京の孤高の天才

大阪民芸館、楽美術館に続いて、ぜひオススメとChatGPTに教えてもらった美術館は次の楽しみにとっておき、陶芸じゃなく絵画を見たくなって嵐山の美術館へ。

阪急百貨店コンコースがもう展示替えされていてビックリ。ただJapan and meのテーマはそのままに、有田焼がガラス器や風鈴に。

臨時列車の6300系で嵐山に到着、営業再開していた嵐山駅前のミニストップで買ってきたおにぎりを、川辺の岩に腰を下ろして頬張っていると草むらにホオジロ。川辺のホオジロって珍しいかも。心配していた渡月橋の人混みはさほどではありませんでした。

まずは福田美術館で「若冲にトリハダ!野菜もウリ!」、嵯峨嵐山文華館とのセット券を買って入館。

去年、中之島美術館の日本美術の鉱脈展・未来の国宝を探せ!では、撮影NGの伊藤若冲と円山応挙の合作屏風と、撮影OKの伊藤若冲「釈迦十六羅漢図屏風」デジタル推定復元を見たまで、いささかガッカリだったのですが、福田美術館でかなりまとまった数の若冲作品が撮影OKと分かりやってきた次第。

10年ほど前の空前の若冲ブームは落ち着き、ゆっくりじっくり鑑賞できました。以下撮影した掛け軸の画像をトリミングしており空間や賛、表装を残せていないのですがご容赦を。以下、特記した蛇図と菜蟲譜を除き福田美術館蔵。

若冲にトリハダ!

蕪に双鶏図⑦は30代前半の制作で現在発見されている若冲作品で最初期の作品。

花卉雄鶏図⑧のニワトリはまるで石上神宮の東天紅鶏、後ろの花は二色咲きのサザンカ、拡大してみると花の蕊や葉の変色まで超細密。

柳に雄鶏図⑨ 、雄鶏が首の周りの羽を膨らませて威嚇のポーズ。墨の濃淡で見事に「色」が表現されています。顔と白い羽は地の色のようです。

馬図⑩の賛は若冲の精神的支柱だった黄檗宗の僧・無染浄善のもの。

ひとりずつ鉢を掲げた表情豊かなお坊さんたちの托鉢図⑪。S字に並んだお坊さんを数えてみると59人、行列は大嫌いな自分ですが、この行列はいい。このリズム感を損なわないように縦長にトリミングしてみました。

緻密で細密な作品と一転、エイヤッと描かれたダイナミックな小槌に宝珠図⑫。

ドライヤーじゃなくて瓦の上で首の羽をふくらませた瓦に鶏図⑬。ガンを上から見た葦雁図⑭。

江戸時代、ガンはもっとも美味しい鳥だったそうで、似せて作られた精進料理ががんもどき。ちなみに同じものを関西ではひろうず(飛竜頭)と呼ばれるものの、これはガンとは関係なく、ドーナツのような揚げ菓子を意味するポルトガル語のフィリョース(Filhós)が語源で、本来別の食べ物だったのが、江戸時代末期頃には「豆腐を丸めて揚げる」ことから同じ物を指すようになったらしい。

もう一枚ガン、月下葦雁図⑮。江戸時代の日本画でガンやツルはよく登場するのに、ハクチョウは見たことがありません。現在と生態が違って、ハクチョウはガンやツルよりよほど珍しい鳥だったようです。ちなみに琵琶湖の湖北にコハクチョウがやってきたのは1970年代以降。

孔雀ではなく鳳凰図⑯、架空の鳥がまるで見てきたように描かれています。どう見ても平等院鳳凰堂や銀閣の屋根にのっている鳳凰の方がカッコいいですが、憎めない表情です。

雲龍図⑰は、見上げるばかりだったはずの雲龍を上から見下ろした構図です。よくぞ思いついたもの。

さらに空想の動物の霊亀図⑱、四神の北を守る玄武と異なる亀で四霊のひとつ。千年以上生き、未来の吉凶を予知する能力を持つとされ、長寿や吉兆の象徴らしい。可愛い目やピンと立てた耳とアンバランスなガッシリした足、徹底的な写実の若冲とは正反対の若冲の空想の世界。

一転、艶やかな色絵の老松白鶴図⑲、なんて器用な画家なんでしょう。

このトグロの巻き方だと枝から滑り落ちるだろうと突っ込みたくなる蛇図(個人蔵)⑳、西洋では邪悪の象徴として描かれることが多いヘビですが、日本画では吉祥のモチーフ。

野菜もウリ!

