ヤマザキマザック美術館

今朝までどうしようか迷っていてやはり名古屋へ向かうことにしました。黄金-米野で撮り鉄以来4年半ぶり、目的は鉄道でも鳥でも古墳でもなく美術館、すっかり趣味が変わってしまった自分に自分でもビックリ。このブログのサブタイトル「上町のオッサンの鳥鉄日記」もそろそろ掛け替えなければなりません。

目的地は2箇所、ひとつは名前も初耳だったヤマザキマザック美術館、ロココや新古典主義の西洋絵画、それにエミール・ガレのガラス工芸が多数あるらしい。もうひとつは愛知県美術館、歌川国芳展が開催中で、常設展に川瀬巴水が多数展示されているようです。

8:03のひとのりは満席、8:23のひのとりは通路側が僅かに残っていただけで、8:33のアーバンライナーで出発。今日は鳥見や高倍率ズームが必要になる場面を期待していないので、ZV-E10+18-300mmズームはウチに置いてきました。

進行方向左側なので雲出川の沈下橋は外せません。軽トラがこの橋を難なく渡っているところを撮ったことがあります。

名古屋に到着。見た目はお気に入りなのに、よく揺れてあまり乗り心地が良くないアーバンライナー、隣の席のおばさま方が煩かったこともあり、ひのとりより6分余計にかかるだけなのにずいぶん長く感じました。

地下鉄東山線は大混雑も、栄でどどっと空いて新栄町駅に到着。子供の時、叔父叔母がこの先の星が丘に住んでいて、黄色い地下鉄に乗ったことを覚えています。叔父から星野仙一らのサインのサインボールをもらって高校生の頃までセ・リーグはドラキチだった自分、1974年のロッテとの日本シリーズではロッテファンの友だちとかなり盛り上がったのは鮮明、一番高木が塁に出て〜♪は今でも歌えます。ちなみに17年前に大阪に戻って以降は自然な流れでトラキチです。

新栄町駅からヤマザキマザック美術館は直結しているものの、その前に腹ごしらえ。GoogleMapで見つけた昭和な喫茶店で、憧れだった名古屋モーニング、11時を回っていたけど、出してもらえました。

手前の白いビルがヤマザキマザック美術館、工作機械メーカーのヤマザキマザック創業者山崎照幸氏のコレクションを公開するため2010年に開館した美術館です。

正面入口前にオーギュスト・ロダンのジャン・ド・フィエンヌ裸像、ホールのあられもないポーズのブロンズ像はアントワーヌ・ブールデルのアダム

赤の間

ビルの4階5階が展示室、入館料1,000円を払ってロッカーにリュックを預け、5階に上がると、まるでベルサイユ宮殿のように絢爛豪華な「赤の間」はロココ絵画の展示室、天井にはスワロフスキーのシャンデリア、マリア・テレジアがボヘミアの職人に作らせたものと同じモデルらしい。壁面はハプスブルク家御用達バックハウゼン社の壁布、メルバウ材の床に床下空調システムと贅を尽くした作りに圧倒されます。

無料と聞いて音声ガイドを借りました。こういうの初めてです。ヘッドフォンを着けて、首にこの音声ガイドをぶら下げ、作品の番号を入力すると2〜3分程度の作品の特徴やその制作背景が紹介されます。中にはBGM入もあったりして、なかなか凝ってます。

ニコラ・ランクレ からかい、(1736年頃)は眠っている農夫に、羊飼いの娘が木の枝でいたずらをしようとしている様子。そしてジャン=アントワーヌ・ヴァトー 夏の木陰は手前に電動で拡大鏡が上下するようになっていたのですが、iPhone17Proがあるので拡大鏡無しでバッチリでした。

フェート・ギャラント(雅宴画)と呼ばれる、田園での「つかの間のユートピア」を描いた官能的なロココ絵画、ヴァトーがその創始者でフラゴナールらに受け継がれます。

隣接して大きな「赤の間」、左側の特大の絵は縦237.5cm×横259.0cmのフランソワ・ブーシェ アウロラとケファロ、ギリシャ神話の物語を描いたロココ時代の真髄を伝える名画、グレーの衣を纏った曙の女神アウロラが、赤い衣をまとった美しき狩人ケファロスを誘惑している場面。

