愛知県美術館

承前、2箇所目の目的地、愛知県美術館へ。ヤマザキマザック美術館から徒歩10分ほど。

錦通を栄方面へ、さすがにコメダ珈琲が多く、愛知県に200店以上あるようです。自分は一度もコメダを利用したことがないのですが、名古屋には喫煙可のお店も残るらしい。名古屋の道路は広い。

愛知県美術館のある愛知芸術文化センター、テレビ塔を久しぶりに見ました。今はMIRAI TOWERと呼ばれるらしい、東京タワーや2代目通天閣に先立つ1954年の完成で重要文化財です。

愛知芸術文化センターにはいくつもコンサートホールがあり、若い人たちがいっぱい。案内所で訊いて10階の愛知県美術館へ。コレクション展にも入れる歌川国芳展のチケットしか見当たらず1,800円、コレクション展だけだと500円のはずですが、せっかく名古屋まで来たので1,800円にしました。歌川国芳展の撮影OKは数点のみ、コレクション展は全面OKとのこと。歌川国芳展に入ると大混雑でビックリ、壁にびっしり展示された作品の前を人垣がのそのそと横に進んでいます。大行列には並ばず人垣の後ろから撮影OKマークだけ探すことにしました。

歌川国芳

源頼光公館土蜘作妖怪図(天保14年頃)、右端に病床の摂津守源頼光朝臣、その背後に迫りくる土蜘蛛、手前は宿直の頼光四天王で右から勘解由判官卜部季武、碁を打っているのが内舎人渡辺綱と主馬坂田公時、酒を飲んでいるのは靱屓尉碓井貞光、後ろにはうごめく魑魅魍魎。平家物語番外編剣巻に描かれた物語で、実は極端な緊縮財政や娯楽を禁止した水野忠邦の天保の改革に対する庶民の不満を代弁したもの。病床の源頼光は天保の改革で成果を上げられない水野忠邦、四天王は何も手を打たず傍観している幕僚たち、うごめく魑魅魍魎が江戸の庶民です。

忠臣蔵十一段目夜討図(天保2〜3年頃)、遠近法で描かれた赤穂浪士の吉良邸討ち入りの場面、5mもありそうな吉良邸の塀、んなわけないやろ、と思う。

相馬の古内裏(弘化2〜3年)は平将門の屋敷跡にこもり朝廷に復讐を企てる将門娘の滝夜叉姫(画面左端)が妖術で呼び出した骸骨に立ち向かう大宅太郎光国(赤い鞘の刀を持つ武士)、山東京伝「善知鳥安方忠義伝」の一場面。正確に描かれた骸骨は国芳が西洋の解剖学を研究した成果。相馬とは福島県相馬ではなく下総国相馬郡、自分が住んでいた我孫子市から取手市や守谷市周辺までを含む地域と分かりビックリ。

箱根はへこね、沼津はなまづ、と東海道五十三次を猫に絡めてダジャレで描いた其まゝ地口猫飼好五十三疋(嘉永元年)、ごろごろまるまるネコづくしでも見ました。

朝比奈小人嶋遊を拡大したパネルに囲まれた部屋、伝説の豪傑・朝比奈三郎義秀が小人島に迷い込んだ場面。横たわる三郎の前に小人島の大名行列がちっちゃく描かれた江戸版ガリバー旅行記。最後は記念撮影用の流行猫の変化パネル、歌川国芳展は7月18日から京セラ美術館でも開催。

武者絵や戯画の国芳、名所絵の広重は同い年、三代歌川豊国と共に歌川派三羽烏と称され、三人共作で東海道五十三對が残されています。国芳と広重は生涯の良きライバルであるものの、べらんめえの江戸っ子で親分肌の国芳に対し、火消し同心の家系で真面目几帳面な広重とは性格も得意分野も異なり、衝突することなく浮世絵界を盛り上げていったらしい。

川瀬巴水

同じ10階のロビーを挟んで単体側にコレクション展の4つの展示室、まずは川瀬巴水の木版画。2月に神戸ファッション美術館で開催されていた新版画展を訪ね、残念ながらほぼ全面的に撮影NGだったのでブログアップしていなかったのですが、いっぺんに好きになった川瀬巴水の新版画、名古屋へやってきたもうひとつの目的です。

吉田の雪晴(1944年)、シーンという音が聞こえてきそうな雪に埋もれた富士吉田、快晴の空の下に左側がなだらかな北側からの富士。

大坂高津(1924年)はウチのすぐ近所。仁徳天皇が民の竈を探した高殿をイメージして作られている絵馬殿、左手の石段は相合坂、右手にあるはずの大阪市歌の碑はまだ建てられていません。