網代模様の入ったガラス越しに嵐山の景色を眺め2階へ。

若冲と梅荘顕常(大典)が淀川を下った時の様子を描いた乗興舟㉒と題した絵巻、伏見から大坂までの風景が描かれているものの、若冲にしては河岸の景色があっさりすぎる気がします。

約50種類の野菜や果物が描かれた果蔬図巻㉓。㉔左からレンコン、スモモ、ジャガイモ、ライチ、ケシの実、シロウリ、ヘチマ、ザクロ、ツクバネ(山菜の一種)の部分。

栃木県佐野市立吉澤記念美術館所蔵の菜蟲譜(さいちゅうふ)㉕。㉖右からナス、ギンナン、ヒョウタン、むき栗、ソラマメ、クリ、ヒラタケ、カキ、ホンシメジ、マツタケ、エノキダケ、ハツタケ、ヘチマ、モエギダケ科のなかま、ショウロ、干し柿、ハイイロシメジ、カボチャ、ニンニク、サトイモの部分。

菜蟲譜の続きです。㉗右からカブトムシ、ダンゴムシ、カマドウマ、毛虫、ニホントカゲ、カネタタキ、アシナガバチ、ケラ、キリギリス、カマキリ、ミミズ、ミノムシ、スズムシ、トビズムカデ、コオロギ。

㉘シャクガ、オタマジャクシ、アメンボ、アカハライモリ、ミズスマシ、ゲンゴロウ、カエル、モンシロチョウ。細密な野菜や蟲と並んで鳥獣戯画風のカエルがサイコーです。

雄鶏、雌鶏と雛が3羽の群鶏図㉙、雌鶏の陰に雛1羽が隠れています。

見たことある人と思ったらやはり松尾芭蕉図㉚、芭蕉100回忌に合わせて制作されたもの。蕉風復古を唱えた俳人・高桑闌更による録で、

初しぐれ猿も小蓑をほしげなり

鶏図押絵貼屏風㉛、雄鶏だけじゃなくそれぞれの扇(面)に雌鶏や雛も。若冲80歳頃の作品らしい。なんともパワフルな若冲ジイサン、84歳まで長命。

野菜や鶏から架空の動物まで実に多様な題材が、超細密に描き込まれた色絵から一気に仕上げられた墨絵まで実に多様な技法で描かれた伊藤若冲を堪能。その感動を伝えるべくブログタイトルとして「京のダ・ヴィンチ」を思いつき、ChatGPTに相談してみたところ、ちょっと違うようです。異常なまでの観察力や正確な描写力は共通しているものの、科学の延長線上で描いたダ・ヴィンチに対し、若冲は見たものをパターン化し構成し直しており、ダ・ヴィンチよりもピカソに近いと教えてくれました。なるほど、です。

トリハダ若冲もオシャレですが、鶏や雁、鶴だけじゃなくて、野菜も坊さんも蛇も捨てきれません。ベタですが、ブログタイトルは「京の孤高の天才」としておきます。

渡り廊下でつながる新館のPANORAMA GALLERY 3は「若冲と同時代の画家たち」。

若冲と同い年、与謝蕪村のいかだしの自画賛㉝、

嵐山の花見にまかりけるに俄に風雨しければ、いかだしのみのやあらしの花衣、酔蕪村三本木井筒楼上において写

嵐山で花見して丸太町橋付近の料亭に場所を変えて酔っ払いながら描いたもののようです。

長沢芦雪の鸚哥図㉞と唐獅子図㉟。新館は照明が明るすぎて展示ケースへの映り込みがちょっと気になります。

数多の若冲作品に大いに感動、お腹いっぱいになりました。嵯峨嵐山文華館とセット券を買っていたのですが、チケットブースで尋ねると今日でなくても使えるらしい。

それいけ!応挙塾

機会を改めるかと悩んだものの、やはり嵯峨嵐山文華館も訪ねて来ました。「それいけ!応挙塾、円山応挙とその弟子たち」開催中です。1階には応挙自身の作品も少なからず展示されているのですが、やはり若冲で満足してしまい集中力がなくなっていました。