ルイ15世の公妾で類まれな美貌と高い知性を兼ね、ロココ文化最大のパトロンであったポンパドール侯爵夫人のベルヴュー宮殿(ベルリンのベルヴュー宮殿とは別)に飾られていたもの。

ジャン・オノレ・フラゴナール キューピッドのささやき(1776–1777年頃)。ロココとは何かについては山田五郎さんのよくわかるロココがとてもわかり易い。「軽薄でチャラい」がロココの特徴、ここで展示されているヴァトー、ブーシェ、フラゴナールがロココの3大巨匠として紹介されています。

大きい方の赤の間にはロココから発展した絵画形式の18世紀絵画も。ユベール・ロベール メレヴィル庭園の眺めは、ロココ様式から新古典主義・ロマン主義への過渡期の風景画。それまでの人工的で幾何学模様のような庭園ではなく自然のままの庭園がブームとなり、ロベール自身が設計を手掛けたメレヴィル庭園はパリ南郊に現存しています。

マリー・アントワネットと大の仲良しだった女性画家、リザベート・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン エカチェリーナ・フェオドロヴナ・ドルゴロウキー皇女(1797年頃)とリラを弾く女性(1804年)。

いずれもフランス革命後に描かれた、革命前の宮廷文化ではなく、「軽薄でチャラい」ロココ絵画とは異なり、ロココの優美さを残しつつ、古代ギリシア・ローマへの芸術にみられる理性、秩序、調和を理想とする新古典主義を融合させています。どちらの女性も目がとても美しく惹かれます。

ヴィジェ・ルブランについても山田五郎さんの詳しい解説が。五郎さんの動画にでてくるヴィジェ・ルブランのマリー・アントワネットを描いている自画像は上掲のふたり以上にチャーミング。ボッティチェリのプリマヴェーラのあるフィレンツェのウフィツィ美術館所蔵らしい、会いに行きたい。

感情と主観を重視したロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワのシビュラと黄金の小枝(1838年)、ローマ神話で英雄アイエーネスが冥界の亡き父に会うための小枝を巫女シビュラが指し示している場面。

ロマン主義に対峙し新古典主義を守ったジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルのルイ14世の食卓のモリエール(1860年)は、太陽王ルイ14世が周囲の貴族たちの反対を受ける中、「彼こそが我が廷臣である」と身分の低い平民である劇作家モリエールを食卓に招いた場面。

ここまで絵画の写真で他の美術館とは大きく異なる特徴に気づかれたでしょうか? 額縁の中にガラスが嵌め込まれていません。筆使いを直に見ることができ、照明が画面に反射しても、周囲や自分の影は写り込みません。印象派以前の西洋絵画を日本で堪能できる機会は限られており、つくづく名古屋まで来てよかったと感じさせます。

黃の間

赤の間を抜けると「黄の間」、主に印象派作品です。母の愛、あるいは息子ピエールに授乳するルノワール婦人のテラコッタ版とブロンズ版、喜多美術館で見た母と子と全く同じですが、ずっと小さい。喜多美術館のは54cm、こちらは28cm、共同制作者のルシャール・ギノはまず54cmでオリジナルの原型を制作し、コラスの機械という、今の3Dプリンターとほぼ同じの原理の機械で縮小したものらしい。

黄の間の壁布は黄色ですが、赤の間のような濃い色の方が作品が映えるような気がしないでもない。例えば濃い緑とか。

クロード・モネ アムステルダムの港(1874年)、同じ年にル・アーブル港を描いた印象・日の出を出展し、印象派と呼ばれることになります。カミーユ・ピサロ ルーアンの波止場・夕陽(1896年)、印象派の面々は港が大好き。

オーギュスト・ロダン オウィディウスの変身物語は、人間の情熱や欲望を神話のオブラートに包み、ふたりの肉体が溶け合い、ひとつの塊へと変身する瞬間を表現したものらしい。壁布と同じ生地が張られたソファで寛ぎながら鑑賞できます、

