樂焼と植物園
大阪民芸館に続いて今週は樂美術館へ。元となる美に向かう心は同じであるはずも、無名の職人による日常的な「用の美」を称揚する民藝運動とは対極に位置し、一子相伝で作られている茶の湯のための樂焼です。今日が特別展「樂歴代−時代を超える茶碗たち−」の初日、毎月1回は通っていたはずの京都なのに、俵屋宗達以来3ヶ月ぶり。
9300系特急車内に「ご通行の際は、黄色い点字ブロックよりホーム側(内側)を」という中吊り。中津駅や春日野道駅はどうするんや、と突っ込みたくなります。もうひとつ極端に狭い駅があったはず、どこやったかな…。
高槻市を過ぎて新幹線の並行する辺りまで進み、水無瀬駅と分かりました。ホーム柵も無いので忍者のように壁にへばりつくしかありません。10年ほど前、コミミズクで何度も通った水無瀬です。
樂美術館
油小路一条下ルの樂美術館。館内撮影NGなのは来る前から確認済み、ChatGPTから「写真がないと語れないは半分正しくて、半分もったいない、むしろ撮影NGの場は、言葉の解像度が上がる訓練場になる」とのちょっと厳しい言葉をもらったので、その訓練にチャレンジする心づもりです。
靴を脱いでスリッパに履き替え、1,200円払って第一展示室に入ると中央には当代・十六代樂吉左衞門氏の今焼茶碗。壁面には二代常慶の黒樂平茶碗から十五代直入の赤樂茶碗まで歴代の作品がひとつずつ。近所で工事をしているのか、カッタンカッタンという音が気になります。「一点集中で見てみよう」というChatGPTのオススメに沿って自分が選んだのは八代得入の赤樂茶碗。29歳で早逝した得入の病弱ゆえの必死さと優しい人だったろう人となりが伝わってくる赤楽に惹かれました。
2階の第二展示室に上がると一方の壁面を独占していたのは初代長次郎素焼灰器、まるで須恵器のような素焼き、ズバリではないものの、これに似た平たい器です。さらに歴代の茶碗や表千家の茶碗、坂東玉三郎黒樂茶碗「琳」、展示室中央には香合や茶入。壁に歴代の系図が掲げられていて二代目常慶から当代まで全て本名は吉左衛門と分かりました。当代は令和元年に樂篤人氏が吉左衞門を襲名、十五代はその時に直入に改名されています。初代長次郎から一子相伝ではあるものの、五代、六代、十一代は養子さんで、五代宗入は尾形光琳・乾山兄弟の従兄弟です。
3階には窯で作業中の当代(たぶん)のビデオ。さっきから気になっていたカッタンカッタンの音はふいごで窯に風を送る音と分かりました。初代長次郎黒樂茶碗万代屋黒(もずやくろ)や三代ノンコウの黒樂茶碗木下、本阿弥光悦白樂茶碗冠雪などが展示されていたのですが、ビデオの音が気になって集中できませんでした。
せっかくなので帰りがけに上述の八代得入赤楽茶碗の絵葉書を買っておきました。写真NGやビデオの大音量のせいもあるのですが、茶の湯の真髄たるホスピタリティ、美術館来館者へのもてなしの心が全然感じられなかったことが残念。大音量ビデオの代わりに床の間をしつらえ、掛け軸と一輪挿しにするだけでも全然違っていたかと、陶芸だけでなく書画に秀でた歴代もいたはず。「親の真似をするな」という家訓は伝わってきたものの、歴代の茶器をもれなく並べることよりも、利休から伝わる心の表現が欲しいと感じてしまいました。
ということで、民藝vs樂焼についてはそれを語るだけの見識はないものの、大阪民芸館vs樂美術館では大阪民芸館の圧勝です。
樂美術館だけだと写真が足りないのがわかっていたので、次にどこへ行こうか探していたところ、府立植物園4月24日の植物園だよりを見ると「カワセミソウ」なる初耳の花の名を見つけました。そのカワセミソウがあるはずの賀茂川門近くの絶滅危惧種園です。
シャガと違って花びらが青いヒメシャガ、準絶滅危惧種で野生については絶滅が危惧されているらしい。
ARITA PORCELAIN LAB
翌日曜日、阪急百貨店のJapan and meが気になって再び梅田へ。ARITA PORCELAIN LABという窯元のJAPAN SNOWとブランド名の付いた花瓶とティーポット、銘々皿です。花瓶には鳳凰と桜、ティーポットは草花文とあるものの、何やらサンリオのキャラクターを彷彿とさせます。展示台は藍染の縄と気づきました。色合いの変化がとても美しい。縄だけだと何か分からなくなりますが、磁器が上に載ることで縄の美しさが際立っています。