奈良春日大社は雨上がりの南門前、1933年4月とあるもののふたりの女性はショールを巻いて寒そうです。

時雨のあと京都南禅寺(1951年)、山門前の紅葉のグラデーションや水たまりに反射した光のの美しさにため息が出ます。

吉野川柳の渡(1950年)は六田の渡、大峰山の修験者たちや、源義経、静御前、後醍醐天皇、が渡ったことを偲んで描かれたのかも。

今日この後元気と時間が残っていれば行ったみたい名古屋城(1932年5月)

平泉金色堂(1957年)は川瀬巴水の絶筆、雪の積もる階段を一歩一歩踏みしめ、あと少しで上りきろうとしている旅の僧の後ろ姿は、全国を旅して風景を描き続けた巴水自身の人生の終着点へ向かう姿を重ね合わせたものらしい。

木村定三コレクション

名古屋の美術コレクター木村定三氏寄贈による日本や東アジア美術のコレクション。長沢蘆雪 薔薇蝶狗子図(1794-1799頃)、師の円山応挙同様に犬の絵がたくさん残され蘆愛犬家に絶大な人気の蘆雪犬たちです。

伊藤若冲 六歌仙図(1791年)は田楽豆腐の語源である芸能の田楽を六歌仙に託した図、右上の味噌をする喜撰法師は琵琶を弾く様子、長い髪の小野小町は鉦鼓に見立てた堅豆腐を掌にのせ、その手前の大伴黒主が団扇であおぐ田楽炉は琴、背を向けた在原業平の前には小太鼓と撥に見立てた盆と田楽、手にする一本の田楽は横笛、烏帽子を被った文屋康秀が酒の残りを案じて瓶を鼓のように叩き、僧正遍照があおっている太い輪郭の大盃は芸能の田楽で使われる打楽器のびんざさら。福田美術館で感動した若冲とはまた一風異なる若冲の世界です。

木村定三コレクションの核となっている熊谷守一 寒山・拾得(1958年)、熊谷守一は東京・豊島区千早の自宅からほとんど外に出ない生活を送り、画壇の仙人と呼ぼれ、売名や金銭に執着せず、ただ自由に自分の時間を楽しむことを貫いた人、山崎努と樹木希林でモリのいる場所という映画になっていました。

その熊谷守一自宅跡が豊島区立熊谷守一美術館になっています。要町駅からすぐ近く、池袋に住んでいた時の散歩コースなのに全然知りませんでいた。

狩野探幽 天神図(江戸時代前期)、豪壮な京の狩野派と異なり瀟洒端麗な画風を作った狩野探幽。眉を寄せて困ったような表情の天神さん。

ここにも歌川国芳、誠忠虫義士伝一巻(1847-1848年)、「大星良金ヲ始四十余人の義士本位を達し万昌山円覚寺へ引取焼香図」の部分。

コレクション往来

広い展示室5は「コレクション往来」、愛知県美術館と愛知県陶磁美術館の所蔵品を合わせての展示。愛知県陶磁美術館は瀬戸市にあり、瀬戸や常滑はもちろん、ノリタケやナルミなどの洋食器、縄文時代の火焔土器から現代作家まで、中国、朝鮮半島、西洋の陶磁器までかなり広範に8600点ものコレクションがあり、同じ陶磁器美術館でも大阪市立東洋陶磁美術館とはかなり趣きの異なった展示らしい。

「ヨーロッパが出会った東アジア」と題したコーナーでは、最近焼物にハマったばかりの自分には、いきなりこう来たかと感じさせる比較展示。左から、藍絵芙蓉手花鳥文盤(デルフト窯、17世紀後半)、染付芙蓉手花籠文大皿(有田窯、18世紀)、青花芙蓉手盤(景徳鎮窯、16-17世紀)。

さらに柿右衛門写色絵壺(デルフト窯、18−19世紀)、柿右衛門写色絵壺(チェルシー窯、19世紀)、色絵菊文壺(有田窯、18世紀)。右端の有田は空白を広く取った典型的な柿右衛門様式、3つ並べると有田がダントツに美しい。澄んだ色の絵付けに絶妙な間を空けた余白の柿右衛門です。

続いて「近代から見た古代世界」、ポール・デルヴォー こだま、あるいは、街路の神秘(1943年)は、古代ギリシャ・ローマの神殿のような建物が並ぶ街路を歩く3人の裸婦、建物と裸婦の遠近法の違いで不思議感がいっぱい。