野獣派(フォーヴィスム)の画家アンドレ・ドラン オーの風景(1939年制作)、オー(Ault)は英仏海峡に面した小さな村、画面に見える塔はSt. Peter Catholic Church of Ault、描かれた海岸の丘陵の海側は高さ80mもの白亜の断崖絶壁です。遠浅の海はアボセットなど270種以上の野生の鳥類が飛来するヨーロッパで有数の野鳥飛来地だそうで、ソム湾の一部としてラムサール条約にも登録されています。オー村東側のソム湾には広大な干潟が広がりアザラシも生息、さらにソム湾鉄道という蒸気機関車が走るナローゲージ鉄道が湾の周辺を走っていると分かりました。自分の大好きなもの全てがびっしり詰まっている場所のようです。

青の間

「青の間」は壁布が主にエコール・ド・パリ、モジリアニの両側にユトリロ。青の間の壁布は水色、こちらも濃い青の方が合いそう。

左からモーリス・ユトリロ サノワの風車(1910年頃)、パリの北郊サノワの風車は現在も残されています。

アメデオ・モディリアーニ ポール・アレクサンドル博士の肖像(1909年)、モディリアーニの最初の理解者でパトロンとなった皮膚科医、まだ首は短く、目に瞳がある頃のモディリアーニ作品です。

モーリス・ユトリロ マルカデ通り(1911年)はモンマルトルの北側の長い通りで、描かれた場所は、長いマルカデ通りとウジェーヌ・カリエール通りが交差する周辺らしいのですが、特定できず。

マリー・ローランサン 3人の若い女(1935年頃)、ローランサンもエコール・ド・パリのひとりではあるもののモディリアーニ、シャガール、藤田嗣治らと違って生粋のパリジェンヌ。

アンニュイなジュール・パスキンの椅子に座る女、パスキンはその華やか浪費生活から「モンパルナスの王子」と称されていたエコール・ド・パリのブルガリア人画家。

エレベーター前に元に戻ると作品番号1のピエール・ボナール 薔薇色のローブを着た女(1918年)は当館コレクション第1号、モデルは32年も同棲の後に入籍した妻のマルト。エレベーターにも音声ガイドの番号は洒落てます。

アール・ヌーボー

4階に下りると全てアール・ヌーボー、家具/インテリアデザイナーのポール・アレクサンドル・デュマによるダイニング・ルーム(1902年頃)、シャンデリアはドーム兄弟。

デュマの陳列棚に自分、ブロンズ像には説明が見当たらず、AIによるとミュシャではないかというものの、たぶん違ってます。部屋の壁布はグレー、このグレーにアール・ヌーボーの木製家具が良く映えます。

デュマの棚がならぶ展示室のソファも壁布と同じ。棚に挟まれたアンドレ・ドラン エーヴ・キュリーの肖像(1934-39年)、エーヴ・キュリーはノーベル物理学賞/化学賞のマリ・キュリーの次女で、ノーベル化学賞のイレーヌの妹、母の伝記「キュリー夫人伝」でベストセラー作家に。子供の頃の愛読書だった記憶があります。

フォービズム(野獣派)のの旗手として活躍した後のドランが、古典主義的な造形や静謐で落ち着いた色彩を取り入れた時代の作品。

同じ展示室の隅っこにおかれた小さなブロンズ像はオーギュスト・ロダン 苦悩の頭部

オルゴールの置かれた部屋、2時からオルゴールの演奏をしますと案内が添えられていました。現時刻は1時17分。

ケシ文ランプはルイス・カムフォート・ティファニーの作、ティファニー(Tiffany & Co.)2代目の作品。ティファニーは高級ブランドの中でエントリープライスのアイテムも揃えられているので、自分ですらあの水色のパッケージを手にしたことがあります。

ダイニング・ルームの飾り棚テーブル椅子はルイ・マジョレル、シャンデリアはバカラ社、食器はマイセンのビーダーマイヤー柄。

エミール・ガレの文机飾り棚。ガレがガラス器だけじゃなく家具もスゴいとは知りませんでした。木象嵌(マーケトリー)が美しい。

色んな鳥がたくさん象嵌で描かれたエミール・ガレの箪笥、ドーム兄弟の風景文ランプは湖畔の木立の絵柄。ガレの蜻蛉のテーブルは脚が巨大トンボ。

アール・ヌーボーのベッドルーム。藤が描かれた寝室用家具(1900年頃)はルイ・マジョレルの作品。藤はジャポニズムのモチーフ、ファン・ゴッホらの絵画だけじゃなくインテリアまでジャポニズムが浸透していたとは知りませんでした。