嵯峨嵐山文華館2階の気持ちいい広大な座敷の展示室、長沢芦雪、岸駒、矢野夜潮ら円山応挙の弟子たちの作品がずらりと展示されているのに、部屋の隅の椅子に座ってボーっと眺めるのがせいぜいになってしまいました。

今日鑑賞の絵画は全て版画ではなく肉筆画、同時期の江戸で鈴木春信が多色刷木版画を始め、江戸では絵画が庶民の間近になる一方、京では家元制や格式が重要視され、版画という複製はなかかな受け入れられなかったようです。極めつけに保守的な京で、題材や技法にこだわらず多彩な作品を残した若冲の異彩ぶりが際立ちます。そんな若冲との合作を残した応挙もただただ伝統を守るだけではなかっはず、「それいけ応挙塾!」は前期中期後期と分けて9月まで開催予定、改めて出直してじっくり確認してみたいと思います。

今日もリカちゃん屋形船が運行中、お客さんはリカちゃんトリオのいづみちゃんとわたるくんかな。

この付近に生息している魚類の看板、実に細密でかつ美しい。「(作)古田隼弥(京都市立佐賀中学校)」とあり調べてみると詳しい情報が見つかり、京都のさかなクンと呼んで差し支えなさそうな高校生と分かりました。俵屋宗達、伊藤若冲、そして古田隼弥クン、本庶佑先生ら京大出身のノーベル賞受賞者もたくさん、京都には天才を生み出す土壌があるようです。

ラムちゃん

綾小路高倉に伊藤若冲生家跡があるらしく行ってみます。嵐山からだとバスが便利ですが、嵐電嵐山駅を覗くとモボ301形がやってきたので乗り込みました。

嵐山駅を出るとKYOTRAMとすれ違ったので、帷子ノ辻で一旦下車。北野線のホームにはKYOTRAM,さらに白梅町からやってきたのもKYOTRAM、すでに3両のKYOTRAMが道入されていると分かります。

嵐山からのKYOTRAMに乗り込みました。隣に5歳と3歳くらいの兄弟とお母さん、お兄ちゃんがKYOTRAMを「ラム」と呼んでいたので自分もラムちゃんと呼ぶことしました。

初乗りのKYOTRAM、ロングシートでも豪華で贅沢な内装です。四条大宮に到着。前照灯と尾灯がひとつにまとめられたライトが素敵、若冲の描いたカエルにちょっと似ています。

四条大宮から20分ほど歩いて、今日は休店日のはずの角打ちのマスターとばったり出会い、伊藤若冲生家跡にたどり着きました。錦市場アーケードの西端、石の石碑を期待していたのですが、アーケードの支柱を囲む案内板です。若冲は錦小路の青物問屋「枡屋」の嫡男も、商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻を娶らず、40歳にして家督を弟に譲り隠居も、作画三昧ではなく、枡屋があった中魚町の隣にある帯屋町の町年寄を勤め、存続の危機にあった錦市場のために奔走し守ったことが史料に残されています。果蔬図巻や菜蟲譜に描かれた野菜や果物を見ても、商売熱心でなかったとしても、若冲の原点が青物問屋にあったことが伝わってきます。インバウンドさんに席巻され、ボッタクリで知られるようになってしまった今の錦市場を若冲はどう思っているのでしょう。

閉店直前だった綾小路御幸町の喫茶ロココで無理言っていっぷくさせてもらい、嵐山でいっぱい若冲を堪能してきました、と報告するとJR京都伊勢丹で開催中のネコづくし展のチケットをいただいてしまいました。ところがマスターが話してくれたのは自分はネコよりいかにイヌ派かという物語でした。