市美術館の常設展にあり、近くには豊田市民芸館というやはりどっぷりハマってしまった民藝の美術館があると分かり、徳川美術館や愛知県陶磁美術館は後回しにして豊田へ向かうことに決めました。日帰りのぼくのなつやすみです。

6:03のひのとり6列車で出発、7:09今朝の雲出川沈下橋です。

知立経由豊田

8:06名古屋到着、後ろの方の車両だったので、いつものどんつきの改札ではなく後方の階段を上がり長い通路を抜けると「正面改札口」、営業していた立ち食いそばをかき込んで外に出てみるとLOUIS VUITTONとKOMEHYOが並んでいて、ヴィトンの左手にはDIORとCARTIER、何とも名古屋っぽい。

豊田へは知立経由と豊田線経由の2つのルートがあり、直線ルートの豊田線の方が少し安いものの、各停しかなく所要時間はほぼ同じ、知立経由に決め名鉄名古屋駅のホームへ。次の急行豊川稲荷行よりも後の特急豊橋行の方が知立先着と分かりしばし待機、DJブースから◯色の乗車目標でお並びください、と案内しているものの、やはりどこに並んでいいかよく分からない名鉄名古屋駅、これがこの駅ならではの楽しさでもあります。

ホームに並んでいた人たちの殆どは特急中部国際空港行に吸い込まれ、8両編成で前2両が特別車の特急豊橋行自由席車転換式クロスシートにらくらく着席。照明カバーが黄ばんだ年季の入った1000系電車です。

神宮前を出ると途中無停車で到着した知立駅は高架工事中。

↑2豊田市・猿投方面とある案内を見つけ階段を上ります。

階段を上がったところに掲げられていた構内案内図、黄色い名古屋本線上りホームの7番線から水色の連絡通路を渡り、薄緑色の三河線ホームへ。

2階跨線橋(上掲構内案内図の薄紫)の窓からの眺めはまるで阪急淡路駅。右手に3階と同じ高さの高架橋が見え、三河線を3階に上げ名古屋本線は2階になるようですが、現在は上り線のみ高架になり、下り線はまだ地上です。左端高架橋の中の電車は名古屋駅で先発も途中で追い越した急行豊川稲荷行、入線してきたのは三河線碧南方面からの電車。

2番線に下りると4番線にさっき入線してきた三河線碧南行、4連で貫通ドアがあるにホロが繋がれていません。

2番線の猿投行6000系に乗車。先頭車に乗車したつもりだったのですが、反対方向に動き出してビックリ。三河線は猿投方面の「山線」と碧南方面の「海線」が知立でスイッチバックする構造になってます。海線は碧南から先、一色干潟に近い鰻で知られた三河一色を通って吉良吉田まで伸びていたものの2004年に廃線。山線も猿投から西中金まで伸びていたものの同時に廃線されています。猿投はサルナゲではなくサナゲ、ずっと気になっていた変な駅名です。

単線の三河線山線のふたつめは三河八橋駅、最寄りの八橋かきつばた園に自分のGoogleMapで行ってみたいマーカーがつけられていました。無量壽寺境内にあり、在原業平が八つの橋がかけられたこの地で歌った「らころも つつなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞおもふ」と「かきつばた」詠み込んだ歌にちなみ京で生まれたお菓子が「八ツ橋」です。

上挙母駅、挙母とかいてコロモと予習してきたので、カミコロモかと思いきやウワゴロモでビックリ。昭和34年に豊田市になるまでは挙母市だったそうです。ここから10kmほど東に家康の松平家発祥の地、松平郷があります。

豊田市駅を過ぎて、終点猿投のひとつ手前、平戸橋で下車、いい感じにカーブした棒線駅です。

平戸橋駅前で1本のケヤキが日陰を提供してくれていました。平戸橋公園のマップ、掲げられているARTS & CRAFTS AND DESIGN展が今日の最初の目的です。