ここにもマリー・ローランサン、シェシア帽を被った女性(1938年)、チュニジアやモロッコのフェルト製の帽子。

天板に象嵌で藤の描かれたルイ・マジョレルの テーブル(1895年頃)とローランサンととても良く似合ってます。

ルイ・マジョレル ワードローブには藤のドライフラワー、天辺にしっぽの長いネコ。

ガレのガラス工芸

エミール・ガレのガラス工芸展示はここまでと違って、シンプルな展示室にガラスケースがずらり。

花器エジナールとカール大帝の娘(1884年頃)、ガラスの表面にエナメル彩や金彩で繊細に描かれたフランク王国の学者エジナールとカール大帝の娘エマとの恋の物語。

蘭文花器(1897-1900年)、背面の映り込みも美しい。

菫文花器(1889年)は口縁に、Ta modeste est une ame de violette. Rolinaと刻まれています。君の慎み深さは、スミレの心のようだ、というフランスの詩人モーリス・ロリナの見つからぬもの(L'Introuvable)という詩の一節。台座はブルージョンと呼ばれるイングランド・ダービーシャー州キャッスルトンにある洞窟からしか産出されない貴重な蛍石らしい。

蝶にカラスムギ文花器(1890年代)、描かれた蝶はアサギマダラっぽい。

藤文花器(1898-1900年)、ガレのジャポニズムは単なる異国情緒ではなく、日本への理解を深め、日本の植物の生態や余白の美学を学び、単なる異国情緒としてではなく、自然への畏敬も込めた日本の心を作品に表現されています。

何やら最近ハマってる民藝の「用の美」に通じるものを感じさせます。民藝にはガレのジャポニズムを逆輸入した要素が含まれているような気がしてきました。

オダマキ文花器(1898-1900年)と蘭文花器(1900年)、自分の好きな花ばかりです。

ペン皿 緑色の善良な市民(1900年)はピーマンのような葉っぱのカエルが赤いイモムシを狙っている場面。

海馬文花器(1903年頃)、海馬はタツノオトシゴ。脳の記憶を司る部位の海馬とかけて、ドレフュス事件に対し人権擁護派としてのガレのメッセージが込められた作品らしい。

蜻蛉文脚付杯(1904年頃)、器の端っこでトンボがこっちを見ています。鏡に映った底面を見るとトンボの胸は黄緑色、青い池面を高速飛行のギンヤンマです。たくさん並んだ中で一番美しく見えたガラス器ですが、この形で何に使うか、水盤にして、アジサイの花を浮かべてみるとかどうでしょう。

朝顔文ランプ(1904年頃)はまるでクラゲ。

蜻蛉文花器(1904-1906年)、ガレが1904年に白血病で亡くなった後、妻のアンリエットや職人たちによってガレの工房で製造が続けられており、これは1904年にガレが亡くなる直前にデザインしたもの。

松文花器(1902-1904年)、鏡に映した外側と脚の黒いフットが絶妙のコントラスト。

2時5分前になって、まもなくオルゴールの演奏を始めます、と学芸員らしき男性が展示室内を巡回、後をついてオルゴールの部屋へ戻ります。

ドイツ・ポリフォン社製のポリフォン51型ディスクオルゴール(1910年製造)だそうです。円盤のトゲトゲで音を弾き、木製の筐体がとても心地いい音色と音量で2曲聞かせてもらいました。コインを投入して選曲できるようになっていて、殆ど音楽に触れる機会のなかった当時の人々に音楽を初めて提供した元祖ジュークボックスです。

ヤマザキマザック美術館のGoogleMapマーカーは「行ってみたい」から「行ったことがある」を飛ばして「お気に入り」に変更、中でもヴィジェ・ルブランとエミール・ガレは追いかけてみたくなりました。

次の目的地へ向かいます。この項続く。