7階のリビング用品売場の一画に有田焼のコーナーがあり、金彩の大皿を眺めていると売場の人から、どうぞ手にとってご覧くださいと声を掛けられたものの、とても怖くて触れません。コンコースで展示されていたのと同じJAPAN SNOWシリーズの器も。間近で見るとツルンツルンじゃなくて、微妙にザラザラ感が残されていて、触らずとも手触りを感じさせます。窯元さんもいらしてますよ、と和装の背の高い男性を紹介されそうになったのですが、こっちはとてもバイヤーになれる風体をしていないので失礼しました。
美術館めぐりの範囲を超えてギャラリーや窯元を訪ねるようになってしまいそうで、物欲が無いはずの自分でも、ちょっとやばいかも。ARITA PORCELAIN LABのウェブサイトをチェックすると、創業1804年(文化元年)の有田焼弥左ヱ門窯が母体で、当代の七代弥左ヱ門さんが阪急百貨店の売場でお見かけした方と分かりました。ブランドヒストリーにはよくぞここまで記録が残されていたというエピソードがびっしり、ネガティブな面も隠すことなく紹介されていて、一子相伝も親の七光りでは成り立たないことが伝わってきます。
JAPAN SNOWは、従来の光沢ある有田焼と異なり、独自の手法によるマットな質感で日本の粉雪を表現、職人のひとつずつ手作業によりプラチナで上絵付けされているらしい。電子レンジ使用不可も、銀のように酸化して黒ずむことなくいつまでも輝き続けるらしい。ブログにはJAPAN SNOWの小皿にチーズケーキ、やはり器は使ってこそ、と感じさせます。
花の御所
元図子町に石碑が立てられた此付近狩野元信邸ですが、国立歴史民俗博物館(歴博)のアーカイブに狩野元信あるいはその工房が手掛けたと伝わり、最古の洛中洛外図屏風とされる重要文化財洛中洛外図屏風(歴博甲本)を見ることができるとGeminiに教えてもらいました。
ページ上部に4枚の画像の一番左の画像を開くと、右端上下中央付近にこけら葺きの屋根が並んでいる屋敷が見えます。庭には武士が4人ずつ縦横に並んで座っています。これが花の御所です。左の方に画面を移動すると通りで馬が暴れているところの屋敷は三好氏の屋敷、さらに右の方に進むと通りを5人の武士が歩いています。うち2人が槍をもっています。この屋敷が住居兼工房の狩野屋敷と分かりました。
つまり現在地ですが、同じウェブページ上部の4枚の画像の左から2枚目に金屏風画像の彩度を落として注釈を加えた画像があることに気づきました。花の御所は「幕府」とあるので、間違いないと確認できたものの、三好氏の屋敷は「(細川)典厩邸」、狩野屋敷は「細川邸」となっています。Geminiに間違っているのではと突っ込むと、「細川邸」は幕府の有力者であった細川氏の広大な邸宅で、その細川邸の敷地内あるいは隣接地に、細川氏の御用を多く務めていた狩野派の拠点があった、とのこと。また「(細川)典厩邸」とは、細川氏に仕えながら絶大な力を持ち始めていた三好一族の中に、代々「右馬頭」に任じられた系統が三好典厩家で、三好政長などが典厩を名乗り、狩野元信とも交流があったらしい。
狩野永徳の洛中洛外図屏風と見較べると永徳ではのっぺらぼう京の人々が、目鼻まで丁寧に描き込まれています。これを撮影した技術とカメラの精度にも驚かされます。歴博甲本が描いているのは1525年頃の京。豪華な花の御所を建てたのは3代義満、花の御所を大改築し東山文化を開花させたのは8代義政、応仁の乱(1467-1477年)で消失し、その跡地の隅っこに元信が仕えた12代義晴が建てた「柳原御所」がここに描かれた「幕府」と分かりました。
典厩邸や細川邸より小さくなった幕府、それでもしっかり枯山水の庭が美しく描かれていて、政治力は小さくなったものの、文化の面では依然として権威を保っていた室町幕府です。同志社寒梅館の敷地に残る敷石の遺構はまさにこの柳原御所の築地塀の基礎部分らしい。「此付近狩野元信邸跡」の石碑からたっぷりと室町時代の京散歩が楽しめました。