駅から5分ほどのところに「今日モアリ、オホケナクモ」と刻まれた「柳宗悦 心偈の碑」。上掲のマップにも掲載されていないので、目的地の豊田市民芸館のある平戸橋公園にもう着いたのかと思いきや別の公園で豊田市本多記念民芸の森とあります。

エフエム愛知などを設立した実業家で陶芸研究家の本多静雄氏(平成11年101歳で逝去)の邸宅が民芸の森として公開されているものと分かりました。民藝運動に深く共鳴し柳宗悦や濱田庄司、河井寛次郎らと深い親交があり、物心両面で民藝運動を支援、豊田になぜ民芸館あるのかの謎が解けました。

森の中に入ると陶磁の狛犬、ちゃんと左が阿形、右が吽形、本多氏の依頼で豊田市の陶芸家蜂須賀保中氏が室町時代の狛犬を模して作られたと案内があり、その下のイラストも素敵。

青隹居(せいすいきょ)と名付けられた田舎家、本多氏の邸宅件アトリエ件研究拠点だった東北地方風の曲り家です。

松近亭と名付けられた茶室、昭和24年に本多氏が移築した尾張藩士の茶室、中を覗くと茶道具は置かれていないものの、床の間に掛け軸や生け花、茶室の隅に茶釜などが置かれた様子の写真が置かれていました。

旧海老名三平宅は幕末から明治にかけ挙母藩や尾張藩の剣術指南役だった剣豪・四代目海老名三平宅を平成8年に移築してきたもの、木造茅葺の質素な建物で、当時の典型的な小農家の暮らしぶりを伝える貴重な民家の遺構。裏側にまわると鬼瓦がいくつも置かれていました。茅葺きになぜ、と思いきやこれも本多静雄コレクションらしい。

管理棟→の案内に「円空仏展示」とありビックリ。

円空仏

管理棟で上がらせてもらった座敷に「今日できることは今日中にやれ」という本夛氏の人生訓。藍染で言葉が柔らかく聞こえます。

飾り棚に25体の円空仏、本多静雄氏のコレクションで通常は豊田市民芸館第一民芸館に展示されているものが、こちらに移されているらしい。傍らに「円空仏の配置図」が置かれていて名前とサイズが照合できました。

棚の下段左から、名前の分からない如来像 52.7cm、小さくても奈良の大仏のような大きさを感じさせる聖観音菩薩像 55.5cm、宝冠を被った虚空蔵菩薩像 48.4cm。

棚の上段には木っ端仏とも呼ばれる千体仏像 5.1cm、スーパーサイヤ人を彷彿とさせる荒神像 17.5cm、人頭蛇身の宇賀神像 12.6cm、何かのアニメで見た気がするお顔の慈恵大師像 21.2cm。どの円空仏も口角を上げて微笑んでいます。

5月の吉野大峰展で作品リストに載っていない円空仏を見て、この夏は奈良県天川村の栃尾観音堂の円空仏を訪ねる計画をしたものの、レンタカーで慣れない山道はやばそうと諦めたばかり。今回目的地の候補に千体以上の円空仏が安置されている名古屋市中川区の荒子観音寺を考えていたのですが、最初の目的地に着く前に25体の円空仏に会え大いに感激。

民藝運動支援者の本多静雄氏コレクションの円空仏、当時の人々にとって「祈り」という日常の「用の美」と捉えることもできそうです。

豊田市民芸館

民芸の森から10分ほど歩くと平戸橋公園、流れる川は矢作川。勘八峡と呼ばれる渓谷ですが、水辺に下りることはできませんでした。左端は中部電力越戸(おなど)発電所、昭和4年の築造で現在も発電中。