アメデオ・モディリアーニ カリアディード(1911-13年)、彫刻家を目指していたモディリアーニが、古代ギリシア建築の女性の姿をした柱を描いた作品。モディリアーニならではの長い首、アーモンド形の目の原点らしい。

レオノーラ・キャリントン ウルでの狩り(1946年頃)、緑色に光る天球の下、巨大なヘラジカを狩る古代メソポタミアの都市国家ウルの人々。

グスタフ・クリムト 人生は戦いなり、黄金の騎士(1903年)、琳派の金屏風を思い起こさ、ジャポニズムの強い影響を感じさせます。

「楽浪郡の遺跡調査」と「民藝運動と朝鮮」の展示ケース。右側は1910年の日韓併合で行われた東京帝国大学による楽浪郡調査で出土した細線式獣帯鏡(紀元前1世紀-1世紀)など。 

中央には柳宗悦が素朴な美を見出し民藝運動の原点となった朝鮮時代の陶磁器が並び、左端には民藝運動の河井寛次郎 白地草花絵扁壺と濱田庄司 鉄砂筒描扁壺、後ろの絵は前田整頓  朝鮮五題水汲(昭和14年)。

20世紀初頭にベルギーにより敷設された開封と洛陽を結ぶ汴洛鉄道(べんらくてつどう)の工事で出土した唐三彩、1920年頃河北省で見つかった北宋時代の遺跡で発見された磁州窯の陶磁器、日中戦争時に中国共産党八路軍の勢力下にある危険な河北省の奥地で古陶磁研究科の小山冨士夫が発見した定窯の白磁が並びます。

梅原龍三郎 北京紫禁城(1939年)は北京飯展5階南西の角部屋から見渡した樹海の中の紫禁城。

加彩騎馬俑(唐時代)は騎乗の女性に色が残っています。見事な造形。

伝栃木県鶏塚古墳出土、古墳時代後期(6世紀)の埴輪 琴を弾く男子、この稚拙な造形の埴輪から短期間でいっきに精緻な仏像に進化したのが不思議でならない。

彩陶双⽿壺(新⽯器時代後期・⾺家窯⽂化、紀元前23-21世紀)と並べられていた加⼭四郎 枯れたる花(1953年)、⾺家窯⽂化の壺がまるでキャラクターに。

木村荘八 雲岡石窟拓本(1920年)、詩人の木下杢太郎と共に雲岡や天龍山の石窟を巡り写した拓本、「大同石仏寺」という木村・木下共著が刊行されていると分かったものの図書館か古書店で探すしかなさそうです。

展示室の間の廊下に北魏の石仏、如来三尊像(北魏、515年)、どの石窟将来かは不明。

帰り道

さらにキュービズムの展示室。パブロ・ピカソ 青い肩かけの女(1902年)、アレクサンダー・アーチペンコ 歩く女(1912年)、もう自分の集中力はかなり切れてきています。

予想をはるかに超えて充実した展示、見逃した作品も少なくなさそうです。愛知県美術館のフロアマップをみると屋上庭園や展望回廊などもあるのですが、全く気づきませんでした。こんどは愛知県陶磁美術館へも行ってみたいし、徳川美術館、名古屋市美術館、豊田市美術館もあります。

愛知県美術館の外に出て、名古屋城へ向うことも考えたもののもう4時を回ってるし、モーニング食べただけなのでお腹がへりました。栄の地下街を歩いてみたもののピンとくる店はなく、名駅まで戻り、大名古屋ビルヂングに喫煙所みっけ。壁に「禁煙は簡単、何百回も試しました」とのメッセージ。名駅の地下街で金券ショップを見つけ、近鉄の株優を買ったつもりが「名阪ビジネス回数きっぷ」で2,150円でした。

土地勘の全然ない名駅の地下街をぐるぐる歩いてもめぼしい店を見つけられずテキトーに回転寿司に入ってみたらハズレ、ビールと2皿だけで店を出て、立食いのきしめん。今度名古屋へ来るまでにしっかり行ってみたい店を調べておきたい。

18:25のひのとりで帰ります。地上に出ると夕日を受けたHC85系、桑名で北勢線。

近鉄富田付近で鈴鹿山脈に沈む夕日。大阪上本町に到着、ぜんぜん揺れなくてアーバンライナーよりよほど乗り心地がいいと確認。鉄道→鳥→古墳→美術館と趣味が変遷した自分ですが、最後は鉄分で締めておきます。