近くにオオシオカラトンボ♀が止まってくれ、向こうから20人くらいのバーダーさんたちがやってきて渓谷をチェックするもカメラを向けることなく行ってしまいました。

柳宗悦の石碑、揮毫は本多静雄氏、

見テシリソ、知リテナ見ソ

知識や先入観で物事を見るのではなく、まず純粋に自分の目や感性で直観しなさいという意、美術鑑賞にはとても大切な言葉です。

すわっ古墳かと思いきや陶塚、使われなくなった古い焼き物や、制作過程で割れてしまった陶片などを納めて供養・感謝する場所だそうです。

大きな平屋は第三民芸館。こちらは民藝関連の展示で、ARTS & CRAFTSは第一民芸館と第二民芸館だそうです。

ARTS & CRAFTS展の会場の第一民芸館、こちらは展示室内撮影NGもアーツ・アンド・クラフツ運動創始者のウィリアム・モリスのテキスタイル等多数展示。ウィリアム・モリスの世界ウェブサイト(美術展企画運営のブレーントラスト社)にポスター掲載の格子垣や代表作とされるいちご泥棒が掲載されていました。壁紙やカーテンなどのインテリア装飾のためのテキスタイルデザインです。展示室の奥には日本民藝館から移設された柳宗悦の館長室。

原田マハの小説リーチ先生を読んだことが今日ここを訪ねたきっかけです。産業革命以降、廉価で粗悪な工業製品が出回ることを憂いたウィリアム・モリスは「生活の中に美しい手仕事の製品を取り入れ、生活と芸術の一致を進めるべきだ」とアーツ・アンド・クラフツ運動を提唱、後に民藝陶芸家となる富本憲吉がその活動に衝撃を受けイギリスへ渡り、芸術的工芸品専門のヴィクトリア&アルバート美術館に日参、イギリスからの帰路、バーナード・リーチ友人の画家レジナルド・ターヴィと出会い、千葉県我孫子のバーナード・リーチ宅を訪ね意気投合、リーチと富本は陶芸の世界に入っていくことに。そのウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツとはどんなものか、どうしても見てみたかった次第。

森の奥の洋館は国の登録有形文化財の井上家西洋館、明治11年に開催された愛知県博覧会の貴賓館として建てられ、関戸銀行(のちの愛知銀行)となり、豊田市猿投地区の開拓を率いていた井上徳三郎が譲り受けて井上農場の迎賓館となり、平成元年に現在地に移築復元されたものらしい。上がれないものの内部を覗くことができます。

昭和55年の発掘調査で見つかった平安時代中頃に作られたと推定される猿投窯兼近一号古窯跡を移築復元した穴窯です。穴窯とは須恵器の時代からある最も古い形式の単室の窯で、これが進化して複数の部屋が階段状に連なったのが登り窯です。

脇の小部屋に薪がいっぱい積まれていて、復元されただけでなく現役の窯。穴窯の奥に工房があり、そば猪口の絵付け体験の案内が掲示されていたものの、明日の開催。

ARTS & CRAFTS

第二民芸館もARTS & CRAFTS展、こちらは撮影OK。

書棚右下はウォルター・クレイン メーデーの花輪、モリスが立ち上げた社会民主連盟の中心メンバーだったクレイン、リボンには社会主義の理想を掲げたメッセージがびっしり。

書棚左上はウォルター・クレイン 童謡楽譜絵本幼な子のオペラ(1877年)、表紙にはマザーグースHey Diddle Diddleに登場するチェロを弾く猫、月を飛び越える牛、皿とスプーン、服を着た犬が描かれています。

展示室中央の平台にはアーツ・アンド・クラフツ運動期のアンティーク・ジュエリー、右から2つ目はアーツ・アンド・クラフツ運動の精神を受け継ぐ宝飾デザイナー、ジャームズ・クロマー・ワット ホワイトメタルのエナメルペンダント(1920年頃)。

アーツ・アンド・クラフツ運動に関連する書籍の装幀、モリスは大量生産された書籍に対し、中世の手仕事を取り戻すため自らケルムスコット・プレスという印刷工房を創設しています。表紙や挿絵だけでなくフォントの美しさが際立ち、本ってこんなに美しいものだったのか、大切にしたいものと気付かされます。

平台の反対側はアーツ・アンド・クラフツ運動のシルバーウェア。

シルバーウェアも美しいものの、ガラス器はため息が出るほど。James Powell & Sons工房のストローオパール・ガラス花器タツア(脚付きカップ、おそらくハリー・ジェームス・パウエル)、John Walsh Walsh工房のカットガラスの扇型花器

成形された器に色んな手法で植物などが描かれているアールヌーボーのエミール・ガレのガラス器と異なり、これらのARTS & CRAFTSの花器は器自体で植物が形作られていて、それもかなり限界に近いと思われる薄さです。展示のライティングも秀逸、ガラス器の影とガラスを通して屈曲拡散した光が美しすぎる。百年以上前の脆く繊細なガラス器がよくぞ保存されてきたものとも思います。

John Walsh Walsh工房のワセリンガラス花器、James Powell & Sons工房のウィリアム・バトラー 繊条模様のボウル、そしてアメリカへ伝わったアーツ・アンド・クラフツ 脚のあるグラス(ティファニースタジオ、1905年頃)。こちらはエミール・ガレに近い感じです。

展示室右側はアメリカのアーツ・アンド・クラフツ。20世紀初頭のロッキングチェアなどに囲まれてモンドリアンのコンポジションのような額、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと並び近代建築の三代巨匠と称される、フランク・ロイド・ライトのステンドグラスです。アーツ・アンド・クラフツ運動から多大な影響を受けたライトはその理念をアメリカ独自の形へと発展させ、モリスと異なり機械文明を受け入れて20世紀の「近代建築」へと昇華させています。

1880年代発祥のイギリスのアーツ・アンド・クラフツの影響を受け1890年代からエミール・ガレらフランスやベルギーのアールヌーボーが花を開き、「用の美」の日本の民藝運動もアーツ・アンド・クラフツ運動にその原点があります。

社会主義的社会運動的なアーツ・アンド・クラフツに対し、アールヌーボーは純粋な芸術の進化、民藝は用の美や無名の美にこだわる美の民主化運動と捉えて概ね間違っていないと思います。さらにドイツではアーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受けつつも機械化や規格化を積極的に受け入れたドイツ工作連盟〜バウハウスというムーブメントがあります。

第三民芸館に戻って来ました。ピカピカに磨かれた囲炉裏の間の左隅に置かれた壺は何と小鹿田(おんだ)焼、飛鉋飴青打壺飛鉋蓋付壺。上述原田マハの「リーチ先生」は、戦後間もない頃に大分県日田市にある小鹿田で陶工見習の沖高市(架空の人物)が村を訪ねてきたバーナード・リーチ一と河井寛次郎、濱田庄司の世話役を務める場面から始まっています。作中で、生乾きの素地に白い化粧土をかけ、表面を歪んだ鉋と呼ばれる鉄片で搔いて模様を付ける「飛び金」模様、と飛鉋(とびかんな)のことが紹介されています。

話は遡り明治末、高市の父親、横浜生まれで英語が話せた沖亀之介(本作主人公の架空の人物)が高村光雲・光太郎の書生となり、高村宅を訪ねてきたバーナード・リーチの通訳となります。リーチはイギリスから帰国した富本憲吉から聞かされたアーツ・アンド・クラフツ運動に共鳴、そして陶芸に出会い千葉県我孫子市の柳宗悦邸に窯を作り、リーチ、濱田、亀之介は渡英、イングランド最果てのセント・アイヴスに窯を開くことになります。

右側の飛鉋壺の作者坂本茂木氏について調べてみるとどうやら沖亀之助のモデル、さらにその子息、坂本工氏が沖高市のモデルで間違いなさそうです。期待していた富本憲吉や濱田庄司、河井寛次郎の作品を見ることはできなかったものの、この2つの小鹿田焼飛鉋壺に会えてテンション上がりました。ARTS & CRAFT展も陶磁器は殆ど展示されていなかったものの、ガラス器や書籍装幀などから富本憲吉が感じた感動をお裾分けしてもらうことができました。

いい意味で期待を裏切り、美に対する渇望を満たし膨らませてくれた豊田市民芸館をあとにして、クリムトに会いに向かいます。後編へ続く。